79.年越しの料理
その日の太陽が中天に昇る前、領主邸に訪ねてきたのはエンカー村の村長、ルッツの息子、フリッツだった。
高齢のルッツに代わりエンカー村を実質取り仕切ってくれている壮年の男性で、よく魚を差し入れしてくれる兵士見習い、ロイドの父親でもある。
全員面立ちがよく似ていて、血のつながりがうかがえる。
「メルフィーナ様、急に訪ねて申し訳ありません。うちの畑で白豆が大量に穫れたので、よろしければおすそ分けさせていただきたいと思いまして」
「嬉しいわ。白豆というのは初めてだから、見せてくれる?」
小さめとはいえ差し出された籠一杯に、すでに莢から剥かれた豆が入っていた。油豆や冬豆より大きく、形はそら豆に近く、その名の通り、真っ白な豆である。
メルフィーナとしてこの豆を見るのは初めてだが、前世で言うなら白いんげんによく似ている。
「今日明日は年越しを祝うので、豆を多めに収穫しました。よろしければメルフィーナ様にも食べていただきたいと、親父が言うので」
「まあ、ルッツが? それは嬉しいわ」
未だにルッツには怯えられているような気がするけれど、多少は気を許してくれたなら、とても嬉しいことだ。
「この辺りだと、年越しにこの豆を食べるの?」
「はい。鍋にこの日のために残しておいた乾燥ハムの切れ端をたっぷり入れて、水に浸した豆と、冬に穫れる野菜をあれこれと、出来れば鴨肉の脚なんかがあるとすごく贅沢ですね。それを塩蔵したトマトと一緒にじっくりと昼から煮込んだものを食べることが多いです。今年はどこの家も、鶏肉で作ると思います」
「美味しそうね」
要するに、具をたっぷりと入れたスープなのだろう。ハムに鶏肉に野菜に豆、そこにトマトを入れるなら、不味くなりようがない組み合わせだ。
「ずっと年越しを祝うほど、ここのあたりは豊かではありませんでしたが、一年の最後の日くらいは腹いっぱい食べようってことで自然と根付いた料理だって親父が言っていました。メルフィーナ様のおかげで皆腹を空かせずに済むようになりましたが、ずっと続けてきた習慣なので、今年も作りたいって話になって」
「とてもいいと思うわ。領主邸も今夜はそれを作って、皆で食べます。ふふ、エンカー地方の一員っぽくて、嬉しいわ」
エンカー地方の郷土料理ということだろう。そうやって続けていくことで名物になったり、色々なバリエーションに発展したりしていくものである。
「俺たちも嬉しいです。それでは、穏やかな最後の夜をお過ごしください」
そのフレーズは、北部の年末の挨拶だという。ちなみに新年は健やかな最初の朝をおめでとうございます、なのだそうだ。
「フリッツも、穏やかな最後の夜をお過ごしください」
気恥ずかしそうに笑って、フリッツは領主邸を辞していった。
この世界にはクリスマスも年越しの祭りのようなものも無いと思っていたけれど、年の変わり目はやはり特別なものなのだろう。
――やっぱり、区切りって大事なものよね。
「今夜は領主邸でも、無事年の終わりを迎えられたお祝いに、ささやかなごちそうを用意しましょうか」
「お手伝いします」
「とても楽しみです」
後ろと隣に控えていたマリーとセドリックも表情をほころばせる。
今夜もとても冷えるだろう。温かいスープとお祝いの料理は、それを特別な思い出で温めてくれるに違いない。
* * *
北部の冬は日の入りがとても早い。この世界の習慣に合わせて暗くなる前に夕飯を済ませ、夜はすぐに寝るというサイクルだと、メルフィーナの感覚では夕食はとても早いものに感じる。
当然、食事の準備はもっと早くから始めることになるので、昼食を終えたらすぐに厨房に入ることにした。
少し背が伸びたエドも、新しい料理を作ると予告しておいたので、好奇心に目を輝かせている。
「今日は、最後のカボチャでニョッキを作ります」
秋にエンカー村の住民から買い取った大量のカボチャの大半はアレクシスに買い取ってもらったけれど、秋祭りの振る舞いのスープや飾りつけに使ったり、領主邸でも消費していた。
そしてようやく、これで最後の一個である。
「カボチャはワタを抜いたあと、扱いやすいサイズにカットして、皮を剥いたらお鍋に入れて、水を少し入れて蓋をして、柔らかくなるまで蒸していきます」
柔らかくなったら鍋に残った水を捨て、弱火に掛けながら木べらで練っていく。十分に潰して余計な水気を飛ばしたら、熱いうちに塩を入れ、バターを投じ、さらに少し冷ましてから卵黄を入れてよく混ぜる。
手で問題なく触れられる温度になったら小麦粉を混ぜて、後はよく捏ねるだけで出来上がりだ。
よく寝かせてたっぷりと追熟したカボチャは鮮やかな黄色になっていて、蒸したことで甘い香りが漂っている。この作業はエドに任せたけれど、危なげなくこなしてくれた。
「これを棒状にして、3cmくらいの幅でカットして、軽く丸めたら、フォークを跡がつく程度に押し付けていくわ」
成形はマリーとセレーネも手伝ってくれた。二人とも手先が器用なので、言われた通り細長く丸めて丁寧にフォークを押し付けていく。
「メルフィーナ様、フォークで跡を付けるのは、何か意味があるんですか?」
マリーに聞かれて、内心で首を傾げる。ニョッキといえばこういうものだと思っていたので、あまり深く考えたことはなかった。
「こうして溝を作ることで、ソースが良く絡むし、食べる時の食感が楽しくなるから、かしら」
「そうなんですね」
我ながら少し自信がない返事になってしまったけれど、マリーは特に気にならなかったようだ。全て丸め終わり、打ち粉をまぶして、あとは食べる直前にたっぷりのお湯で茹でるだけである。
ソースは鱒をバターで焼いたものに、きのこと白ワインで風味付けしたクリームソースにした。淡泊な鱒と濃厚なクリームが良く合って、冬の食卓には嬉しい味だ。
それから、フリッツの教えてくれた乾燥ハムと白豆と鶏肉の、冬野菜トマトスープを食卓に並べる。エールとお茶はそれぞれ好きなだけ飲めるよう用意して、それでテーブルの上は一杯になった。
いつもはそれぞれ仕事をしていて全員が食堂に揃うのは珍しいけれど、今日は使用人たちも午後の半ばで仕事を切り上げてもらい、久しぶりに勢揃いの夕飯である。
――随分にぎやかになったわ。
春の初めにここに来たときは、メルフィーナの供はアレクシスに付けられたマリーとセドリックだけだった。
すぐに人足として同行していたラッド、クリフ、エドが使用人として名乗り出てくれて、メイドとしてアンナが、飼い犬としてフェリーチェが増えた。
そして隣国の王子であるセレーネも食卓に加わり、その隣には彼の主治医であるサイモンも椅子を並べている。
家族というには少々チグハグではあるけれど、温かい料理の湯気と、全員の笑顔がある食卓だ。
「みんなのおかげで、無事一年の終わりを迎えることが出来たわ。色んなことがあったけれど、本当にありがとう」
「こちらこそ、刺激的な一年でした」
「楽しい一年でした。ありがとうございます、メルフィーナ様」
「温かいうちに食べてしまいましょう。乾杯!」
エールの入ったカップを掲げ、まずはメルフィーナが口をつける。それから皆、手にしたカップを掲げ、夕食が始まった。
「このニョッキというのは、面白い食感ですね。ソースが絡んで、本当に美味しいです」
「固いわけではないのにとても歯ごたえがあって、初めての食感です。なんというか、不思議ですね」
「もちもち、って言えばいいかしらね。結構面白いでしょう」
「なるほど、もちもち、ですか……」
フランチェスカ王国では、麦は捏ねて焼くものであり、すいとんに類似した食べ方をすることはほとんど無いらしい。不思議そうな様子ではあるけれど、みな抵抗はないようで、美味しそうに食べていた。
「白豆のスープ、すごく美味しいわ。トマトの酸味と肉の風味がすごく合うし、スープを吸った白豆も、ほくほくしていて」
「これまでは年越しの夜の特別な料理だったそうですが、今年は豆も豊作ですし、鶏肉も手に入りやすい値段になっているので、たまにする贅沢、くらいになるかもしれませんね」
鶏糞を目的として鶏の飼育を推奨しているエンカー地方では、鶏小屋を持っている家庭はとても多い。雌鶏は一日に一個卵を産むので、家庭内で消費しきれない分は市場に安く提供されていて、卵も肉も他の地方に比べ極めて安価に手に入るようになっていて、鶏を飼育していない家庭でも鶏卵を手に入れるのはそれほどハードルが高いものではなくなった。
鶏肉も卵も、非常に優秀なたんぱく源であり、タンパク質を十分に取ることは筋肉や肌の調子を整え、健康を保つことにも大きく影響する。
各家庭で、たまにこんな風に肉と野菜がたっぷり入ったスープを囲むことが出来るほど、領地が豊かになるのは、メルフィーナにとって喜ばしいことだ。
「そうだといいわね」
「僕もこのスープ、すごく気に入りました。ルクセンでも作れないでしょうか」
「私は料理はしませんが、この豆は市場で見たことがあります。おそらく作ることは出来るかと」
「材料を入れてゆっくり煮込むだけだし、豆があるなら出来ると思うわ」
「こんな風にみんなでごちそうを食べる一年の終わりもいいですね。すごく楽しいです」
「ルクセン王国では、年の終わりって何か特別な過ごし方はあるの?」
トマトスープに入っていた骨付きの鶏肉から丁寧に肉を切り分けながら、嬉しそうに言うセレーネに尋ねる。
「ルクセンでは、一族が集まって酒宴を開きます。この夜だけは子供と女性も宴席への参加が許されるので、会場はすごく華やかになるんです。僕は林檎のシードルが好きで、侍女たちと飲んでいました」
「それは美味しそうね。私も、林檎のシードルは王都で呑んだことがあるわ」
「王都では一年の最後の日は、どのように過ごすんですか?」
「王宮でパーティがあるけど、成人前の子供は参加できないから、自宅で少し豪華な食事をするわね。デビュタントを済ませたらパーティに参加できるようになるから、楽しみにしていたのだけれど――」
成人した最初の年末――つまり今夜のことだ――が来る前に北部にやってきたので、結局メルフィーナは王宮のパーティは参加できなかった。
――ゲームの中では公爵家を出てすぐに王都に向かったから年末のパーティには参加したんでしょうけど。
「今」はマリアが降臨する以前になるので、ゲームの中でも詳細に語られることはなかったけれど、ハートの国のマリアに登場するメルフィーナならば、さぞ絢爛なドレスを身にまとって参加したことだろう。
――年越しのパーティどころか、パーティと名のつくものにはほとんど全部参加して、毎回贅沢なドレスを作ってはそれを見せびらかすみたいに出向いていたのよね。
ゲームの中ではとにかく金遣いが荒い描写が多かったけれど、今になって思えば、湯水のようにお金を使って贅沢していたのは、メルフィーナの寂しさの表れだったのだろう。
あるいは、過剰に散財することでアレクシスがどこまで自分を許すのか、試すような気持ちもあったのだろうか。
思えばあの時だって、飢饉は起きていたはずなのだ。
騎士たちから伝え聞くプルイーナとの戦いもあったのだろう。
ゲームの中のメルフィーナは贅沢に溺れて、そんな部分を見ることは無かった。
――どうしてあんなに、パーティに行きたかったのかしら。年の近い親しい友人がいたわけでもないし、パートナーになってくれる夫や婚約者がいたわけでもないのに。
男性は必ず妻や婚約者、身内の女性といった異性のパートナーが必要だけれど、女性は夫や婚約者以外でも、身内の男性の他、もしくは侍女やシャペロンと呼ばれる付き添いの女性がいれば参加が許されている。
ゲームでは詳細に語られることは無かったけれど、メルフィーナはおそらくマリーか、外部からシャペロンに相応しい女性を雇用していたのだろう。
公爵夫人という立場から近づいてくる人間には事欠かなかったはずだ。
それでもメルフィーナは、強くアレクシスに執着して、他の男性を寄せ付けている様子はなかった。
――ゲームの悪役令嬢なのだから、他に恋人がいるなんて描写が入るわけがないけれど、少なくともメルフィーナはアレクシスに対して一途だった。
いっそ他に恋人を作っていれば、アレクシスルートのメルフィーナがあんな結末になることはなかったかもしれない。
「姉様? どうかしましたか?」
「……いえ、一度くらいはパーティに出てみる機会があってもよかったなって。色々と作法も学んだのに、使う機会がなくなってしまったわ」
「でしたら姉様、僕とダンスを踊りませんか?」
「ダンス?」
突拍子もない言葉に驚いていると、セレーネはいいことを思いついたというように明るく笑った。
「僕も成人していないので実際のホールに出たことはありませんし、体が弱かったのであまりレッスンも受けていないんですけど、パーティではダンスを踊るのは、フランチェスカ王国でも変わりませんよね?」
「そうね、私も教わっただけだけれど。でも、ここでは音楽もないし」
フロアは客用の晩餐室がそれなりの広さなので場所はあるけれど、本来パーティとはBGMのために楽団を呼んで夜通し演奏させるものだ。音がなければリズムを合わせることも、ステップやターンのタイミングを計るのも難しいだろう。
けれどセレーネは、何の問題もなさそうに、弾んだ声で言った。
「みんなで歌いましょう! きっと楽しいですよ」
「私もいいと思います、メルフィーナ様。よろしければ一曲、お相手してください」
「マリー?」
「私もダンスは教わったのですが、一度も踊る機会が無かったので、ぜひ」
「せっかく学ばれたのですし、良いのではないでしょうか」
堅物のセドリックにまでそう言われると、儀礼や定番を外すのを躊躇している自分がなんだか彼以上に頭が固くなってしまったような気がする。
「そうね、領主邸の中のことだし、踊りましょうか」
「はい!」
セレーネの元気な声に呼応するように、牛骨を齧っていたフェリーチェもワン! と高く吠える。
あまりに上手いタイミングだったので、一拍置いて、席に着いた全員が、声を上げて笑ったのだった。
ニョッキはジャガイモで作るのが一般的ですが、かぼちゃのニョッキも美味しいです。
メルフィーナが時々ふっと寂しげな表情を見せるので、周囲は元気づけてあげたい気持ちになります。




