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77.神官の治療と聖女の話題

 陣は戦勝の興奮冷めやらず、怪我人の治療に走り回る兵士たちで熱気をまとっていた。

 これで一年、息を吐くことが出来る。その安堵とともに、帰ることの出来なかった仲間を悼み、今は嘆きを抑えつけている。


「閣下、神官に目の治療をしてもらいましょう」

「私は後でいい。命に関わる者を優先させろ」

「ゆっくり歩いて戻ってきたんですから、瀕死の者の治療はあらかた終わっていますよ。上が万全であるところを見せる方がずっと大事でしょう。ほら、行きましょう」


 強引に促され、治療を行っている神官の天幕に向かう。

 神殿の天幕は、出入り口に神殿を表す蛇の絡みついた盃の印が入っていて、天幕自体も他のものとは違い眩いほどに白く、非常に目立つ外観をしている。


「ああ、公爵閣下。無事のお戻り、お喜び申し上げます」


 中には神官が一人と、身の回りの世話をする修道女が二人だけだった。修道女は片方が血で汚れた布を素早く畳み、寝台に新しい布を敷いている。


「プルイーナとの戦いで目を痛められたようなので、診ていただけますか?」

「勿論です。どうぞ、こちらに横になってください」


 促され、神官が腰を下ろす椅子の前にしつらえられた寝台に横たわる。汚れのない白い指先で瞼を押し上げられ、金の瞳に覗き込まれる。


「ああ、強い魔力で瞳の表面が汚染されていますね。浄化をいたしますので、少しお待ちください」


 そう告げて、顔に手のひらを翳される。温かくやわらかなもので顔を撫でられるような感触のあと、終わりましたよ、と穏やかに告げられた。

 何度か瞬きし、瞼の上を指で触れる。目の奥に熱を感じるけれど、視界はしっかりとしたものに戻っていた。


 神殿の治療は、非常に即効性がある。あまりにあっけなく治るので、どこか現実味を感じられないほどだ。

 魔力とは、基本的に生き物にとって毒に近い。どういう仕組みなのか、神殿と教会はそれを人の薬……それも極端に効くものとして利用することが出来る。


「ああ、大丈夫だ。感謝する」

「お役に立ててよかったです。それで、公爵様。プルイーナの核は無事回収できたのでしょうか」

「ああ、懐にしまってある。後日、正式に神殿に奉じよう」

「もしよろしければ、少し見せていただけませんか? 私くらいの身分ですと、中々間近で四つ星の大魔の核を直接見る機会はありませんので」


 乞われて特に断る理由もなく、懐から革の小袋を取り出し、差し出された手の上に載せる。

 天幕の中だというのに赤く内側から輝くプルイーナの核を取り出し、神官はそれを指でつまみ、目の位置まで持ち上げてゆっくりと検分していた。

 プルイーナの核は、真円を描く透明な玉だ。白く濁った色をしているが、翳したあちら側がわずかに透けて見える。

 神官はしばらく核を見つめていたけれど、やがて眩し気に目を細め、革袋に戻してアレクシスに手渡した。


「ありがとうございます。これほどの核を持つ魔物の討伐は、さぞ骨が折れたでしょう。治療することしかできない矮小な身ではありますが、お礼を申し上げます」

「騎士と兵と、それを支えるあなた方神殿の働きだ。礼を言われることではない」

「そうだとしても、彼の大魔を討ち払える方は限られています。オルドランド家の献身には、どれほど感謝をしても足りないほどでしょう」


 神官はどこか諦念を抱くような様子でそう言ったあと、ふと、瞳に光を瞬かせた。


「ですが、もうすぐこんな戦いも終わるかもしれません」

「どういうことだ?」

「聖女降臨の兆しが現れました。おそらく遠からず、聖女がこの地にご降臨されます」


 その声は誇らしげで、弾んだものだった。到底冗談を言っている様子ではないけれど、その言葉の内容に、アレクシスはわずかに眉を寄せる。


「……聖女とは、伝説ではなかったのか」


 聖女は、神殿の伝承の中にある存在であり、その名の通り聖なる女性を示す言葉だ。

 その存在自体が女神の代理人であり、あらゆる苦難と嘆きが癒されるという。神殿のシンボルである蛇の絡んだ盃を掲げた聖女の絵画や石像は、大きな都市の神殿には必ず置かれているものだった。


「もちろん、聖女は実在いたします。何百年に一度というご降臨に、私の生あるうちに携わることが出来るとは、本当に幸福なことです」


 穏やかな、けれど熱を持った声だ。神官は胸の前で手を組み、ほう、とため息を漏らす。


「聖女がご降臨なされたら、四つ星の魔物もたちどころに討ち払い、その魔力で汚染された大地すら浄化していただけるでしょう。聖女のご加護を頂くことが出来れば、その地は長く栄え、人々はみな豊かに暮らすことが出来るようになるはずです」

「……聖女は、伴侶を求めるのだったか」

「ええ、前回の聖女は、フランチェスカ王国の初代国王と結ばれました」


 当時、初代国王はフランチェスカ王国前身であるブラン王国の貴族の一人でしかなかったけれど、聖女に選ばれたことで領地は栄え、やがてそれが新たな王国となり、ブラン王国を併合してフランチェスカ王国へと発展していったというのが神殿の語る歴史だった。


 実際にブラン王国は数百年前に滅びた国であり、新たに興ったフランチェスカ王国が現在まで繁栄しているけれど、そこに聖女の存在を絡めるのは神殿の権威付けとアレクシスは考えていた。

 どれほど有能な人間でも、人ひとりの存在で国の興亡まで発展するのは現実的ではないだろうと。


 ――だが、卓越した者が現れ、時代が味方すれば、あるいはそうなるのかもしれない。


 そう考えたとき、アレクシスが脳裏に思い浮かべたのは、書類上の妻であるメルフィーナだった。

 彼女の周りでは、常識外のことばかりが起きる。彼女が手掛けるものは全て良い方向に向かい、その成果は人々を照らす光のように降り注ぐ。


 たった一人の人間に出来ることなど、たかが知れている。けれど、もしも本当に聖女と呼ばれる存在が現れるならば……それがメルフィーナのような人であるならば、あるいは国を興し、また滅ぼすことさえ可能かもしれない。


今代こんだいの聖女は、どのような方を選ばれるのでしょうね。願わくば良き伴侶を得て、この混乱した世に安寧を満たして頂きたいと願っております」


 その声は穏やかで、何の含みもないように響く。

 実際、それほどの力を持った者が現れるならば、誰と結ばれようとこの大陸は安泰だろう。


「治療を感謝する。後ほど食事とエールを届けさせるので、明日の移動までゆるりと過ごしてほしい」

「お心遣い、感謝いたします」


 アレクシスは立ち上がり、白い天幕を後にする。

 飢饉による飢餓と治安の悪化、閉塞した空気に跋扈する魔物。今は国中が――いや、おそらくこの大陸のどこにも、希望を見つけるのが難しい状態だ。

 そこに聖女が現れるというなら、これほど喜ばしいことはない。多くの者が救われ、癒され、生きる希望を見いだすことになるだろう。


 ――聖女の降臨が事実なら、王宮に呼び出されることになるだろう。


 少なくとも東西南北を支配する公爵・侯爵とは顔合わせがあるはずだ。どの地方も大魔の討伐の負担を抱えており、聖女の救いは喉から手が出るほど欲しいものだ。

 王宮であれ貴族であれ、聖女が誰かを選ぶ前に、その存在を独占するなど許されるわけもない。そんなことをしようものなら、多方の勢力から実力行使を受けても文句の言えない状況になるだろう。


 そして、アレクシスも実際に聖女が現れれば、その前に膝を突き、北部を、民を救ってくれと願うことになるはずだ。

 それで一人でもサスーリカに生きたまま食われ、プルイーナの魔力で絶命する者を減らせるならば、躊躇はない。


 救いという名の毒は、荒れて疲弊した心に空いた隙間にするりと入り込んでくることを、アレクシスは知っている。


 それを知っていてなお、救いに縋る他ない現実の冷たさもだ。

今日は夜にもう一回更新できそうです。

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