76.プルイーナ戦
戦闘シーンや残酷なシーンがあります。
苦手な方はお気をつけください。
ズン……と体が重くなり、それと同時に夜の静寂を切り裂く激しく打ち鳴らされる鐘の音に寝台から飛び起きる。マントを羽織り剣を帯びたところでオーギュストが天幕の外から声を掛けてきた。
「閣下、プルイーナが出現しました」
「すぐに出るぞ」
就寝時も革鎧を身に着け靴も履いたままでいるため、すぐに行動を起こすことが出来る。天幕を出ると、すでに陣の中は装備を身に着け隊列を組む兵士たちでざわめいていた。
サスーリカの最初の出現以降、プルイーナは数日中には現れる。陣は出現場所から少し離れた場所に組まれるが、それでこの魔力圧だ。
今年は例年より、やや近くに出現したのだろう。
「夜中に出るとは、ついていないですね」
「月が出ていることだけが幸いだな」
獣や人間と違い、魔物は昼夜を選ばない。視界がよく比較的気温が上がっている日中の出現がもっとも望ましく、月のない黄昏時に当たる年は不運と言えるだろう。
「昔は、プルイーナは必ず満月の夜に現れたって言いますけど、本当ですかねえ」
「さてな」
すでに十年近くプルイーナと戦っているアレクシスであっても、この時ばかりは放たれる魔力の強さに酔い、酩酊と吐き気を催すものだが、オーギュストのどこか抜けたような口調はいつもと変わらなかった。
その「変わらなさ」に、冷静さを取り戻すことが出来る。
西に、白い靄が広がっているのが見えた。
魔力は通常、特殊な目を持つ魔法使い以外の目には見えないものだが、東西南北に現れる四つ星の大魔と呼ばれる魔物だけは、身に帯びる魔力が物理現象に干渉し、視認することが出来るようになる。
プルイーナのそれは、近づくだけであらゆるものを凍り付かせる冷気として顕れた。
「すぐに火を放て」
そこら中に油を染み込ませた薪をうず高く積み上げた井桁に、次々と火種が放り込まれる。プルイーナが出現すると同時に大量のサスーリカも湧くので、それらを警戒しながらの作業だ。
やがて炎が月の光が降り注ぐ荒野を赤く染め始め、揺れる炎の光に、プルイーナの異形が浮かび上がる。
プルイーナは、眷属であるサスーリカ同様、見た目はサルによく似た姿をしている。身の丈は六メートルに届かないほどで、ぎょろぎょろと動く丸い目は赤黒く、上半身にまとう毛は雪のように白い。
胴から下は灰色の蛇で、後ろ足は存在せず、前足のみで移動するのでサスーリカほどの敏捷性はないものの、尾を激しく振り回し、まともに当たれば人間など吹き飛ばされひとたまりもなく絶命するため、その身にまとう魔力圧もあいまって、近接戦がままならない魔物である。
キシャアアアアア!
プルイーナの咆哮に、その場に足が縫い留められる。サスーリカの威圧が生ぬるく感じる猛烈な圧だ。
周囲の兵士もがたがたと震え、鼻から血を出している者も少なくない。
「怯むな!」
ブルーノの一喝が響き、固まっていた兵士の数人がびくりと体を震わせた。
「そこら中にサスーリカがおるぞ! 死にたくなければ腑抜けるな! 我らが後ろには北部の村が! 街が! 人々がいることを忘れるな!」
「うおおおおおおおおおおお!」
その大喝に一拍置いて、応える咆哮が上がる。竦んでいた士気が盛り返すのが伝わってくる。
ブルーノはオルドランド騎士団の中でも最年長で、最も多くプルイーナとの戦いに携わってきた猛者だ。
「ブルーノ卿、やはり肉壁より口うるさいジジイ役の方が似合ってますよ!」
「うるさいわ若造が! 貴様がいつまでも頼りにならんから、儂が引退出来んのだろうが!」
「おお怖い怖い。ブルーノ卿が恐ろしすぎて、プルイーナがかすんで見えますよ!」
流石に笑うほどの余裕は持てないけれど、それでも張り詰めて弾けそうな緊張が僅かに緩むことで、兵士たちは再びプルイーナに向かい始める。
「組ごとに散開し、サスーリカを各個撃破しろ! 決して組から孤立するな!」
兵士は五人を一組としてまとまって行動し、騎士は盾持ちの従者を従えながらサスーリカの数を減らしていく。
腕利きの騎士は、一人で兵士数人分の働きをする。魔力を持ち、ある程度魔法を使える者も少なくない。サスーリカは動くものを全て餌と認識するので、その強さも人数も関係なく襲ってくる。騎士や兵士はそのまま、生餌としても機能する。
キィィィィィィィィィ!
アレクシスもまた、耳障りな咆哮を上げながら襲い掛かって来るサスーリカを切り伏せる。返り血が肌に触れれば凍り付いて皮膚が焼け落ちるので、頭より高い位置から襲って来た場合は剣身の腹で地面に叩きつけてから頭を潰すのが常道だ。
じりじりと近づいてくる人間が目障りなのだろう、プルイーナはもう一度、激しい咆哮を上げるとその尾が営火の燃え盛る井桁を払った瞬間、炎の光に混じり、真っ白な煙が立ち上る。
キィィィィィィィィィィィィ!
井桁の中心には鉄の塊が仕込んである。炎に熱されたそれとプルイーナの冷気をまとった体が接触すると、真冬に沸かす水のように白い煙が上がる。
煙が晴れると、尾の一部が欠損しているのが見て取れた。プルイーナは強力な魔物だが、眷属であるサスーリカ同様に知性は存在しない。彼の魔物が痛みを感じるのかは知らないが、その赤黒い瞳には明らかな怒りが浮いている。
「ゲェッ」
傍にいた兵士の一人が激しく痙攣し、吐いた。不毛の地に赤黒い嘔吐物がぼたぼたと垂れる。
少し離れたところでは、闇雲な悲鳴を上げながら倒れ込み、四肢をばたつかせている者もいる。
強すぎる魔力は、人体に毒だ。その耐性は人によって違い、許容量を超えれば心身を痛めつける。失神したり錯乱した者は、同じ組の正気を保っているものが引きずって前線から離脱させる。
「魔力に中てられたものは下がれ! 足手まといじゃあ!」
ブルーノは大きく咆哮し、愛剣でサスーリカを両断する。十数人が離脱し、まだ倒れたままの仲間を囲むように、兵士たちが剣を構えた。
死体をその場に残せば、骨も残らず食われてしまう。たとえ命を落としても、その尊厳を守らねば、仲間が報われない。
サスーリカを切り伏せながら、怒りに任せて井桁を払っては少しずつ身を欠けさせていくプルイーナを注意深く観察する。やがてサスーリカの数が減ってくる頃になると、その尾はあちこちが欠落して、胴と先がかろうじてつながっている程度にまで削られていた。
時の流れを忘れるような戦いは、いつものことだ。どれくらい戦闘が続いたのか、すでに月は斜めに傾きかけていた。
「火矢を放て!」
後方に控えていた弓兵部隊が弓を番え、放つ。燃え盛る矢じりが放物線を描いて夜の空を切り裂き、吸い込まれるようにプルイーナの頭部から上半身に掛けて降り注いだ。
キィィィィィ!
弓が当たった場所から白煙が上がり、すぐに風に流されていく。
火矢のひとつひとつの威力はたかが知れている。魔力が十分に残っている状態では傷口に氷が張り傷を修復してしまうので、営火で弱らせ消耗したところで雨のように火矢を降らせ、少しずつ削っていく。
「止めるな! 疾く射よ!」
ありったけの矢を放ち、次々と立ち上る白煙に視界が遮られる。弓兵以外の兵士たちは残ったサスーリカを相手どる。
やがて、ようやく矢が尽きたとき、風が煙を払った先には白い雪像のようになったプルイーナが聳え立っていた。
「オーギュスト、新しい剣を」
常に隣に控えていたオーギュストが、背中から剣を抜き、片膝を地に突ける。サスーリカを切り捨て続け切れ味が鈍った剣を捨てて差し出された剣を受け取る。
「矢を止めろ! 閣下が動く!」
プルイーナに近づくほど、軍靴の下で霜がつぶれる感触が固くなっていく。瀕死の状態になってなお放たれる、強い魔力に肌がひりついた。
核をその身から取り出さない限り、魔物は何度でも復活する。そしてプルイーナに近接できる魔力耐性を持つのは、オルドランド家を含む僅かな貴族家の人間だけだ。
強い魔力を持って生まれた人間は成長に障害をきたし、体が弱い子供時代を過ごす。その魔力に抵抗できる肉体が育つまでに命を落とす者も少なくない。
オルドランド家は比較的、魔力耐性の強い子供が生まれやすい家系だ。そうして生き残った者だけが、プルイーナにとどめを刺すことができる。
キィィ キィィィィィ
死に掛けてなお、こちらを威嚇するプルイーナの魔力が、石礫のように体に当たる。口の中に鉄の味が広がり、ぺっ、と唾液ごと吐き出す。
――子供を作りなさい、アレクシス。何のためにマーガレットがいると思っているの。
母、メリージェーン・フォン・オルドランドの言葉が、呪いのように蘇る。
もうずっと昔のことなのに、まさに今、耳元で囁かれているようだ。
耐性の低い者は、離れているだけでも錯乱を起こすほどの魔力だ。これほど近づけば、強い耐性を持つアレクシスにも影響が出る。
――オルドランド家の、北部のためよ。いいえ、あなたのためなのよ。
視界がブレるのを、奥歯を噛みしめて耐える。剣を構え、地を蹴り、上段から斜めにプルイーナの体を支える腕を切り落とす。剣から伝わってくる感触は、生き物の肉というより、砕ける氷のようなそれだった。
キィィィィィィィィィィィ!
「沈め!」
腕を断たれ、地に倒れたプルイーナの頭部に剣先を振り下ろす。そのまま頭を砕き、後ろに飛び退ると、魔力を含む冷気が吹き出した。
それが晴れると、巨体だったプルイーナの体は消滅し、深紅の玉だけが残される。
プルイーナは眷属であるサスーリカや、そのほかの魔物と違い、死体を残さない。ただ核だけを残して消滅する。
その核は浄化しても魔石としては使えないので、神殿に納め、清められることになる。
「閣下、無事ですか!」
「大事はない。少し目をやられただけだ」
「少しじゃないでしょうそれは!」
「見えていないわけじゃない。少し霞むだけだ」
プルイーナの核を拾い上げ、懐に入れておいた革の袋に収め、封をする。
それでようやく、この年のプルイーナの脅威が終わりを告げた。
「プルイーナの討伐は果たした! 勝どきをあげろ!」
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
地に響く、人の声を聞きながらごほり、とせき込む。唾液混じりの血を吐き捨て、空を仰いだ。
「また、よくないものでも見ましたか」
気づかわし気なオーギュストの声に、首を横に振る。感傷に浸る時間はない。被害を確認し、怪我人や錯乱が続くものの治療が終わったら、犠牲になった騎士や兵士の墓を作らねばならない。
「よくはないが、最悪でもなかった。……我々も戻るぞ」
「手を貸しましょうか」
「必要ない」
実際、ぼやけてはいるが歩くのに支障はない。魔力酔いのせいだろう、痛みもそう感じなかった。
――最悪ではなかった。
アレクシスは、胸の内でもう一度、繰り返す。
今年はクリストフの……弟の声を、聞くことはなかったから。
戦闘シーンはここで終わりです。
戦闘は難しいですね。