65. 編み物と物語
「――そうして赤ずきんは、無事おうちに帰りました。赤ずきんは、ママが寄り道をしてはいけないと言う時は、決して言いつけを破らないようにしようと心に決めました。おしまい」
ちょうど話し終えたところで最後の段が編み終わり、目を留める。広げてみると、中々の出来栄えのマフラーになった。
「姉様、人狼は人間に化けると言いますが、さすがに祖母と見まごうほどそっくりになるのは無理ではないでしょうか」
ソファの隣に座っているセレーネにそう言われて、首を傾げる。
この話に出てくる「狼」は人狼ではなくただの狼だと思うけれど、ではなぜただの狼がしゃべったり祖母に変装したりするのだと聞かれれば、説明するのは難しい。
前世では魔法や魔物がいない世界だったため、物語に出てくるしゃべる狼やワニ、タヌキなどはみな「そういうもの」として受け取られていたけれど、この世界には実際知恵があり言葉を操る人以外のものが存在するため、解像度が上がりやすいというのもあるのだろう。
「そういう人狼の種類、だったのかもしれません」
「なるほど……確かに人狼にも色々いるでしょうし、変身の天才がいてもおかしくはありませんね」
適当な返事だったけれど、セレーネは納得したようにカリカリと羊皮紙にメモを書いた。
彼にはまだ幼い妹がいるらしく、国に帰ったら聞かせてやりたいと、特に予定のない日中、メルフィーナが団欒室で話す物語をこうして書き留めていた。
団欒室では主にメルフィーナの他、マリーとセドリック、そして新たにセレーネが加わった四人で過ごすことが多いけれど、マリーは基本的に無口なたちであるし、セドリックもセレーネを前に談笑に興じるようなことはないので、自然と室内が静かになってしまう。
メルフィーナはマリーとセドリックが同じ空間にいてもしんと静まり返っているのは、夏頃に執務室に籠っていたことで慣れているけれど、セレーネには気づまりかもしれないと、自然と会話の代わりに知っている物語を語って聞かせることが多くなった。
前世では読書が好きだったし、子供のころから沢山の童話や童謡に触れてきたので、今のところ話のネタに困ることはない。それが尽きる頃には、セレーネも団欒室での空気に慣れてくれているだろう。
「姉様のお話は、どれも面白いです。僕は特に、「ヘンゼルとグレーテル」が好きです」
「ふふ、お菓子の家が御所望かしら?」
「美味しいものは沢山食べさせてもらっているので、僕は魔女に囚われることはありませんね」
「あら、もしかしたら私が魔女かもしれないわよ。セレーネを丸々太らせるつもりなのかも」
以前、レナに魔女なのかと尋ねられたことを思い出して少しふざけて言ってみると、セレーネはくすくすと肩を揺らして笑った。
「そうしたら、僕はずっと領主邸から出られなくなってしまいますね。それもいいなぁ。ずっと編み物をする姉様の隣で、物語を聞かせてもらいたいです」
「アリスやウェンディのように、そのうち冒険に出かけたくなるかもしれませんよ」
「でもみんな、最後は自分の家に帰っていますよ。僕も、姉様のところに帰って来れたらいいのに」
パチン、と火鉢の中で炭が弾けた音に、マリーが素早く立ち上がる。火鉢の炭を確認したあと、ヤカンに水を足してきますと告げて部屋を出て行き、すぐにエドを伴って戻って来た。
「メルフィーナ様、午後のおやつはいかがですか」
「あら、噂をすればね」
「本当ですね」
笑い合うと、エドは不思議そうに首を傾げる。手招きをすると、盆を持ったままゆっくりとした足取りで部屋に入ってきた。
おやつと言っても現時点で甘味を潤沢に作るのは難しいので、内容はいわゆる軽食に近い。今日は冬豆を卵でとじたキッシュに、甘くないクリームを添えたものだった。
この場で最も身分が高いのはセレーネだが、領主邸の主人でありホストでもあるメルフィーナがまず毒見も兼ねてキッシュをとりわけ、クリームを付けて口に運ぶ。
キッシュはまだ温かく、柔らかい。豆のほくほくとした食感にクリームの濃厚さが深みを出している。
「あら、このクリーム、生クリームじゃないのね」
「はい、生クリームを泡立てた後に、半分ほどクリームチーズを混ぜました」
「ほんのりチーズの味がして、クリームだけより美味しいわ。素敵な工夫ね、エド」
セレーネに取り分けると、表情をほころばせてすぐに一口、口に入れる。
「本当だ、すごく美味しい。豆も柔らかいし、ほうれん草も彩りがいいですね。エドの作る料理は、どれもすごく美味しいです」
セレーネに褒められて、エドは頬を赤らめてはにかみながら、嬉しそうに頬を緩める。
「豆は柔らかくなるまで蒸したものを使って、ほうれん草はえぐみが出ないよう内側のまだ若い芽を使いました。あ、他の部分は夕飯のパイに入れるので!」
「おやつを食べているのに夕飯が楽しみになってしまったわね」
ひとしきり笑ったあと、エドは料理を置いて団欒室を出て行った。新しく淹れたお茶を傾けていると、マリーがしみじみと言う。
「エドは本当に腕を上げましたね。このキッシュは、メルフィーナ様が作ったものと遜色がないほどです」
「春になったら教会に連れて行って、『才能』を見てもらわないとね。数人気になる子もいるし、出来れば子供は全員、一度は祝福を受けてほしいけれど」
「十三歳から十六歳を一度に受けさせて、その後は十三歳になったら受ける、という形にするのがいいと思います。「才能」の大半は十三までには出現し終えて、十六で消失するので」
「鑑定の「才能」がある子がいると助かるけれど、あれは貴族の子に多く出る「才能」なのよね」
現在、エンカー地方で作られている発酵食品の多くはメルフィーナの「鑑定」によって成り立っている。
「鑑定」を利用することで酵母や有用菌を顕微鏡なしで選別し、雑菌の侵入による腐敗や毒素が発生していないかを見分けることによって、その成功率は「鑑定」なしで行った時と比べ飛躍的に上昇した。
特にこの世界では、殺菌や消毒の確実性が低いこともあり、腐敗を見分けられるのは食品を扱う者にとって非常に有益な能力だ。
――貴族の令嬢にとって鑑定はほとんど役に立たない「才能」だったのに、エンカー地方に来てからはほとんどチート能力ね。
冬の間はともかく、暖かくなればメルフィーナはまた領主としての仕事が忙しくなる。その間に加工品の製造を任せられる鑑定の才能を持つ者がいれば、随分心強いだろう。
「六歳くらいから商人に丁稚に入っている子供にも、それなりの確率で鑑定の才能は出ると聞きますが、すでに奉公に入っている子供を引き抜くのは難しいでしょうね」
「商人になるために奉公に出ているものね。無理に転職を頼むことは出来ないわ」
クロフォード侯爵家のタウンハウスに出入りしていた商人たちは、メルフィーナよりはるかに精度の高い鑑定を操る者ばかりだった。
目利きを必要とする商人にとっても強い武器であることは違いないだろうし、丁稚の時点でその「才能」を手に入れた子供は、将来有望な商人として教育を受けることになるはずだ。
国の北の端にある領地で食品生産の仕事に就いてほしいと言って、承諾する者はそうはいないだろう。
「鑑定を持っていて、貴族の三男以下で、性格的に騎士に向いていない人、くらいしか条件に当てはまらないでしょうね」
「それでしたら、意外と探せば該当する人はいると思います」
セドリックが事も無げに言い、マリーも頷く。
「女子は基本結婚しますが、貴族の三男以下は中々持て余される存在ですし、成人したら家を出されるケースも少なくありません」
「「鑑定」を持っていれば手に職がつけられるなら、家の方から預かってほしいと言ってくると思います。その場合、技術の流出について方策を取る必要もあると思いますが」
ある程度ノウハウを手に入れたら退職して、その技術を携えて実家に戻れば領地の事業として新たに立ち上げることも可能だろう。家を出される予定だった子供にとってはチャンスであるのは間違いない。
「基幹技術の秘匿は、分業することである程度はコントロール出来ると思うけど、技術を身に付けたらすぐに辞められるのを繰り返されると、そっちのほうが困るわね」
かといって、どこかの島に職人を家族ごと閉じ込めるような真似は流石にしたくない。
「雇用時にある程度の期間働いてもらうことを契約に織り込んだりすることで対応するしかないわね。あまり無目的に技術を拡散して、教会や神殿の反感も買いたくはないし」
マリーとセドリックには、その言葉の意味がすぐに理解できた様子だった。
思えばこの世界で教会や神殿が発酵食品を独占している理由が、貴族の子女が「鑑定」を比較的多く持ち、かつ、一度出家したら還俗は難しいというシステムにあるのだろう。
これまで行き場のなかった貴族の子供達が「鑑定」を持てば、発酵食品の技術職人の道を拓くことが出来る。それは素晴らしいことのように思えるけれど、教会や神殿としては歓迎しづらい状況である。
家でもてあまされた貴族の子女は、ある程度持参金をつけられて教会や神殿にやられることが多い。世俗との縁を切り、家族とも疎遠になって神に仕えることになる。
そうすることで、血筋をばらまく心配がなくなるのだ。
――ある程度確実に、そして定期的に「鑑定」を持つ人間が入ってきて、出ることは難しく家族とも交流を絶たれるのだから、エールやチーズの製法を秘匿しながら生産するのに、これほど適した環境はないわ。
今後「鑑定」を持つ者が技術職人になることで、ゆるやかに教会と神殿の優位性が損なわれることになる。その中心にメルフィーナがいることは、出来るだけ隠しておきたい。
どうも周囲には、次は何をしでかすのかと思われている節があるけれど、メルフィーナの目標はあくまで安定した身分で誰に煩わされることなく、平穏に暮らすことだ。
この世界を変革したいなどという大それたことは、最初から考えていない。
「「鑑定」を持つ人材の雇用は、慎重に行ったほうが良さそうね」
その言葉に、マリーもセドリックも、神妙な表情で頷く。
教会と神殿が世俗のことに口を出すのは、基本的に戦争や私闘が起きた時だけだけれど、重要な収入源に影響が出ると判断されてエンカー地方の子供は祝福しないと言われても後々非常に困ることになるだろう。
この世界にはこの世界なりのルールと、歴史を積み重ねたことで出来たシステムがある。
何事も、急激な変化は良くないひずみを生むものだ。
――もしかしたらゲームのメルフィーナも、修道院に入ったあとは「鑑定」を重宝され、それなりに満ち足りた暮らしを送ることが出来たのかもしれない。
それは、今となっては確認することの出来ない、失われた未来だ。
けれど、そうだったらいいなと思わずにはいられなかった。