602.公爵家の子供達20
日が落ちても人の行き来が減ることはなく、リヴァトゥーレはますます熱気に包まれているようだった。
「なるほど、これは正しくお祭り騒ぎですね」
あちこちに屋台が出ており、そのそばには飲食ができるように木箱や樽を並べた簡素な食台があちこちに点在している。海の男たちがメインの客のようで、大きな笑い声や時々言い争う声も混じり合って、屋台の呼び込みや会話の音、そこここで演奏されている音といったすべてが大きなうねりになって、にぎやかな市場の雰囲気を作り出していた。
男よりは数は少ないが、女の姿もちらほらと見かける。胸を大きく露出しているのは流れの娼婦だろう。目が合うとなんとも色っぽいしぐさで微笑みを向けてくるが、金があるようには見えないのだろう、あちらから寄ってきたりはしなかった。
「やっぱりこの町だと、兵士は金を持っているとは思われにくいんでしょうね」
隣を歩くアレクシスはそれでいいだろうとそっけなく告げる。彼の視線は屋台に並べられた色とりどりの果実に向けられていた。
「やはり、港町は品ぞろえが素晴らしいな。ああした果物はソアラソンヌで手に入れようとすれば、大変な値段がつくだろう」
「そうですね。少なくとも平民向けの屋台にあたりまえのように並ぶのは難しいと思います」
ソアラソンヌは海から遠く、麦や芋といった作物は近隣の荘園や点在する農村で生産されているが、傷みやすい果実類は総じて高級品である。
自前で果樹園を持っている貴族ならともかく、平民の口においそれと入るようなものではない。
「やはり港町は、いろいろなものが集まってくるということでしょうね。何か買って食べてみますか」
「そうだな……いや、もう少し見て回ろう」
そう言って再び歩き出すアレクシスは、統治者として市場の動向を見て回るという一面もあるのだろうが、新鮮な風景に心躍らせているようにも思える。
それならそれでいいだろう。周囲を警戒してはいるけれど、今のところ二人に目を向けているものもいなさそうだ。
「それにしても閣下、その格好、似合いませんね」
腿の半ば程まである丈の毛織のチュニックの腰を革紐で締め、帯には短剣と革袋の財布を吊るしている。土で汚しておいたホーズはやや緩めで、くるぶしまである革靴も同じように地面にこすりつけ、元の色がわからないくらいに汚してある。
典型的な下級兵士の服装であり、今は休日を男友達と楽しみを探して街に繰り出しているように見えるだろう。
日常では最上位の騎士服か、もしくは仕立てのいい貴族の服を身に着けているアレクシスを知っていると、何ともちぐはぐな感じがする。
「お前も似たようなものだろう」
「俺は閣下よりは様になっていると思いますけどね」
下級兵士は、報酬をもらっても酒に女にと使い果たしてしまうため、総じて懐に余裕がないものだ。この町の人間は皆それを知っているのだろう、多少の呼び込みの声がかかることはあっても強引に迫ってくるような事はない。
この街で最も金を持っているのは、裕福な商人を除けば間違いなく海の男たちだ。
船いっぱいに積んできた魚を商人たちに卸した後は、受け取った報酬で夜通し酒を飲み女を抱いて、翌朝はケロリとした顔で再び漁に出ていく。そうしたお目当ての財布を狙って女たちも集まり、スリを生業とする貧しい子供たちもまたちらほらと壁際にうずくまってギラギラとした目で獲物を物色している。
同じように北部の大きな街といっても、ソアラソンヌとはまるで雰囲気が違っていた。
町が巨大化すれば良い面ばかりでもない。治安はリヴァトゥーレのほうが悪く、領主の執務机についていれば毎日のように個人間から村単位まで争いや仲裁の陳情が届くこともある。荒っぽい海の街であるため暴力沙汰も少なくなく、届いた荷物の量が契約の時より少なかったのに同じ金額を請求されたとか、逆に多かったのに同じ額で入金が入ったというようなものまで、枚挙に暇がない。
それでも港湾都市の熱気とにぎわいは、決して悪いものではなかった。
様々な土地の人間が流入しており、文化が混じり合って新たな流行が生まれたりする。ここでしか食べられないような変わった料理も多く、異国を思わせる音楽が流れ、衣を纏った女たちがその音に合わせて踊っていた。
アレクシスはこのような雰囲気は苦手ではないかと思ったものの、案外そんなこともなさそうで、穏やかな目で喧騒を眺めている。
「お兄さんたち、男二人で何をうろうろしてるんだい! 腹が減ってるなら飯を、素面なら酒をお飲みよ!」
市場を物色するように歩いていると、大きな屋台の台の向こうから恰幅のいいおかみに声をかけられる。
「確かに、いつまでもうろうろとしていては人の目を引きますね。今日ですべてを見なければならないというわけでもありませんし、どこかに入りましょうか」
「そうだな」
エルバンでの滞在は二年とされている。今日はそのうちのほんの一日だ。ざっと見て回り、屋台の料理の味と街の雰囲気を楽しんで、細かいことはおいおい知っていけばいいだろう。
結局声をかけた女将のいる屋台に入ることにした。
「おかみ、適当に二人分の腹が満ちるメシと、あとエールを頼む」
「はいよ!」
適当に空いた席に腰を下ろすと、さほど待つこともなく次々と料理が運ばれてきた。
ムール貝をエールで蒸したものや、よく焼かれて焦げ目がついたニシン。干した白身魚と豆を煮込んだスープに、羊肉と大麦を合わせて煮た粥、乾燥させたリンゴと洋ナシに、カットしたチーズの盛り合わせと、あとはジョッキに注がれたエールである。
「おいおい、ずいぶん多いな」
「何言ってるんだい。若い兵士だといくら食べても腹いっぱいにはならないだろう」
調子のいいことを言うおかみに苦笑してムール貝のエール蒸しに手をつける。
料理法はシンプルだが素材がいいのだろう。肉厚のムール貝はぷりっとした食感で、熱さを警戒しているにも拘わらずつるりと喉に入っていく。慌ててエールをぐいと傾ければ、何とも言えぬ満足感が襲ってきた。
「やっぱり魚介類が新鮮なのはいいですね。苦手なものがあったら俺が食いますよ」
「いや、食えないことはない」
エルバンに来てからそう思うことが増えたが、アレクシスは案外偏食なようだった。公爵家にいるときは何を出されても顔色を変えずに食べていたけれど、ここ最近は油の少ないパサパサとした魚や貝類にはあまり手が伸びず、よく脂が乗った青魚などはペロリと食べている。
今もエールを傾けながらスープと粥を交互に口に入れていた。
貴族は大テーブルに所狭しと料理を並べ、自分の好きなものだけを少しつまむという食事の仕方を好むものが多い。公爵家であってもそうした風潮はしっかりとあって、残った料理は使用人たちに下げ渡されることになる。
――やっぱり、気を張っていたんだろうか。
アレクシスは人に弱みを見せないように教育されている。その中には好きなものばかりを食べてはいけないなどというものは含まれていないはずだが、私的な感情はすべて弱みにつながると解釈している節があった。
エルバンに来てからは、そうした部分が抑えられ、逆に本来彼が好むものが表に出てきやすくなった。そんな気がする。
不意にそれまで流れていた音楽が途切れ、あたりが急に静かになる。視線を向けると、リュートを持った男が椅子から立ち上がったところだった。
「あれ、演奏は終わりか?」
声をかけると、男は苦々しげに地面につばを吐いた。
「指を切っちまったよ。深くなったら明日からの稼ぎがパーだからな。今夜は店仕舞いだ」
どうやらうっかり弦で指を傷つけてしまったらしい。無理に続ければ傷が広がり痛みは増すだろうし、うっかり膿んでしまっては元も子もないということだろう。
「なんだい、夜はこれからだってのに、音がなくっちゃこっちの商売があがったりだよ」
「勘弁してくれよおかみさん。流しの吟遊詩人くらい、そのうち来るだろう」
おかみの勢いに参ったように言う男に、声を上げて笑う。
この熱気と荒々しいうねりのような人いきれに、どうやら自分も少し酔ってしまったらしい。
「兄さん、次の吟遊詩人が来るまで、少しリュートを貸してくれないか」
「なんだ、あんた弾けるのか」
「少しかじったくらいだけどな」
アレクシスに目配せをすると、彼はまぶたをゆっくりと下ろした。これは行ってこいというサインだ。
「ここの稼ぎはあんたのものでいいよ」
「何だよ、ずいぶん気前がいいじゃないか」
報酬は要らないと言ったことで気をよくしたらしく、気前よくリュートを渡されて、受け取る。
弦を掻き鳴らしてみれば調律はやや甘いが、音の伸びがよく手入れもきちんとされているようで、しっかりと脂が染みたよい手触りだった。
若葉を編んだ、冠のきらめき
雪解けは遠く、野を巡り
春の御手が 頬に触れる
ああ春よ、恵の春よ
日差しが大地を温めるように
君がわたしに 冠を戴く
春はすなわち恋の季節である。結婚式もこの季節に集中しており、新たな出会いと家族を作る大切な時期だ。
自然と祭りごとに呼ばれる吟遊詩人にとっては、春と恋を結びつけた歌は非常に重要なものになる。市井で好まれるような恋の歌についてはかじったことがある程度だが、案外指は覚えているようで、問題なく弾くことができた。
荒い波のはざま、春のぬくもりを知る
港で待つ君の元へ、恵を抱え今戻る
しぶきの音に、快哉を叫べ
ああ春よ、恵の春よ
ニシンの群れが海を染めるように
私が君を、春に染める
いつの間にやら市場は再び喧騒と熱気に包まれていた。音を奏でていると自分も観察者ではなく、その一部に混じったような気分になる。
これは思ったよりも心地よく――。
リヴァトゥーレの春の夜は熱を増して更けていった。




