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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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59.領主邸のチーズと子牛の肉

「メルフィーナ様、ミルクが届きましたよぉ!」


 元気のいい声に、裁縫をしていた手を止めて顔を上げる。

 冬に入り領主としての仕事も随分減ったので、今日は朝から団欒室でマリーと冬服を縫っていた。


 この世界はほとんど全ての物が手工業で成り立っている。

 貴族の妻は夫の服を縫うのも一般的なので、メルフィーナも一通りの裁縫技術は身に付けているけれど、今年は春の始まりから冬が来るまで領主として忙しくしていたので、ゆっくりと裁縫するのは久しぶりだ。


「午後には届けてもらえるという話だったけど、早く来てくれたみたいね」


 針から糸を抜き、籠に縫いかけの一式を入れ、上に布をかぶせておく。退屈そうに足元で寝ていたフェリーチェが、ぱたぱたと尻尾を振り始めていた。


「散歩ではないわよ、フェリーチェ」

 キャン! とまだ子犬の名残の残る声で鳴く愛犬に目を細め、階下に降りると、新しく雇ったメイドのアンナが階段の下でぶんぶんと手を振って出迎えてくれた。


「ミルク、厨房に運んでおきました!」

「ありがとうアンナ。それから、少し声を落としてちょうだい。何か用があったら、二階まで呼びに来て」

「あっ、すみません!」

「アンナ。この屋敷にはセルレイネ殿下もいらっしゃいます。品位をもって、静かに振る舞いなさい」


 マリーの言葉にアンナは手で口を押え、こくこくと頷く。


 今年十四になるアンナは、働き者だが元気が良すぎるのが玉に瑕である。素直な性分なので言われたことは気を付けるようにしているのが伝わってくるけれど、気持ちが昂ると、つい声が高くなってしまうらしい。


「少し予定を繰り上げて、お昼前に作業をしてしまいましょうか。マリー、セドリック、手伝ってくれる?」

「もちろんです」

「はい、メルフィーナ様」

「メルフィーナ様、あたしもお手伝いします!」


 やや声を潜めてはいるものの、相変わらず元気がいいアンナが手を挙げる。


「いえ、二人いれば十分よ。アンナは他の仕事をお願い」


 元は小さな領主館とはいえ、増築したこともありそれなりに屋敷の管理に手間がかかるようになった。メイドの仕事はいくらでもある。


「でも、あたしもメルフィーナ様のお手伝いがしたいです!」


 食い下がるアンナに、セドリックの空気が少し重たくなってくる。

 雇い始めの頃、アンナの教育はエリに任せており、穏やかで根気強いエリとアンナの相性が良かったこともあって問題らしい問題は起きなかった。

 けれどエリが身重になり、現在領主邸のメイドがアンナ一人になってからは、やや困った雰囲気になることが多い。


 慕ってもらえるのは嬉しいけれど、試作中の料理や酒に関しては、出来るだけ関わる人間を絞ってきたし、これからもそのつもりだ。

 公爵夫人のメルフィーナや宮中伯家出身の騎士のセドリック、非公式だが公爵家の娘であるマリーのように、身分や立場で守られている者を例外として、この世界では基幹技術は知らない方がずっと安全なのだ。


「あのね、アンナ。前も言ったけれど、手伝いが必要なら私からお願いするわ。今日やることは、人に知られたくない作業なの」

「でも、あたし、メルフィーナ様のお役に立ちたいんです! それにあたし、決して外に漏らしたりしません!」

「アンナ、いい加減に……」

「いい加減メルフィーナ様を困らせるなよなぁアンナ」


 怒気を含んだセドリックの言葉を遮るように、エドの声が割り込む。


「アンナの仕事はメルフィーナ様を助けることで、困らせることじゃないだろ」

「なによエド、あんたには関係ないでしょ」

「お前さぁ、メルフィーナ様は忙しいんだぞ。夏の間なんか朝から晩まで働いてたんだ。折角好きなことする時間が出来たのに、使用人がその邪魔をしてどうするんだよ。そういうことしてると、そのうちクビになるぞ」


 クビ、という言葉にアンナはぐっと唇を引き結ぶと、悔しそうに瞳を潤ませた。


「……ごめんなさい、メルフィーナ様」


 多少困る振る舞いをすることがあっても、奉公に入って数か月のアンナは本来、まだまだ見習いの最中なのだ。

 奉公に上がった使用人を礼儀正しく教育するのも、雇い主の仕事のひとつである。そう簡単に追い出すような真似はしないけれど、雇い主と適度な距離感が掴めていないアンナにはいい薬になったようだった。


「いいのよ。怒っていないわ」


 アンナはぺこりと頭を下げると、肩を落として厨房から出て行く。


「落ち葉が積もってたから、玄関の前掃いて来いよ」

「そんなの、あんたがやればいいでしょ」

「俺はこれから厩舎の掃除なんだよ」

「年下のくせに、生意気」


 そんなやり取りが遠ざかっていくのに、ほっと息が漏れた。


「エリには、もう少し残ってアンナの教育をしてもらえればよかったですね」

「おめでたいことだし、仕方ないわよ。それに、アンナも悪い子ではないわ」


 本来貴族家の使用人になる者は、きちんとした後見人をつけて十歳になる前から下働きに入り、雑用をしながら礼儀作法を学んで、メイドとしてお仕着せを着て働くのはそこから数年後になるのが一般的だ。

 奉公に上がった途端メイド服を着ることになったアンナは、よくやっている方だろう。


 改めて厨房に入ると、ミルクの入った壺が三つと、その隣に小さな壺、月兎の葉に包まれた肉が並べられていた。

 厩舎の管理人に子牛を一頭潰してもらって、部位を指定して領主邸に届けてもらったものだ。


 三人とも手をよく洗い、口元を布で覆ってもらう。それからセドリックに大鍋を用意してもらい、ミルクを注ぐ。

 魔石のコンロでゆっくりと温め、人肌より少し高いくらいの温度になったところで火を消し、小さな壺の中身をスプーンで取って注ぎ、丁寧に混ぜて蓋をする。

 そこから三十分ほど置いて蓋を開けると、中の牛乳はすっかり固まっていて、ひとまずほっとした。


「すごいですね……こんなにきれいに固まるなんて」

「ええ、私も初めてだから、少し緊張したわ」


 ナイフで鍋の中の固まったミルク……カードを賽の目にカットしていく。二人には通じないと分かっているけれど、こうしてみると前世の絹ごし豆腐にそっくりだ。

 カットを終え、少し加熱すると水の中に切り分けたカードが浮くようになる。これを布で絞り、水気を切っている間にやや小ぶりの鍋に、新たにお湯を沸かしておく。

 水気を切ったものを沸騰しない程度に温めた湯に落とし、木べらで捏ねてまとめ、まとまったら取り出してさらに捏ねていく。


「手で触れられる温度になったら手でよく捏ねて、滑らかになったら食べやすい程度の大きさに丸めて、塩水にしばらく漬けたら完成よ」

「少々時間はかかりますが、工程としてはそう難しくないんですね」

「修道院で販売されているチーズとは、随分見た目が違うようですが」

「これは熟成していないし、ミルクと同じで基本的には日持ちもしないわ。できれば作った日か、遅くても翌日までに食べるものよ」


 薄くカットしたものを口に入れる。レンネットの量のせいか、多少酸味があるものの、きちんとモッツァレラチーズの味がする。

 それぞれ切り分けてマリーとセドリックにも味見をしてもらう。


「淡白ですが、面白い食感ですね」

「ミルクをぎゅっと絞ったような味がします」

「塩とオリーブオイルで食べても美味しいけど、残りは私がお勧めのとびきり美味しい料理にするわね」

「メルフィーナ様のお勧めですか」

「楽しみです」


 二人とも表情が綻んでいるのに、メルフィーナもほっこりと微笑む。


「もっと脱水して固いチーズにしたり、カビを付けて熟成させたりすれば、ある程度日持ちもするようになるけど、それは追々ね」


 今日のチーズ作りは基礎の基礎で、子牛の肉を用意するついでのようなものだ。熟成チーズに関しては何度かモッツァレラチーズを作ってみて、レンネットのちょうどいい配合を確認した後で、もっと大量に試作品を作ることにする。


「しかし、本当にチーズが出来るとは……神殿の門外不出のレシピのはずですが」

「メルフィーナ様のすることだ。いちいち驚いていられないだろう」

「確かに、それはそうですね」


 二人で納得しあっている様子に苦笑する。どこでそんな知識を得たのかと聞かれても困るので、また何か変わったことをしていると思われていたほうがメルフィーナとしても都合がいい。

 チーズ作りはアレクシスに出したエールと違い、初期設備への投資も必要ない。牛乳と塩とレンネットを取るための子牛を用意できれば、誰にでも作れるものだ。


 元々、チーズは日持ちがしないミルクをある程度日持ちさせ、持ち運びを容易な形にしたものである。熟成期間は数週間から数か月とまちまちだが、水分を抜けば抜くほど長く持たせることが出来るようになる。


 ハードタイプや熟成タイプのチーズが完成すれば、サウナや白いパンのレシピどころではない値が付くだろう。

 実際、修道院の利益の大半はチーズとそこから派生したお菓子などで占めているほどだ。

 そう思って、くすりと思わず笑ってしまった。


「どうしたんですか、メルフィーナ様」

「いえ、公爵様と離婚になったら修道院にやられて、私はチーズでも作って暮らすんだろうなあと思っていたのに、領主の立場でチーズを作っているのがなんだかおかしくて」


 後片付けをしながら、人生は分からないものだとメルフィーナは思う。


「子牛の肉はローストビーフにしましょう。セレーネ殿下もしっかり食べてくれるといいんだけれど」


 赤身肉は貧血に良いとされているし、子牛の肉なら柔らかくて食べやすいだろう。

 セレーネがエンカー地方にきてから十日ほどが過ぎた。咳は出ていない様子だけれど、まだ体調が安定せず、ほとんど自室から出てこない日々だ。

 どうにも食の細いセレーネに、出来るだけ食べて欲しいという気持ちもあって、捌いてもらった子牛をじっくりとローストしていく。

 表面はよく焼いて、中はしっとりとバラ色を保つのがローストビーフの命である。

 その焼き加減を見極めるのに夢中になって、マリーとセドリックの返事がなかったことには気が付かなかった。


3章はご飯が沢山出てくるみたいです。

自分で書いていて食べたくなって、作れるものは作ったりしています。

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