581.望む未来とシャルロットケーキ
ラッドとクリフと共に執務室に呼び出された時点でやや緊張している様子だったけれど、話が終わると、エドはしばらくぽかんとしていた。
突然生き別れの兄弟がいるかもしれないと言われても、これまで身内というものにあまり縁のなかったエドにはぴんとこないのだろう。えーと、と言葉を探すように呟き、俯いてしまう。
「あのう、僕とその人って、そんなに似ているんですか?」
「俺とクリフが実際に会ってみた感じだと、すごく似ていた」
「ああ。今まで誰も気づかなかったのは、エドもクルトも基本的には厨房にこもっているからだろうな。クルトも接客より料理が好きで、あんまり外に出るのを好む感じじゃなかったから」
自分を挟んで左右に座るラッドとクリフにそう言われて、エドはそっか、と呟いた後、メルフィーナに目を向ける。
「すみません、メルフィーナ様。僕、正直どう思っていいか分からなくて」
エドの戸惑いはもっともだ。これまでほぼ天涯孤独だと思っていたのに、急に兄弟と思われる人が見つかったと言われても、実感するのは難しいだろう。
「いいのよ。エドが嫌だったり、興味がなかったりするなら、この話は忘れてしまっても構わないわ。念のために髪を伸ばすとか服を豪華な感じにするとか、印象を変えてしまうという手もあるし、エドが貴族の前に顔を出さなければ関連付ける人もいないでしょうしね」
クルトの件も気になるけれど、メルフィーナが何より優先するべきなのはエドの気持ちだ。そう思ったのが伝わったのだろう、エドは少しほっとしたように表情をゆるめた。
「僕の兄貴はラッドとクリフだけだと思っていましたし、兄弟と言われてもぴんと来ませんけど、その人も料理が好きだっていうなら、そういう意味では会ってみたい、かもしれません」
エドは言葉を選ぶように言って、それから顔を上げた。
「僕の料理はメルフィーナ様に教えていただいたもので、他の厨房の料理人さんと話をすることはありますけど、一緒に料理をする機会はほとんどないですし」
「そうね。まずは血縁がどうということではなく、近くの村に住む年の近い料理人として交流を持つというのもいいんじゃないかしら」
メルフィーナとしても、突然他に兄弟や姉妹がいると言われても、言葉だけでは中々受け入れがたいと感じてしまうかもしれない。
たとえ血のつながりがあったとしても、相性というものはどうしようもないし、強い拒否感がないならば実際に会ってみるのもいいだろう。
「はい。ええと、でも、僕には領主邸の食事の用意がありますし、あまり長い時間出掛けたくないんですが」
「なら、俺が隣村まで行ってクルトの両親に話をしてくるよ。メルフィーナ様、クルトは料理を他所で学びたいって希望していたみたいだし、二週間とか一ケ月とか、短い間でも領主邸で学んでもらうという名目で滞在してもらうのはどうでしょうか」
「そうね――クルトに来てもらうなら、何か、口実があったほうがいいと思うわ」
メルフィーナは少し考えて、うんと頷く。
「その宿には公爵家の押さえている部屋があるわよね。私やアレクシスがお忍びで出かけたときに、専任の料理人としてクルトを指名することにして、より腕を磨いてもらうという形にしましょう」
実際、あの宿にはアレクシスとともに宿泊したことがあるし、思い出深い場所だ。
この先もふらりと立ち寄りたくなることだって、きっとあるだろう。
貴族が遠出の際に気に入っている料理人を随伴するのは普通のことだ。また、任地や別荘などに腕のいい料理人を確保しておくのも珍しい話ではない。
「クルトのご両親には事実を伝えるとしても、クルトがエンカー地方にくる理由はそれであると対外的に広めるように伝えてちょうだい」
「その、いいんですか、メルフィーナ様」
戸惑ったようにエドに聞かれて、勿論と頷く。
「エンカー地方の領主が食いしん坊だっていうのは、そもそも有名な話だもの。新しい料理人を育てているなんて私ならやりかねないと思われるだけでしょうし、いっそ公爵家が正式に支援している料理人という肩書があった方が安全だと思うわ」
* * *
「それで、その彼は料理長とうまくいきそうなんですか」
ベロニカの問いかけに、メルフィーナは微笑んで頷く。
「ええ、最初は少しぎこちなかったけれど、厨房に立ったらあっという間に意気投合したみたい。やっぱり、共通の好きなものがあるのは強いわね」
のんびりと答えるメルフィーナのまとめた金の髪からこぼれた髪を、爽やかな夏の風が揺らす。
菜園のテラスから一望できる農場は、夏を迎えて青々と緑を濃くしていた。
この春、領主邸から一気に人が減ってしまったため消費が追いつかず、最近は兵士の宿舎の厨房や官僚たちの寮の厨房にも差し入れとして野菜を届けている。
のんびりと午後のお茶を楽しんでいると、アンナがトレイをもってこちらに近づいてくる。
「メルフィーナ様、午後のおやつにって、その、クルトが」
「ありがとうアンナ。綺麗なケーキだわ」
ビスキュイ生地で包まれた小ぶりな丸いケーキで、上にはちょうど旬のいちじくが綺麗に切り分けられ、丁寧に並べられていた。アンナが切り分けていると、途中、ベロニカが半分ほどの大きさでと告げた。残りはメイドたちと分けるように言うと、アンナはしずしずと頭を下げて、退出していった。
二年ほど前は元気が先走るところが多かったけれど、最近は出産を終えたナターリエに色々と教わっているらしく、随分所作が洗練されてきた。
少し拗ねたような顔をしていたのは、これまでメルフィーナが口にするもののほとんどはエドが作っていたので、それが少し面白くないと感じているらしい。
シャルロットケーキをフォークで切り分けて口に入れると、キャラメリゼされたイチジクの濃厚な甘さと、少し甘みを抑えたカスタードの組み合わせが口の中で交じり合い、優しい気持ちにさせる。
「美味しいわね」
「はい。エドが作ったならともかく、クルトはエンカー地方に来たばかりなのに、素晴らしいと思います」
マリーの言葉に頷く。エドは食事だけでなくこうした午後のデザートなどを作るのも上手かったけれど、クルトも負けず劣らずの腕だ。
エドが惜しみなく、自分の覚えてきた知識をクルトに分け与えているのがよく伝わってくる。
「ね、ベロニカはこのケーキ、どう思う?」
メルフィーナの問いかけに、ベロニカは面白がるように目を細める。
「ケーキの周りをクッキーで囲むというのは面白い発想だと思いました。見た目も美しいですし、このクッキーもただのクッキーではありませんね。とても軽くて柔らかくて、面白いです」
「正確にはクッキーではなくて、スポンジケーキの一種なのだけれどね。エドもお菓子作りは得意だけど、彼は殊の外、お菓子を作るのが気に入ったようなのよ」
公爵家の砂糖農場はようやく始まったばかりであり、まだまだ一般に手に入りやすいものとは言い難い。けれどクルトは初めて扱う砂糖という素材に、あっという間に夢中になった様子だった。
エドがこれまで作ってくれたお菓子を瞬く間に再現したかと思うと、試しにいくつかメルフィーナが教えたレシピをこともなげに完成させていく。その様子はまるで、乾いた土が水をぐんぐんと吸いこんでいくような勢いだ。
「エドも覚えはすごく早かったけれど、クルトもかなりすごいわね。お菓子作りはとにかく正確さが求められるし、料理ともまた少し違うセンスが求められるものだもの。このまま経験を積めば王宮の菓子職人になることも夢ではないと思うわ」
その言葉にベロニカの表情が、僅かに曇る。
出会った頃なら分からない程度ではあるけれど、こうして時間を共に過ごしているうちに、彼女の考えも少しずつ理解できるようになってきた。
「勿論、王宮になんてやるつもりはないけれど。本人が望めばこのままエンカー地方にいてくれてもいいし、アレクシスなら公爵家にポストを用意してくれるはずよ。どちらにしても、彼が辛いことにならないようにするつもり」
腕のいい料理人は貴族の間でも引き抜きが起こるほどだし、菓子職人は貴重であり、外交にも関わるような重要なポストであるけれど、それだけに厨房内でも政治とは無関係でいられないことが多くなる。
平民出身で後ろ盾がない場合、名のある料理人を陰から支えるだけの存在になってしまうのも、よくある話だ。
「今後北部は砂糖が潤沢に手に入るようになるのでしたら、お菓子作りが好きな料理人は、その方がよいでしょうね。閣下か領主様のお抱えならば、悪意のある手が伸びることも、そうそうないでしょうし」
「ええ。腕を磨いてもらって、村に帰ってもらってもいいしね。あの村は畜産が盛んだから、ミルクやバターには困らないし、砂糖が手に入るようになれば美食を出す宿として繁盛すると思うわ」
ベロニカはシャルロットケーキを切り分けて口に入れると、ゆっくりと紅茶を傾ける。
ベロニカは小食なので、マリーやメルフィーナがカットしたケーキの半分ほどの量でも十分な様子だった。
「宿の夫婦との関係は、どのようにするおつもりなのですか?」
「そうね、まだ悩ましいところではあるのだけれど……」
クルトはメルフィーナとアレクシスが後援して安全を計り、エドとは永遠に他人の空似で押し通すことも考えたけれど、メルフィーナも実際にクルトと会ってみれば、それでは無理があると思えるほど二人はよく似ていた。
二人の来歴を掘り起こす人間が現れないとは限らないし、彼らの出自があまり愉快なものでないのは事実だ。そうした悪意が彼らを煩わせたり傷つけたりすることがないように、先に手を打っておいた方が良いだろう。
「色々と考えたのだけれど、もう少し交流を持ってもらって、全員がそれでいいとなったらエドを宿の夫婦の子供として迎え入れてもらおうと思うわ。クルトとエドは兄弟で、なんらかの事情で家族が生き別れてしまったけれど、偶然再会したという形にして」
「それはまた、思い切った考えですね」
こちらの世界では、平民は実子でなければ財産の相続権が発生しないという事情もあり、身寄りのない子供は奉公先が決まるまで孤児院などに預けられることが大半で、特に男の子の場合養子という考え方はあまり一般的ではない。
ベロニカにとっても、その案は意外なもののようだった。
「そうね。宿の夫婦もいい人たちだったし、書類上のことはともかく、心情的な問題もあるでしょうから、あくまでみんながそれに抵抗がなければ、という前提になるけれど」
エドにはこれからもずっと領主邸で働いてほしいし、クルトも望む道を進んでほしい。
宿の夫婦は血のつながりのないクルトを実子として大切に育てた人たちだ。交流を続けていけば、エドともぎこちないながら、打ち解ける日が来るかもしれない。
もしかしたら数年後、エドとアンナの結婚式に、エドの両親と兄弟が共に参列する——そんな姿も見られることも、あるかもしれない。
「まあ、全てはこれからのことね。今は、このケーキが美味しいという、それで満足しましょう」
もちろん、そんな簡単なことばかりではないだろう。だが少なくともエドは、同年代の料理人と厨房に立つことが楽しくて仕方がない様子だし、クルトも夢中で腕を磨いている。
それが素晴らしい未来に続く道になればいいと願うし、メルフィーナにできることは、ほんの少しの手伝い、その程度だ。
「最後はみんなが笑っていられれば、それでいいわ」
メルフィーナはそう言って、シャルロットケーキにフォークを入れる。
さくりとしたビスキュイに柔らかなスポンジケーキ、カスタードに僅かに混じる洋酒の香りが、夏の昼下がりにはよく合っていた。




