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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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58.豆畑と油

 箱型馬車から降りると、メルフィーナの足元を冷たい風が走り抜けていった。


 雪こそ降っていないけれど、寒さはもう完全に冬のそれだ。重ね着をして防寒していても、露出した部分の肌はちりちりと少し痛むくらい寒い。

 今日のようによく晴れた冬の日は、寒さが余計に沁みるような気がする。


「メルフィーナ様!」


 麦やトウモロコシと違って豆畑は作物の背が低く見晴らしがいいので、馬車が近づいてきたのに気づいていたのだろう、真っ先にロドがこちらに駆け寄ってくる。その後ろを小さな子供たちが追ってくる様子が微笑ましい。


「こんにちはロド。収穫の調子はどう?」

「すっげー採れたよ! こっち来て!」


 手を引かれて歩き出すと、ニドや他のメルト村の住人たちも帽子を取って頭を下げた。


「これ、今日だけで採った豆。この籠はオレが採った分!」


 藁で編んだ大籠を指され中を覗くと、まだ鞘のついた緑の豆がどっさりと入っていた。ふっくらと膨らんだ鞘の中にはよく育った豆が入っているのだろうと、見ただけで分かる。


「すごいわね」

 本気で感嘆したのが伝わったのだろう、日に焼けた頬を赤く染めて、ロドは誇らしげに笑った。

「この冬は豆が大豊作ですよ。豆は毎年作っていますが、こんなのは初めてです」


 ニドや、他の農夫たちも明るい表情だ。

 冬豆はこの辺りでよく取れる豆のひとつで、名前の通り、夏に刈り終えた麦畑に種を蒔いて冬に収穫できる種類の豆である。

 農民や農奴には重要な食糧のひとつで、形はひよこ豆に似ていて、味もそっくりだ。


 今年は快晴が続いた後、適度に雨が降ることの繰り返しだったこともあれば、土づくりが上手く行っているということもあるのだろう。

 これは嬉しい展開だった。

 豆類は王国中で作っているし、それほど売れるものでもないだろう。だが他の土地でも同じように豆が豊作なら、少しは飢饉が和らぐかもしれない。


 ゲームの中でも、家が傾く可能性すらあると分かっていて、飢饉被害の緩和のために蔵を開けるよう指示を出したアレクシスのことだ。芋の枯死病が解決するまで圃場では他の作物を育てるか、税率の軽減を行い麦が庶民の手にも届きやすいように指示を出すだろう。


 エンカー地方も、春まで問題なく食糧を確保できたと思うと、少し欲が湧くのが人情というものだ。


「油カスか糖カスがあると、もっといい肥料が作れるのだけど」

「メルフィーナ様、油カスと糖カスってなに?」


 独り言のつもりだったけれど、傍にいたロドには聞こえたらしい。どう説明したものか、少し悩む。


「油カスは油が取れる木の実や種から油を搾った残り物のことで、糖カスはサトウキビから砂糖を絞った残り物のことよ」

「油を搾ったカスですか……サトウキビというのは、ロマーナ共和国の南のあたりで作られているという砂糖の原料ですよね? どちらも手に入れるには遠すぎますね」


 セドリックの言葉に頷く。

 どちらも温暖な地域で作られるものなので、一年を通して寒冷なエンカー地方での導入は難しいだろう。


「メルフィーナ様、その油カスというのは、豆の油を搾った残りでもいいんですか?」

「ええ。でも、豆は油を搾るのに効率がよくないから」

「油豆は油カスには向かないのでしょうか」


 ニドの言葉に何度か瞬きをする。


「油豆というのは、初めて聞くわ。どんなものなのかしら」

 セドリックもマリーも初耳のようで、顔を見合わせたあと、視線がニドに向く。

 三人そろって注目されたことに、ニドはやや焦ったような様子を見せた。


「油豆は、冬豆より一回りほど小さくてつるりとした形の豆です。蒸すとねっとりとした食感で、強めに塩味を付けるといい酒のつまみになる豆ですが、生のまま潰して搾ると油が取れます」

 聞けば、収穫量が冬豆に比べて多くない上に、保存しようとすると乾燥する前にカビが生えるので、元々あまり多く作られていないのだという。


「酒場などで売れるので春先や秋のあたりに街に売りに行くことがあるんですが、冬は移動が難しいこともあって、自宅用に少し作っている程度です」

「それ、今手に入るかしら?」


 つい勢いよく聞いてしまう。

 安定した植物油の供給は、エンカー地方に来て以降、メルフィーナが欲していたものの一つだ。

 ニドは焦ったように一歩後ろに下がる。


「うちで作っているものでよろしければ、すぐにお渡しできますよ。後ほど領主邸にお届けしましょう」

「是非お願いするわ。もし他の家でも作っているなら、余剰があれば私が全て買い取ります」

「では、メルト村の者に声をかけてみますね。メルフィーナ様が欲しがっているといえば、皆喜んでお譲りすると思います」


 穏やかに告げられ、興奮してしまったのが少し気恥ずかしくなって、こほん、と小さく咳払いする。


「それにしても油豆ですか……ソアラソンヌでは聞いたことがありません」

「私も、王都で耳にした覚えがないですね」


 マリーとセドリックの言葉に、メルフィーナも頷く。

 王都育ちのメルフィーナにとって、植物油といえばオリーブの油のことだ。特にクロフォード家が支配する南部と国境を接するロマーナ共和国はオリーブの一大産地であり、それなりの量と質のオリーブオイルが輸入されている。


「油豆自体が平民の酒飲みが好むのと、取れる油は豆の風味が強いので、平民でも苦手な者は苦手なようですので、そのせいだと思います」

「それでも、北部で油が取れる作物は貴重なのだから、もっと広まっていてもいい気がするけれど」

「あの、メルフィーナ様。そもそも、なぜ植物油を必要としているのでしょうか」


 ニドの言葉に虚を衝かれる。

 植物油の利用方法は多岐に亘る。

 食用にはもちろん、灯り用や、軟膏や傷薬といった医療用に活用もできるし、石鹸や髪に塗る香油といった美容の分野にも大きな需要がある。

 前世でも製油は紀元前から積極的に行われており、時には麦の代わりに税として納めることが認められていたほど重要なものだ。


「そうね……例えば、北部の冬は寒くてとても乾燥するでしょう? 手荒れの治療とかはどうしているのかしら」

「貴族は子羊の手袋をはめて乾燥の予防をしますし、羊や馬の脂に蜜蝋を混ぜたクリームを少量塗ることもあります」

「蝋燭の原料は……獣脂がメインだったわね」


 そもそも、貴族は魔石のランプを使い、平民は暗くなったらすぐに床に入ってしまう。食用としては獣脂と、北部には港もあるので魚油なども使われているのかもしれない。

 それに、この世界はそれなりにバターが普及している。製パンや製菓はそれでことが足りるだろう。


「……もしかして、北部では食用油って活用する場面がすごく、少ない?」


 マリーもセドリックも、やや困惑している様子だった。メルフィーナが植物油を欲しがっていることは知っていたけれど、それがなぜなのかまでは、そういえば話したことがない。

 かあ、と頬が赤くなるのを自覚して、メルフィーナは両手で頬を包み込む。


 ――失敗したわ。


 前世の知識に引っ張られて、説明を端折ってしまうのはこれまでも時々あったけれど、これはその失敗の最たるものだ。

 もっと早くにニドやルッツに相談していれば、油豆の存在を教えてもらえただろうし、植物油を何に使いたいかマリーやセドリックに話していれば、需要の低さにも気づくことが出来ただろう。


 ――何でも自分一人で出来ると思っては、駄目ね。


 ともあれ、植物油と油カスは是非とも欲しい素材だったので、油豆を譲ってもらう約束だけは取り付けることにした。


「ひとまず、この冬は試験的な圧搾を試してみることになるかしら。実用に足るくらいの油が取れるといいのだけれど」


 油料作物から搾油する方法は、この世界でもすでに確立している。

 ひとつは圧搾法で、強い圧力をかけて油を搾りだす方法だ。

 そしてもう一つは、錬金術師の分離魔法を使っての抽出である。

 メルフィーナも実際に見たことはないけれど、この世界で錬金術は分離や精製に関して高い優位性を持っている。


「錬金術師ってすごく貴重なのよね?」

「物好きな錬金術師は山奥に籠ったりしていることもあるようですが、ほとんどは貴族のお抱えか、仕事を請け負うにしても都市で雇われていることが多いですね」

「さすがに職人のように出張してきてくれないわよね」


 そもそも錬金術師は、どちらかといえば技術者というより哲学者や研究者に近い存在である。

 国の端まで試しに油を搾りに来てほしいという依頼に応じるとも思えない。


「……よければ、私が伝手を頼ってみましょうか」


 鍛冶職人であるロイとカールにスクリュープレスの製作を相談してみるにしても、すぐに出来るものではないだろう。圧搾法を地道に試してみようと思ったところで、ぽつり、とセドリックが呟く。


「錬金術を学んでいる者に個人的な知り合いがいます。さすがに移住は難しいかもしれませんが、ひと月とかふた月単位の契約なら、考えてもらえる可能性があるかもしれません」

「もしよければ、お願いしたいわ。もちろん、無理にとは言わないから」

「気まぐれな男なので確約は出来ませんが、手紙を出してみましょう」


 これは嬉しい展開だった。

 無事油が搾れるようなら、増産も視野に入れよう。


 そしてこれからは、もう少し周囲に相談したり話を聞いてもらうようにしようと心に決めるメルフィーナだった。


時々説明不足であっ……! となることもあるメルフィーナです。

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