579.「いない子」とよく似た二人
一日の仕事を終え、使用人の宿舎の中にあるクリフの部屋を訪ねたラッドは、エールを片手にぽつぽつと情報を共有していた。
エンカー地方にやってきて三年目の初夏である。ずいぶん気心の知れた相手も増え、ラッド自身結婚して家族を持った。
日々は充実していて、エンカー地方に来る前のことは、最近はあまり思い出さなくなっていた。
あまり楽しい話ではない。先行きが暗く、鬱屈し、明日に希望も持てなかった頃のことだ。積極的に思い出したいようなことでもなかったし、それより今日は何があったか、明日はどうしたいのか、そんなことを笑顔まじりに話している方がずっといい。
だから、今となっては昔の話ができる相手は、クリフだけだ。
「そんなに似ているのか?」
不思議そうに言うクリフに、ラッドは、ああ、と答えてうなずく。
「会ってみれば、お前もわかるよ。性格なんかは全然違うんだが、本当によく似ている」
クルトの住む村は、エンカー地方からソアラソンヌに向かう街道沿いに、半日ほどの位置にある。
もともと往来が盛んで、距離の近さもあり、エンカー地方とは比較的近い関係にあるが、その近さゆえ、宿を利用する機会はそれまであまりなかった。
ラッドはエンカー地方に来てから、よくメルフィーナの使いでソアラソンヌや、時には王都にまで足を運ぶ機会が多かった。
クルトとエドが似ていることに気づいてからは、村を通るたびにその宿に顔を出し、食事を摂ったり、時には宿泊したりして、そのたびにさりげなく彼らと話をするようにしていた。
宿の夫婦は、もともと夫婦で行商人だったこと。行商で金を貯め、村で宿屋を開く元手を稼いだこと。クルトは、その頃に生まれた子供であること。
その旅路で、自分たちの生まれ故郷の周辺も回っていた話を聞いて、動揺した。
元いた村の辺りを管理していた代官は、本当にひどい男だった。
村娘は年頃になると初夜権を行使され、代官の屋敷に呼び出されては、暗い顔をして帰ってくる。
誰もが思うところはあっただろうが、それに関しては口を噤み、誰もが見ないふりをしていた。
ラッドの姉も、そうだった。
エンカー地方で暮らしているととても信じられないが、そうした農村は別に珍しいものではないのだろう。平民は日々を生きることで精一杯で、権力を持った者との身分の差は大きく、求められれば何一つ拒絶することは許されていなかった。
そうして時々生まれるのが、「いない子」である。
父親の分からない子、初夜権で運悪く妊娠した末に生まれた子、結婚していない女から生まれた子は、総称してそう呼ばれている。
存在しない子、要らない子という意味だ。
エドの母は、ラッドの生家から少し離れた家の娘だった。
その頃はすでにラッドとクリフは故郷を離れ、ソアラソンヌで荷運びの仕事をしていた。エドの母親は産褥で亡くなり、祖父母にあたる夫婦が育てていたが、その二人も亡くなり、浮浪児同然で餓死しかかっていたところを里帰りをしたクリフが拾って戻ってきた。
今ではずいぶん背も伸びて、明るく笑うようになったけれど、ラッドとクリフが引き取った最初の一年目は、ガリガリに痩せて表情が抜け落ち、ずっと部屋の隅でうずくまっているような子供だった。
体も弱く、なかなか大きくならず、あの頃が一番つらい時期だったように思う。
自分だけならなんとかなっても、小さな子供を抱えていては行き詰まることも多い。ラッドとクリフは日雇い仕事をして働いていたけれど、生活は決して楽なものではなかった。
あの頃のことを思い出しているのだろう。クリフも、エールのジョッキを握ったまま、暗い顔をしている。
「その子が作る料理は、いつも美味いんだ。宿のおかみさんが言うには、昔からどんどん覚えて、新しい料理も作ってしまうって、笑っていたよ」
「そういうところも、エドに似てるんだな」
「ああ……」
あの代官は、ラッドとクリフの生まれた村を含む近隣の農村を管理している男だった。
エドのような子供は、他にもきっとたくさんいたのだろう。それくらいのことは、容易に想像ができる。
「といっても、どうしようもないんじゃないか」
クリフの言葉に、ラッドは浅くうなずく。何を考えているのか、長い付き合いのクリフには、言葉にしなくても伝わっただろう。
もしかしたら、彼はエドの腹違いの兄弟なのではないだろうか。
顔が似ている。料理への情熱が似ている。生まれた土地に関わりがあるかもしれない。
だが、言ってしまえばそれだけだ。真実を確かめるすべはない。
それに、平民は夫婦の間に生まれた子供にしか財産の相続権が発生しない。
もしクルトがエドと血のつながりがあるとしたら……ラッドとクリフがそうしたように、あの宿の夫婦が行き場のない子を拾って自分の子として育てたのだとしたら、真実を暴くのは、彼らの暮らしをいたずらにかき乱すことになってしまうだろう。
宿屋の経営は順調なように見えた。クルトの考案で作られる保存食は好評で、酪農を大きく営んでいる村でも、ずいぶん頼りにされているらしい。
クルトは大きな町で料理の修行に出たがっていたが、教会での祝福の折に「才能」が認められなかったことから、村に残って家業の手伝いをしているのだという。
いずれ村で結婚し、宿屋を継いで、普通に暮らしていくのだろう。
どれだけ疑念があったとしても、平穏に生きている彼らの生活を乱す権利が自分にあるとは思えないし、したくない。どうしようもないというクリフの言葉はもっともだ。
疑問には目をつぶり、何も気づかなかったふりをして、そっとしておくのがいいのは明らかだ。
「よかったら、また来てくださいって、言ってくれるんだよな」
ぐい、とジョッキの底まで飲み干し、思わずため息が漏れる。
普段は不機嫌そうにむっつりしていることの多いクルトだが、親切な青年であるのは間違いない。料理の話をしているときは楽しそうだ。ほころんだ表情を見る度に、彼に嘘をついている気がして落ち着かない気持ちになる。
「まあ、そんなに似ているなら、いつかラッド以外の誰かも気がつくかもしれない。その時に揉めるくらいなら、今のうちに誰かに相談した方がいいかもしれないが」
これからもエンカー地方はますます発展していくだろう。
外からの来客も増えていき、メルフィーナの料理人であるエドも人の目に触れる機会を持つようになるかもしれない。
平民ではほとんど意識することもないが、貴族の料理番というのは官位がついておらずとも、とても重要な地位であり、身分であるらしいことは、ここでの暮らしで少しずつ理解してきた。
腕のいい料理人を抱えていることは貴族の誇りであり、領主邸の美食の根幹を支えているのがエドである限り、エドを欲しがる他の貴族も、少なくないらしい。
その隣村に、メルフィーナの料理番とよく似た、そして料理の得意な青年がいるらしい。
それが人の口に上ったとき、どう作用するのか、ラッドにも判断はできない。
「……やっぱり、ご相談したほうがいいよなあ」
何かあった時、真っ先に心を痛めるのは、自分たちの主人である。
クルトの身柄を確保したあと、メルフィーナに「そういえば、最近当家でも腕のいい料理人を迎えまして。そちらの料理人とよく似た顔をしているのですが」と意地の悪い話の切り出し方をする貴族だって、いないとは限らないだろう。
「ま、大急ぎってわけじゃないけど、そうしたほうがいいだろうな。念のため、次は俺が連絡係としてそれとなくその村に行ってみようか?」
その言葉に少し安堵して、頷く。
クリフは人当たりがよくラッドよりよほど人の話を聞きだすのが上手い男だ。元々エドを見捨てられず連れてきたのもクリフだし、ラッドと並んで誰よりもエドに近しい家族のような存在である。
「そうしてくれるか? 彼は、珍しい食材をとても喜ぶんだ。エールと生ハムでも土産に、顔を出してやってくれ」
作中では389話に出てくる女性冒険者が「いない子」として登場しています。




