566.春祭りと毎年咲くもの
動きやすいドレスに着替え、同じく宝飾品を外し帯剣したアレクシスのエスコートを受けて、馬車に乗る。
領主邸の使用人たちのうち、振る舞いを行うグループは先に会場に出発していて、残りの使用人も半分は、今日は休日である。
マリアも今日は村娘が着るようなスカート姿で、オーギュストのエスコートを受けていた。髪飾りの白いリボンが黒髪によく映えている。
メルフィーナとマリア、マリーとコーネリアで領主邸の馬車に乗り、アレクシス、セドリック、オーギュストは騎馬で会場に向かうことになった。
「春祭りの会場はエンカー村とメルト村をつなぐ街道なんだよね。何か理由があるの?」
「二つの村がより強い絆で結ばれるようにということもあるし、普段エンカー村に滞在している商人や人足が、メルト村にも目を向けるようにという意図もあるわ。河港があるから、どうしても外部の人はエンカー村で活動が完結してしまうことが多いから」
エンカー村の周辺はすでに土地が高騰しすぎて新しい商会が入るのが困難になりつつあるけれど、メルト村近くならばまだ土地は手に入れやすい状態である。
また、初期の開拓の折、農奴の集落の住居の状態の悪さと人糞の一括管理の一時的な策として、長屋と呼ばれる集合住宅を多く建てた。
現在は元々のメルト村の住人のほとんどは、新たに開拓した土地に振り分けられそれぞれの家を持っているため、春から秋にかけて単身で滞在する者には比較的物件が多い。
今後、メルト村はエンカー村に中長期滞在する者のベッドタウンのような存在になってくれればいいと思っている。
「それに、マリアには今回サプライズがあるの」
「サプライズ? なに?」
「ふふ、それは着いてのお楽しみ」
唇に指を当てて笑うと、マリアは少し焦れたような様子だった。
「ここ数日で、随分暖かくなりましたね。春祭りに相応しい、よい日です」
「うん、雪ももうほとんど解けちゃったね」
その声は、春の陽気とは裏腹に、しんみりしたものだ。
マリアの旅立ちの準備は順調で、マリアは連日聖魔石の製作を進める傍ら、アレクシスから公爵家の客人の手形を受け取り、ベロニカから各地に点在する神殿・修道院に無条件で保護を受けられる身分の証明書も発行されている。
エルバンまではアントニオの率いる隊商に参加し、マリア用にもナイフがあった方がいいとか、着替えは、ポーチはと携帯する道具の選定は、オーギュストとコーネリアと話し合って決めているらしい。
もういつ出発しても大丈夫な状態だ。春祭りが終わりアントニオの仕入れとエンカー地方での仕事が済めば、彼女たちは旅立ってしまうだろう。
「マリア、その靴、新しく作ったの?」
深い茶色に染色された革の靴で、外羽と呼ばれる足の甲を包む部分を紐で結ぶタイプの、いわゆるダービーシューズである。
マリアと共に彼女の職人が初期に開発したのは元の世界から履いてきたローファを模したもので、騎士団用の靴はそれをさらに発展させ足のふくらはぎまで包み込んで編み上げるブーツだが、ダービーシューズは初めて見た。
「あ、うん。ロニーとティーダーがね、履きやすくて脱ぎやすい、一番新しくて一番出来がいい靴だって持ってきてくれた。革は生き物だからって、手入れの仕方もすっごく丁寧に教えられたよ。それでも旅で歩き回るなら、同じサイズで用意しておくから、年に一回は新しい靴にしろって」
「ちゃんと帰ってくるようにってことね」
「……うん、そういうことだと思う」
マリアの靴事業の中核を担う二人の職人とは、ずいぶん親しく付き合っていた様子だった。彼らとの別れも領主邸のメンバーと同じく、寂しいものだろう。
「コーネリアも同じ靴をもらったのね」
「はい。わたしだけでなく、出立する全員に頂きました」
「ふふ、いいわね。私も新しいデザインを考えたら、作ってくれるかしら」
「騎士だけでなく遍歴をする者にとって、足回りの快適さはある意味死活問題ですから、マリア様が履いているのを見れば、あの靴はなんだって人の口に上ると思います。今年が一番、新しい靴を作りやすい最後の年かもしれませんね」
コーネリアの口調は相変わらずおっとりしているけれど、中長期でエンカー地方に滞在する者ならオーダーメイドの靴も完成まで待てないということはないだろう。
手付けを払い、次に訪れた時に受け取るという方法を採る者も出るのではないだろうか。
「一度双翼を履いてしまったら、もう今の靴には戻れないでしょうね。根強いリピーターの付く製品は、とても強いものよ。マリアの靴は、エンカー地方の主要産業のひとつに成長するかもしれないわね」
「そうなったらいいなあ。ティーダーもロニーもすごく頑張ってくれたし」
マリアはピンときていない様子だけれど、二人の職人は革新的な靴産業の祖として、歴史に名を残すことになるかもしれない。
もしマリアが、本当に長い長い年月を生きることになるとしたら、その名を懐かしく、よい思い出として振り返ってくれれば、どれだけいいかと思う。
こんな他愛ない会話も、薄着のワンピースで女子会をしたことも、笑い合った日々も、全てがマリアを支える糧になってほしい。
――それはきっと、私も。
お喋りをしていると、やがて馬車が止まり、軽く扉がノックされ、開かれると春の眩い光が差し込んできた。
アレクシスに差し伸べられた手を取って馬車を降り、あとから降りたマリアがわぁっ! と大きな声を上げる。
街道の両脇に植えられた木は、薄紅色の花を満開に咲かせていた。晴れ渡った青い空とのコントラストがなんとも鮮やかで、かつ、胸を衝くほどの郷愁が押し寄せてくる。
「わあ、とても綺麗ですね」
「本当に、素晴らしい光景です」
マリーとコーネリアの感嘆の声が続くけれど、マリアは両手で口を塞ぎ、震えている。その顔は嬉しそうでもあれば、泣きだしそうでもあった。
「マリア様? 大丈夫ですか?」
オーギュストが声を掛けると、こくこくと頷き、ぐすっ、と洟を啜る音が続く。
「メルフィーナ、ね、これ、桜?」
「いえ、北部で栽培に適した桜は見つからなかったの。これはアーモンドだけれど、同じ仲間だから、花がよく似ているでしょう?」
やや色は濃く花は大振りだけれど、五枚の花弁に中心から雄しべと雌しべが伸びていて、形はソメイヨシノにそっくりである。
遠目からみれば、まず桜と区別はつかないだろう。
「マリアが来る前に、街道になにか季節を示す木を植えようという話が出てね。果樹の接ぎ木のテストもしてみたかったから、この街道沿いに植えてみたの」
街道沿いには領主邸の振る舞いから、普段はエンカー村の広場で商売をしている者たちの屋台も並び、縁日の風情である。
アーモンドの木を選んだのは、前世に対するメルフィーナの感傷も多分に混じっていたけれど、旅立つマリアにはよいはなむけになったことを祈る。
「マリア、秋には帰って来て、また旅立つ前に、こうしてお花見をしましょう」
「うん……」
「毎年、春になれば花は咲くわ。何度でも、ずっと、そうしましょうね」
「うん、うん……!」
堪えていた涙腺がとうとう決壊したようで、マリアが涙をあふれさせる。傍についたオーギュストは意味が分からず、珍しくひどく慌てている様子だ。
それに、大丈夫だと言いながら、マリアは泣きながら、笑っていた。
涙こそこぼさなかったけれど、いつの間にか隣にいたアレクシスに手を握られていて、それに笑って、メルフィーナも胸に宿る懐かしさと恋しさを、そっと胸にしまいこんだ。