565.贈り物と贈る言葉
滞在するための荷物を運びこみながら、アレクシスから渡された贈答品の目録を検め、メルフィーナは頬に手を当てて、ほう、と息を吐いた。
ワインや香辛料、蜜蝋の蝋燭といった貴族間でやりとりされる物資の他、布地に針と色糸、金細工の飾り櫛や帯飾りといった宝飾品、紅茶、少し変わったところでは本が何冊か含まれていた。
こちらの世界ではどれも高級品だし、ドレスではなく布なのは、なにかと言葉足らずなアレクシスの、自分のスタイルを押し付けないように気を遣った結果なのだろう。
紅茶も本も、メルフィーナが何を喜ぶのか考えてくれたのが伝わってきて、頬が緩んでしまう。
「もう、こんなに色々と持ってきてくれなくても、よかったのよ?」
「選んでいるのが楽しくてな」
「いつでも身ひとつで来てちょうだい。会えるだけで、それが一番嬉しいのだから」
自然と手が触れて、指が絡む。気恥ずかしくて視線を逸らすと、絡んだ指にきゅ、と力を込められた。
なんとも甘ったるい空気にそわそわとしていると、ふと周囲が静かになっていることに気づいて顔を上げる。メルフィーナと目が合うと全員がぱっと視線を逸らしてしまって、慌ててアレクシスとつないでいた指を解いた。
「んん……目録にある分は私の私室に、物資は倉庫に運んでちょうだい」
目録を確認したサインを入れ、ブルーノには先に宿舎に移動して部屋の確認をしてもらい、場所を団欒室に移す。熱い紅茶を用意してもらい、それを傾けているうちに空気もいつもと同じものになっていた。
「ね、ブルーノの奥さんって、どんな人だろうね。お酒が好きだって前に言っていたけど」
「きっと素敵な人よね、ブルーノの選んだ方だもの」
「元冒険者と騎士って、どんな風に知り合ったのかな。きっとすごいロマンスがあったんだろうね」
元々、メルフィーナもマリアも乙女ゲームのユーザーでありこの手の華やいだ話は決して嫌いではない。熱い紅茶を用意して和気あいあいと話している間、アレクシス、セドリック、オーギュストの男性陣は、何故か固い表情で砂糖を入れた紅茶を啜っていた。
「アレクシスは、こちらに来るまでに何か変わったことはなかったかしら?」
ああ、とアレクシスは静かに応じ、やや考え込むように一拍、間を置いた。
「北部の貴族を介して、とある商人を紹介された。エスペニア商会の会頭の次男と名乗る男だ」
「エスペニア商会……聞き覚えはないわね。エンカー地方に支部を持っている商会にはない名前だと思うわ」
「君に、と大粒のエメラルドが鏤められた首飾りを持参してきたが、私の判断で断った。構わなかっただろうか」
「ええ、貰う理由もないし、助かったわ」
商人や裕福な投資家が領主に金品やそれに類する贈り物をするのはよくあることだが、それらは単なる機嫌取りではなく、融通や特権を求めるためだ。
大粒のエメラルドが散りばめられた首飾りなど、他の意図がないと思う方がどうかしている。メルフィーナの夫であるアレクシスが受け取れば、それはメルフィーナが受け取ったことと同義とされてしまうので、アレクシスが断ってくれて助かった。
「それにしても、なぜ私にそんなものを贈ってきたのかしら。一度も会ったことがないのに。初回の贈り物にしては度が過ぎているわよね」
メルフィーナも去年は特に頻繁だったけれど、貴族に面会したい商会は、信のおける紹介者を介して、その治世に感動したとか、領民に助けてもらったとか、何かしらの美辞麗句を添えて多少の贈り物をするところから始めることが多い。
それを数度繰り返した後、貴族の側から心遣いの褒美として面会の場を設ける形がほとんどである。貴族によってはいくら贈答品を送っても全く反応しない家もあるし、その判断は家令や執事が行い主の耳まで届かないことも珍しくはないだろう。
「商会から、という形ではあるが、おそらく帝国の大貴族か、帝室が絡んでいるんだろう」
「帝国が?」
「エスペニア商会は、帝国の帝室の御用商人だ。帝室の御用聞きとも呼ばれている大商会でもある。帝国は黄金の国と呼ばれる豊かな国だ。規模だけならば、大獅子商会を超えるだろう」
「まあ……」
「どうやら帝国には、君と昵懇になりたい「誰か」がいるようだな」
「だったらあなたではなく、直接エンカー地方に来ればいいのに」
とはいえ、女性に面会を希望する場合、父親や夫を通すというのはごく当たり前のことだ。商人の情報網は呆れるほどに細かいけれど、異国の商人ならば、案外メルフィーナが、エンカー地方に定住しているとは知らなかった可能性もある。
「何か心当たりがあるのか?」
「どうも、あちらの「さるお方」がエンカー地方の商品を気に入ってくれているようでね。大獅子商会を介してのやりとりはあったけれど、まどろっこしくなってしまったのかもしれないわ」
「一度断られたくらいで引くようなことはないだろう。エスペニア商会は君との目通りを願っている」
「そうね、他の商会の人とは会っているのに、エスペニア商会とだけ会わないというのは公平性に欠けるけれど……」
商取引をしたいというならば、他の商会同様条件を取り決めてやり取りを行えばいいだけだ。それはどんな大商会でも、小規模な行商人でも変わらない。
けれど、この冬だけで二回りも縮んでしまったようなアントニオを思い出すと、帝国はなんともトラブルの予感のする名前である。
「返事は、今すぐでなくともよいのでしょう? ちょうど今、アントニオがこちらに滞在しているから、彼からもう少し話を聞いてからにするわ」
納得したように頷いて、アレクシスは紅茶を傾け、カップを置いた。
「困ったことが起きたら、すぐに連絡を」
「ええ、ありがとう」
ささいなやり取りだが、アレクシスの心遣いが伝わってきて、胸が柔らかく温まる感じがする。ふわりと解けて、いい香りのする紅茶を傾けていると、セドリックが席から立ち、恭しく騎士の一礼を執った。
「メルフィーナ様、お話の途中ですが、閣下もそろわれたこの機会に、王都に戻る挨拶をさせていただきます。――外部の貴族でありながら、長く滞在させていただきありがとうございます」
「セドリック……」
「すでにその立場でなかったにも拘わらず、再び近くに仕えさせていただき、この上ない幸いでした」
その言葉に唇を引き締め、メルフィーナも立ち上がる。
「セドリック卿。私の方こそ、たくさん助けてもらってありがとう。あなたが傍にいてくれて、本当に心強かったわ。どれだけお礼を言っても言い足りないくらいよ」
「――勿体ないお言葉です」
セドリックはカーライル伯爵家の現当主であるし、いつまでも王都を離れてはいられないことは判っていた。これまでは王室からマリアの近衛を命じられていたという名目があったけれど、マリアが旅立つことでそれも失われる。
彼には彼の役割があり、それは王都で行うべきものだ。
貴族の義務の重さを、メルフィーナも知っている。すべてを投げ出して心のままに生きるというのは、真面目で堅物な彼にはとても難しいことだろう。
セドリックは、マリーと共に寒村以外何もない頃のエンカー地方にやって来て、多くの産業の萌芽を共に見守った相手である。
一年に満たない期間であっても、また共に過ごすことができて、メルフィーナも嬉しかった。
「マリア様の出発に合わせて、私も王都へ戻ります。つきましては、閣下と北部の公証人を交えて、私の遺言書をメルフィーナ様に預かっていただく旨を、ご了承いただけないでしょうか」
「遺言書?」
「受け継ぐ子供ができないまま、私が神の国に渡った場合、私的な財産――現状では、北部の砂糖産業の権利の全てということになりますが――そちらをメルフィーナ様に全て譲るという旨の遺言書です」
息を呑んで瞬きをして、アレクシスを振り返る。すでに彼には話が通っているらしく、軽く頷かれた。
セドリックにとって、メルフィーナはかつて仕えていた貴婦人という位置だ。そうした立場の女性に形見を残すというのは珍しくない風習ではあるけれど、流石に全ての私的な財産を、というのは周囲から邪推されてしまいかねない。
余計な軋轢を生まないためには、夫であるアレクシスも納得している必要がある。そうした手回しも終わっている様子だった。
「でも、それはあなたの……カーライル家の財産でしょう。私が受け取るのは、筋が違うと思うわ」
砂糖産業の権利は、今後どこまでも膨らんでいくだろう。たとえ一パーセントでも、貴族が孫子の代まで遊んで暮らしてもなお余るほどの財となるはずだ。
「少なくとも、今の時点では遺言書を預かっておいたほうがいい。公証によって正式に効力を持った後は、広く知られたほうがいいだろう」
「アレクシス?」
「それがセドリックを守ることにもなる」
そう言われて、血の気が引くのが分かった。
セドリックは元々三男で、家を継ぐ身ではなかったのが、男性家族が死に絶えるという不幸の連続の結果、今の立場になった。
カーライル家の正式な跡取りを長男の息子、彼にとっては甥に当たる子に定め、中継ぎの当主であることを表明しているセドリックだが、今や彼は一部とはいえ莫大な利益を生み出す砂糖産業の権利を手にしている。彼の敵にとっては、甥が成人したのと同時に、セドリックが神の国に渡れば、政敵がいなくなり、財産が入ると良いことづくめになるわけだ。
セドリックが子を儲けないまま神の国に渡れば、その権利はかつて仕えていた貴婦人に渡る。それだけでも暗殺の抑止力になるとアレクシスは言いたいのだろう。
「メルフィーナ様、かつて誓った約束を、もう一度言葉にすることを、どうかお許しください」
セドリックは恭しく頭を垂れ、厳かに告げた。
「いずれ、甥が成人した暁には家督を譲り、私は王国騎士団を辞すことになります。その際はメルフィーナ様の剣となり、盾として側に置いていただければ、私の人生において、これ以上の幸福はありません」
セドリックは根っからの騎士だ。真面目で堅物で、名誉を重んじ、慣習を大切にしている。
王国騎士団の騎士団長は、騎士の頂点であり、誉れでもある。
そんな身分を捨てるというのは、彼の中でも決して軽い決断ではないはずだった。
「ええ、セドリック。私の護衛騎士はあなたのための身分よ。ずっと空けて、待っているわ」
セドリックはくっと喉を鳴らし、顔を上げて、彼には珍しくはっきりとそう分かるように、笑みを浮かべた。
笑っているのに今にも泣きだしそうで、それでも、心から嬉しそうな、そんな表情だった。
「ありがとうございます、メルフィーナ様」