563.同行の相談と春祭り
「これは個人的な依頼になるのだけれど、次に帝国に向かう時、隊商の一行に五人ほど加えてもらえないかしら」
中には単独で放浪に近いようなことをする聖職者や職人、冒険者もいないこともないらしいけれど、共同体から共同体への移動は何かと危険を伴うので、できるだけ固まって行うのは基本中の基本である。複数のギルドを介して募った職人たちが行動を共にしたり、民間人ならばまとめ役が冒険者の護衛を雇い、金銭を払って移動の足を保証してもらうなど、様々な方法がある。
最も一般的かつ手頃なのは、移動に慣れている商人についていくことだ。例えばエンカー地方とソアラソンヌくらいの距離ならば、門の辺りでその日にどの村に向かう者はいないかと募って出発するということも珍しくはない。
「帝国に行く時は、陸路でエルバンまで移動して、そこから船になると思うのだけれど、エルバンまで連れて行ってあげてほしいの」
アントニオもそうした依頼に慣れているのだろう、勿論です、とあっさりと頷いた。
「私も知っている方ですかな?」
「あ、ええと、私なんだけど」
マリアが軽く挙手すると、アントニオはぎょっと目を剥いた。
マリアは領主邸において、メルフィーナの妹として周知されている。容姿が全く違うので血のつながりがないことは察しているだろうが、貴族が身内であると公称していれば、対外的にはそう扱われることになる。
メルフィーナのように貴族の妻であるならば、社交や外交のために移動することはあるが、その場合は護衛の他、身の回りの世話をする者から移動中快適に過ごすためにあらゆるものを馬車に詰め、それだけで大型の隊商をはるかに越える人数での移動になる。
それが貴族の令嬢ともなれば、移動は輿入れにほぼ限定される。数少ない例外はあるにせよ、稀であるのは間違いない。
「私はオルドランド家の正妻であるけれど、この通りエンカー地方の領主でもあるでしょう? エンカー地方の開発もそろそろいち段落するし、見分を広げていきたいと思っているの。その先遣隊として、一番信頼している妹にまず耳目になってもらおうと思ってね」
「なるほど……。確かにマリア様は非常に聡明であられますし、様々な着眼点をお持ちですので、メルフィーナ様の耳目に相応しいお方ですが」
「旅に慣れているわけではないから、何かと迷惑をかけることもあるかもしれないけれど、色々な経験をしてもらいたいの。体力はあるし、そういう意味では足手まといになることはないと思うわ」
ひとまずエルバンまで、しばらく滞在し、そこから先は別の隊商に移動の交渉を行う予定だと告げると、アントニオは少し考える様子を見せた。
「勿論、エルバンまで無事送り届けるとお約束します。時期さえ合えば、私が再びエンカー地方を訪ねる際にお連れしても構いませんが」
「いえ、そこから南部に移動する予定なの。一度領都に行くことになると思うわ」
「南部の領都、ヴェルミユールですか」
南部はメルフィーナの実家、クロフォード家が大領主として支配する土地だが、国境が隣接し多くの産業が被っていることもあって、ロマーナとは伝統的に仲が悪い。
お互いの産業を保護するという名目もあり、南部とロマーナの関所を商人が通る際は、かなり重い通行税が課せられているのだという。
南部にも多くの街や村があり、商人の移動は基本、街道を使ってそうした街や村に立ち寄り商売をしながら同時に仕入れを行っていくものだが、ロマーナの商人に対する税が重すぎるため、南部を通り抜ける頃には馬車に積んだ荷物が税で消えるほどという話だった。
そうした事情もあり、広く国境を面していながらロマーナの商人は僅かに国境を面している、山岳部と海に挟まれた細く長い東部の領地を進むのが慣例となっているほどだ。
「エルバンから王都や東部までは、大獅子商会の隊商が活発に行き来しておりますから、南部手前まで移動する際は我々が随伴させていただくというのはいかがでしょうか。王都にも東部にも大きな支社がありますし、貴族の館に滞在する以外でしたら、泊まる宿などの手配もこちらでさせていただくことができるかと思います」
「ありがたいけれど、いいのかしら」
「勿論、旅をすることに関しまして、我々ロマーナの商人は大陸一慣れていると自負しております。旅に絶対はありませんが、できる限り安全に、快適に移動できるよう、心を尽くさせていただきます」
アントニオほどの商人がそう言ってくれるならば、メルフィーナとしても安心して任せることができる。
「では、お願いね。マリアは私と同じくらい世間知らずだから、道中に時間があれば色々と教えてあげてちょうだい」
「アントニオ、よろしくお願いします」
マリアが丁寧に淑女の礼を執ると、アントニオは焦ったように、やや面映ゆそうに同じく礼を執った。
「それで、残り四人はマリア様の護衛ということでよろしいですかな」
「護衛騎士のオーギュストとユリウス様、それから家庭教師のコーネリアと、従者としてレナをつけるわ」
その組み合わせはアントニオから見ても相当ちぐはぐに思えたらしい。目をぱちぱちとさせたあと、なるほど、なるほどと、この冬でやや艶を失ってしまった髭を撫でさする。
「出発はアントニオに任せるけれど、できれば二週間後、春祭りがあるからその後だととても助かるわ」
「ロレンツォから聞いております。メルト村開村二周年を記念した祭りであると」
「ええ。エンカー村には秋のお祭りがあるけれど、この地方のお祭りというとそれしかないから、春と秋で節目のお祭りをという希望もあってね。その日はエンカー地方で商売の勅許を持っている人なら、エンカー村からメルト村に続く街道の一部に、自由に店を出すように伝えてあるの。王都でいう大市のような位置づけね。私からも、普段は公爵家に限定しているエールと非売品のお酒の樽を、販売物として放出するわ」
「非売品の酒……それは、どのようなもので?」
「まだ生産が安定していないので販売物にはしていないけれど、三十年先まで、適切に保存すればもっと長く飲むことができる、そんなお酒よ」
保存技術が未発達であるため、エールであれワインであれ、そう日持ちするものではない。そのため他の食べ物と同様、酒も地産地消か、近隣までの輸送がメインで長距離輸送には向かない商品だ。
酒は重く輸送が大変な分、利鞘が大きい。メルフィーナの日持ちするエールによる収益は大きく、葡萄が穫れない地方にワインを輸出入できたらと、商人ならば一度ならず見る夢だろう。
数か月どころか数年、数十年も保存が可能な酒という存在がどのような価値があるか、商人ならば考えないわけにはいかないはずである。
「……、まるで、魔法の酒のようですな」
「当面は限定品になるし、買い占めが起きないように個人や商会での購入に販売上限を設けることになるけれど、知名度が低い今年が一番手に入れやすいと思うわ」
これは秘密ね、とメルフィーナは唇に人差し指を当てて、声を潜めて言う。
エンカー地方のエールは、大量の仕入れは今やメルフィーナと直接取引を許された商会のみの特権になっている。エンカー村とソアラソンヌにそれぞれある直営店で小規模な仕入れを行うことはできるが、そちらも奪い合いの状態だ。
領主邸の製品を示す花押が押された非売品の酒となれば、その希少性もあいまって、どれほどの価値になるか、商人であるアントニオは考えずにはいられないだろう。
アントニオがごくり、と喉を鳴らすのを、メルフィーナは目を細めて眺める。
「銀行の件もあるし、アントニオとレイモンドにはそれぞれひと瓶ずつ提供するわ。強いお酒だから飲み方も合わせて、後で説明するわね」
人当たりがよく人情深いアントニオだが、一流の商人である。その瞳がギラリと輝くのに気づかないふりをして、メルフィーナはいつも通り、穏やかな笑みを浮かべていた。
1巻に引き続きサイン本の予約をたくさんいただいたと担当さんよりご連絡いただきました。
誠にありがとうございます。1巻の花押に引き続き、2巻は公爵家の紋をデザインして
頂きましたので、一冊一冊心を込めて書かせていただきます。