561.商人の来訪とハンバーガー
「メルフィーナ様、お久しぶりでございます」
丁寧に礼を執ったロマーナの商人、アントニオに、お久しぶりね、とメルフィーナも少し声を弾ませる。
年明けを過ぎた頃に訪ねてきて以来なので、彼とこうして顔を合わせるのは三カ月ぶりだった。この冬の間はほとんどの時間を移動に費やしていただろう商人は、初めて会った頃の恰幅の良さから二回りほど縮んでしまった気がする。
顔色は良さそうなので心配事は無事解決したのだろうけれど、元々背がとても高いので、余計に細くなったのが目立ってしまってなんとも痛ましい気持ちになる。
広場の鐘が鳴って一時間ほどが過ぎている。昼食を摂ったかと聞くと、今日はバタバタしていてまだという返事が返ってきた。
「私たちは済ませてしまったけれど、お茶と一緒によければ軽食をどうかしら。うちの料理人の腕はとても良いの。たくさん食べていってちょうだい」
「それは、恐縮でございますが……よろしいのでしょうか」
「私がいいというからいいのよ。それに、あなたに個人的にお願いしたいことがあるの」
「メルフィーナ様の依頼でしたら、なんなりと」
商人が条件を聞く前にそんな言葉を口にしていいものかと思ったけれど、それだけ信頼されている証と受け取ることにする。
団欒室に移動すると、昼食の残りを温め直したエドが、お茶の用意をしたアンナとともにすぐに扉をノックした。
出された皿の上に載ったものを、アントニオは不思議そうに見下ろす。
「一応カトラリーも用意したけれど、使いにくいようならこう、手でつかんでがぶっと食べても大丈夫よ」
「いえ、まさか、そんな」
「ふふ、私たちもお昼はそうしたのよね、マリー」
「大変野性味の強い食べ方ですが、こちらはそれが正式なマナーであるそうなので」
前世の似たような時代とは違い、こちらでは手づかみで食事をするなど貴族どころか平民だってそうそうすることではない。手づかみは時間に余裕がない人足や、食器をそろえることも困難な貧しい農民や農奴の食べ方だ。
けれど、エンカー地方には平焼きパンのサンドイッチがあり、それらは手でつまんで食べる軽食である。
それが浸透していたため、小さな丸パンを半分に切って、その間に野菜や肉のパテ、チーズやマヨネーズを挟んだハンバーガーも、領主邸ではそれほど抵抗なく受け入れられていた。
「これも、メルフィーナ様が考案された料理ですか」
「パンに具を挟んで食べるのは平焼きパンのサンドイッチで散々やったから、応用というのも恥ずかしいほどだけれどね。作ったのは料理長のエドだし、私はこういう料理はどうかしらと提案しただけよ」
たっぷりのフライドポテトに胡乱な目を向けつつ、商人としての好奇心が抑えられないのだろう。メルフィーナがお茶に口をつけたのを確認してアントニオは思い切ったように木串の刺さったハンバーガーを素手で取り上げ、どこから齧りついたものか右に左にと迷った後、勧めた通りがぶりと食いついた。
「む……」
「口の中の水分が結構持っていかれると思うから、お茶をどうぞ。話はゆっくりで構わないから、自分のペースで食べてちょうだい」
慎重に咀嚼して、アントニオはお茶を傾け、齧りついたハンバーガーを見下ろして、しみじみと息を吐いた。
「一度に、口の中で色々な味がします。それがなんとも、面白い……」
そう呟くと、今度はもうひと口、先ほどより大きく齧りついた。
「アントニオ、ポテトも食べてみて。その赤いソースがすごく合うから」
同席しているマリアに勧められ、言われるままにポテトをケチャップに付けて口に入れて、それにも驚いたように目を瞠る。お茶が無くなったらマリーがすぐに注いでやり、結局無言のまま、アントニオは瞬く間に皿の上の料理を平らげた。
「……美味すぎて、途中から無心になってしまいました。いやはや……大変美味でございました」
「一度にパンもお肉も野菜も食べることができるから、すごく便利なのよ。手は少し汚れてしまうのだけれど」
布ナプキンを勧めると、アントニオはなるほどと頷きながら手を拭いている。
「メルフィーナ様、この料理の名前は……ジャガイモはポテトと、マリア様がおっしゃっていましたが」
「正式な料理名ではないけれど、領主邸ではハンバーガーと呼んでいるわ。ひき肉を使った肉料理がハンバーグで、それをパンに挟んでハンバーグ風の料理として区別しているわね」
「ハンバーガー……驚くほどに美味でした。料理とは、一つを食べ終えてからパンをちぎって口にして、それを飲み込んでから次の料理へ、と順番に食べていくものだとばかり思っていましたので」
それに、とため息を吐くように、アントニオは続ける。
「ハンバーガーという珍しい料理を食べている最中に、よくある芋料理を口にしては興が冷めてしまうのではないかと思ってしまったのですが、この表面がカリッとして中は柔らかい食感が、これまた非常に楽しい! これは、レナートが常々自慢していた芋を揚げた料理ではありませんかな」
「あら、レナートを知っているのね」
レナートは、エルバンに大型の外航船をいくつも所有する大商会の会頭であり、エンカー地方の水運を担う一角を任せている商人でもある。エンカー地方から水運によって運ばれた商品を船に乗せ、スパニッシュ帝国やブリタニア王国への輸出も担ってくれていた。
今でも年に一度か二度はエンカー地方に訪れ、領主邸に挨拶に寄ってくれるので、その折は食事を供している。
「同郷ということもありますし、エルバンから他国への移動は奴以上に強いコネを持つ者はいませんからな。この冬の帝国への行き来も、レナートの船で行ったくらいですので」
うんうんと頷くと、アントニオはニヤリと笑った。
「それに、奴は今やメルフィーナ様を熱狂的に信望している者の一人です。顔を合わせる度にエンカー地方の話で盛り上がるのですが、お前はまだあの素晴らしい芋料理を供されていないのか、それは残念だったなと自慢されるのですよ。いやはや、次に奴と顔を合わせるのが、非常に楽しみになりました」
「ふふ、大袈裟ね」
言うまでもなく、フライドポテトはとても簡単な料理だ。工程は単純で、大量の油さえ賄うことができれば誰にだって作れるだろう。
――その誰にでも作れる料理が、エドにかかるとなぜか一段も二段も、美味しくなるのだけれど。
「アントニオも、この冬は本当に大変だったでしょう。エンカー地方には少しは長く滞在できるのかしら?」
「二週間から三週間ほどは、滞在しようと思います。その間に仕入れと春祭りの出店の準備を行い、それが終わったらソアラソンヌを経由してエルバンから帝国に戻ることになると思います」
「あら、まだロマーナには帰らないの?」
アントニオはロマーナに家族がいるはずだ。ただでさえこの冬はロマーナに戻れなかったので、さぞ家族が恋しいだろう。
腕利きの商人は眉尻を落とし、そうですね、と呟く。
「そうしたいのは山々なのですが、帝国での事業を軌道に乗せなければなりませんので。いっそ家族を帝国に呼び寄せようかとも思いましたが、会頭にやめておいた方がいいと止められてしまいました」
「……人質にされるおそれがあるからね?」
アントニオは苦笑に留める。振り回されている顧客相手でも、別の顧客に必要以上に悪印象を広げようとしない、彼らしい選択だろう。
「え、人質って、なんで?」
「アントニオは……大獅子商会はというべきだけれど、とても大きな経済力があるわ。それこそ貴族を楽にしのぐほどの。そういう商人は、目を付けられやすいのよ」
前世にも、穀類や金融業で財を成し、あまりに大きな商人の才に目を付けられて全財産を没収、拠点から追放された商人がいた。
身分制とは時に、非常に理不尽なものだ。たとえその商売に後ろ暗いところがなくとも、権力を握っている者の機嫌を損ねるわけにはいかないし、弱みになる部分はできる限り隠しておいた方がいいだろう。
「そんなことがあるんだ……」
「私一人ならどうとでもなります。そのために色々な場所に赴いて様々な方と縁を結ばせていただいていますので」
「そっか……今年は家族に会えるといいね」
「本当に、娘に顔を忘れられてしまったら、涙が出るどころの騒ぎではありません」
ロマーナ人は家族を特に大切にする国民性と聞いているけれど、普段はやり手の商人であるアントニオも、家族の話となると目元を緩め、幸せそうな顔をする。
「そのためにも、帝国での商売を軌道に乗せねばなりませんな」
腹もくちて少しは元気になってくれたらしく、アントニオは帝国での話をしてくれた。
バームを求めた「さるお方」に無事納品し、商品が気に入られたことと、今後は生産を帝国内で行うための勅許を得ることにも成功し、生産拠点を決めるところまで見届けてからあちらの大獅子商会の商会員に引継ぎをして、エンカー地方に戻ってきたらしい。
移動だけで相当な時間がかかるはずなので、アントニオは相当に、それこそ寝食を削って頑張ったのだろう。
バームの生産拠点はフランチェスカ王国内では当面王都近くの村とソアラソンヌにひとつずつ、帝国だけでなく、近いうちにブリタニア王国にも拠点を一つ作るつもりだと続ける。
「銀行の件ですが、会頭にも連絡を急ぎましたが、私が移動続きでしたので、まだ返答は受けていません。手紙ではなく連絡員を手配しましたので、エンカー地方にて落ち合う予定です」
「なんだか、申し訳ないわね。その連絡員もこの冬の中を移動しているのでしょう?」
この世界では、手紙ひとつを送るにも数か月かかることも当たり前だ。エンカー地方とロマーナならば、往復書簡となるとそれこそ年に一度か二度、やり取りできれば御の字というところだろう。
その距離の問題を手っ取り早く解決するのは、その連絡を行うためだけに連絡員を立てて移動してもらうことだ。それでもすぐにというわけにはいかないが、相当な時間の短縮にはなる。
「迅速な動きは商人にとって信頼を築く上で重要な面も大きいですので。会頭の承認が得られれば今年はその準備を行いつつ、実質的な運用は来年から再来年になるかと思います。つきましては、支店を開く場所だけでも先に押さえておきたいところですが――」
「他の商会も利用しやすくて、警備もしっかりできるような立地がいいわね」
「建物は特に堅牢にするので、今ある建物の再利用ではなく、一から建てることが望ましいかと思います」
「広場近くに私が所有している土地がいくつかあるから、その中から希望する土地の借地権を大獅子商会に買い取ってもらうか、私の出資分として計上してもらうほうがいいかもしれないわ」
「そうさせていただければ助かります。なにしろ、今のエンカー地方では土地を確保するのは至難の業ですから――」
商売の話をしている時、アントニオは実に活き活きと瞳を輝かせていた。随分スリムになってしまったけれど、その輝く瞳だけは何も変わっていない。
願わくば、エンカー地方に滞在する間、是非とも少しでも肉付きを戻してほしいものである。
所用により留守にいたしますので、その間更新もお休みになります。
21日水曜日から再開できると思います。