532.聖魔石の運用と彼女の魔石
「妊娠による魔力中毒を和らげる聖魔石の運用は、最終的には神殿に管理を任せるほうがいいかもしれないわ」
メルフィーナがポツリと言うと、ユリウスも静かにうなずく。
「北部は精強な騎士団を持つことで有名ですし、レディがいる限り経済的な発展は今後加速することはあってもその逆はないでしょう。そこに人心を掴む聖魔石の管理運用が加わることは、既得権益を持つ人々から危険分子と思われる可能性が非常に高い。余計な問題を招きたくないなら、そうするのが最も良い選択であると僕も思います。もっともレディが覇権を望むなら、僕は北部に味方をしますけどね」
さらりと爆弾を落とすユリウスにぎょっとすると、彼は悪戯が成功した少年のように笑う。
「でも、そんなことは閣下もレディもお望みにはならないでしょう。レディは平穏な暮らしをお望みのようですし、閣下はこれ以上多忙になればエンカー地方に通う回数が減ると嘆かれそうですしね」
「冗談が過ぎるぞ、ユリウス」
「君だって、王国騎士団の騎士団長という立場でありながら北部に肩入れしていることはすでに周知の事実なんじゃないのかい。今は王国と砂糖事業の仲介という形で誤魔化しているようだけど、どうか上手くやってくれよ。おかしな濡れ衣を着せられて処刑なんてことになったら、レディが止めても僕が動くからね」
「……肝に銘じよう」
セドリックの苦言にもさらりと釘を刺し返して、ユリウスはのんびりとした様子で笑っている。
人の心の機微など何も分かっていないような言動をする一方で、その実ユリウスは色々なことを見透かしている。
「そうですね。これ以上は、本気で国を興す覚悟が必要になるでしょう。そのつもりがない以上、必要以上に大きな力を持つことは避けた方が無難です」
北部の貴族や騎士階級が特にひどいにせよ、子供の魔力が強すぎて母親に影響が出てしまう症状は北部以外でもあるだろう。
その解決策を一家だけが握っている状態は、健全とは言えない。オルドランド家はただでさえ、これから砂糖産業を始めることにより圧倒的な経済発展を遂げる予定のある家だ。
ここに他家の後継の命運を握る聖魔石の運用まで加われば、それこそ王家の求心力を上回る可能性が高くなってしまう。
――いえ、きっとそうなるでしょうね。
メルフィーナは言うまでもなく、アレクシスにもその手の野心はないだろう。
そんなものがあったなら、メルフィーナの知識を最大限に利用しようとしないはずはない。
力がなければ何もできないけれど、力がありすぎるのも不自由だ。
「神殿は世界中にありますし、元々妊娠と出産の専門機関でもあります。すでに築き上げた信頼はとても大きいですし、治療魔法を独占していることにより、王族や貴族でもおいそれと対立することが難しい存在でもあります。政治的に中立を宣言していますし、元々魔石の扱いは神殿という印象も強い。聖魔石の管理にはうってつけではありませんか」
「検証のこともありますし、今すぐにというわけにはいきませんが、魔石の管理も必須ということになるなら、協力していただきたいのですが……いかがですか、ベロニカ様」
ユリウスとメルフィーナの二人に言われて、ベロニカは頷いた。
「それは勿論、構いませんが。領主様は、私をそこまで信用してもいいのですか?」
苦笑して、ベロニカはちらりと聖魔石の収まったビロード張りの箱に視線を向ける。
「私がこの利用価値が高いものについて、良からぬことを画策する可能性を、考えないわけではないのでは?」
「聖魔石を扱う以上、神殿の権威が増すのは予想できます。ですが、それは必ずしも私に都合の悪いことではありません」
神殿が祀っているのは女神であり、その主な活動は怪我の治療のほか、分娩や豊穣の儀式、修道院の運営といったものである。
神殿の神官たちは各地に派遣され騎士や兵士たちの治療を行う傍ら、神殿が経営する治療院で働く者もいる。神殿の運営する修道院は女性だけで生活をしている場で、領主に認可されれば税を納める必要がない。その敷地の中で修道院や畑を耕しブドウを育て、ワインやチーズを作ったり、写本や手紙の配達を行うことで収入を得ている。
貴族出身の行き場のない女性の受け入れ口ということもあり、女性の保護を行う活動がとても多い。
この世界では、女性はどうしても、弱い立場だ。所有権を父親と夫が持ち、生き方から仕事、結婚相手まで父親が決め、結婚後は夫に従うことになる。北部の問題を除いても、妊娠や出産で命を落とす女性も珍しくはない。
また、神殿は孤児院の運営も行っている。
メルフィーナも王都にいた頃は、貴族の慈善事業の一環として孤児院の慰問を行っていた。
ベロニカの口ぶりだと魔石の浄化を行うことができる子供も孤児院から選抜しているようではあるものの、それだけというには規模が大きすぎる。
子供を救うために冬の川に飛び込んだ行動を考えても、彼女が人を救い、弱い立場である女性や子供の保護に力を尽くしているのを疑う気にはなれない。
そして神殿の力が増すということは、行き場のない女性や子供たちの保護も厚くなるということだ。
「今後の運用についてはマリアとオルドランド家、神殿の責任者であるあなたで話し合い、取り決めを行いましょう。考える頭は多いほどいいと、私は思います」
「……そうですね」
ベロニカはふっと笑い、苦いものを飲みこむように、目を閉じた。
「私はいつも、一人で決め過ぎていたのでしょう。聖魔石を作ることができるのはマリア様だけですし、現在運用を進めているのは公爵家です。私に協力できる部分があるのならば、喜んで力を尽くします」
話が一区切りになった雰囲気の中、マリアがちょっといいかな、と声を上げる。
「あの、これ……これって言っていいのか分からないけど」
マリアは軽く挙手をした後、ベルトから提げているポケットから皮袋を取り出す。ひもを緩めると、他の魔石より明らかに大きくて透明な魔石――プルイーナの魔石を手のひらに載せる。
「私がずっと持ち歩いていたけど、この魔石、ベロニカの大切な人の心臓なんだよね。聖魔石にして浄化に使う計画は、そのままでもいいのかな」
ベロニカはその問いに何かを言いかけて、口を開こうとし、一度唇を閉じて、薄く眉根を寄せて瞼を下ろした後、微笑んだ。
「はい、どうぞ領主様とマリア様の計画に使ってください」
「……本当に、いいの?」
「ええ。それはただの魔石です。ジョジーの魂が宿っているはずもない、ただの大きな石です」
そう言いながら、ベロニカの視線はプルイーナの魔石をじっと見つめて、逸らされることはない。
「もしも何らかの理由でマリア様が浄化を行えなくなったときは、私が回収して海に沈めます。その後の後始末も責任をもって行いますので、ご安心ください」
千何百年と生きてこの世界の裏で暗躍し続けていたベロニカである。何らかの理由……マリアが命を落とし浄化が不可能になった時、潜性の魔力が尽きた魔石の回収と始末を請け負ってくれるという宣言は、とても心強いものだ。
「ジョジーは、この世界に降りて来た日からずっと人を救い続けようとした人でした。水を浄化し、自分がいなくても運用することの可能な技術を広め、魔力による汚染を浄化して――本当にずっと、誰かを助けようとしていたのに、私はその魔石で、怪物を生み出し、その討伐による汚染の軽減を、ずっと続けて……」
「ベロニカ様」
いつも余裕たっぷりという様子で微笑んでいたのに、膝の上に拳を握り小さく震えている彼女は、年相応に傷つくこともある女性のようにしか見えなかった。
「私にその魔石の扱いについて何を言う権利も資格もありません。どうぞ好きに利用してください」
「……うん」
「もうジョジーはどこにもいませんが、彼女の遺した魔石です。北部の怨敵として討伐され続けるより、人を救うことに使われる方が、きっと彼女も喜ぶでしょう」
「わかった。私も自分がどこまでできるかは分からないけど、絶対人を助けるためだけに使うって、ベロニカに誓うよ」
マリアのはっきりとした言葉に、ベロニカは何か眩しいものを見るように目を細め、微笑んだ。
「よろしくお願いいたします。聖女マリア様」




