531.魔石の仕組みとこの世界の魔力
「これがマリア様の作られた聖魔石ですか……素晴らしいですね」
しばらく製作を中断していた聖魔石を再び作り始めることになり、いくつか手元にあった加工前の聖魔石を見せると、ベロニカはそれをつまみ、「鑑定」しているのだろう、じっと見つめて、それからほう、とため息を吐いた。
「私も浄化した魔石に乙女の魔力を込めようと思ったことはあるのですが、私の力だと大した力は入らず、ほどなくして空の魔石になり、そして時間をかけて汚染された魔石に変わってしまうのです」
「一度浄化した魔石も、再び汚染されるのですか?」
「はい、時間はかかりますが、自然と汚染されていきます」
これまでは、魔物から取り出した魔石は放置すれば再び魔物が発生してしまうので神殿に納めて浄化をしなければならないと言われていた。
浄化された魔石に属性の魔力を込めることで、この世界で広く利用されている魔石の道具で使うことができるようになる。
空の魔石も放置すれば再び汚染されるというのは、初めて聞く話だった。
そもそも魔石は高価なものなので、魔力が抜けた後の魔石もそう放置されるようなものではない。
すぐに新たに魔力を注入して、再利用される。
魔力の充填だけなら新たに魔石を買うのと比べて四分の一ほどの費用で済むので、出回っている魔石のほとんどは再利用されたものだ。
魔物を討伐し、その肉体から魔石を取り出し、神殿で心づけを渡して浄化してもらい、属性の魔法使いに魔力を注入してもらうという工程が多く高額になる魔石の道具も、裕福な平民が背伸びすれば購入できる金額まで下がるのは再利用が徹底されているためだ。
「聖魔石も属性の魔力入りの魔石のように、時間が経てば空の魔石になるのではないかと思ってはいましたが、そこからまた魔物が発生するほど汚染されてしまうのですか」
「環境にもよりますし、受肉まではとても時間はかかりますが、そうですね」
「潜性の魔力の充填はマリアにしかできないから、基本的には使い切りということになるわね」
空の魔石の価値自体が変わるわけではないので、使えなくなったら属性魔力を充填し、一般的な魔石として利用することになるだろう。
「問題は、魔力中毒を和らげる魔石として代々受け継ごうとされてしまうパターンね。母親が娘に渡そうとしまい込んで、二十年後に見たら汚染された魔石になっていたというのでは、笑い話にもならないわ」
現在は聖魔石の影響の実験中ということもあり、北部の貴族に対してオルドランド家が中心になって聖魔石のペンダントの貸し出しを行っているところだ。
用が済めば返却させ、また次の必要としている者に渡される。
今はそれで済んでいるけれど、いずれ購入したいと申し出る者も、魔力が強い赤子が生まれた場合、自らの魔力で自家中毒を起こさないよう手放すことを拒む者も、間違いなく現れるはずだ。
――セレーネも聖魔石があれば健康に育つことができたかもしれないし、ユリウス様もずっと眠ったままでいることもなかったかもしれない。
かといって、安易に子供に聖魔石を持たせることには踏み切れない事情もある。
魔力の強い子供の体は、その魔力に耐えられるように大柄に成長する。
魔法使いは総じて背が高い。強い魔力を持つユリウスやアレクシスがこの世界の栄養状態に拘わらず長身なのも、そのためだ。
おそらくセレーネやウィリアムも同じくらい大きくなるだろう。強い魔法使いというのは大抵の場合男性なのも、そうした理由に由来している。
その成長過程で、本来体が大きくなるよう負担をかけ続ける魔力を聖魔石で抑えたら、どうなるだろう。
体の負担が減る代わりに背が伸びず、魔力耐性を持つ肉体に成長することがないまま生涯聖魔石を手放せなくなる可能性は、決して低いものではない。
聖魔石を供給できるのがマリアを庇護下に置いているオルドランド家のみとなると、その影響は計り知れないものになる。うっかりマリアに何か起きた場合は、その人たちも時間をかけて道連れにしてしまうかもしれない。
子供に聖魔石を持たせるにしても、悪い風が入った時にのみにしたり、外せない式典の時に持たせるといった使い方から始めるしかないけれど、魔力中毒に苦しむ小さな我が子を前に、効くと分かっているものがありながら我慢させられる人ばかりでもないだろう。
聖魔石は便利だが、便利すぎて使いどころを誤れば想定外の問題が起きる。今はまだ様々な検証を必要とする段階であり、その検証には長い時間が必要だ。
当の、少年時代をこんこんと眠り続けて過ごしたこの世界最強の魔法使いは椅子に腰かけて腕を組み、考え込むようにうーんと唸る。
「神殿のいう「魔石の浄化」は、大神官殿、あなただけが行っているのですか?」
「いえ、少数ではありますが、必要な神聖言語を教え、浄化が可能な神官を育てています。現在は私を含めて七名が、魔石の浄化が可能な状態ですね」
「数が少ない理由を伺っても?」
「「鑑定」の才能があるのが必要であることと、これがとても難しいのですが、神聖言語を早期に覚えなければ、浄化が発動しないのです」
「やはり年齢制限のようなものがありましたか。僕も試してみたのですが、レディがいとも簡単に乙女の魔力を使えるようになったにも拘らず、僕はその感覚が理解できないままでした」
建国の乙女、あるいは聖女と言われているように、女性しかなれないものなのではないか、あるいは教会や神殿が独占している回復魔法や治療魔法のように、神聖言語の習得が必要になるのではないか。
あるいは年齢が鍵になっているのではないかという仮説は、ユリウスと散々議論した内容のひとつだった。
ベロニカの場合、自身が幼少時から自国の言葉を覚えるより先に神聖言語を学ばされていたため、年齢が壁になるのではないかという予想は容易に立てられたらしい。
「これまで育てた子供たちから見て、学び始める年齢の理想は二歳から五歳程度のようでした。これは習得を始める年齢が上がるほど、「鑑定」を持っていても浄化が発動できる確率は減っていきます。ですので、孤児の中から比較的性格が安定している子供を選出し、神殿に引き取って神聖言語を教え、「鑑定」が芽生えれば神殿長などの浄化を行う役職に就け、芽生えなかった場合は本人の希望を聞いて神官となるか、市井に戻るかを選ばせていました」
「想像よりかなり条件が厳しいですね。育てても「鑑定」の「才能」が芽生えなければその役職に就けないということは、学習の段階ではあまり多くを教えすぎるわけにもいかないでしょうし」
納得したように頷いて、ユリウスは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「魔物の魔石は潜性の魔力を注ぐことでただの魔力を溜める石となり、そこに属性魔力を注げば我々が利用する魔石になり、聖女様が魔力を注げば聖魔石になる。そして空の魔石も放置すれば再び汚染されてしまうと」
そう言って、お茶のカップを傾けて中身を飲み干し、とん、とテーブルの中央に置く。
「空の魔石を、このカップだとします。属性の魔力を注げば僕たちのよく知る魔石に、聖女様が魔力を注げは聖魔石になります。この時点ではどちらも、顕性の魔力が入ることはありません。中身がいっぱいだからその余地がないのでしょうね」
ポットから新しいお茶を注ぐ。これがいわゆる魔石の状態だ。
ユリウスはそれを取り上げてもう一度中身を干し、同じ位置に空のカップを置いた。
「空っぽになった魔石をこのまま放置しておくと、顕性の魔力に汚染されていずれ魔物が受肉する魔石に変わる。空っぽの状態ならば属性の魔力と乙女の魔力、どちらも入るのですから、顕性の魔力と潜性の魔力のどちらかが入るか、もしくは打ち消し合ってずっと空の魔石の状態が続くならば理解できるのですが、大神官殿の経験としては、どうやらそうではないらしい」
つい、と長い指先でカップのふちをなぞり、ユリウスは笑った。
「聖女様が降臨してから明らかに体調が良くなったという話もありますし、大神官殿も乙女は存在するだけで計り知れない利益があると言います。それも加味すると、どうやらこの世界には、よっぽど顕性の魔力が満ち満ちているようですね」




