53.サウナと風呂上がりのエール
階下に降り、厨房の隣にあるドアから中に入ると、むわっと熱された空気が体を包み込んだ。
後付けらしいドアは真新しく、短い廊下は脱衣所も兼ねていて、ここで服を脱ぐのだと告げられる。
室内は魔石を使った暖炉でも置いているのか、ドアの外に比べると随分暖かい。言われたとおりに衣服を寛げ、バスローブに袖を通す。
水を張ってある浴槽のようなものはあるが、湯気は出ておらず、水のままだ。
「こちらの蛇口からお湯が出ますので、体を流した後、奥のサウナで体を温めてください」
「サウナというのは?」
「蒸し風呂のことです。そこで芯まで温まったら、ここで体に水を掛けます」
「それでは、折角温めた体が冷えてしまうだろう」
「我々も最初はそう思ったのですが、温め切った体に水を掛けると、一気に汗が噴き出すくらい体が熱くなるんです。メルフィーナ様がおっしゃるには、体を温めることと冷やすことを交互に行うのが良いのだそうで」
そう言われて奥に目を向けると、なるほどもう一つドアがある。オーギュストに視線を向けると、護衛騎士は主の意を汲んでドアを開ける。
中は石造りの小部屋になっていた。
屋敷からU字型に突き出す形は、石組みで作ったコンサバトリーのようでもある。左右の壁に木製のベンチが向かい合う形で設えられていて、頭をぶつけるほどではないが天井はあまり高くなく、小さな魔石のランプがついていた。
奥には金属の籠にみっちりと小石を詰めたようなものが鎮座しており、そこから籠るような熱が放たれている。
狭苦しいし、熱くて立っているだけで汗が噴き出してくる。
「これが風呂、か?」
「はい、ベンチに腰を下ろしたり、一人の時は寝そべっても気持ちいいですよ。もっと中を熱くしたくなったら、こちらの桶からあちらの石柱に水を掛けてください。水蒸気とともに温度が上がる仕組みです」
「それだとひどく汗をかくことになるだろう」
温まるのは助かるが、冷えは良くない風を体の中に迎え入れるとされている。折角温まったところに水をかぶるなど、理にかなわないことだ。
「汗とともに垢や汚れが浮くので、適当なところで洗い場に出て、水を頭から被って下さい」
「そこで水か……」
「はい、不思議と体がぽかぽかと熱くなって、そこでも汗が大量に出ます。そこからもう一度サウナに入ってもいいですし、風呂を終えても大丈夫です。タオルで肌をこすると余分な垢が落ちてすっきりします」
これの何が良いのかよく分からないものの、すでに何度も利用したらしい従僕の表情は明るいものだ。朴訥で純朴そうな男が嘘を言っているようにも思えない。
「……試してみるか」
「よろしければ、お背中お流ししましょうか? その、失礼でなければですが……」
「粗忽な護衛騎士に任せるよりは安心できるだろう」
「ひどいですねえ。まあ、風呂の世話の作法は学んでないので、否定はできませんけど」
「では、サウナの良さを理解していただけるよう、誠心誠意流させていただきます!」
平民らしい藁色の髪の男は、にっこりと笑ってそう告げた。
* * *
最初は懐疑的だったものの、ベンチに腰を下ろしてじわじわと汗が湧き出してくると、次第にふわふわと浮遊するような心地になってきた。
北部は夏でも気温が上がりすぎるということはないので、全身にびっしょりと汗をかくのはよほど激しい鍛錬をした時か、魔物との戦いが長引いた時くらいのものだ。
「なるほど……悪くないな」
「よろしければ、温度を上げましょうか? 我々はいつももう少し熱い温度で入っていますので」
シャツと麻のズボンという軽装の従僕に、腰を据えたまま頷く。従僕が桶の水を石柱に掛けると激しく水が気化する音が立ち、石造りの部屋の温度が一段と上がる。
たっぷりと汗をかいたころ、ベンチに横たわるように促された。目の粗い麻のタオルで背中を擦られ、全身を洗われる。
使用人が風呂の世話をするのは当たり前のことで、洗浄にも慣れている。従僕はそれらと比べると人の体を洗うことに慣れていないようだが、それでも十分、心地いい。
「髪も失礼いたします」
「ああ……。この熱源は、何を使っているんだ?」
「炭に火を入れています。その熱を利用して石窯も使えるようになっているんですよ」
「石窯……この屋敷では、オーブンが使えるということか」
「はい。村の猟師がちょうど山雉を獲ってきてくれたので、今夜の晩餐ではそちらがメインになります」
髪を洗われ、ぬるい湯で流される。ぬるくとも体が随分熱くなっているので、やや冷たく感じるほどだった。
「公爵様、そろそろ水を被ってみてください」
「ああ――」
全身が熱せられているせいか、起き上がるのがひどく億劫に感じる。従僕に言われるままに頭から水を被ると、全身に雷でも落ちたような衝撃だった。
「これは……すごいな」
「はい。熱すぎるようなら先ほどの更衣室で少し休んでもいいですし、また体が温まるまでサウナに入るのも気持ちいいです」
従僕の勧めにもう一度、全身が汗で濡れそぼるまでサウナにとどまり、もう一度頭から水を被って風呂から出る。体を拭いてガウンを纏っている間も、全身が温まっていて、少し気だるく、だがいい気分だ。
なるほど体中の垢が落ちたようで、空気が肌に触れる感触すら、風呂に入る前と違って感じる。
ドアを開けて外に出ると、入り口の見張りをしていたオーギュストの横に別の従僕が控えていた。まだ背が伸び切っていない、少年と呼べるほどの幼さで、両手で銀盆を持ち、その上には木製のジョッキが載っている。
「公爵様、よろしければエールをいかがでしょう」
貴族にとって酒とはワインのことであり、麦酒は平民の酒だ。遠征先で水分補給のために呑むことには慣れているが、貴族の屋敷で出されれば、一歩間違えれば侮辱に当たる行為になりかねない。
オーギュストに視線を向けると、実にいい笑顔で頷かれる。
「毒見は済んでいます」
「……そうか」
この従者がこういう顔をする時は、大抵驚かせようと画策しているときだ。何度執事のルーファスに窘められても、こういう面は直りそうもない。
ジョッキを掴むとひんやりと冷たく、その温度差にひどく喉が渇いていることに気づく。一気に呷り、カッと目を見開いた。
「……なんだ、これは」
まず最初にきたのは、口の中でガツンと弾ける刺激だった。痛みを感じるほどのそれが炭酸であると気づいた時には、鼻に抜ける熟しきった果実のような濃厚な香りと、それとは裏腹の鮮烈な苦みが口の中に広がる。それに驚いているうちに、炭酸の強さを纏ったままの液体がごくり、と喉に流れ落ちていく感覚に目を見開く。
「自家製のエールです。メルフィーナ様が本格的な冬になる前に仕込んでおきたいと、造られたものなんですよ」
無邪気に告げる幼い従僕とは裏腹に、一足早くこれを味わったのだろうオーギュストは、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「僕たちはかなり美味しいと思うんですけど、お気に召したでしょうか?」
「ああ、いや、これは……素晴らしいな」
「ありがとうございます!」
まるで別物のように感じるけれど、口の中に残る独特の後味が、それでもこれは間違いなくエールだと告げている。
名門の修道院によってはエールにフルーツのような後味を出せるところもある。苦みは配合している薬草由来のものだろう。
――だがこの痛烈な炭酸の刺激は、どうやって出している?
仕込みの時に発生する炭酸だけではこれほど強い刺激が残るはずはない。魔法で後から追加するにしても、魔法使いというのは貴重な存在だ。いくらエンカー地方が勢いづいているからといってエールの醸造に魔法使いを雇うとは思えないし、出来たとしてもこれほど鮮烈なエールを造る方法も、全く想像ができなかった。
「このエール、本当に美味いですよね。私も驚きました。造り方を聞いたんですけど、彼はよく知らないそうで」
「エールの仕込みはメルフィーナ様とマリーさんが指示を出して、数人の職人が仕込んだので僕はよく知らなくて」
陰りのない表情の従僕にひやりとしたものを感じる。当然、オーギュストは分かっていてそうしているのだろう。
「このエールを私に出してもいいと、夫人が言ったのか?」
「え、いえ、あの、これは使用人が好きに飲んでいいと言われているものです。メルフィーナ様も飲まれているものですし、特にサウナ後は美味しく感じるので、公爵様もお気に召すかなと、僕が入れてきました」
「そうか……」
まだ年若い従僕も、サウナに案内した男と同じように、ただ客人をもてなそうという気持ちからしたことなのだろう。
メルフィーナの印象を良くしたいという感情が根底にあるのも伝わってくる。
「あの、やはり公爵様にエールは失礼だったのでしょうか」
「いや、心遣いは伝わった。……このようなものを造り出すお前の主は、素晴らしい領主だ」
「! ありがとうございます!」
頬を紅潮させ、全身で喜びを表現する少年にジョッキを戻す。貴族家の使用人は感情を表に出さないように躾けられているので、ここまで分かりやすい反応をされると逆に裏があるのではないかと懐疑的な気分になった。
「夕食は一時間後です。大したおもてなしは出来ませんが、精いっぱい準備させていただきます!」
「ああ、楽しみにしている。オーギュスト、それまで部屋で休むぞ」
「お供いたします」
この家の従僕に比べれば何倍も食えない性格の従者は、またあとで、と気さくに挨拶をして後ろからついてくる。
「晩餐、楽しみですねえ。俺の分もあるといいんですけど」
気に入らないが断れない来訪者の場合、その使用人や従者に忘れたふりをして食事を出さないというのは貴族の陰湿な嫌がらせのひとつだ。主人が明確に命じずとも、忖度した使用人が勝手にそうするということも珍しくはない。
「……ここの住人は、そんな意地の悪いことはしないだろう」
「ですよねえ。外から来た人間を歓迎するって空気がそもそもあるみたいですし」
「部屋に行くぞ」
時々エンカー村の視察に来ているオーギュストにとって、メルフィーナが物珍しいことをするのはすでに慣れているのだろう。
だがアレクシスは、護衛騎士ほど浮かれた気分にはなれなかった。
体を芯まで温めたあとの冷たいエールを知ってしまったアレクシスです。
北部でこの快感を知ってしまうと、中々それ以前には戻れないと思われます。
投稿をはじめてちょうど今日で1カ月になりました。
読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。




