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512.昔語り7

「聖女にも、魔石があるのですか!?」


 令嬢らしいドレスは居心地が悪いと動きやすい服を好み、その気性と同じように駆け出し、屈託なく笑うマリアを思い出す。


 マリアはどこからどう見ても、普通の女の子だ。泣いて、怒って、落ち込んで、笑う。共に食卓を囲み、時には寝床に潜り込んでくるメルフィーナの大切な友達だ。


 その胸に納まっているのが脈打つ心臓ではなく、プルイーナのものと同様の魔石だなどと、到底信じられない。


「ふむ……」


 ユリウスは胸の前で腕を組むと、珍しく考え込むように眉を寄せた。いつも超然としていて思ったことは衝動的に口からあふれ出す彼にしては、とても珍しい表情だ。


「考えてみれば、あり得ない話ではありませんね。顕性の魔力と潜性の魔力は互いを打ち消し合いますが、同時に非常に似た性質を持っています。不完全であっても顕性の魔力で治療魔法や回復魔法と同じ現象を起こすことは出来ますし、逆に潜性の魔力で風を起こし、水を出すことも可能なわけですから。心臓が魔石化し、顕性の魔力を帯びた存在を魔物と呼ぶならば、生き物に害を与えない潜性の魔力をその身に帯びている聖女様もまた、その対になる存在であると定義できるかもしれません」

「そんな……」

「ユリウス様、けんせいとせんせい、というのは?」

「我々がそう仮称している魔力の分類です。この世界で遍く利用され、人の精神と肉体に害を及ぼす魔力を顕性の魔力、それを打ち消す聖女様の魔力を潜性の魔力と」

「ああ、なるほど」


 ベロニカは、ユリウスの簡潔な返答に納得したように頷いた。


「聖女様に魔石があるかという問いに関しては、全ての聖女様があるかどうかは、私にも分かりません。最初の乙女は火葬され、二人目の乙女の体は海に沈んで二度と見えることはありませんでした。三人目の聖女様も慣習に従い、高貴な方の葬送として火葬後、神殿の聖廟へと安置いたしましたので」

「ふむ……フランチェスカ王国の初代王妃であったマリア・フランチェスカ・モンティーニは? 亡くなられたのは事故という話ですが」

「弔いは大神殿で行い、火葬後、王家の霊廟へと納めました」


 前世と違い肉体と魂の復活という宗教観がないことが大きな理由なのだろう、こちらの世界では高貴な人間は火葬を行い、平民は土葬が一般的だ。


「魔石は熱に強いですが、人間が燃え尽きるほどの長時間焼き続ければ形を保っていられなくなりますから、妥当な処理法というべきなのでしょうね」


 こちらの世界では、火葬ひとつ行うのも大量の薪が必要になる。完全に焼けるまでに石棺に薪を積み上げ火をつけて、翌朝まで火を絶やさないほどだ。


 平民の間で土葬が行われているのはこの薪の量の問題で、人間の肉体が燃え尽きるほどの燃料代を工面することが難しいという理由である。


「でも、そこから魔物が発生するなんて、どうして……」

「とりあえず、大神官殿の話を最後まで聞くというのはいかがでしょう。その上で疑問が残るようなら尋ね、必要ならばこちらの情報を開示する。その判断は最も聖女様と親しい公爵夫人に一任するということでいかがですか? 閣下」


 その言葉に、アレクシスは静かに頷く。


 ほぼ半日かかるとはいえ、火にくべるだけでプルイーナの魔石を破壊することが出来た。歴代のオルドランド家の当主がたった一度でも、神殿に納めずそうしていれば、その後の北部の騎士や兵士たちは過酷な討伐に参加せずに済んだ。


 そんなのは、たらればの話だ。毎年のようにやってくる過酷な戦いに、闇雲にやり方を変えてみようという余裕などなかっただろう。


 重なったままの手を握り返す。どうか、あなたは悪くないのだという気持ちが、伝わるように祈って。


「新たな乙女が降りてきたということは、その時も、何かがあったのですね」

「疫病の大流行が起きました。疱瘡病と呼ばれていた昔からある病気で、時々流行が起きてはいましたが、その年は罹患者が爆発的に増えました」


 ベロニカの説明によると、健康な大人でも発症者に触れれば高い確率で感染するが、子供により多く罹る疫病で、発症すると高熱や全身の筋肉痛が起き、やがて全身に特徴的な激しい疱瘡が発生するのだという。


「感染すれば乳幼児はそのほとんどが、子供と老人は半分ほどが死に至りました。大人は七割ほどの確率で命を拾いますが、全身に疱瘡の痕が残るので、その後も強い差別の対象となることが多くありました」

「恐ろしい病気ですね。そのような病は初めて聞きました」

「本当に、恐ろしい病でした。……疫病の流行は、飢饉とはまた違う残酷さがありますね。水が足りない、食糧が足りないというとき、人は団結するものですが、疫病はその反対です。あの家から病人が出た。この病気はあの人から感染されたと人や家屋に火をつけることが多発し、他方では豚の生き血を飲めば治ると聞いた。時には子供の肝や処女の生き血など、あらゆるものに縋り、それで新たな犠牲者が続出しました」


 ベロニカの言葉から、それは天然痘であるのだろう。けれど、この国の頭脳の最高峰である象牙の塔の魔法使いであるユリウスも、その病気に心当たりはない様子だった。


 天然痘は前世でも歴史上、何度か大流行を起こし、時に数百万人の犠牲者を出したという記録も残っていたはずだ。特に大航海時代、ヨーロッパから新大陸へと伝播した際は免疫を持たない先住民族の、実に九割以上がこの世を去ったという。


 天与(ディヴィナ)が降りた時代がどのようなものだったかは分からないけれど、今より豊かで公衆衛生が整っていたとは考えにくい。一度病に侵されれば、その致死率は相当に高いものだったのではないだろうか。


「都市からは活気が消え、人々は家に閉じこもり、それでもなお感染は止まらず、多くの人が亡くなりました。そうして降臨したのが、マリア=ジョセフィーヌです。――彼女は、本当に素晴らしい人でした」


 それまでの乙女たちの話には、内容がどれだけ残酷であってもあまり感情を滲ませなかったベロニカが、うっとりとしたように微笑む。


「彼女もまた、突然別の世界に来たことに動揺していましたが、乙女としてこの世界を救うことに意欲的な方でした。猛威を振るっている病は、彼女の世界ではすでに克服されたものだと言い、まずは牛飼いたちから弱毒の病気に罹った者を探し、そのかさぶたと膿を乾燥させ、まだ発症していない者に接種させるように言いました」

「それに従ったのですか?」

「はい。マリア=ジョセフィーヌはその対処の準備が進むまで、各地の病の酷い土地を回り、祈りによって人々の苦しみを和らげ、弱者への救済を続けていました。到底、あやふやで危険な対処法を口にするような人ではないと信頼することが出来ましたので」


 ――牛痘法。


 間違いなく、マリア=ジョセフィーヌは近世以降の文明から来た人だ。


 それもある程度以上の知識や教養を持った女性だったのだろう。


「私とアインは、牛飼いの中の疱瘡病に罹った者からかさぶたと膿を譲り受け、最初は小規模に、効果があると確信してからは神殿と教会による「祝福」という形で、子供たちに優先して接種を行いました」

「もしかして、現在の「祝福」が十六歳までであることと関係があるのですか?」


「はい。当時は子供を優先させるための口実だったのですが、その後特別な能力のある子どもたちを選別するための手段に変わり、現在の「祝福」はさらに才能のある子供たちに道を示す形に発展していきました」


 その後、神殿と教会によって長い時間、全ての子供たちに牛痘法を続けた結果、その世代以降から疱瘡病が出ることはなくなり、やがて疱瘡病という名前そのものが歴史から消えたのだという。


 あちらの世界では近代まで猛威を振るい続けた天然痘に類する病の話をこちらで聞かなかったのは、すでに根絶が行われていたということらしい。


「それほど慈愛に満ちた賢女ならば、さぞ当時の権力者たちは放っておくことはなかったでしょうね」

「はい、彼女は一時、神殿の巫女として迎え入れられていましたが、魅力的な女性であるということもあり、それでも妻にと望む声は日に日に高まっていきました。とうとう実力行使に出る者も現れ始め、女性ばかりの神殿では守り切れなくなる前に、ジョジーは……マリア=ジョセフィーヌは、ライモニウスを祖とし貿易で大富豪となっていたカストラヌス家に身柄を預かってもらうことになりました」

「その乙女のことを、ジョジーと呼んでいたのですか?」


 メルフィーナが尋ねると、ベロニカは切なげに微笑み、頷く。


「祖国で家族や友人はそう呼んでいたからと、巫女や乙女ではなく、こちらでも親しい人にはそう呼んでもらいたいと言われて」

「どうぞ、そのようにお呼びください。特別な方だったのでしょう?」

「……あの頃のジョジーが、今の私を見れば、きっと大きな声で叱ったでしょう。公明正大で、弱者を思いやり、何一つ取りこぼそうとせず、努力する。正しいことはどれだけ反発があっても正しいのだと主張し、それでいて優しく、人を愛おしむ。彼女は、そんな人でした」


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