510.昔語り6
今日は二話更新してます。
三人目の乙女が現れたのは、干ばつが長期化し、大陸の各地で大規模な飢饉が起きた年だったという。
「その年は、春が来るのが遅く夏になっても冷たい風が吹き続ける、不吉な雰囲気の年でした。四百日以上雨が降らない日が続き、地面はひび割れ、作物が実らず、川は干上がり井戸は高地から順に涸れていきました。僅かな水を求めて人々は争い合い、干からびた死体がそこら中に転がる、本当に、ひどい有様でした」
「噴火の次は大規模な干ばつですか。人の手には余りますね」
「はい。首領の一族は水属性の魔法使いを囲い込み、水を独占することでより大きな権力の集中を招くことになりました。勝手な話ではありますが、あの時ばかりは乙女が降りてくることを、望まずにはいられませんでした」
乙女に振り回され続けたベロニカがそこまで言うほどの、ひどい状態だったのだろう。
水がなければ人は生きていくことが出来ない。豊かな水源に恵まれたエンカー地方で暮らしているからこそ、強くそう思う。
もしもエンカー地方の水が干上がり、親しい人々が渇きに喘ぐことになったとしたら、きっと自分も聖女の役割を押し付けたくないという感情とは裏腹に、マリアに救いを求めてしまう。
――そう思ってしまう時点で、乙女を欲する為政者たちと、本質的には何も変わらないんだわ。
貴族として生まれ、為政者の夫を支えるための教育を受けてきた自分の願いは、親しい人を救ってほしいという純粋な願いとは言い切れない。土地と、富と、権力がどうしてもそこには付きまとう。
親友としていわれのない責任をマリアに押し付けたくないと思っていても、同じ状況になれば結局はその力を欲するだろう。
本当に、勝手なものだ。そう自嘲していると、不意に、隣に座るアレクシスに手を握られた。
座面の上で、テーブルに隠れて周囲からは見えないだろう。
その手がとても冷たくなっている。
これまでの話の悲惨さからか、それとも目の前にベロニカがいることで血の気がひくほどの怒りが収まらないせいだろうか。
どちらにしても、自分のことでいっぱいいっぱいになっても仕方がないはずなのに、こうして隣にいるメルフィーナのことまで気遣ってくれていることに、ふっと息を吐く。
「何百年も乙女の降臨を防ぐために生きてきたというのに、降臨の光が降りたときは、不覚にも強い安堵がありました。ああ、これで雨が降り、地に作物が実り、人々は救われるのだと」
その声は沈んでいて、金の瞳は憂いを宿している。ベロニカは自嘲気味に口元を笑みの形に歪め、続けた。
「そんな想いとは裏腹に、三人目の乙女は季節を跨ぐことすらなく、亡くなってしまいました」
「それは……」
「領主邸にいる聖女様はよく体調を崩されますが、何十年とこちらの世界で若いまま生きることが可能ならば病気だったということはなさそうですね。こちらに来たばかりならそう活発的に動き回るということもなかったでしょうし、事故の可能性も低そうだ。暗殺されるほど恨みを買っていたとも思いにくいですし、となると、亡くなった理由は二人目と同じですか」
捲し立てるように言うユリウスに、ベロニカははい、と答える。
「三人目の乙女は、この世界を受け入れることが出来ないようでした。元の世界に帰りたいと泣き続け、食事を摂らなくなり、次第に周囲に人を寄せ付けなくなって部屋に閉じこもるようになりました。何か気晴らしをと思ったのですが外に出ることも人と会うことも拒み、しばらく過ぎた後、部屋で首を吊っているのを様子を見に行った巫女が見つけました」
「そんな……」
メルフィーナが硬い声を漏らす。領主邸にいるマリアのあるかもしれなかった未来を重ねたのだろう、誰からともなく、細く息を吐く音が漏れる。
「乙女は誰も選ばずに、かといってすぐに次の乙女が降りてくるということもなく、その後も干ばつは続きました。ようやく雨が降るまでに大陸の何割の命が失われたのか分かりません。同時に、私は痛感したのです。一人目の乙女は後宮内で暴虐を振るい、二人目の乙女は領地を捨てて出奔することになったけれど、それでも彼女たちが存在していたことで、途轍もない被害にまでは至らなかったのだと」
それくらい、三人目の乙女がすぐに儚くなってしまったあとの世界はひどく揺れたのだろう。
地獄と呼ぶのも生ぬるいものをその目で見てきたのだろうベロニカは、静かな声で続ける。
「地の底から這いあがるように、また人々は増え、畑を耕し、少しずつ社会が回るようになっていきました。そうして私は、三人目の乙女で心に決めたのです。乙女がこの世界に降りてくることは、人間にはどうにもできないものであると。けれどそれは、彼女たちの心を容易く壊すような、過酷な運命でもあると。ならば私は彼女たちの気持ちを最大限に尊重し、その心を守ることを最優先にしようと。恋をしたいならば恋を、贅沢をしたいならば贅沢を。その心を満たし、思うままに行動することを後援し、一日でも長く健やかに生きていただければよいと」
それは、ゲームの中のベロニカの基本的な行動理念だ。
マリアを最優先し、便宜を図り、支え、導く。時には自分自身すら攻略対象になる、ヒロインの最大の理解者である、大神官ベロニカ。
その向こうには、千年を超える時間の重みがあると思うと、献身に対する敬意よりも、なにか空恐ろしい、人間の範囲を超越したものを感じてしまう。
「幸いということは出来ませんが、あの干ばつにより人心が大きく乱れたことで、結果として神殿と教会の権威がある程度確固としたものになりました。意思を通すには力が必要です。神殿と教会は、それ以後在野の救済機関から、国から独立した組織でありながら権力により大きく食い込む方向に向かいました。――領主様。当事者でありながら聖女様に退席を求めた、これが答えです」
ベロニカが大神官であり神殿が危うい動きをしていると知っている以上、現在の支配階級であるアレクシスやメルフィーナは、その背景を知らなければ到底納得はしない。
けれど、マリアに残酷な「乙女たち」の現実を語って聞かせたくはない。
マリアは今のところ、この世界に順応し、安定して毎日を送っている。だが、過酷な乙女たちの運命の話に、まだ年若いマリアは引きずられかねないと思ったのだろう。
聖女は自由に、願わくば幸福に、その結果としてできる限り長く生きてもらうことが、この世界のためだから。
「ではなぜ、あなたはここに現れたのですか」
数瞬、誰もが声を出せずにいる中で、オーギュストが低い声で厳しく問う。
「マリア様は現在、これまで語られた乙女たちのように不安定なまま生きてはいません。エンカー地方には神殿はありませんが、その動向の監視はしていたのでしょう。ならば、これまで通り遠くで見守っていればよかったのではないですか」
エンカー地方に来た当初のマリアはひどく追い詰められてはいたけれど、メルフィーナがエンカー地方の環境を整えていたことと、前世の日本の知識を有していたことで心を開くようになってくれた。
友達がいて、ペットを可愛がり、よく笑う。
ベロニカが見てきた乙女たちと比べれば、相当に安定した環境で暮らしていると言えるだろう。それが、ベロニカが来訪したことで胃を痛めて血まで吐いたのだ。
彼女の行動の方針としては、悪手であったのは間違いない。
「言い訳になってしまいますが、エンカー地方の領主様と接触をさせてもらうことが本来の目的でした。私も自らの身分がこんなに早く露見するとは思いませんでしたし、マリア様があそこまで追いつめられるとは思ってもみなかったのです」
ベロニカの目的はマリアであると頭から思い込んでいたので、唐突に自分の名が出たことに驚く。
「私にですか?」
「はい、北の荒野の浄化を行ったのはマリア様で間違いないでしょうが、回収されてしまったならば、その管理をしているのは領主様であるのだろうと思いましたので」
ここに、あるのでしょう? ベロニカはまっすぐにメルフィーナを見る。
そうして、何かとても大切なものに対してそうするように、言った。
「四つ星の魔物と呼ばれるプルイーナの魔石……私にとっての四人目であり、最愛の乙女、マリア=ジョセフィーヌ・アントワーヌの心臓が」




