508.昔語り4
死や戦争を連想する内容があります。苦手な方はお気をつけください。
「メルフィーナ様、大丈夫ですか?」
隣に座るマリーに声を掛けられて、はっと息を吐く。
深く息をすることも憚られるような緊張感に、気が付けばこめかみがズキズキと痛んでいた。
「話が長くなってしまいましたね。少し休憩いたしますか?」
「いえ、長くなるのが当たり前の話ですし、端折られる方が困ります。このまま続けて下さい」
ベロニカは語りは上手いけれど、いつも乞われてから話すばかりで自らが饒舌というわけではない。これは、二度とないかもしれない機会のうえに、ひとつひとつがこれまで疑問に思ってきた隙間を埋めるような話ばかりだった。
この後知恵熱でしばらく寝込んでも構わない。到底そんな雰囲気ではないけれど、可能ならばメモを取りたいくらいだ。
「それで、ユルスと乙女は、その後どうなったのですか」
「そこからしばらくして、二人は集落からも姿を消しました。名前を変えて定期的にあちこちを放浪し、定住しては研究を進め、また放浪をする暮らしをしていたようです。私は各地の神殿と連携し、二人の後を追い続けました。その頃にはもう乙女が降りるきっかけとなった飢饉は終息を迎えていましたが、放っておくには乙女の持つ力は、強すぎますので」
ベロニカがその判断をした気持ちは理解できる。乙女はその気になれば新しい国すら容易く造り上げてしまうような存在だ。
居場所を知っていて出来ることがあるわけではなくとも、放置するのは恐ろしい。メルフィーナでもそう思っただろう。
「以前、神官の一人に聞いたことがあるのですが、各地に配属される神官はその土地の情報を神殿に報告する義務があるそうですね。そうした情報を集積し、分析している理由は、その頃の出来事にあるわけですか」
「当時は必要に迫られて作った仕組みですが、単なる名残ではなく、意図的に残しているのは事実です」
前世と違い連絡手段が限られているこの世界では、人探しをするなら人海戦術が最も確実だ。
今も各地に神殿があり、治療院などを通じて市井に関わっている。古い時代は治療魔法と回復魔法が聖女のみの力だったというなら、少なくとも治療魔法に関しては、多くの神官が使えるようになったのはベロニカが能力を研究し、改良した結果なのだろう。
「ひとところに定住するとそこに人が集まり続け、自然と彼らは中心人物として祭り上げられるでしょうからね。それではサヴィニー領を出奔した意味がないですし」
「ええ、それに、乙女もそれを望んでいたようです。共に過ごした時に、ユルス様を誰とも共有したくないのだと漏らしたことがありましたので。二人の旅はそこからさらに百年ほど続きましたが、ユルス様が土砂崩れに巻き込まれ亡くなられた後、ほどなく乙女も自らこの世界を去りました」
不老ではあるが、不死ではないというのはすでに最初の乙女で分かっていたことだ。
百何十年を愛する人と共に過ごし、その後を追った。少なくとも乙女の視点からだけならば、それは愛を貫いた人生だったのだろうか。
「……その乙女は、どのように亡くなったんですか」
硬い声で、そう尋ねたのはオーギュストだった。騎士として控えている彼が発言をするとは思わずやや驚いたものの、ベロニカは気にした様子もなくさらりと答える。
「入水いたしました。ユルス様のことを知り乙女に接触しようと向かった目の前で飛び込まれてしまい、助けようと私も飛び込みましたが、あの頃は泳げませんでしたので」
「泳げないのに飛び込んだのですか」
「無我夢中だったのです。大袈裟な服を着ていたので助けるどころかあっという間に溺れてしまいましたが、却ってそれがよかったのでしょうね。気絶して、気が付けば流された先で服が岩に引っかかっていました」
そもそも、この世界の女性はほとんどが泳ぐことが出来ない。平民も肌を出すことには抵抗を示すし、海の仕事は男性のもので、国によっては女性を船に乗せるのを禁忌としているほどだ。余暇として水泳を楽しむほどの余裕はほとんどの人間にはなく、泳ぐ機会がそもそもない。
当時は、ということはその後泳ぐことが出来るように訓練なりを行ったのだろう。次に必要になるかも分からずとも、それで助けられなかったことがあるという理由で。
――この人は、ずっとそうして生きてきたのね。
変える必要があったから神殿に入った。乙女を降臨させないよう神殿のシステムを変えた。情報を集める必要があったから収集のためのネットワークを構築した。
ベロニカはあっさりと言うけれど、それにはどれほどの時間と計画性が必要だったのだろう。それこそ気が遠くなるような作業だったはずだ。それを何十年、何百年とかけて……親しい人たちを見送りながら、たった一人でやってきた。
どうすれば、そこまで禁欲的になれるのだろう。これまで語られた中では感じ取れなかった、生きる楽しさや愛し愛される喜びが、この人の人生にはきちんと訪れたのだろうか。
ここまでの話すら、天与が現れる前なのだ。
向かいに座り、淡々と話す女性の背後にある途轍もない人生に、圧倒される。
「無神経なことを伺いますが、それだけ長く一緒におられて、お二人の間に子供は?」
「何人か誕生しましたが、すぐに手放してしまったようです。子に執着しない方が続いたので、乙女とはそういうものかもしれないと思っていました」
「当然、その子供たちの追跡調査も行ったのですよね?」
「つつがなく平和に暮らす方もいれば、色々な事情で幸福ではない方もいました。そうした方はそれとなく、環境が変わる手助けをしたりもしましたが、三代ほど過ぎたところで問題はないと判断し、それ以上追うことはやめましたわ。乙女の血を引いていても、私のような人間が出る可能性は、そう高くはないのでしょうね」
ユリウスは納得したように頷いて、それからふうむ、と小さく首を傾げた。
「ユルスの研究資料はどうなりましたか。彼が僕に近しい気質と性格を持っていたなら、必ずまとめてあったはずです」
その問いかけに、ベロニカは困ったように微笑んだ。
「色々な可能性をまとめては、それが不可能だと思ったら手放すことを繰り返していたようです。乙女の世界には紙をまとめて本にするというのは、ごく一般的だったようで、簡単な製本がされた束があちこちに散逸しました。大半は回収しましたが、初期はまだ神殿の連絡網が発達しておらず、漏れも多かったようです」
「錬金術師にとって命の創造、世界の再構築、不老不死の実現、そして全てを造った神の解析は、最大の関心事です。思いつき、実験したすべてをまとめていたでしょうし、たとえ不完全でも、断片的であったとしても、それは大いに他者の目を惹いたでしょうね」
「はい、本当に、私の力が及びませんでした。あの時全ての研究資料を回収出来ていればと、随分悔やみました。皮肉な話ですが、その結果としてユルス様の望んだ寿命を持つ者が現れました」
「この世界の魔力によって、寿命を克服できたのですか!?」
ユリウスが興奮気味に尋ねると、ベロニカは表情を陰らせる。
「随分沢山の命が、犠牲になりました。その上澄みの、ほんの一滴を成功と呼ぶならば、そうですね」
それを為したのは、ユルスたちがこの世を去ってさらに時間が過ぎた、とある国で行われた実験によるものだとベロニカは続ける。
「当時から神殿は戦争の抑止を謳っていましたが、今ほどの抑止力は持っていませんでした。時代の考え方もあるのでしょうが、戦士は命を懸けて戦うことこそが誇りであり、戦場で散ることは誉れで、むしろ魔法によって傷を癒すなど命が惜しい軟弱な考え方であるという風潮があったのです。下級戦士はそれこそ消耗品のような扱いで、いつ次の乙女が降りても不思議ではない、そんな時代でした」
隣で、アレクシスが腕を組んだのに気付き、視線を向ける。いつも気難し気な雰囲気があるけれど、眉を寄せて、あからさまに不快気な表情を浮かべていた。
「戦士は今でいう騎士なのでしょうが、傷を癒すことすら嫌悪感を示すなら、他者の命などそれこそとても軽いものでしょうね。それだけ戦争が盛んならば、実験のための捕虜にも困らないでしょうし」
「あの頃は、癒すことより傷つけることのほうが、強く優先されていましたね。魔法使いたちは魔力中毒で絶命するまで繰り返し戦場で利用されていました。よく知られているように、強い魔法使いほど魔力中毒が重くなりますが、その中でも他の魔法使いが命を落とすような状態でも生き残る者がいることに、やがて気づく為政者が出ました」
「ははぁ、その為政者が、ユルスの遺稿を手に入れたわけですか」
その言葉に浅く頷き、ベロニカは金の瞳を静かに伏せた。
「神は……運命はというべきでしょうか。時に本当に、残酷なことをするものです。その結果、私は長く志を共にする友人を手に入れることになりました」