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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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494.日常と見えない未来と鷹

「ご飯が美味しいって、幸せなことだよね」


 マリアがぼやくように言うのに、黙々と刺していた刺繍から顔を上げる。

 先ほどまでオーギュストとオセロをしていたけれど、どうやら連戦連敗で終わったらしい。対戦表に並ぶ正の文字になんだか懐かしさを覚えつつ、いっそ清々しいほどの負けっぷりだったようだ。


 胃の辺りに手を添えてぐったりとしている様子は、いかにも弱っている雰囲気で気の毒だ。肉体的な不調は彼女自身の治癒魔法でなんとかなっても、精神的なものはどうにもならない。


 今は聖魔石の製作も中断しているので、気を紛らわせる材料もなくなって余計に気が滅入るのだろう。なにか発散させてあげたいとは思うけれど、この世界には娯楽そのものがそう多くはない。普段は話し相手になっているコーネリアや子供たちもメルト村に移動している今、マリアには辛い状態が続いているはずだ。


「この世界に来てから訳分かんないことばっかりだったけど、訳が分からないなりに、ここでの暮らしが段々当たり前になってたんだよね。お味噌作ったり、ピクニック行ったり、ご飯美味しい~って思ったり……時々しんどいこともあるけど、なんとなく、そんな日がずっと続いていく気がしてたみたい」

「そうね……」


 マリアは、最初はこの世界のために何かをしたいとは思えないと言っていたし、メルフィーナもその意思を尊重した。彼女はここではない場所から同意なく連れ去られたこの世界以外の人間で、そんなマリアに世界を救えとか力を正しいことに使えという権利は誰にもないと思ったからだ。


 けれど、生活が安定していくうちにマリアは自然と変わっていった。メルフィーナ以外の人間とも少しずつ関わるようになって、笑う時間が増えていって、事業を通して読み書きも覚え、とうとうプルイーナの発生を抑えて今では北部の問題の救いになるだろう聖魔石を精力的に製作している。


 これまでだって問題はいくつも起きたけれど、乗り越えて、今がある。楽しいことばかりではないけれど、日常になった。それはマリアの紛うことのない感情なのだろう。


 けれど、ベロニカの謎に触れたことで、これまでマリアが……いや、メルフィーナやマリアの周囲にいる人々があえて蓋をし続けてきたことを、改めて考えさせられることになった。


 ――マリアは、どれくらい長く生きるのかしら。


 おそらくマリアと同じ立場であっただろう天与ディヴィナには、三百回以上の更新履歴があった。


 ショッキングな出来事ではあったけれど、結局それは、過去の人物だ。プルイーナの討伐はフランチェスカ王国建国以前から続いている。天与ディヴィナがどれだけ長寿だったとしても、悲劇的な最期を遂げた可能性が高いとしても、彼女が遥か過去の人であるのは間違いない。


 けれど、向かい合って会話をし、共に食事をした相手が千年以上を生きる存在であり、かつ、それがいずれ自分の歩む道かもしれないと思うのは、いつか元の世界に――家族の元に帰りたいと思っているマリアには、強いストレスだろう。


 まして、こちらに残ることになっても、周囲と同じ時間を自分だけが歩んでいけないならば、なおさら。


「マリア、そんなに思いつめないで。まだ確かなことは、何も分かっていないんだから」


 うん、と小さく答え、マリアは浮かない表情で言った。


「……ベロニカってさ、ずっとニコニコ笑っているけど、全然食事を楽しんでいる感じしないよね。同じテーブルにルドルフ君がいるから、余計目立つっていうか」

「そうね」


 ルドルフは、まだ若い青年ということもあり食欲が旺盛でよく食べる。招かれた席でおかわりを要求するのは、用意された皿の量に不満があると告げるのに等しいので、好物だと思ったものがあってもそれを食べ終えれば次の皿に手を付けるものだ。


 領主邸はそうした縛りが緩く、料理人であるエドが気に入った皿のおかわりを出すことに抵抗がないことと、実姉の主催するテーブルであるという気安さもあるのだろう。ルドルフは気に入った料理を繰り返し食べることに抵抗はない様子だし、お腹いっぱいだと満足するまで食事をする。


 貴族としては、あまり褒められた態度ではない。けれど美味しいもので腹を満たしたという単純な喜びを享受する様子は、シンプルに好ましいものだ。


 一方、ベロニカのテーブルマナーは完璧で、楚々として料理を手順通り切り分け、口に入れ、咀嚼して飲み込む。その所作も振る舞いも丁寧だけれど、どの料理が好きか、もしくは苦手かというのは一切伝わってこない。使用人に下げ渡す分を礼儀正しく半分ほど残し、それ以上の量を求めようともしない。


 作法として食事をしているだけで、味や彩り、自分の満腹感に関しては興味がない。そうした印象は、確かにある。


「まあ、食べることに興味がある人ばかりではないものね」

「うん、でも、なんか……なんていうのかな、勝手な印象でこういうことを言うのは、良くないんだろうけど」


 口ごもり、マリアはしゅんとしたように肩を落とす。


「あんまり、幸せじゃなさそうに、見える」


 親しい人と会話をする。美味しいものを食べる。笑い合ってどこかに出かける。

 精神的に安定していて落ち着いている人として見ることはできるだろう。感情をあまり表に出さないマリーが傍にいるから、喜びや悲しみと感情の表現が必ずしも一致するものでないことも分かっている。


 ベロニカが城館に現れて、ようやく三日目だ。彼女の何を知っているというわけではないし、むしろ知る度に得体の知れなさばかりが募っていく。そんな状況で、彼女の本質など、分かる訳もない。


 夫と死に別れ、自分の役割を果たしていたけれど、思い立って家を飛び出し、ここまで来たのだという言葉のどこまでを信じればいいのか。あるいはその全てが虚言である可能性だって十分にあるけれど。


 笑っていても、あまり幸せそうには見えない。それはメルフィーナも似たような印象を持っている。


「人って、相手によって見せる顔が全然違うものじゃない? 私だって城館で見せるのと、他の貴族に対する態度って全然違うわけだし」

「メルフィーナが?」

「侯爵令嬢として、公爵夫人として、すごくおすましするわよ」

「えー、全然想像つかないや」

「北部に来たばかりのメルフィーナ様はすごくツン、とした感じの貴族令嬢でしたよ」

「……隣の伯爵領で取引をした際も、見事な貴族夫人の振る舞いでした」


 オーギュストの軽口に、セドリックがぼそりと付け加える。


「ベロニカも、他の場所ではもっと心を許して笑っていたり、大好物の料理ばっかりおかわりしたり、案外仕事が嫌で一日中肌着でだらだら過ごしたりしているかもしれないわね」

「……そうだといいなあ」


 ぽつりと呟いた言葉は妙に重たく響いた。




* * *


 正午の鐘が響き、昼食は軽く済ませて少し外の空気を吸わないかとマリアを誘う。


 マリアは元々、部屋に籠ってじっとしているよりもジョギングをしたり精力的に動き回っているのを好む性質だ。体を動かせば多少は気がまぎれるだろう。


 春になったら乗馬を勧めてみるのもいいかもしれないと思いながら中庭に出ると、まるでタイミングを見計らっていたようにすっかりマリアの飼い鷹に納まっているウルスラが空から降りてきた。


 ぴぃ、ぴぃと小鳥のように甘えた声を出してマリアの胸にすっぽりと収まると、くるる、と頭をこすりつけている。まるで甘えん坊の猫のような様子だった。


「あら、どうしたのフェリーチェ」


 どん、と足に重量感のある重みがぶつかってきて見下ろすと、愛犬のフェリーチェが笑ったような顔をしてこちらを見上げてきた。黒いつぶらな瞳が何かを期待するように輝いている。


「きっと、甘えているウルスラが羨ましいんだよ」

「まあ、あなた、一日中私といるじゃない」


 フェリーチェは愛玩犬として領主邸で飼われているので、気ままに領主邸内を歩き回り、気が向けばエドやラッド、クリフたちに外に出してもらったり、ウィリアムの訓練がない時は遊んでもらったりしている以外は大抵、メルフィーナの足元にいる。元々運動量の多い犬種だが、冬はすっかり温かい室内でころころと転がっているのが好きになってしまった。


「一日中一緒にいても、飼い主との散歩はやっぱり嬉しいんじゃないかな。犬だもんね」


 あんっ、と返事をするように甲高い声を上げたことで、空気がふわりと緩む。やはりフェリーチェは領主邸の良いマスコットのようだ。


 しばらくもふもふと毛並みを撫でていると、声が聞こえたのだろう、厨房の横の勝手口からエドが小さな籠を手にこちらに近づいてきた。


「メルフィーナ様、マリア様、よければウルスラとフェリーチェにどうぞ」


 そう差し出された籠には小魚が数匹と、そぎ落としきれていない肉がほんの少しついたままの骨を乾燥させたものが載っている。


「魚は兵士の方が差し入れに下さった中の小さいもので、骨はこの間公爵様とウィリアム様の仕留めた猪の骨を、オーブンでじっくり焼いたものです。出汁フォンを取るのに使うつもりだったんですけど、ゴドーさんが犬は骨が好きだと言っていたので」


 わざわざフェリーチェ用に作ってくれたらしい。礼を言って受け取ると、エドは屈託ない笑顔を見せた。


「温かい飲み物をすぐに飲めるようにしておくので、お体が冷えないように気を付けてくださいね」

「ありがとう、エド」


 フェリーチェは、早速尻尾の代わりにお尻を左右に揺らしている。ウルスラもマリアに抱かれながらそわそわと黄金色の目をこちらに向けていた。


「ウルスラ、魚とか食べるんだ」

「鷹は肉食だもの。大きな魚を自分で捕まえるのもよくあるはずよ」

「へえー。次に釣りに行く時は一緒にいこうか」


 ピィピィと嬉しそうに鳴くウルスラを撫でて、指先で小魚を摘み差し出すと、ウルスラは咥えて一度羽ばたくと、中庭の置物の上に止まり、脚を使って器用に肉を毟っては飲み込んでいる。

 フェリーチェはしばらくお尻を振りながら骨を齧っていたけれど、やがてそれを咥えると弾むような足取りでどこかに行ってしまった。


「……もしかしてどこかに埋める気なのかな」

「庭園を荒らすようなことはしないはずだけれど、お気に入りの場所に仕舞うくらいはするかもしれないわね」

「あとで探して回収しておこうか?」

「そうね、しっかり熱を入れているみたいだし、今の季節なら簡単に腐ったりはしないと思うけれど、人のいないところで齧りすぎて歯が欠けたりしたら可哀想だし、お願いするわ」


 ウルスラは魚を食べ終わると高くまで飛び、くるくると円を描くように空を飛んで、再びマリアの元に戻ってくる。そのたびに小魚を貰っては同じことを繰り返していた。


 動物に触れて、まったりと過ごしていると、何だか体の中に溜まった悪い物がすっと抜けていくような気持ちになる。マリアも少しは気がまぎれたようで、表情が柔らかくなっていた。


 風はあまり吹いていないけれど、気温自体はそれなりに低い。あまり外にいては冷えてしまうので温室に移動するか、そろそろ屋内に戻って温かい飲み物でも飲んだほうがいいだろう。そう思ったのとほとんど同時に、姉上! と元気な声が響く。振り返ればルドルフとベロニカ、それに護衛につけた二人の兵士が少し後ろに続いている。


「ただいま戻りました!」

「お帰りなさいルドルフ。あら、ユリウス様はどうしたの?」

「先に中に戻りました」


 ルドルフとベロニカは、使用人にメルフィーナたちは中庭に出ていると聞いてこちらまで来たらしい。


「戻ったばかりなら冷えているでしょう。中に入って温かいものでも飲みましょうか。散策は楽しかった?」

「はい、どの集落も整然としていて悪臭も無く、隅々まで素晴らしく統治されていました。さすがですね」

「村によって差をつけるのはよくないから。集落って、あなた、どこまで見に行ったの?」


 見て回ったのがメルト村だけならば、集落という言い方はしないだろう。そう思って少し首を傾げると、ルドルフは快活に笑う。


「そう遠くないところに農奴の集落もあると聞いたので、そこまで足を延ばしました」

「私が是非見てみたいとお願いしたのです。ルドルフ様は、それにお付き合いしてくれたのですわ」

「あの集落周辺は、農業を営むばかりですので、そう面白いものもなかったのではないですか?」

「いえ、水は流れていませんでしたが、用水路を見るだけでもとても興味深かったです。本当に整然としていて、よく管理されていて」

「この季節だと、水路が凍り付いてしまって劣化を招くので、水は抜いてしまうんです。春は小さな魚が泳いだりしていて、水の近くは涼しいですよ」

「それは素敵ですね――あら」


 ばさばさと、羽音を鳴らしながらウルスラがベロニカの胸に飛び込んでくるのに金色の目を見開いて、ベロニカはすぐにふわりと笑った。


「人懐こい鷹ですね」


 ルドルフも驚いた様子だったけれど、脚にメルフィーナが刺繍を入れた花押入りのリボンを結んでいたため、すぐに城館で飼われていると分かったのだろう。


「私も狩猟用に自分の鷹が欲しいと思っているのですが、中々雛から育てるのは難しいらしいですね。この鷹は、姉上が育てられたのですか?」

「いいえ、怪我したところを保護した子よ」


 鷹は非常に警戒心が強いので、野生で成長した場合、まず人に懐かない。飼育の際はまだ巣立ちしていない幼鳥から始め、他に飼育されている個体以外との接触はさせず、狩りなど短時間だけ飛ばして、夜は鳥舎に戻すのが基本的な扱い方になる。


 実際ウルスラも、領主邸ではマリアとメルフィーナ以外には近づこうとしない。


「……飼い主以外にはあまり懐かない子なのに、珍しいわね」


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