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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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488.急報と思わぬ報せ

 兵士たちが退出し、そろそろ夕飯まで解散のムードになりかけた頃、城門のあたりから騒がしい気配が伝わってきた。


 オーギュストが素早く窓辺に寄ると、どうやら村からの報せのようですと訝し気に言う。


「村に常駐している詰め所の馬ですね。何かあったのかもしれません」

「悪い報せでなければいいのだけれど……」


 そう呟いたものの、声には我ながら諦念が含まれていた。


 大抵の問題ならば、行政区にある庁舎に詰めている文官か、その統括を行っている執政官のギュンターとヘルムート、どちらかで処理する権限を与えている。それらを飛び越えて城館に報せが来るということは、相当に火急の用件――要するに厄介ごとである可能性が極めて高い。


 ただでさえゴタゴタとしているところにこれ以上の問題は困ると思うけれど、面倒ごととは大抵、来てほしくない時に限って連続でやってくるものだ。ほどなく、再び執務室のドアにノックの音が響く。


「失礼いたします! エンカー村詰め所より緊急の連絡に上がりました。貴族の夫人と思われる方がオルレー川に建設中の橋から転落いたしました!」


 現在は助け上げられ、エンカー村村長宅で保護されております。そう続いた言葉に執務室にいた全員が絶句する。

 現在エンカー地方で貴族の女性と言えるのは、メルフィーナ、マリー、マリアを除けばベロニカ以外は考えられない。


 冬の北部は、湖すら凍る寒さだ。オルレー川は川幅が広く冬でも凍結することはほとんどないけれど、そこに人が落ちれば、瞬く間に低体温症や凍傷、心臓麻痺などを起こし、文字通り命に関わる。


「すぐにエンカー村に向かいます。馬車の用意を」

「ああ、レディが直接行かれるなら聖女様と行動を共にしたほうがいいでしょう」

「うん、一緒に行くよ。いざという時は、私がなんとかできるかもしれないし」


 ユリウスの忠告を受けて、大急ぎで馬車を用意して今日二度目のエンカー村に向かう馬車の中も、なんとなく、沈鬱な空気だった。


「ベロニカ、一体何があったんだろう。不注意で橋から落っこちるようなタイプには見えなかったけど」

「分からないわ。ともかく、無事であることを祈るしかないわね」


 厄介な相手だとは思っているけれど、冬の川に落ちて命も危ういとなれば話は別だ。ベロニカがエンカー地方に来ていることを神殿側が把握しているか知らないけれど、万が一の場合、起きた事故について変に勘繰られたくもない。


 今日二度目のエンカー村に到着すると、ルッツの――現在は代替わりして息子のフリッツが後を継いだ村長の自宅前は人だかりが出来ていて、メルフィーナの馬車が停止したことで人が波のように割れる。皆一様に不安げな顔をしていたけれど、メルフィーナが馬車から降りるとほっと安堵の色を滲ませた。


「メルフィーナ様! ようこそおいで下さいました」


 馬車が到着した気配に中から出てきたのは、くるくると癖のついた栗毛の女性、フリッツの妻、イルマだった。


「イルマ、川に夫人が転落したと聞いたわ。無事なの?」

「奥の部屋で体を温めていただいています。その、少なくとも怪我はしておりませんが、殿方は……」


 そう口ごもるように告げて、イルマはちらりとメルフィーナの後ろにいるセドリックとオーギュストに視線を向ける。


「二人はここで待機していてちょうだい。みんなも家の前に集っていては体を冷やしてしまうわ。後は私に任せて、それぞれ家に帰るよう伝えてくれる?」

「メルフィーナ様、お一人で行動するのは、承服いたしかねます」


 やはりと言うべきか、一番に反対の声を上げたのはセドリックだった。


 川に落ちたというベロニカにイルマが男性を遠ざけようとしている以上、おそらくあられもない姿になっている可能性が高い。今はともかく、一刻も早く無事を確認しておきたい。


「中が見えない程度にだけれど、ドアは少し開けておいて、何かあったら大声を出すわ。それに、マリアについていてもらうから大丈夫よ」


 それでも何か言いたげなセドリックにもう一度、リビングで待機するように告げてイルマに奥の部屋に案内してもらう。


 このあたりの平民の家はおおむね煮炊きを行い食事の場でもあるリビングと、もう一間寝室がある程度だけれど、この家は村長宅として寄り合いに使うことも多いためリビングをかなり広めにとり、奥の間がふたつに倉庫と井戸付きの裏庭も備えている。その二間のうち、奥の部屋は倉庫兼ちょっとした作業室のようになっているらしい。


 ドアを開けるとむわり、と暖められた空気が体を包む。近隣のおかみさんらしい女性二人がメルフィーナを見て、驚いたように立ち上がり、頭を下げた。


 洗濯桶としても利用する大きな桶に布を敷き、そこに湯を溜めて、その中にベロニカが服のまま浸かっていた。彼女の傍らには十歳くらいの少年がいて、居心地悪そうな様子を見せている。


「これは、領主様。足をお運び頂いて申し訳ありません」


 ベロニカの声は落ち着いているけれど、表情はやや、複雑そうな様子だった。少年の方は顔を真っ赤にして肩身が狭そうな様子ではあるけれど、何も言おうとしない。


 ――一体、これはどういう状況なの。


「アントワーヌ夫人、あなたが川に落ちたと聞いて駆けつけましたが、なにがあったのですか」

「メルフィーナ様、この方は川に落ちた子供を助けてくれたのです」

「男たちも飛び込むのを躊躇する川に、ドレスを脱いで飛び込んで、子供を助けてくれました。どうか、厳しくお咎めにならないでください」


 おずおずと、けれど熱を持った声でおかみさんたちが懇願するのに、なんと声をかけたものか、迷うことになった。




     * * *


「どうも、子供達の間で度胸試しが流行っていたようです」


 もう少し温まったほうがいいというおかみさんたちの言葉に、一度リビングに戻るとイルマが温かいお茶を用意してくれた。


 大きな火鉢にはたっぷりと炭が入っていて、室内は暖められている。そろそろ夕飯の用意を始めるのだろう、イルマはかまどに火を入れて、鉄製の鍋からほんのりとスープのいい匂いが伝わってくる。


「度胸試し?」

「オルレー川は冬でも凍り付きはしませんが、岸に近い部分は朝晩の冷え込みで氷の膜が張って、それが一日中解けることはありません。軽い子供くらいならば乗っても割れることもありませんが、川の中心に近づくにつれて氷は薄く、もろくなっていきます」

「……まさか、その上に乗って、どこまで岸から遠くに行けるか、という遊びなの?」

「は……」

「男の子ってそういうことするよね」


 恐縮したように頷くフリッツに、マリアが呆れたような調子でぼやく。


「いつもは坊主たちも、本当に割れるところまではいかないのです。ですが今日は、元々砕けていた氷の膜が再びくっついて脆くなっていたようで、近所の子供がそこから川に落ちました。すぐに騒ぎになりましたが、この季節は船は岸に上げていますし、飛び込めば大人でも命に関わる寒さです。子供はすぐに川底に沈んで姿が見えなくなりましたが、そこに通りかかったのが、あのご婦人で……」


 話を総合すると、ベロニカは身につけていたドレスをその場で脱ぎ捨てると肌着だけで川に飛び込み、沈みかけていた少年を掴まえて引っ張り上げたらしい。そこからは岸から縄を投げたり掴まるための木材を渡したりと大騒ぎになって、なんとか二人は岸にたどり着いたようだ。


「子供は、助けられた時はすでに息をしていなかったようですが、ご婦人が胸を何度か押すと、水を吐いて息を吹き返したそうです。表に集まっていたのは、その時救助を見ていた近所の連中でして」


 ベロニカの雄姿を見て、その後どうなったか気になってフリッツの家まで押しかけてきたということらしい。


「公衆浴場に運ぶことも考えましたが、ずぶぬれでひどく冷え切っていて、うちの方が近かったですし、近所のおかみに助けてもらって湯を何度か替えて、温まってもらっています」

「一緒にいた少年は、川に落ちた子なのね?」


 はい、とフリッツは気まずげに言う。


「自分より先に子供を湯に入れるようにとおっしゃって……男の子だったので恐れ多いことですが、二人で入ってもらいました」

「いえ、命には代えられないわ。体温が下がりすぎると、人は簡単に神の国に渡ってしまうもの」

「メルフィーナ様。メルフィーナ様から村を預かっておきながら、こんなことになってしまって、本当に申し訳ありません。坊主たちがあんな遊びをしていることにもっと早く気が付いていれば、こんなことにはならなかったはずです」

「いいえ、それを言うなら、きちんと冬の川の側に近づかないよう注意を回さなかった私の落ち度だわ」

「男の子って駄目って言われても大人の目を盗んで危ないことをしたりするもんね。とにかく、みんな無事で本当によかったよ」


 メルフィーナに続きマリアがフォローを入れると、フリッツは肩を落とし、はい、と小さく答えた。


「あのご婦人には、本当に救われました。なんとお礼を言えばよいか……。自分の身を顧みず子供を助けて、その後も終始気遣ってくださって……慈悲深いお方です」


 その言葉にちらりとマリアと顔を見合わせる。


 お互い、その視線には色々と複雑なものが含まれていた。


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