487.魔法使いの推測
「ははぁ、なるほど。それは随分厄介な状況ですね」
この季節は軽食の屋台などはほとんど営業をしていないので、昼食前に領主邸に戻ると、すでにユリウスが到着していた。
領主の仕事があるからと口実を付けてルドルフの歓待はマリーとウィリアムに任せ、マリアを伴って執務室に入り状況を説明すると、ユリウスは面白そうに目を輝かせて話を聞いていた。
「それにしても大神官の登場ですか。少し領主邸を留守にしたら面白いことが起きるので、レディの傍からは離れがたいですね」
「全然面白くありません」
「そうだよ、不謹慎だよユリウス」
メルフィーナとマリアに同時に言われて、ユリウスはへらへらと笑っている。
ユリウスは決して悪人ではないものの、多少デリカシーに欠けるところがある。神殿の最高責任者という、下手な王族より権威も影響力もある存在が身分を偽ってやって来たという異常事態も、彼にとっては面白い出来事でしかないらしい。
「ユリウスは、王都でベロニカに会ったことある? 式典とかにも参加したりするんだよね?」
マリアの問いに、ないですね、とユリウスはのんびりと答えた。
「大神官が出席するような場は数年に一度のよほど大きな慶事くらいのものですし、象牙の塔に所属する魔法使いは、公の場への参加を強制されません」
「あら、そうなんですか?」
「象牙の塔で席を持つような人間は、盛装して煌びやかな公式の場に出るより黒いローブを羽織ってネズミの腑分けをしているほうがよほど楽しいものです。そして僕は、生まれも育ちも象牙の塔ですし、そもそも起きていられる時間が少なかったので、そうした雑事に煩わされている暇もありませんでしたしね」
貴族にとって、定期的に社交の場に出るのはもはや義務のようなものである。社交を行わないと貴族家としての影響力が低下したり、そうした場に顔を出すほどの経済力がないのかと揶揄の対象になったりするほどだ。
象牙の塔に所属する者にとっては、そうした世俗的な評価など、本当にどうでもいいと感じるのだろう。
「確かに何が起きるか分からない状況ではありますが、逆に、悪いことばかりが起きると考える必要もないのではないですか。相手は神殿の大神官を自ら名乗っているわけではなく、つまりその立場として来訪したわけではないのでしょう。今のところレディや聖女様に何かをしたわけではない様子ですし、冬になって人の出入りが極端に減っているうえに夜は少しの間だって外にいられないくらい冷え込むエンカー地方ですよ。こっそり武装勢力を率いてきているとも思えませんし、よそ者が一気に増えれば誰かが気づいてとっくに報告に来ているはずです」
「それは、そうですが……」
「警戒するべきは少人数で非常に致命的な攻撃をしてくる可能性ですが、僕なら手の者だけ行かせてわざわざ自分が赴いたりはしませんね。無意味に目立ちますし、警戒させてしまっては元も子もありません」
「でも、ベロニカは私たちがベロニカだって気づいてるとは思っていないかもしれないよ。偽名を名乗ってるわけだし」
うーんと首を傾げ、クッキーを摘まんだ後、砂糖もミルクもたっぷりと入れた紅茶を傾けて、ユリウスはのんびりとした口調で言った。
「それって、本当に偽名なんですか?」
「えっ」
「神殿や教会、修道院に入ると、神に仕える者として、まず家名を名乗ることが許されなくなります。そして、それらの施設に入る事情は様々ですし、実家や本人の意向で全く別の名前を名乗るようになることもあるはずですよ」
「……つまり、アナスタシア・フォン・アントワーヌは単純に本名で、ベロニカは教会内で名乗っている名前である、という可能性ですか」
「まあ、それにしては「アントワーヌ」なんて随分思わせぶりな名前ではありますが、よくある名前だと言ってしまえばそれまでですしね。あくまで推測ですが、わざわざエンカー地方に来た目的とは違って、そちらは「鑑定」を行ってみればすぐにわかることです。もう確認はしましたか?」
当たり前のように言われて、マリアと共に顔を見合わせる。それでユリウスには伝わった様子だった。
「レディが他人の「鑑定」を行うのに忌避感があるのは知っていますが、今回は即、やったほうがいいと思いますよ」
「そうですね……。私は触れないと「鑑定」は行えないので、中々機会がありませんが」
マリーやマリアほど親しい相手ならともかく、こちらの世界では、特に貴族は女性同士であってもみだりに互いに触れ合ったりはしないものだ。
むしろエスコートやダンス、手の甲にキスという習慣があるため、異性とのほうが接触の機会が多いくらいかもしれない。
「私はちょっと、岩屋のあれがトラウマっていうか……」
「ふむ、確かにあの時の聖女様はひどい状態でしたしね。荒野の奥でずっと蹲って泣きじゃくられて、自分で立つことも困難な様子でしたし」
「いいよ、言わなくて。……オーギュスト、あの、その節は」
「有事の際にお護りするための護衛騎士ですから、むしろたまには役に立たないと閣下に給金を減らされかねませんし」
おどけて言うオーギュストに、マリアもほっとしたように表情を緩める。
「偽名を名乗ったのはよほどレディを警戒していないか、もしくは最初から露見しても構わないという覚悟なのかもしれませんね」
「覚悟、ですか?」
「レディや聖女様の言う通りならば、「鑑定」の結果には攻略対象という文字が出るのではないですか? レディはともかく聖女様にはその意味が分かる前提であり、聖女様が北部に滞在していて、かつ、プルイーナが出現しなかった。ここから推測されるのは、聖女様が公爵閣下を攻略したという図式です。そして、おそらく神殿側はプルイーナの魔石が回収されたこともすでに掴んでいると思います。魔石を回収したのは荒野に向かったオルドランド家の騎士団であり、浄化されない魔石からは時間をかけて魔物が復活するのは有名な話ですから、そこから神殿がプルイーナの繰り返す復活に関与しているのではないかと公爵閣下が考えるだろうことも、推測は容易です」
相変わらず一気にしゃべるユリウスに圧倒されながら、メルフィーナは頷く。
ベロニカの目的は分からずとも、神殿の最高責任者として知っているだろうことを想像することは可能だ。
この冬、プルイーナは出現しなかった。
何かを警戒するように、荒野はオルドランド家に封鎖された。
アレクシスは神官たちを追い立てるように荒野から退出させたらしいので、神殿に対して不審を抱いていることも、容易に推測できるだろう。
「閣下は冷徹かつ苛烈な政治を行うことで有名ですし、その評判は王都まで届いています。この状態で、神殿の最高責任者が北部に来るなんて、自殺するようなものです。いえ、自殺をしに来たと言われても納得は容易いでしょう」
「……最高責任者の首と引き換えに、神殿への追及を躱すということですか。ですが、それでアレクシスが納得するとは思えませんが」
家族や祖先、そして身近にいる騎士や兵士たちを多く犠牲にし続けた出来事が人為的なものだったとして、一人の命で贖えるとは思えないし、アレクシスだって気持ちが収まらないだろう。
「ええ、ですから、何かあるのでしょう。僕たちの知らない、閣下が納得するような取引の材料が」
まあこれも、推測に過ぎませんがと続け、ユリウスはジャムを載せて焼いたクッキーを美味しそうに咀嚼している。
この魔法使い兼錬金術師にとっては、メルフィーナ達を混乱に陥れたベロニカの来訪も、あくまで面白がるようなことらしい。
「まあ、何かしでかして領主邸やメルト村に被害が出るのは僕も避けたいところですし、今日からしばらく領主邸に留まりましょう。僕も我が身が可愛いので、怒れる閣下を宥める役目はお断りしますが、なにかが起きた時には力を貸しますよ、レディ」
それでも、マリアを除けばこの世界で最も強力な魔法使いのその言葉は、非常に心強いものだった。
* * *
話がひと段落して温かいお茶で一息ついていると、ノックの音が響く。オーギュストがドアを開けるとアンナと、二人の兵士が背筋を伸ばして立っていた。
「メルフィーナ様に、報告に参りました」
「どうぞ、中に入ってちょうだい」
アンナに労いの言葉を掛け、兵士たちはドアの傍に並んで立つと、ほとんど同時に深く頭を下げた。
「申し訳ありません! お客人を見失ってしまいました」
「いいのよ。元々深追いはしないようにと伝えておいたし。けれど一応、どういう状況だったか教えてもらえる?」
「はい……エンカー村行きの乗り合いの馬車に乗り、広場で降りたところまでは確かに確認しました」
「決して目を離さないよう、二人で注意しあっていて、どちらか片方は必ずお客人を視界に入れていたはずなのですが……ふと気が付くと、姿を見失っていて」
「他の者や何か、物音に気を取られていたのか?」
厳しい口調のセドリックに、兵士たちは顔色を悪くしながら、いいえ、とはっきりと答える。
「今の季節はさほど賑わいもありませんし、他の屋台と張り合って呼び込みに声を上げるような者もいません。確かに、見ていたはずなのです」
「私たちにも、いつからその姿が消えていたのか全く分からず……まるで一瞬、妖精の輪に迷い込んだような気さえします」
「お役目を頂いたのに、こんなことになってしまい、申し訳ありません」
兵士たちはどちらもひどく肩身が狭そうだ。ローランドのことだ、真面目に仕事をこなす兵士を選んだのだろうし、二人ともエンカー地方の出身で、この辺りの地理には慣れている。
その二人がそろって姿を見失ったというなら、きっとどうにもならないことだったのだろう。
「あの、報告に戻っては参りましたが、お客人がご心配ならこれから兵士を募って捜索に出ますが」
「いえ、それはいいわ。あの方もこの辺りには来たことがあると言っていたし、もともと一人でも北部に来ようとしていたくらい行動力のある方だもの。私が心配しすぎただけよ」
客を一人でふらふらさせるのを心配しての命令だったと思ったのだろう、そう言った兵士に、メルフィーナは笑いかける。
「寒い中、お疲れ様でした。ローランドには私から声を掛けておくから、一階で使用人に声を掛けてエールの樽を受け取ったら、今日は兵舎に戻って、休んでちょうだい」
「そんな、とても受け取ることなど……」
「急にお客様が増えて、兵士たちにはいつもより負担を増やしてしまっているもの。兵舎に行き渡るエールを、後で別に届けさせるわ」
大丈夫よ。そう繰り返せば、兵士たちは恐縮しながらも礼を執って、退出していった。
「なるほど、中々一筋縄ではいかない御仁のようですね」
ユリウスの言葉は、相変わらずのんびりしたものだ。
得体の知れないものに相対する緊張感は、どうやら彼には無縁の感情のようだった。




