484.夜のハーブティーと彼女の印象
・本日コミカライズ二話更新です。お話の下部からリンクを貼ってあります。
・重版分が発売開始されました。書店さん、各通販サイトさんも順次取り扱い再開されると思います。
夕飯を終えて入浴を済ませ、後はそれぞれの部屋に戻って休むだけという時間。いつもならば明かりが落とされるメルフィーナの部屋には、まだ魔石のランプが明るく輝いていた。
ソファにはマリアがクッションにもたれかかりぐったりとしていて、その隣でマリーが気遣う表情を浮かべているのは少々珍しい光景だ。
「うう、ちょっと胃にきた……。絶対美味しい夕飯だったのに、味全然わかんなかった」
「お疲れ様。カモミールティー飲む? 胃に優しくて、安眠効果もあるわ」
「もらうー。このままじゃ悪い夢を見そうだよ」
「マリーは?」
「いただきます」
何かあったらマリアが寝室を訪ねてくるのはお馴染みだけれど、マリーも先日の女子会のおかげで、薄着で女性だけで集まることに慣れたらしく、二人とも寝間着代わりのシュミーズ姿で力が抜けている様子だった。
お湯を出してポットを温め、一度そのお湯を消して茶葉を入れて、再びお湯を注ぐ。魔法がほどほどに自由に使えるようになってからというもの、QOLは上昇の一途を辿っているけれど、逆に言えば身の回りのことを少し便利にする程度に留まっているのが勿体なく感じることもある。
ともあれ、便利であるのはよいことだ。ドレスを脱いだ後にお茶が飲みたくなることがあっても、服を着直すのが億劫に感じられてやめることもなくなった。
カップにお茶を注ぎ、蜂蜜を垂らせば簡単なハニーカモミールティーの完成である。それぞれに渡し、メルフィーナも寛ぎ用のソファに腰を下ろす。
マリアはカップを包み込むようにしてちびちびと飲んでおり、猫舌のマリーは冷めるまで少し待っていた。
「はー、あったまる。優しい味がほっとするね」
「ハーブティーはリラックス出来ていいわよね。繁殖力も旺盛で育てやすいし、嬉しい効果もたくさんあるわ」
「紅茶も出てくるけど、結構ハーブティー飲むよね。元々この辺ではよく飲むの?」
その言葉に、マリーがいえ、と答える。
「こんなお茶の飲み方をするのは領主邸から広がって、エンカー地方くらいのものではないでしょうか。平民の飲み物は、おおむねエールですので」
「お茶って、綺麗な水を沸かさないと飲めないでしょう? お湯を沸かすには熱源が必要だし、平民が日常的に飲むのはちょっと手間がかかるのよね。エンカー地方は井戸が整備されているのと、火鉢で火を熾す習慣が根付いてくれたから、そのついでにお茶文化が広がりつつあるという感じかしら」
それでも、最初の年は大麦を煎って煮出した麦茶か、トウモロコシの収穫後に実と髭と少しの皮の部分を使って作ったトウモロコシ茶が主流だった。
今のようにハーブティーをよく飲むようになったのは、セレーネがエンカー地方にやってきたからというのが大きい。
エンカー地方に滞在し始めたばかりの頃のセレーネは衰弱していて、細く、小さく、儚げな少年だった。魔力中毒だけではなく重度の貧血と気管支にも問題を抱えていて、メルフィーナは随分と気を揉んだものだ。
魔力中毒の問題は体の成長を待つしかないけれど、貧血は食事と生活習慣の改善で、気管支系の問題は加湿と効果の見込める薬草や食品を組み合わせて利用することで対策を行っていた。
現在は様々な作物の品種改良の実験圃場として活用している菜園は、セレーネの主治医、サイモンとともに作った薬草園が元になっている。当時あそこで色々と育てたハーブは、お茶や精油の材料として領主邸に、そしてエンカー地方に広がっていった。
久しぶりにセレーネの名前を聞いたためか、あの時期の頃を懐かしく思い出してしまう。
あの頃はあの頃で大変なことも多かったけれど、背負っている責任はエンカー地方の数百人の領民の生活だけで、気楽な時期でもあったかもしれない。
「しばらく聖魔石の加工はやめておいたほうがいいわね。マリアに対して滅多なことはしないと思うけれど、念には念を入れた方がいいわ」
「うん、あるだけ加工してソアラソンヌに送ったばっかりだったし、むしろタイミングとしてはよかったのかも」
マリアの言葉に頷いて、メルフィーナもお茶を傾け、少し考える。
「結局、ベロニカのことはよく分からなかったわね」
何が目的なのか少しは探りたいと思ったけれど、ルドルフが同席している席であまり迂闊なことを尋ねるわけにもいかないし、何よりあちらのペースに呑まれてしまった形だ。マリアも同感のようで、うん、と小さく頷いた。
「なんか独特の迫力があるよね。ゲームでは頼れるお姉さんキャラって感じだったのに、今だと強いお姉様って感じだし」
マリーには、その言葉の細かいニュアンスは伝わらないらしく、かすかに首を傾けている。確かにゲームのベロニカは温和で優しく、マリアを諭し導き、手助けをしてくれる年上の女性という立ち位置だった。
「いっそ、ストレートに聞いてみたらだめかな? あなたは大神官ベロニカですよね、何しにエンカー地方に来たんですかって」
「少なくとも、それはアレクシスが到着して、こちらに何が起きても対処できる体勢を整えてからの方がいいわ。ベロニカの立場でマリアに滅多なことはしないとは思うけれど、もしも本当にプルイーナの出現に神殿が噛んでいたのだとしたら、それ以外の人には、何をするか分からないもの」
一体これまで、どれくらいの人がプルイーナとその眷属、サスーリカの犠牲になってきたのだろう。
その戦いを下支えした女性たちの犠牲も思えば、北部の支払ってきた犠牲者たちは恐ろしい数に及ぶはずだ。もしそれに神殿が関わっていたとすれば、北の一地域など丸ごと滅ぼすことに痛痒を感じるとも思えない。
住み慣れて気心の知れた人しかいないはずの領主邸に、いつ爆発するかしれない爆弾を抱えている気分だ。
かつて、四つ星の魔物に匹敵する災禍になりうる可能性があったユリウスを地下に安置していたことに慣れていなければ、今頃悲鳴のひとつでも上げたくなっていたかもしれない。
――我ながら、嫌な慣れね。
それに、勝手な身内の情であってもそんなトラブルにルドルフを巻き込みたくないという気持ちも強かった。
ルドルフは南部の大領主の跡継ぎである。万が一荒事が起きて累が及べば実家も黙ってはいないだろう。決定打に欠ける以上、今は相手の出方を見つつアレクシスの到着を待つのが最善のように思える。
「マリーは、彼女についてどう思う?」
「そうですね……。少なくとも今の時点ではなんとも言えないと思います」
マリーの返事は冷静でフラットなものだ、まだ神殿が本当にプルイーナ出現に関わっているか確定していない以上、先入観を挟まずに判断したらしい。
マリーらしいし、冷静でいてくれる人が傍にいたほうが心強くもある。その言葉に頷いて、マリアに視線を向けた。
「マリアは?」
「私は……今の印象だけでいうなら、ベロニカのこと、嫌いじゃないかも」
あ、もちろん今の時点ではね! と慌てて付け足す。
「得体の知れないところは勿論あるけど、落ち着いてるし、こっちに危害を加えようという感じはしないし、そんなに嫌う理由がないっていうか」
「そうね……分からないことは多いけれど、すぐに敵だと決めつけることは出来ないラインだわ」
今でも扱いには困るけれど、もっと分かりやすく敵意を向けられていたとしたら、自分はどう対処しただろうか。
地の利はこちらにあるとはいえ大神官を捕らえても、メルフィーナの手に余るのは目に見えている。貴人用の牢など城館内には存在しないし、兵力だって騎士数人と兵士五十人ほどだ。仕事の大半は村の見回りや喧嘩の仲裁、代金の未払いトラブルの相談を受けたりと、治安維持の側面が強く、軍隊というより警察に近い。
――私闘を禁じている神殿の最高責任者が、武力なんて振るうわけもない、とはもう言いきれない。
結局、ベロニカは何をしにここに現れたのか、それが分からないうちは、こちらから仕掛けるのは難しい。
「マリアの意見に、私も傾いてきたかも」
「え?」
「あれって、本当にベロニカなのかしら」
顔立ちや髪の色、瞳の特徴は間違いなくゲームに登場していた大神官ベロニカである。
だが雰囲気や言動には一致するところはほとんどない。
「うーん、たまたまベロニカに似た旅の未亡人、っていう可能性も……あるかも? あ、清らかな乙女とかいうのは、こっちでは誰でも知っている話だったりする?」
「そうね、子供に話して聞かせる定番の寝物語という感じかしら。私は記憶が戻るまでただのお話だと思っていたわ。国の始まりが神様や、神様から選ばれた人というのは別段珍しくないし」
「珍しくないんだ?」
「ええ、全然。日本だって始まりは天孫、天照大神の孫神から始まったとされているくらいだもの」
それにしても、アレクシスの先祖であるオルドランド家当主の遺した手記と、岩屋で見つかった白骨を傍証とした「マリアたち」は、一体どういう存在なのだろうと改めて思う。
「オルドランド家に残っていた手記によると、初代王妃は最終的に教会、神殿、王家が聖女の独占を計り始めた結果、当時の宰相の息子とともに国を出奔したらしいのよね。その宰相の領地で現在のフランチェスカ王国を興した際には、彼女の周りにいた貴族の男性たちも力を貸したというニュアンスだったわ。聖女が降臨してから、たった十年ほどで国を興したことになるわね」
一つの時代の変わる速度としては、異常なほどに速いと言うべきだろう。
「十年かあ……エンカー地方がこのまま発展したら、国になりそう?」
「どうかしら……国と言っても大小色々だし、私は他所と揉めるのは避けたいから、そんなつもりはないわ」
メルフィーナの目的はあくまで平穏無事な生活である。際限なく領地を増やし金貨を満たしたプールに飛び込みたいというような欲望は持っていない。
もっとも、領主の中には領土的野心を持つ者は珍しくもない。メルフィーナに過剰な欲望がないとはいえ、他人もそう思ってくれるかどうかは別問題であることも、分かっているつもりだ。
「考えすぎて頭が痛くなってきたわ。ひとまず、明日も無事に過ぎることを祈りましょう」
我ながら消極的であるとは思うけれど、今は軽率に動かないことを優先するしかない。歯を磨き、マリーは自室に戻るというのでドアの前で別れて、マリアとともにベッドに入る。
明かりを消すと、いつもはすぐに眠ってしまうマリアが、珍しくごそごそしていた。
「どうしたの? 眠れない?」
「うん……あのさ、メルフィーナ」
「ええ」
「弟君と会えてよかったね。弟君がメルフィーナの事大好きだって分かって、嬉しかった」
急に思わぬことを言われて、ぱちぱちと瞬きをしたあと、ふっと笑う。
今のマリアはどれだけ願っても、家族と会うことは出来ない。それなのに、メルフィーナが家族と再会したことを、そんな風に喜んでくれている。
「そうね……あの子、考えなしなところはあるけれど、本当にいい子なの、自慢の弟よ。でもね」
「うん?」
「マリアも優しい、自慢の妹だわ。今は状況が状況だけれど、ルドルフの滞在中に、素敵な妹が二人も出来たのよ、って、マリーと一緒に必ず紹介するわね」
セレーネと親しくしていたことに拗ねた様子を見せていたルドルフだけれど、メルフィーナが大切にするものが増えることを、嫌がるような弟ではない。
エドに忠告じみたことを言いつつ料理の提案は呑んだように、口ではなんと言っていても、喜んでくれているはずだ。昔から、そういう子だった。
「……うん」
はにかむように笑い、毛布に潜り込んだマリアの肩のあたりをぽんぽんと叩く。
この数年、時間が過ぎるほどに守りたいものばかりが増えていく。
どんな脅威が迫っていても、一つだって失うわけにはいかない。
改めてそう思わせられた。




