475.女子会とマイペースな画家
「シャルロッテ、そろそろ戻ってきてちょうだい」
結局、会の始まり以降ほぼ口を開くことのなかったお抱えの画家に声を掛ける。瞬きするのも忘れているような様子で一心不乱に画用紙に描き込みをしている集中力は大したものだけれど、太陽が傾き始めているので、そろそろ女子会もお開きだ。
「あ、メルフィーナ様」
はっとしたように顔を上げたシャルロッテの目は充血していて、気楽に楽しむはずの女子会だというのに少しもリラックスできた様子はない。それなのに目はギラギラと輝いていて、少し怖い。
「すみません、もう閉会なのですね! 片づけます!」
「ともかく、水を飲んでちょうだい」
差し出したカップに口を付けると、やはり喉が渇いていたのだろう、瞬く間に一杯を飲み干したのでカップに手のひらをかざし、新しく水を満たす。その間にあたりに散乱した画用紙を拾っていたマリーが素描に目を通して、ほう、とため息をついた。
「本当に素晴らしいですね。処分するのがもったいないです」
マリーに差し出された植物紙をめくり、その言葉に納得して頷く。
個人をそれぞれ描いたものも全体の風景を映し取ったものもあるけれど、髪をほどき、薄衣をまとった女性四人が楽し気に笑い、食事をつまみ、お酒を傾けている様子は神話をモチーフにした絵画の下絵と言われても特に疑う要素はない出来栄えだった。
ただ、そこに描かれているのがあまりに見覚えのある顔をしている女性たちであることを除けばだが。
「たしかに勿体ないけれど、ちゃんとした絵はまた別に描いてもらえばいいわ」
城館内では使い終わった植物紙を再び漉くための小規模な施設があり、そこで生活用の雑紙として漉き直される。しっかりと顔が描かれた薄着の絵など流出したら大問題になるので、今日の素描は細かくちぎってそちらに持ち込むことになる。
「写真じゃただの女子会の風景になりそうなのに、木炭で描くとすごく雰囲気出るね」
「セピア色の写真の方がなんとなく味があるように感じたりするものね」
「あ、それ中学の頃に流行ってたよ。わざと古い写真っぽく加工できるアプリで撮るんだけど、結構面白くて友達とか家族の写真も撮ったんだ。もうとっくに充電切れちゃって、見られなくなったけど」
何枚か印刷しておけばよかったなあと残念そうに言うマリアは、少し寂しそうだけれど口元には笑みが浮いている。
「ね、この絵、薄着なのが駄目なんだよね。服を描きこんでもらったら、一枚くらい残せないかな」
「それは構わないけれど……」
「第一回領主邸開催の女子会の記念に、一枚くらい残しておこうよ。ほら、すごくいい絵だし」
マリアがそう言ったのは、メルフィーナ、マリー、コーネリア、そしてマリアがゆったりと姿勢を崩し、表情を綻ばせている構図の絵だ。
背景は描かれておらず、淡い濃淡で光が差し込んでいるのを表現している。楽しい、良い時間だったことが絵を見るだけで伝わってくるような、温もりのあるものだった。
「そうね……ドレスを描きこんでもらえば、問題ないと思うわ」
「やった!」
嬉しそうに笑っているマリアを見れば、まあいいかという気持ちになる。後片付けを免除する代わりに服を描きこんでほしいと告げると、もう少し絵が描けるのがよほど嬉しいらしく、シャルロッテは快諾してくれた。
「今日は夕飯は入りそうもないわね」
「ずっと飲み食いしてたもんね。さすがに私もお腹ぱんぱん」
食器やグラス類は温室の建物部分についている厨房でメルフィーナとマリアが洗浄し、その間にマリーとコーネリアがテーブルクロスを払い、温室内を箒で掃き清める。楽しかったパーティが終わる直前の、少し寂しい雰囲気だった。
「二人は、女子会どうだった?」
「最初は戸惑っていましたが、なんというか、とても楽しかったです」
マリーがほんの少し、苦笑を漏らす。
「こんな服で人前に出るなんて初めてでしたし……でも、慣れるととても力が抜けて……普段とは全然違いますね」
「村の公衆浴場は、もうご婦人たちの社交場になっているそうよ。私たちが行くのは難しいかもしれないけれど、いずれ領主邸を建て替える日がきたら、サウナももう少し大きくしましょうか。サウナの温度を下げて、時々涼んで、冷たいお茶を飲んでまた温まって、のんびりお喋りをするの」
こちらでは入浴の際は同性や家族しかいなくとも、今着ているような薄いワンピースを入浴着として身につけるので、そう抵抗もないだろう。マリーとコーネリアも難色を示す様子はなかった。
「サウナ女子会ですか」
「それも楽しそうですね」
「そのうち、エンカー地方の冬の楽しみ方のひとつになるかもしれないわね」
笑い合いながらすっかり片付けを済ませた頃には、シャルロッテの素描の修正も済んでいた。メルフィーナはいつぞやの、レースを長く垂らしたドレスに身を包み、マリー、マリア、コーネリアはそれぞれふんわりとした春を思わせるラインのドレスに変更されている。
「あら、ふふ、わたしまでこんなに素敵にしていただいて」
「こういう可愛いデザインも似合いそうね」
まだ春が来るには時間があるし、いっそ色違いでお揃いのドレスを作ってもいいかもしれない。シャルロッテは満足そうだが、反面、大変疲れ切っているようでもあった。
結局数時間、彼女は素描し続けていたことになる。休日もなにもあったものじゃない。
「シャルロッテ、あなた全然食べても飲んでもいなかったけれど、大丈夫?」
シャルロッテはみんなで集まってわいわいとするよりも、一人で黙々と絵を描いていたほうが楽しいのではないだろうか。もしそうなら、無理に誘い続けるのも可哀想だ。
社交はやるべきときはやってもらう必要があるけれど、プライベートの集まりまで無理をさせることはない。シャルロッテが楽しめないなら、今後はこうした回に誘うのは控えようかと思っている。
だがそんな思いとは裏腹に、大量の植物紙を抱えたシャルロッテは満面の笑みを浮かべていた。
「はい! ものすごく、ものすごく楽しかったです! こんなに充実した時間が過ごせて、幸せな休日でした!」
「そう、それならよかったのだけれど……その素描は処分するわよ」
「全部頭に入ってますから、大丈夫です。ああ、本当に幸せな時間でした。是非次の女子会があったら、誘ってください。次も、その次も!」
屈託を抱えたような凄みのある美人だったシャルロッテも、随分変わったものだ。
今の生活が楽しくて仕方ないなら、それでいいのだろう。
「クレープ、甘いものとおかずになるものを籠に入れておいたから、アトリエに戻ったら食べてね。食事を抜いてはいけないわよ」
「はい!」
明るくいい返事をし、菜園の敷地内にあるアトリエに戻るシャルロッテと別れ、その日の女子会はおおむね楽しく終わりを告げた。
* * *
そこから長い時が流れ、北端の貴婦人、メルフィーナ・フォン・オルドランドの御用画家であった画聖・シャルロッテの手による花の園で寛ぐ四人の乙女が描かれた絵は、天上の四乙女と名付けられ、多くの人々に愛されることになった。
長い髪を遊ばせ薄衣に身を包んだ女性たちの肉感的な描写と、ヴェールを被り素顔を隠した秘密めいた女の園は、見た者を強く魅了し、虹を追う者を多く生み出した画聖・シャルロッテの晩年の代表作となった。
その美しくも幻想的な筆致により、モデルは実在の人物ではなく、シャルロッテの空想による理想の乙女であるという説と、彼女を重用したメルフィーナと彼女の周辺にいた侍女たちを描いたものではないかという説があるが、真実は明らかになっていない。
なお、天上の四乙女は、北部の公爵家が長く長く所蔵し続けたことも、今はまだ誰も知らない話である。




