473.恋愛事情と好みと悩み
女子会が始まって一時間ほど過ぎると、アルコールが回ってすっかり場は解けた空気になっていた。
「マリア、そろそろお酒は休んでお水を飲んだ方がいいわ」
「ん? うん。美味しいからつい飲んじゃうけど、そうだね」
言って、手のひらをかざし空のグラスに透明な水を生み出す。水面が泡立っているので、炭酸水なのだろう。それを見て、くすくすとおかしそうに笑っている。
「どうしたの?」
「ううん、なんか当たり前みたいに水を出しちゃうのが、今更ちょっとおかしくって。日本に帰ったら、しばらく水! って思ったら同じことしちゃいそうで」
「紙の本を読んでる時に、拡大しようとピンチしちゃったりすることあるものね」
「そうそう。あっちでは多分、魔法や魔術は使えないよね。そもそも魔物だっていないし」
「多分そうね。この世界はあちらの世界に似すぎていて不思議だと思うことも、似ているように見えて、本当は全然違うんじゃないかって思うこともあるわ」
ああでも、とメルフィーナもほんのりと回った酔いに任せて、笑う。
「もしかしたら、誰も使い方を知らないだけであちらの世界には潜性の魔力しかないと考えることも出来るかもしれないわ。それなら魔物は出ないでしょうし、その場合、マリアは帰っても魔法が使えるかもしれないわよ」
色々な魔法を使ってみせるマリアだけれど、思えばエンカー地方に来たばかりの頃は魔法の類は一切使うことが出来なかったし、今でも強すぎる魔力でごり押ししている一面がある。
なにしろ、最初の「鑑定」で情報量が多すぎて昏倒し、そのまま寝込んでしまったほどだ。慣れてから要領を掴んでそれ以外の魔法も使えるようになり、自然と制御できるようになったようだ。
「それだと便利だね。びっくり人間扱いされるだろうけど」
「あまり表立って力は使わない方がいいわ。もしマリアが特別ではなく、やり方さえ分かればあちらの人も「才能」次第で魔法が使えるようになったら、間違いなく文明がひっくり返るでしょうから」
マリアはぱちぱちと瞬きをしたあと、あー、と納得したように肩を落とす。
「漫画とかであるよね。特殊能力を身につけた人たちが政府のモルモットにとか、デスゲームしたりするのとか」
「こちらの世界では戦争が禁じられているし、魔法が人体に有毒ということもあるのでしょうけど、兵器のような使われ方はしていないけれど、潜性の魔力はそうではないものね。風の魔法が使えれば、石と鉄パイプが即席の銃に早変わりするわ」
そして、そういった使い方は知識階級だけでなく、一般人も少し頭が回る人なら容易に気が付くだろう。
治療魔法の普及により長い時間をかけて積み上げてきた医療技術は衰退する反面、人を助けるよりも、傷つけるほうがずっと容易い。
あらゆる産業と階級が一度崩れ、混ざり合い、組み直された時には元の形とはまるで違ったものになっているはずだ。
「帰れても、魔法は封印したほうがいいね。まあ、帰れるかも分からないんだけど」
あはは、と自虐的に笑うマリアにグラスを差し出すと、笑って炭酸水を出してくれた。
「戻れても、ハートのマリアはもうプレイできないかな。すっかり見る目が変わっちゃったし、攻略対象を見ても、全然違う! ってなりそうだし」
「私も、きっとそうなるわね」
「ね、ここだけの話さ、メルフィーナは誰推しだったの?」
話を変える意図もあったのだろう、マリアが少し体を乗り出して聞いてくる。
前世の自分にとってハートのマリアは攻略難易度の高さが魅力だったし、攻略対象はルートを解放するための選択肢のようなもので、恋愛の対象というものではなかったけれど、乙女ゲームらしく、攻略した対象が甘い言葉を使うことはあった。
『君ほどの人は二人とおらず、君でなければ私は一生、この言葉を口にすることはなかっただろう』
低く、耳と心の両方が重く痺れるような声で囁かれた言葉を思い出して、かあ、と頬が熱くなる。
ゲームのアレクシスは寡黙で、だがここぞというときには情熱的だった。
「……そうね、今と、好みは変わっていないと思うわ」
「ひゃあ」
思えば領主邸には女性も少なくないのに、恋の話をすることはほとんどなかった。惚気を聞かされたように、マリアは両手で口を塞ぎ、嬉しそうに笑っている。
「ね、ね。マリーさんは、好きな男性とかいないの?」
「そういう方はいませんね。そもそも、貴族家の使用人は恋愛や結婚が制限されていますので」
「えっ、じゃあ、みんな結婚しないの?」
「主人に勧められた異性や使用人同士で結婚をしたり、許しを得て婚約をする者もいます。隠れて恋愛をして、転職後に結婚することもありました」
思いもよらなかったようで、マリアはぽかんとしているけれど、こちらの世界では珍しいことではない。そもそも、生涯使用人として生きるのは執事や家政婦長、侍女や家庭教師、料理人といった高級使用人であり、若いメイドや侍従などはある程度行儀作法や仕事を覚えたら紹介状を貰って転職するのも普通のことだ。
「あの、公爵家に家政婦長とか執事とかいたけど、あの人たちは?」
「家政婦長は未婚です。執事のルーファスには奥様がいますね」
「侍女や家政婦長は、未婚であることが女主人への忠誠の証しとして評価されるのよね。恋愛も結婚もせず、主人に一心に仕え続けたことになるから」
使用人同士の恋愛から風紀が乱れないようにという意図もあるし、政略結婚の夫に仕え、子を産み、生涯貞操を守らなければならない貴族の夫人が支配する家でそうした風潮が強くなるのも、人の心としては仕方のないものなのだろう。
「領主邸ではそういう縛りはないから、節度を持ってもらえるなら自由に恋愛しても大丈夫よ」
「仕事が楽しくてその機会があるとは思いにくいですが、いい出会いがあれば」
「あ、恋愛自体は嫌じゃないんだ。じゃあ、どんな人が好みだったりする?」
マリーは考えたこともないようで、マリアの質問に頬に手を当てて、少し考えるような素振りだった。
「そうですね。……誠実であるのが第一で、あとは素直で、分かりやすい人がいいです。あまり優秀な方より、ちょっとした失敗をしてしまうような人の方が、支え甲斐もありますし」
「マリーさんは支えたいタイプかー」
「あとは、素朴で少しお人好しな人がいいですね」
「年下とかは?」
「年齢は上でも下でも、抵抗はありません」
マリアは嬉しそうに笑っていて、メルフィーナも思わず口元が綻びる。
実現しないと分かっていても、あの騎士は素敵ね、あちらの伯爵令息は麗しいわと、王都の若い令嬢たちも恋の話で盛り上がることは多かった。
乙女にとって恋の話はお菓子と同じくらい、甘いものだ。
「じゃあ、ねえ、コーネリアは?」
ちょうど薄切りのパンにチーズと香草を載せたものを口に入れていたコーネリアは水を向けられて、急いで咀嚼し、飲み込んでいる。マリアが差し出したワインを炭酸水で割ったもので口を潤して、小さく喉を鳴らす。
「わたしは、恋愛とか結婚は考えたことがないですね」
「え、そうなの?」
「はい。婚約者がいたこともありますが、叔父が決めた相手ですし、領地が遠いので会ったのも片手の数ほどでしたし。こちらの領に婿入りすることになっていたので、特に手紙や贈り物などもありませんでしたし」
「ええと、婿入りだと、手紙も送らないものなの」
「そうですね。お手紙も羊皮紙やインクは高価な物ですし、配達してもらうのも心づけが高いので、あまり一般的ではありません」
「そんなものなんだ……」
「それに、その婚約は破棄になりましたし、神殿に入ってからは生涯未婚は確定したので、そういうものだとばかり思っていました」
マリアは不思議そうにしているけれど、誠実な男性ならば季節の変わり目ごとに手紙くらいは送るだろう。貴族ならばなおのこと、そうした振る舞いは礼節の一種ですらある。
「そのう、言いたくなかったら言わなくていいんだけどさ、スヴェンとはいい雰囲気だったじゃない?」
「そう、見えましたか?」
「うん、釣りの時もいい雰囲気だったし、結構二人で出かけていたみたいだから、てっきりそうなのかなあって思っていたんだけど」
「……そうなんですね。わたしは、人からそういう風に見えるって、思っていなくて」
言いながら、次第に萎れていくように声が小さくなっていく。
最近、時折見せていた消沈する表情に、マリアがぐい、と身を寄せた。
「あのさ、悩みがあるなら相談に乗るよ。こういうの、女の子同士なら言いやすいでしょ?」
「マリア様」
「コーネリア、これまで色々、私に教えてくれたでしょ? たまには私が、コーネリアの話を聞くよ!」
力強いマリアの言葉に、コーネリアは口を開いて何かを言いかけ、迷うように目を泳がせて……。
それから、こくりと、頷いた。




