470.女子会の提案と贅沢な時間
「女子会をしない?」
そうマリアから提案があったのは、久しぶりにマリアがメルフィーナの部屋に泊りに来た夜のことだった。
どちらも日中はほとんど一人で行動することがないので、密談出来るのはこんな時くらいのものだ。とはいえ話す内容は他愛もなく、日本で流行っていたファッションをどれくらい再現できるかとか、海の食材が恋しいとか、やはりお米を手に入れられないだろうかとか、雑談ばかりである。
メルフィーナも記憶から米を恋しく思うことはあるものの、十九年パンを主食に生きてきたので切実というほどではない。けれどこちらにきて丸一年も過ぎていないマリアは、時々無性にご飯が食べたくなるらしい。
「今もしているじゃない。二人だけれど」
「そうじゃなくて、もうちょっと人数を増やしてってこと」
今夜もそうした話でもしたいのだろうと思ったけれど、珍しくきりりとした表情で、マリアは言う。
「ていうか、コーネリアに女子だけで話を聞く機会を作ったほうがいいんじゃないかなって思ってさ。コーネリアってほら、ちょっと領主邸では特殊な存在じゃない」
「まあ、そうね……」
コーネリアは食いしん坊の食客のような扱いではあるものの、元伯爵家の令嬢であり、さらに元神官で、現在は家庭教師としてメルフィーナに雇われている高級使用人という扱いである。
教養もあり、食事の時以外は立ち振る舞いも貴族として育った優雅さがある。領主邸のメイドたちは平均年齢が低めということもあり、他の使用人たちと一線を画しているのは明らかだ。
マリアに丁寧にこの世界のことを教え、時に窘め、メルフィーナにも魔法やこの世界の習俗についてアドバイスをくれる。性格は善良だが控えめすぎるということもなく、領主邸への滞在は偶然によるものが大きかったけれど、今は無くてはならない人だ。
だが、そうした彼女ではあるけれど、領主邸内に個人的な相談が出来る相手がいるかというと、難しい問題だ。
立場としては同じ高級使用人であるマリーが最も近いのだろうけれど、今のマリーは名実ともに公爵令嬢の身分であり、メルフィーナの義理の妹でもある。元々マリーがあまり他人に踏み込まない性格であるということもあり、お互いに礼儀を払って接する距離感というところだ。
メルフィーナやマリアには心を許していると思うものの、その傍には常にセドリックやオーギュストが控えている。中々踏み込んだ話題をするような空気ではないし、ユリウスやレナとも仲良くやってはいるけれど、あの二人が繊細な相談に向いているとはメルフィーナも到底思えない。
「コーネリアが言いたくないならそっとしておいたほうがいいとは思うんだけどさ。ちょっと元気がないだけだし、私たちが勝手に心配しているだけだし」
マリアは渋い表情で、ふう、と息を吐く。
「でもこのままだと、ほら、セドリックとかオーギュストが、勝手に何か聞きそうで」
「そうね……」
セドリックは特にその傾向が強いけれど、主を煩わせるものを先回りして排除しようとするきらいがある。以前のように乱暴な手段を取ることはないとは思うものの、コーネリアに苦言を呈するくらいのことはしかねないというマリアの心配も、取り越し苦労とは言い難いだろう。
「女子だけならコーネリアも少しは気が楽なんじゃないかな。美味しいお菓子とお茶を用意して、楽な服を着てわいわい話してるうちに気が緩んで何に悩んでるのか話す気になってくれるかも。無理に聞き出さなくても、気が晴れるなら、それはそれでいいと思うし」
私、ハニトーって食べたことないし、と続けるマリアに、クスクスと笑う。
「私も食べたことないわ、ハニトー。食パンを丸ごと使って作るのだったかしら」
「私もテレビで見たことあるだけだけど、なんか上に花とかアイスとか載ってるんだよね。あとハニーっていうくらいだから、蜂蜜が掛かってるんじゃないかな」
「どっちも曖昧な知識しかないんじゃ、正解が分からないわね」
「いいよ。ああいうのはドーンとそこに置かれて景気づけになればいいんだから」
マリアが拳を握って力説するのに、頬に手を当てて、首を傾げる。
コーネリアはエドと並んで領主邸のムードメーカーなので、彼女が元気がないと、まず食事を作るエドが精彩を欠いて、それにつられたようにアンナが、アンナの同僚のメイドたちが、そしてメルフィーナやマリアも、心配になってしまう。
悩みがあるなら解決の手助けをしたいとメルフィーナも思うし、何より冬の時期は時間が取りやすい。
気晴らしになるならマリアの提案に乗ってもいいだろう。
「じゃあ、温室でやりましょうか、女子会。ハニトーとお菓子と、ちょっとお酒も用意して、緩くて楽なワンピースを着て、まったりだらだら話しをしましょう」
「そうこなくっちゃだよ!」
マリアは満面の笑みを浮かべ、身を乗り出す。
彼女自身も最近は聖魔石作りばかりだったので、いい気晴らしになるだろう。
「マリアも少し飲んでみる? こちらの世界では成人している年齢だし」
「あー、じゃあ、まあ、ちょっとだけ」
「私も量が飲めるわけではないから、味見程度にしておきましょうか」
アルコールは適量なら、楽しい気持ちにさせ、心の壁を薄く、低くしてくれる。
いつもニコニコとしていてそんなものを感じさせないコーネリアだけれど、彼女は見た目の言動や性格とは裏腹に、大変思慮深く、また忍耐強い人だ。
女性だけで、美味しいものを並べて、楽な服で、少しお酒も入れて楽しくお喋りでもしていれば、きっといい気分転換になるだろう。
* * *
テーブルクロスは白か、その家の紋章に合わせた色にすることが多いけれど、今日は鮮やかな緋色の布をテーブルに掛ける。
それだけでいつもの温室がやけに華やかに感じるけれど、そのテーブルの上に並べられた食器も陶器かガラス製品だけで、かなり贅沢な雰囲気だ。香油を混ぜた小さな蝋燭に火をつけて、いい香りが漂っている。
領主邸で日常的に顔を合わせるメンバーばかりということもあるので、少し非日常感を出すために会場になる温室は少し飾り付けることになった。寛ぐためのソファには領主邸からクッションを多く持ち込んで、床に元々敷いてある絨毯の上に厚手の毛織物の敷物を更に重ねている。
「メルフィーナ、ホットプレート、ここでいい?」
「ええ、ソファに座ってやるより、立って使う方が扱いやすいから。そろそろ生地を作っておきましょうか」
「あの、メルフィーナ様、これでいいのでしょうか……」
マリアと準備を進めていると、おずおずと、着替えを済ませたマリーが温室に入ってくる。いつも濃紺のワンピースを隙なく身に着けてしゃんと背を伸ばしているのとは打って変わって、今日は白いゆったりとしたワンピースに、髪も解いている。足元は楽な布の室内履きで、本当に親しい相手にしか見せないような、無防備な格好だ。
この三年、ずっと傍にいたメルフィーナの目から見ても、こんなマリーはかなり新鮮だった。そう言うメルフィーナもとっくに同じような姿になっている。
「ええ、完璧よ。ほら、座ってマリー」
「寝室にいるような姿で、なんだか落ち着きません」
「今日は農場自体が男子禁制だし、他には誰も見ていないわ」
恥じらう様子を見せるマリーを安心させるため、肩に軽く手を添えてソファに座らせる。コーネリアと、植物紙を両手に抱えたシャルロッテもすぐに温室にやってきた。
「すみませんメルフィーナ様、マリア様。お二人に準備させてしまって」
「いいのよ。今日は無礼講……身分の上下なく好きなことをしてお喋りして過ごす会だもの。女子会ってそういうものよ」
「女子会って、素晴らしいですね」
シャルロッテは典雅な美女が浮かべるには少々残念な満面の笑みを浮かべながら、頬を紅潮させ、興奮気味に言った。
「こんな薄衣姿でお茶を飲んでいるメルフィーナ様の素描が出来るなんて、本当に幸せです!」
「えーと、そういう絵、残しても大丈夫なんだっけ」
「まあ、こちらでは肖像画以外の絵は正式にモデルをしたという扱いは受けないから」
当人を示すための肖像画は別として、それ以外の絵は寓話的なモチーフや歴史上の著名な人物、英雄などを想像で描いたものが多い。裸婦画もないではないけれど、それらは娼婦や平民の美しい女性に対価を払ってモデルを務めてもらうことになる。
そこから画家の理想を反映した絵を制作することになり、モデルの名が後世に残ることは稀だ。
「でも素描だけよシャルロッテ。表に出さないでちょうだい」
「勿論です!」
女子会は気楽に好きなことをしていいのだと示すためにシャルロッテも誘ったものの、すでにかなり自由に振る舞っている。画板に一心に木炭を走らせているシャルロッテは置いておいて、マリアがそろそろ温まったよ、と声を掛ける。
運び込んだ魔石のコンロには大きなフライパンが二つ並べられている。熱されたフライパンを一度濡れ布巾に押し付けて、じゅうっと音が立てばすぐにコンロに戻す。
「今日は、何を作られるんですか?」
「クレープを沢山作って、好きな具を巻いていこうと思って。甘いものだけではなく、チーズや生ハムも用意したから、色々味を変えて楽しみましょう」
生クリームやカスタード、キャラメルにジャム類だけでなく、領主邸の地下から熟成度の違うチーズを数種類。生ハムの他にもベーコンやフランクフルト、川で捕れたマスを燻製したものに、冬に収穫できる野菜類、オイル漬けのトマトやバジル、ローストしたクルミなども用意した。
マリアに生地を焼いてもらっている間に、メルフィーナは飲み物を用意する。
用意したのはエールとウイスキー、赤と白のワインに、ジンジャーシロップと炭酸水。酸味料としてヴェルジュも揃えてある。
温室の中はとても暖かいので、食前酒代わりに最初の一杯は白ワインを炭酸水で割ったスプリツァーを用意する。自分とマリアの分は、少しだけシロップを足した。
「メルフィーナ様、私もお手伝いを」
「今日の主催は私とマリアだから、三人は座ってお喋りでもしていてちょうだい」
そういうわけにはいかないと顔に書いてあるマリーは、非日常を楽しむということに慣れていない様子だった。
だからこそ、それが当たり前だというように堂々と告げることにする。
「今日は女子会よ。そういう趣向なの」




