47.馬車の迎えと薄い麦粥
今日はもう一回更新したいです
ダガル村は年寄りから子供までを合わせて、五十人ほどの小さな村だった。
畑を耕し麦を税として納め、大麦をエールの醸造所に売ることで僅かな現金を得ている。村の食料は畑で作っている芋といくらかの野菜、時々出る獣を狩ることで賄っていた、典型的な地方の農村である。
芋が枯死して以降、食糧難に陥った村を出て行った者が盗賊になり、隣の領の領主の館に押し入った。その罪の連座として、出身の村の人間は農奴とされると通告があった時には、すでに一部の老人や幼い子供といった体力のない者を見送った後だった。
残された働き手も食料が足りず、ひどく痩せてしまい、健康的な者は一人も残っていない。
ただでさえ日々の食事に事欠き野草を齧り飢えをしのいでいる中で、その通告は絶望的なものだった。
翌日、隣領から迎えが来る。今身に着けている衣類以外の財産を持ち出すことはまかりならんとダンテス伯爵の騎士たちに言われ、刑の執行を待つ気分で夜を過ごした。
犯罪奴隷とされなかっただけで温情なのだろう。だが、農奴としてもろくな扱いを受けないことは目に見えている。
隣の領まで何日も歩いて移動させられ、その間に半数は死ぬだろう。
ダガル村の村長は、いっそ生き残っている子供と年寄りは、連れていかれる前に自決したほうがいたずらに苦しむことはないかもしれないとすら考えていた。
見張りの兵士たちはそれを警戒するように、鋭く村民を監視している。
まるで引き渡す人数が減るのを恐れているかのようだ。
翌朝、街道と呼ぶには頼りない細く小さな道に、荷馬車が列をなして向かってきた。幌のないタイプで、引いているのはロバだ。
先頭の馬車からひらりと降りたのは、光の加減では銀に見えるほど淡い金の髪を編み上げて結んでいる女性だった。騎士のような制服を身に着けているが、貴族の令嬢らしい整った美しさである。
「まず、全員食事をするように。馬車での移動は丸二日かかります。その間に出来るだけ水分を摂るようにしてください。朝食は粥ですが、それぞれの体調を見て馬車を振り分け、食事の内容を変えていきます」
そう告げている間にも、荷馬車に乗っていた男たちが次々と下りてくる。その手には大鍋が抱えられており、手際よく焚火台を作っていった。
予想外の事態に驚いたのは村人だけではなかったようで、監視の兵士が戸惑った様子で指示を出している女に声を掛けた。
「あの、あなた方はエンカー村から罪人の引き取りに来た方々ですよね?」
「ええ、領主秘書のマリーです。今回は執行官代行も拝命しています」
夜間に村民が逃げ出さないよう監視していた兵士に、銀髪の女性は羊皮紙の書状を手渡す。その間に汲んだ水が沸き始め、周囲には甘くまろやかな香りが立ち込め始めていた。
「引き取るのは農奴という話でしたが、あの荷馬車は……農奴の財産の持ち出しは禁じられておりますよ」
「荷馬車は彼らを乗せるために持ってきたものです。勿論、彼らは身一つで連れて行かせていただきます」
「農奴に馬車ですか……」
「すべて領主様の意向です、何か問題が?」
「いえ、失礼しました」
それならば、命令されていた話と何一つ矛盾しない。罪人の連座とはいえ、村人たちが粗略に扱われないというなら、それは喜ぶべきことだ。
「よろしければ皆さんも朝食を一緒にいかがですか? 領主様の命で、一食目は薄い粥ですので、物足りないとは思いますが」
兵士たちは誰ともなしに、ごくりと生唾を飲む。
領主に雇われている騎士や兵士には、所属している兵舎で食事が出る。白いパンが食べられることは滅多にないが、黒パンと肉の入ったスープ、果実や薄いエール等が、少なくとも空腹に困ることはない程度には支給されていた。
だが、ジャガイモが壊滅に近い状態の今、そのほかの作物も奪い合いの状態が続いており、食料は全体的に高騰している。パンはスカスカとしたものになり、エールはさらに薄くなり、スープに入る肉も野菜も量が減った。
有事の際以外でも兵力を維持するため、厳しい訓練が課せられている兵士にとっては非常に辛い状況である。
兵士がよそで食事を摂ってはいけないという決まりはない。だが今は、任務の遂行中だ。
しかし夜を徹して見張りを務め、これから兵舎に戻り上官に報告しているうちに食堂の朝食の時間は過ぎてしまうかもしれない。
夜勤の場合、報告を終えればその日は休みがもらえるけれど、ただでさえ粗末な食事が続いているのに空きっ腹を抱えて寝床に潜り込むのは、いかにも侘しい。
「もしよろしければ、我々にもいただけますか」
「はい、食事と言うより温まる飲み物でも振る舞われたくらいの気持ちで、参加してください」
美人に微笑まれると、それだけで気分が良くなるものだ。料理を作っているのは開拓民らしい屈強な男たちであるが、この美しい女性がよそってくれないかなどと思ってしまう。
「みなさん、熱いので口の中を火傷しないよう、気を付けてくださいね。領主様の口癖ですが、空腹時に急に食べるのは非常によくないことだそうです。ゆっくり、ゆっくり食べてください」
出された大麦の粥は、なるほど非常に薄く、ぐいぐいと飲めてしまえるほどだった。塩は少し強めに効いていて、一緒に出されたお茶が進む。
「そんなに美味いもんでもないが、あったまるな」
「ああ、胃に染みる」
冷えた体にじんわりと熱が戻って来る感じは中々悪くない。薄い粥でも勧められるままに二杯、三杯と貰っていると、次第に腹も膨れてくる。
ふと、兵士は壊滅した村の住人たちに視線を向ける。誰も彼も慌てて飲み干そうとしては、ゆっくりだ! ゆっくりですよ! と声を掛けられて、ちびちびと舐めるように器の中身を干していた。
「――俺のじいさんに聞いた話なんだが、じいさんは傭兵でな、その頃はまだ教会や神殿が今ほど幅を利かせていなかったから、時々領地同士の戦争があったんだと。そこで籠城戦が起きて、じいさんは攻城側に雇われていたらしい。都市で下層民の大半が餓死したあたりで降伏した時な、その時の雇い主が温情で、非戦闘民に飯を振る舞ったんだそうだ」
「随分お優しい雇い主だな」
「ああ、だが、飯を貰った都市の生き残りが、食いながらバタバタ死んでいったんだと。呪いのように恐ろしい光景だったって、じいさんは言ってたよ」
「そりゃあ……弱っていたところに気が抜けて、ってことか?」
「じいさんもそう言っていたが、原因は結局分からずじまいだったそうだ」
手元の木製のカップを見下ろす。
薄い薄い粥だ。どんなに粗末な食事に見えても、農奴に食事を用意しただけで慈悲深い領主と言えるだろう。
――これが、農奴への食糧をケチったわけではなく、すでに極限状態だろう村人たちに、生き延びてほしいという願いだったとしたら。
食事を終えた後は片づけを手伝わせることもせず、しばらく休んでいるように告げて、迎えの女とその従者たちはきびきびと後片付けを終えた。
「では、彼らの身柄は引き受けます。お勤めご苦労さまでした」
「そちらも、どうか道行きをお気をつけて」
淡い金髪の女はにこりと笑い、農奴たちが全員荷馬車に乗ったのを確認して、自分も同じ馬車に乗り込んでいく。
ぞろぞろと隣領に向かって進む馬車の行列を眺めて、兵士はため息をついた。
税に手を付け、盗賊に身を落とした愚かな村人たちと、その家族。誰がどう想像しても、これから奴隷よりも過酷に使い潰される未来しか想像することはできない。
けれど、あの薄い粥を用意した領主の元でなら、あるいはそれ以外の運命が彼らを待っているかもしれない。
何の根拠もないけれど、兵士はそう思いながら、朝日の眩しさに目を細めるのだった。




