表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

466/575

466.肖像画の納品

 団欒室に入ると、緊張した面持ちのシャルロッテがメルフィーナを見てぱっ、と表情を華やがせ、すぐにはっとしたようにおすましの顔を作り、すっとややぎこちない、だが丁寧な淑女の礼を執る。


「シャルロッテ、お疲れ様です。よく来てくれました」

「本日はこのような場を設けて頂き、ありがとうございます、メルフィーナ様」

「楽にしてちょうだい」

「ご厚情、ありがとうございます」


 一通り、貴人と職人のやり取りをした後、ふふっ、とお互い同時に笑った。


 今日のシャルロッテは、彼女に合わせたシンプルな、だが質のいい布で作られたドレスを身に着けている。ドレープの掛かった長い袖には毛皮があしらわれ、腰は細さを強調するように絞り込んで、胸は下着で補正して丸く盛り上げられ、肉感的だが品のある流行のスタイルだった。


 髪を結い、宝玉のついたピンを挿し、うっすらとだが化粧も施している。元々目が覚めるような、というのがぴったりくるほどの整った顔立ちをしているシャルロッテだが、そうして着飾ると彼女自身がひとつの芸術のようだった。


 今日は絵の納品だけなので、メルフィーナが居ればそれで済むのだが、石以外のものが見たくなったというマリアも同席を願い、すでに団欒室でお茶を傾けていた。


「本当にお疲れ様。そのドレス、よく似合っているわ」

「まだ少し慣れません。腕を大きく振ると、この辺りを破いてしまいそうで」

「淑女は腕を振りかぶらないのよ。領主邸の中ではどんな恰好をしていてもいいけれど、人前に出る時のために今から慣れておいたほうがいいわ」

「はい……」

「頑張って。あなたは「公爵夫人のお抱え画家」なのだから」

「! はい!」


 分かりやすく頬を赤らめるシャルロッテに微笑んで、団欒室に設置してある絵に足を向ける。まだ布が掛けられている、お披露目前の状態だ。


 今日は、シャルロッテから是非にと言われてモデルをした、メルフィーナの肖像画の納品の日である。三日ほどモデルを務め、おびただしい量のスケッチを描いていたけれど、それ以後はシャルロッテがアトリエに籠っていたのでメルフィーナもどのような絵になったのかは今日初めて知ることになる。


 毎日食事を運んではたまには外に出たほうがいいとせっついていたアンナによれば、まるでメルフィーナの魂が抜かれたように思えて怖かった、ということだ。


 シャルロッテは背中をしゃんと伸ばし、小さくんっ、と喉を鳴らす。


「すみません、なんだか声が上手く出なくて」

「こもりきりで人と話さずにいると、そうなるわ。納品が済んだらたまには私とおしゃべりしましょう」

「ぜひ! あ、ええと、光栄です、メルフィーナ様。それでは、絵をご笑覧ください」


 そう言って、シャルロッテが絵の傍に立ち、しずしずとした手つきで布を払う。

 絵が露わになった瞬間、その場にいた全員が、息を呑む音が響いた。


 絵の中のメルフィーナは椅子に座り、腰のあたりまでが描かれた、肖像画としては非常にスタンダードな構図だった。金の髪がゆったりと波を打って流れ、慎ましく微笑みを浮かべている。膝の上には革張りの本、テーブルの上には林檎とイチジクを盛った籠が置かれ、いつもよりやや豪華なドレスの肩から狐の毛皮を掛けている。


 瞳は鮮やかな緑。首から肩のラインはすっと通っていて、鎖骨がくっきりと浮き出している。背景は領主邸内にあるハーブ園の秋で、色とりどりの花が風に揺れている。


 装飾品が少ないのと、髪を結っていないこと、背景が自然物ということで、ぱっと見て公爵夫人の肖像画だと分かる者は少ないだろう。


 だが、その絵は見たものを引き込むような……それこそ、絵の中の人物の魂が吸い取られた結果、この絵が完成したのではないかと思わせるような力があった。


 息遣いも伝わってくるような肉感的な雰囲気と、圧倒される描写力。そんな完成度の高さがありながら穏やかな微笑みは包容力や母性といった女性らしい寛容さを感じさせ、近寄りがたさは感じない。


 侯爵令嬢として、メルフィーナも教養の一環として多くの芸術に触れてきた身である。それでも、こんな絵を見たことはなかった。


 シャルロッテの才能はやはり本物だと確信する。


「すごいわね……」

「ええ、なんとも、ずっと見ていられるような、ずっと見ているのが恐ろしいような、そんな絵です。少年の頃に家にこれが掛かっていたら、虹を追いかけていたかもしれません」


 虹を追いかけるというのは、高く決して届かない理想に向かって走り続けること、転じて、成就が不可能な相手に恋をすることの、貴族的な言い回しだ。


 普段は騎士として実直な態度を貫いているセドリックにしては、珍しい言葉だが、言わんとすることは、なんとなくわかる。


 柔らかな笑みを浮かべている画板の中のメルフィーナは、鏡で見る自分とはまた違っていた。


「なんだか、実物より大分美人じゃないかしら?」

「そんなことはありません! 私ったら、メルフィーナ様の美しさをもっと表現できないものかと足掻いてばかりで……」


 これだけの絵を描いてもまだ満足できないらしい。シャルロッテが熱のこもった声で言う。


「この絵は本当に素晴らしいですが、メルフィーナ様の美しさはまた別格だと思います」


 マリーの言葉に、その隣で鹿爪らしくセドリックも頷いている。マリアはこうした絵が珍しいのか、まじまじと絵を見つめてははぁー、とため息をついた。


「絵なのは判るのに、どうしてこんな絵が描けるの? ってじっと見ちゃうね。本当に綺麗な絵だと思う」


 マリアの素直で素朴な称賛は、メルフィーナや他の高い身分の者に褒められるのとはまた違う感慨を与えるらしく、シャルロッテは頬をほんのりと赤らめた。


「とにかく、素晴らしい出来だわ。シャルロッテ、ありがとう」

「こちらこそありがとうございます! 描いているうちにどんどんこんな絵が描きたい、あんな絵も描きたいって湧いてきて、頭がかーっとなっていました」


 すでに、次のラフにかかっているのだと言い、意欲も満点のようだ。元々非常に美しい容姿のシャルロッテだけれど、やはり好きなことに夢中になっている時が、一番魅力的だった。


「次は、公爵家の家族の肖像をお願いしたいの。次に夫が来た時にスケッチをしてもらうから、そのつもりでいてくれる?」

「勿論です!」

「じゃあ、お茶でもしながら、制作中のことについて、少しお話を聞かせてちょうだい。サロンでオークションをすることもあるでしょうから、今から色々と聞かれることに慣れておいたほうがいいわ」

「は、はい、がんばります!」


 絵には熱意を込めていても、社交が得意なタイプとは思えない。若く美しい女性なので、妙な嫉妬を買ったり、金満な商人や貴族に秋波を送られることもあるだろう。


 メルフィーナのお抱えの画家に滅多な真似をする者も少ないだろうけれど、平民に対する貴族の態度は度が外れたものであることも多い。今からそうしたあしらいについても慣れておいた方がいい。


 絵について、出身地について、ドレスの流行について、教養について――どんな質問があり、どう受け答えしていくかも、職人として身を立てていく者の大事な仕事のひとつだ。


 ――本当は、好きに籠って描いていて欲しい気持ちもあるけれど。


 一生メルフィーナが囲い込んで好きなことだけやらせていくのは容易い。


 だが、女性でありながら職人として生きていくには、それでは足りない。実力と社交で周囲を納得させなければ、ただの「高貴な身分の女性の気まぐれで囲われた画家」で終わってしまう。


 彼女は、この後に続く多くの才能を持つ女性の、先駆けだ。酷なことではあると思うけれど、一流の職人たる人であってほしい。


「メルフィーナ様とお茶が出来るなんて嬉しいです。あ、素描しながらでもいいでしょうか?」

「駄目に決まっているわよね?」

「は、はいっ」


 本人は、そんな気負いとは縁遠く、しゅんとしながらメルフィーナに窘められたことにしょぼんとしている。


 ――きっと、これくらいがいいのだわ。


 新しいお茶を用意してもらいながらも照れくさそうに笑っているシャルロッテは、出会った頃のような思いつめた様子はなく、雰囲気も柔らかい。


 一生領主として生きるつもりのメルフィーナも、公爵令嬢としての身分を持ちながら働いているマリーも、ある意味今後の女性の生き方のモデルケースになることもあるはずだけれど、日常はそんな気負いとは関係なく過ぎている。


 シャルロッテもまた、職人として長い道を歩み始めたのだ。

 メルフィーナと目が合うと、じいっと食い入るように見つめてくる。一瞬も、ひと呼吸も見逃したくないというような、強い視線だ。

 少し気おされるものの、シャルロッテは、この生き方に不満はなさそうだ。


 そう、これくらいがちょうどいいのだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書籍版

i1016378



コミカライズ

i1016394


捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです@COMIC【連載中】

i924606



i1016419
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ