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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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463.ある騎士の述懐・前

 人生は、無造作に転がっている石を積み上げるようなものだ。


 高く積み上がれば一見意味があるように見えて来るけれど、その石は城になるわけでも、橋になるわけでもない。役に立たない、ただの積まれた石。どこかでバランスが崩れればあっけなく崩壊し、石くれの山を前にしばし呆然としたあと、また一から積み始める。


 石を積むことを止めるのは、許されない。どれだけ息が詰まろうとも、積み上がっていく石を前に恐れを抱いても、平然とした振る舞いで、冷静なふりをして、それを続ける以外の選択肢はない。


 ハインリッヒ・フォン・ヘルマンにとって、生きるということは、その繰り返しだった。


     * * *



 朝起きて、身支度を整え火鉢の燃え残りの炭に灰を被せ、与えられた家を出る。


 北部の冬、とりわけ朝の空気は冷たくて、鼻が痛くなるほどだ。口で呼吸をしながら歩いていると、靴の下でざくざくと霜が潰れる音が響いていた。


 こんなに寒い中でも、すでに集落の人々は起き出していて、畑に出ている者もちらほらといる。隣家に住む年老いた男がこちらに気づき、ぺこりと頭を下げた。


「あれ、騎士様。おはようございます」

「騎士様、おはよー!」


 その隣で気さくに手を上げたのは、まだ幼い集落の娘のリィだ。リィは物怖じしない性格で、背中にはこの夏に生まれた弟を背負っていた。


「おはよう。何か手伝うことはないか?」

「体調はもう大丈夫なんですか?」

「ああ、大分いい。タダ飯食らいは肩身が狭いからな、何か手伝わせてくれ」

「じゃあ、私と豆を取って莢剥きしよ! お昼のスープにするんだよ」

「では、リナを手伝っていただけますかな?」


 好々爺とした老人がリィの頭を撫でる。リィはえへへ、と嬉しそうに笑っていた。


「ああ、任せてくれ」

「騎士様! じゃあこっち!」


 リィに手を引かれて豆畑に向かう中も、白い息を吐きながら畑の世話をしている集落の住民と挨拶を交わし合う。


「こっちの畑はもう大体収穫できるから、この籠に一杯摘んでね。これくらい大きくなってる豆だよ」

「ああ、流石に覚えた」


 この集落に来たばかりの頃、同じように豆の収穫を手伝って、まだ収穫時期でない小さいものまで毟ってしまった印象がよほど強かったらしい。苦笑しながら手近に実っている豆を一つとる。


「これくらいだろう?」

「うん、完璧!」


 しばらくは、黙々と豆の収穫をした。指先が段々青臭くなって、豆の汁が茶色く濁り汚れていく。

 自分がこんなことをするとも、それに意外と抵抗がないことも、ほんの数か月前までは思いもしないことだった。


 こうして単純な繰り返しの仕事をしていると、時間が過ぎるほどに、気持ちが落ち着いていく気がする。


「リィは、リナと呼ばれるのは、嫌ではないのか?」

「んー、最初はちょっと困ったけど、別に嫌じゃないよ。アントンじいちゃん、いい人だし」


 アントンはかなりの高齢だが、矍鑠かくしゃくとしていて、高齢ゆえの呆けのようなものは感じず、畑仕事もきびきびとやり、受け答えも不自然な点はない。


 ただ、近所の子供であるリィをリナと呼び、自分の孫だと錯覚している以外は。


 ヘルマンも、面倒見のいいアントンには何かと世話になっている。この集落に来たばかりの頃は気持ちが落ち込むことが多く、食事を摂るのも億劫がっていたヘルマンを訪ね、温かい食事を置いて少しは食べなされ、と声を掛け、火鉢に火を入れてくれた。


 リィは気立てのいい娘だ。やや人見知りするところがあるらしく、最初はヘルマンのことも遠巻きにしていたけれど、慣れてくればあちらから話しかけてくるようになった。豆のちょうどいい収穫のサイズも、手が凍えないように芋を洗う方法も、弟を背負いながら何も知らないヘルマンに教えてくれたものだ。


 ただ、アントンがリィを別の名前で呼ぶことが、胸に小さな棘が刺さったように、気にかかる。


「アントンじいちゃんね、前の飢饉で、孫が死んじゃったんだって。息子さんは食べ物を探して家を出たまま帰ってこなかったって」

「ああ」


 その孫がリナという名前だったのだろう。元々リィとアントンは別の村の出身で、この集落で暮らすようになるまでは顔を合わせたこともなかったと、何かの折に耳に挟んでいた。


「私もね、妹がいたんだ。でも、あんまり覚えてないの。私もちっちゃかったから」


 リィの声は特に感傷じみたものは含まれていない。今でも子供のリィだ、その妹が飢饉で育たなかったなら、それこそ物心がつくかどうかという頃だろう。


「妹のこと可愛がってたよってお父さんもお母さんも言うけどさ、私はあんまり覚えてなくって、そう言われて困るなぁって思ってた時もあったんだ。でも弟が生まれて、抱っこできるようになったら、前もこういうことあった気がするって、妹のこと、思い出したんだ」


 思い出せてよかったなーって思ったよ、とリィは豆を取りながら、のんびりと続ける。


「アントンじいちゃんは、リナって呼ぶとき、すごく嬉しそうなんだ。背が伸びたね、元気そうだねって声を掛けてくれて、私が元気そうにしてるとほんとに嬉しそう。だからさ、それでいいんだろうなって思うんだ。アントンじいちゃんが嬉しいなら、リィはそれでいいよ」

「……そうか」

「うん! 心配してくれてありがと、騎士様」


 まだ子供だというのに、こんな小さな子供に、何かを教えられた気がして気まずくなり、ヘルマンは豆を摘んで籠に放り込む。


 この集落――農奴の集落にヘルマンが移動してきたのは、半月ほど前のことだった。


 しばらくエンカー地方の端にある農奴の集落で療養を命じられた時は、いずれ自分もそのような身分になるのだから覚悟せよという意味だと認識していた。


 これも自分に科せられた贖罪の一環であると受け入れたものの、いざ住んでみれば、なまじの村や町よりよほど、この集落での生活は心地が良かった。


 冬の北部を魔物狩りのために巡回することも多いヘルマンが知る限り、農奴の集落というのは人の住む土地の中で最も薄汚く、悪臭が立ち込め、家屋は立ち崩れる寸前の適当な造りで、そこに住まう人間は陰鬱に仕事をこなすだけの人生を送り続けるものであるのが当たり前だった。


 自分とは、生まれも生き方もまるで違う、言葉を交わしたこともなく、道が交わることも無い……同じ人間だと認識したことすらない。そういう存在だ。


 それでも、同じ目線で暮らしてみれば、彼らも自分と同じ人間なのだと理解出来た。

 そんな当たり前の事すら、自分は理解できていなかった。


 ふぇえ、と小さな泣き声に、リィが背中を揺する。


「どしたの? んー?」


 背負い紐を解いてまだ幼い弟を抱き、リィは苦笑してこちらに視線を向ける。


「おしっこみたい。騎士様、ちょっと戻っていい?」

「ああ、すぐに行ってやりなさい」

「ごめんね! オムツ洗ったらすぐ戻るから!」

「収穫が終わったらアントンのところには私が持っていく。気にしなくていい」


 そう声を掛けると、ありがと! と告げて、リィは弟を抱いたまま小走りに畑から出て行った。

 急に静かになった畑に屈みこんで、黙々と豆を毟る。


 リィは、農奴の集落で暮らす娘だが、農奴ではないのだという。


 彼女の両親は農奴だが彼女自身は平民の身分で、背中に背負っている赤ん坊は彼女の弟であり、弟もまた、平民の身分ということらしい。


 農奴の子が農奴になるのは忍びないという、領主の――公爵夫人の計らいで、そういうことになっていると聞かされている。


 同じ家に住まう家族で身分が違うということがあるのだと――それが可能であるということも、この集落にきて、初めて知ったことだった。


 冬でも隙間風が入ることのない新しい家は、農奴の住む家とは思えない。各家には火鉢という暖を取るための道具が置かれていて、炭は、農奴であるなら一定数が支給される。


 農奴は領主の持ち物で、持ち物の生活を保障するのも領主の役割であるという考えから、ここではそうなっているらしい。


 黙々と、単調な作業をしていると、色々なことを考えてしまう。

 ヘルマンは、エンカー地方に来てまだ日が浅い。暮らし始めたと言えるのは、この半月の間くらいのものだ。


 その短い間にも、これまでと違うことの連続で、そのたびにいちいち驚いている。


 リィは、おむつを洗ったらと言った。

 エンカー地方では石鹸は安価に販売されているけれど、農奴、平民を問わず、子供達は定期的に領主の依頼した簡単な仕事をこなし、その報酬に石鹸を貰っているため、どこの村や集落でも日々手を洗い、服を洗う習慣が根付いている。

 実際、他では当たり前の光景だというのに、ここの住民で垢が浮いているような者は見たことがない。


 ――何より、ここの人々は、優しい。


 ヘルマンが知る限り、平民、特に農奴というものは、陰鬱でうつむきがちで、それでいて目だけはギラギラとしているものだ。


 自分のことで手いっぱいで、ほんの一掴みの麦をいかに自分の懐に入れるかばかりを考えていて、他人どころか隣人にも優しくする余裕などない。


 ここには、そうしたギラついた空気がなかった。畑は正確に区切られて整備され、水路が引かれて苦役になるほどの水汲みの必要もなく、排泄の場所さえ定められている。


 清潔で、暖かく暮らし、栄養状態も悪くない。リィはきっと大きく成長するだろうし、彼女の弟もまた、無事に育つのだろう。

 そう思うと、胸が妙にヒリヒリと痛む。


 ヘルマンには誰にも――親兄弟にも、妻にすら言えない秘密がある。


 ――騎士として生まれ育ちながら、私は自分が何を守りたいのか、守るべきなのか、本当のところは、何も分かっていなかった。


 生きることは、ただ石くれを積み上げ続けるようなもの。無意味で、空しい、それでも生が終わるまではやり続けなければならないもの。


 決められた騎士としての道を、それらしい顔をして進むだけの――そんなものだ。


 そんな思いは、家名に誇りを持っている家族にも、自らの末路を覚悟して嫁いできた妻にも、決して打ち明けることの出来ない、冷たい自分だけの秘密だった。


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コミカライズ

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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです@COMIC【連載中】

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