457.魔石の研究と幸福な暮らし
「私が魔石を割っちゃうのは魔石に入れる魔力が強すぎるからっていうのはやってても結構分かるんだけど入れ過ぎないようにしたら満タンにならないしもう少し入れようとしたらドッと出ちゃって割れちゃってるしでどうしても魔力の量をちょうどよく絞るのが難しくてさ。でも潜性の魔力は顕性の魔力を中和するって言ってたじゃない? それで、最初から顕性の魔力を満タンにした魔石に潜性の魔力を注いでみたらどうだろうって思ったの、あっこれはアントニオと話してる時に思いついたんだけど」
「分かったわ、マリア、分かったから落ち着いて」
興奮した時のユリウスのように捲し立てるマリアに手のひらを向けて、落ち着くように促す。
城館に戻り馬車を降りたところで駆け寄ってきたマリアにメルフィーナ! と名前を呼ばれてからは、怒涛の説明だった。
「まず魔石を属性の魔力入りにして、そこにマリアの魔力を注ぎ込むってこと?」
「そう! いくつか作ったから見てみて」
一泊のふらりとした旅行なので荷ほどきするほどの荷物もないけれど、マリアに手を引かれて数歩進んだところで足元がふらつき、とっさにアレクシスに腰を抱かれて支えてもらう。
「あっ、ごめん。馬車の帰りで疲れてるよね」
「いえ、大丈夫よ。ありがとう、アレクシス」
「いや」
「……もう大丈夫よ」
離れようとしないアレクシスをちらりと睨むと、素知らぬ顔で支えていた腕を解かれた。そのやり取りで興奮気味だったマリアも少し落ち着いたらしく、軽く首を傾げる。
「メルフィーナ、今日は髪を上げてるんだね」
いつもは一部を編み込んで垂らしている髪型だけれど、今日は編みこんでピンを差し、アップにしている。
いつもは隠れているうなじが空気に触れて、少し寒く感じる。
「ええ……似合わないかしら」
「ううん、似合ってるよ。メルフィーナは顎の形が綺麗だから、髪を上げてると可愛く見えるね。いろんなヘアアクセも似合いそう」
無邪気な称賛は却って気恥ずかしい。話題を変えたくて、ちらりとマリーに視線を向ける。
「マリー、お茶を頼んできてくれる? マリア、魔石の話に戻りましょう」
「はい、すぐに」
「あ、うん! あのね、昨日から練習してるけど、なんとこの方法だと今のところ成功率百パーセントで、小さな魔石も割らなくなったんだよ!」
魔石を割ることがかなりプレッシャーになっていたようで、そう報告するマリアは頬を僅かに紅潮させ、肩の荷が下りて誇らしげな様子だった。
「おかえりなさい、メルフィーナ様」
「レディ! 待っていましたよ!」
団欒室に移動すると、ユリウスとコーネリアが揃っていた。コーネリアはメルフィーナを見て一瞬だけあれ、と言いたげな表情をしたけれど、マリアが席に着いたことですぐに魔石の話になる。
「まず、ユリウスに魔石を属性の魔石にしてもらうでしょ。これが火の魔石で、こっちが水の魔石ね」
魔力属性によって、魔石は帯びている色が変わる。赤は火の魔石で水色は水の魔石と、非常に分かりやすい。ケースの中には全ての属性の魔石が並んでいて、これは全属性を持ち、膨大な魔力を持つユリウスならではだろう。
「全属性で試してみましたが、結構差があって面白くてですね。例えば僕が作った水の魔石に聖女様が火の魔力を込めようとしたら上手く入らないんですが、元の魔石が風だと結構ドッと入るようなんですよ。なんとなくですが、外に出る魔力も強い気がします。きちんとした測定が出来ないのがもどかしいです」
興奮したように捲し立てるユリウスに、マリアもうんうんと頷く。
「「鑑定」もしてみたんだけど、魔力の残量みたいなのも分かんないんだよね」
「普通の魔石だと少しずつ色が薄くなっていくことでどの程度魔力が残っているか目視で計りますが、今の段階だと、何かしらの測定方法を見つけていく研究をするしかないですね。色々と組み合わせてみましたが、水には水の魔力を、風には風の魔力を注ぐのが一番馴染みがいいようでした」
「属性の相性のようなものがあるのね……確かに、面白いわ」
話を聞けば、どの属性でも最終的にマリアの魔力が押し勝つようではあるけれど、最も確実に魔力を注ぐことが出来るのは、同じ属性の魔力ということらしい。
「今後は魔石を属性の魔石にしてすぐに潜性の魔力を注ぐのがいいのか、それとも少し時間を置いたほうがいいのか検証していきたいですね。潜性の魔力を注いだ聖魔石にした後の経過も観察したいですし、ああ、そうだ! 属性の魔石にレディの魔力を込めてみる実験もしたいです」
「私の潜性の魔力はマリアと比べれば、ずっと弱いですよ? もともと顕性の魔力を入れた魔石だと、顕性の魔力を弱める程度にならないかしら」
「メルフィーナは元々風属性だから、火の魔石に入れてみたらまた違うかもしれないよ。ちょうどいい感じの魔石が出来たりするかもしれないし、なんでもやってみようよ」
この件に関しては完全にユリウスと意見が一致しているらしく、マリアの言葉にユリウスもうんうんと頷いている。
「全く新しい分野の研究ですので、プルイーナの魔石に何の魔力を込めるかについても検討していかなければなりませんし、比較検証の数は多いに越したことはありません。思いつく限りのことはやっていきましょう!」
コーネリアは運ばれてきた紅茶とおやつのタルトを嬉しそうに口にして、頬を押さえて蕩けるような笑みを浮かべている。
メルフィーナが留守の間、マリアとユリウスを見守ってくれていたらしいセドリックとマリーとオーギュストは、いつもと変わらない穏やかな表情でいるように見えて、心なしか笑みが少し温くなっているような気がする。
留守にしたのはたった一晩だけれど、一際好奇心の強いユリウスと、走り出したら体力も持久力もあるマリアの組み合わせは、領主邸内に中々の嵐をもたらしていたらしい。
「そうね、魔石を割らなくなったのはとても素晴らしいわ。それにしても、空の魔石ではなく属性を付与した魔石に潜性の魔力を注ぐなんて、よく思いついたわね」
「それはアントニオがヒントをくれて」
「アントニオ? ロマーナからもうこっちに来たの?」
「結局ロマーナには戻らなかったらしいんだ。なんか帝国で、トラブルに巻き込まれたみたいで」
面会の先触れをしてるみたいだから、出来れば急いで会ってあげて欲しいと口添えをされる。
どうやらあの気のいい商人は、エールに引き続いてまたぞろ権力者に無茶ぶりを言われてしまったらしい。
「アントニオは腕のいい商人だから、ついあれこれと頼られてしまうのでしょうね。他の商人だとどうしようもないことも、なんだかんだで用意出来てしまうから」
公爵家に出入りを許されているだけあって、アントニオの目利きの腕は確かだし、見聞も広く、礼儀作法も心得ている。
公爵家のような大貴族の前に出せる商人は大獅子商会の中でも貴重な存在のはずなので、レイモンドにも頼りにされているのだろう。
「アロエも大豆も、アントニオが見つけてきてくれたもんね」
「パスタや小豆も、領主邸では重宝しているものね。とりあえず、話を聞くことにするわ」
エールの輸出や麹の仕入れに対する大獅子商会からの支払いも、中々の金額である。金額の大きさから、今のところ大鏡を任せられる商人は大獅子商会だけであるし、単に個人的な付き合いを超えて、大獅子商会とメルフィーナの取引は大きなものだ。
その窓口であるアントニオに融通を利かせるのは、悪いことではない。
「それに、アントニオかレイモンドに少し頼みたいこともあったから、ちょうどいいわ」
「では、本日面会できる旨の連絡を出しておきますね」
「ありがとう、マリー」
団欒室を出ていく有能な秘書の背中を見送って、紅茶に口を付ける。
話が一段落したら、アントニオが訪れる前にナターリエの様子も見に行きたい。アントニオの話の内容次第では、更に作業が必要なこともあるのだろう。
冬は領主の仕事も少なくて、基本的にはのんびりと時間が過ぎていく日が多いけれど、何だか最近は目まぐるしく過ぎていく。
不思議と、それは嫌なことではなく、むしろ充実しているような気がする。
――もう、運命から逃げなければと感じなくなったからかもしれない。
彼の愛など必要ないと思ったアレクシスと心が通い、彼を受け入れても大丈夫だと思うことが出来た。
聖女であるマリアはすっかり気心の知れた友人で、メルフィーナと目が合えば嬉しそうに笑ってくれる。
攻略対象であるはずのユリウスは研究に夢中で、気ままにメルト村と領主邸を行き来していて、セドリックは相変わらず生真面目な表情だが、おやつに出されたお菓子を咀嚼している様子は、何だか幸せそうだ。
望んでいた「平穏」とは少し形が違うけれど、これが今のメルフィーナの日常だ。
「メルフィーナ、どうかした?」
「え?」
「なにか、笑ってるから」
「あら」
頬を押さえて、ふふ、と声に出して見ると、確かに自分は笑っていた。
「マリアも笑ってるわよ」
「久しぶりにやったー! って気持ちだから。上手くいくと、やっぱり気分がいいね」
マリアのシンプルな言葉に、メルフィーナも頷く。
自分が笑っているのは、きっと、マリアと同じ気持ちだからだ。
対処しなければならない問題は山積みだけれど、こうしてみんなと笑い合っていけるなら、もうそれは、十分に幸福な暮らしなのだろう。
既婚女性は髪をアップにしますが、これまでのメルフィーナは周囲に「奥様と呼ばれるのは好きじゃない」と伝えていたのと同時に、髪も未婚女性のように下ろしていました。
マリーは当初は高級使用人の侍女→秘書だったので髪をまとめていました。今は身分的には下ろしていても大丈夫なのですが、公爵令嬢になってもメルフィーナとの関係は変わらないという気持ちでそのままにしています。
この話から先は、基本メルフィーナは髪をアップスタイルにしています。