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433.味方とアレクシスの来訪

 その日も北部の冬らしい、どんよりと重たい灰色の雲が空を覆っていた。


 いつもと同じ時間に朝食を終えた後も、邸内は何かとざわざわとざわついている。メイドたちが最後の清掃と客人の迎え入れの準備の最終確認を行っており、ラッドやクリフも気ぜわし気な様子だった。


 冬はとかく、移動の速度が遅い。安全を考えれば本来移動するような季節ではないのだから当たり前だ。商人の単独の移動ならば、車輪が脱輪しただけで即座に命に関わるような、そんな季節である。


 早朝に最もエンカー地方から近い宿を出たとしても、領主邸の到着は昼過ぎになる。経験上分かっていたので昼食は後にすると告げていてそわそわと時間が過ぎるのを待っていると、先にオーギュストが執務室を訪ねてきた。


「お疲れ様、オーギュスト。――様子はどうだった?」

「与えられた部屋で静かに過ごしていました。相変わらず、自分はどうなってもいいので妻と子供だけは助けてやってほしいと繰り返すばかりです。かなり衰弱していて、あれでは子供が生まれてくる以前に、本人が冬を越せるかどうか」

「そう……困ったわね」


 先日三度目の浄化を施したナターリエの体調は順調だけれど、ヘルマンは出された食事に最小限口を付けた後は、どうか屑でも食わせて欲しいと見張りの兵に嘆願し、それをずっと続けていると報告が上がっていた。


 騎士と兵士の立場というものは、明確であり、厳格なものだ。兵士たちも戸惑っているのが伝わってくる。


 エンカー地方の出身者、特に三年前の時点である程度成長していた者は、飢餓を放っておけない者が多い。人が腹を空かしていれば食べるように勧めるし、自分に余裕があれば差し入れをする文化も盛んだ。


 きりがないので、領主邸ではごく限られた者を代表しての差し入れのみを受け入れているけれど、旬の時期にはフリッツやニドを通して色々な森の幸、湖の幸が今でも届けられる。


 食事を拒否して衰弱しているヘルマンを見れば、強い同情を覚えるだろう。難しいのが、ヘルマンは狙ってそうしているわけでないということだ。


 再び逃亡するにしても交渉するにしても、肉体が弱っていては万全の力を発揮することは難しい。第一線で戦い続けてきた騎士である彼が、それを知らないとは思えない。


 ――もう、生きる気がないとしか思えない。


「閣下に申し開きをし、妻子ともども生きる努力をするべきだと説得はしてみましたが、妻は無理矢理自分に連れてこられただけだと一貫して主張しています」


 頷いて、少し俯き、指で口元をなぞる。


 ナターリエも時々ヘルマンの安否を気遣う言葉を口にするものの、メルフィーナ自身やメイドにさりげなく探らせても、遠征から戻った夫と、気が付けば馬車に乗っていた。道中のことはほとんど覚えておらず夢うつつで、意識がはっきりしたのは領主邸のベッドの上だったという様子だ。


 ナターリエの衰弱は深刻なものだったし、それもまた、嘘ではないのだろう。


「分かりやすく、自分の命乞いもしてくれればやりやすいんですけどね。自分の命は要らないという腹を括られると、正直取りつく島がありません」

「そうね……」

「念のために確認させていただきたいのですが、メルフィーナ様はヘルマン夫妻を助けたい……いえ、救う方向で話を持って行きたいんですよね?」


 オーギュストの言葉に執務机の上で手を組んで、頷く。


「彼らは「北部の問題」解決の、最初の夫婦になってもらうつもりよ。その結末が後味の悪い物になってほしくないわ。……北部には、これまで辛いことが沢山あったでしょ? これ以上の悲劇はお腹いっぱいだと思わない?」

「ですね。なら、俺も味方します」


 オーギュストのあっさりとした言葉に目を見開いて、ぱちぱちと瞬きする。

 オーギュストはいかなるときもアレクシスの判断を優先する側近の騎士だ。その行動を補佐し、彼が動きやすいように補助していた。


 それが、こんなにあっさりメルフィーナの味方をすると口にするとは、どういう風の吹き回しかと驚いてしまう。


「もちろん、閣下に逆らうとかそういうことではありませんよ。閣下は、不正や不品行に対して苛烈に対応することに慣れています。北部という巨大な領地を円滑に回していくには、その厳しさが必要だったという一面もありますが、そういうことに慣れ過ぎている方です。まあ、領主としてはそれが正しい態度であるわけですが」


 からかうように目を細めて、それから心配するように彼の隣にいるマリアにも視線を向ける。


「気が遠くなるような時間、解けない氷のように変化の無かった北部ですが、今は大きな変化の分岐の直前にいると感じます。きっと数年後には、何もかも劇的に変わっているような、そんな気がするんです。これまでは当たり前だった判断をして、閣下が後悔するようなことになって欲しくないんです」

「……そうね。抱える後悔は、ひとつでも少ない方がいいに決まっているわ」

「お兄様は少々短絡的というか、頑固で頭が固いところがありますから、私もお助けします」

「私は……黙っていることにします。口を開かないほうが後ろから刺すことにならないでしょうから」


 セドリックがあまりに苦い表情でそんなことを言うので、思わずふふっと笑いが漏れてしまう。


 最近は忘れがちだけれど、エンカー地方の元祖頑固で頭が固い枠はセドリックだ。マリアを除いて、アレクシスが下しそうな判断はここにいるメンバーなら大抵想像がつくし、理詰めで考えれば、それは正しいことだ。


「そうね、北部はこれからとても変わっていくし、できれば最終的には、世界を変えていきたいわ。その始まりは、幸福なものが望ましいわね」

「世界ですか。大きく出ましたね」

「それはそうよ」


 腹を括れば、少しは気が楽になった。オーギュストに応じる声も、いつもの自分と変わらないように思える。


「私は我儘なのよ。欲しいものは漏らさず総取りにする公爵夫人になるんだから」


 そう言ったところで、ノックが響く。オーギュストがドアを開くと、満面の笑みを浮かべたウィリアムが、公爵家から来た日と同じ装飾の入った服を着て、弾むような足取りで入室してくる。


「伯母様、叔母様! 公爵家の馬車が見えました!」


 今か今かと窓辺から街道を眺めていたのだろう。その嬉しそうな表情に、自然と執務室にいた面々も微笑むのだった。




   * * *


 到着の先触れが訪れたことで、毛皮のマントを羽織って前庭に出ると、ちょうど馬車が城門をくぐってきたところだった。

 この季節に馬車を引くのは、通常の軍馬ではなく足が太い専用の馬で、全体がずんぐりむっくりとしていて、優しくも眠たげな目をした、いかにも馬力のありそうな駄馬である。


 前回の先触れがきてから特に念入りに雪かきはしているものの、気まぐれに空から落ちて来るものであるし、明け方降りた霜がそのまま凍結するので、足回りは滑りやすい。北部で生まれ育ったアレクシスは慣れているのだろう、身軽に馬車から降りると、相変わらず気難し気な表情ではあるものの、こちらを見て真っすぐに近づいてきた。


「アレクシス、遠征お疲れ様。無事でよかったわ」

「ああ、君も息災そうで何よりだ」


 まず領主邸の主であるメルフィーナが声を掛けると、アレクシスはふっとまとっている厳しい雰囲気を和らげた。


「伯父様、無事の帰還と来訪をお喜び申し上げます」

「ウィリアム。こちらでよく学んでいたか?」

「はい! こちらの騎士にも、伯母様たちにも大変良くしていただいています」

「少し背が伸びたか?」


 アレクシスの大きな手で頭を撫でられて、ウィリアムがくすぐったそうに笑い、抱擁をしあう。それはすぐに解けて、マリーが一歩歩み寄った。


「お兄様、本当にご無事で何よりでした」

「お前も、冬の気にやられることもなく、元気そうでよかった」


 こちらも軽く抱擁して、すぐに解く。家族との挨拶を済ませて、アレクシスはやっとエンカー地方によくいる時の、少し肩から力が抜けた様子になっていた。


「アレクシス、遠征が終わったばかりで来てもらって、ごめんなさいね。まずは体を休めてもらいたいところだけれど、執務室で話をさせてもらえるかしら」


 服を解き、温かいお茶でも飲んで暖めた部屋でしばらく休息を取ってもらうのが歓待する側の気づかいではあるものの、後回しに出来ない話が多すぎる。


 アレクシスもその言葉に、しっかりと頷いた。


「厄介な話題は先に終わらせた方が良いだろう。それに私も、君に話がある」

 そう告げられて、頷く。


 離れている間に、あまりにも色々とありすぎた。


 まずはそのすり合わせから始めることになるだろう。

駄馬=働き者で馬力のある荷物をけん引する馬のことです

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駄馬について様々な感想が寄せられていますが、駄馬の元々の意味は荷を『背負って』運ぶ馬の事です。荷車や客車を牽引する馬は駄馬ではなく輓馬と言います。詳しくは、Wikipediaの『駄獣』の項目をご参照く…
駄馬の定義にまで言及する作者様の優しさが作品の隅々にまで現れている、とても優しい物語、幸せを貰っています。これからの展開も楽しみです。
ヘルマン、思い込みに凝り固まって視野が狭くなってわけがわからなくなってしまってますね。閣下が通ってきた道を彷彿とさせるし、その閣下と会話することで自分を取り戻すのでしょうか。ショック療法が必要かな? …
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