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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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432.子供の遊びと先触れの訪れ

 冬は他の季節に比べて領主としての仕事が減るとはいえ、全くなくなるわけでもない。


 その日、メルフィーナはニドから届いた農業用水のため池の、水質の悪化についての報告書を眺めながら、その対策について考えていた。


「ため池は一度水を完全に抜いたほうが良さそうね。多分底に色々な堆積物が沈殿していると思うから、それの除去も行ったほうがいいわ」

「秋の終わりに僅かに悪臭があったということですよね。水を全て抜く必要があるのですか?」


 お茶を用意してくれたマリーが少し不思議そうに聞く。


 この世界では悪臭というのは、人が住む場所にはあって当たり前のものだ。僅かな臭いなど誰も気にしないし、そのために雨水に頼っているため池の水を抜いて清掃というのは、大袈裟に思えるのだろう。


「ため池と用水路の運用もそろそろ丸二年だものね。水を溜めておくと、ゴミや流れ込んだ土が底に堆積したり、用水路から入り込んで戻れなくなった魚が成長したりして、水が汚れやすくなるの。そのまま放っておくと栄養価が高くなりすぎて水が緑色になって、その藻が水路を塞いだり、藻が水中の空気を消費しすぎて嫌気化……水中の空気が足りなくなって、悪臭が発生したり、その水を使うと農作物にも悪い影響が出たりするから、その前に対策をしておかなくてはね」


 今は湖も凍り付く気温なので、春の作付けが終わって雨期が始まる時期を見計らい、計画を組まなければならないが、天候に左右されることなので日程は慎重に選ぶ必要があるだろう。


「泥にはよくない成分も多いから、できるだけ子供は関わらせたくないわね。健康で丈夫な大人の希望者を募ってみましょうか」

「ため池と用水路は、エンカー地方で畑を耕している者全てに必要なものですから、賦役を課すのが良いかと思います」

「そうね……雪解けの後はみんな忙しいと思うけれど、この先数年に一度は行う必要がある作業だから、初回である程度どのような形にするか決めておいたほうがいいでしょうし」


 大規模な農場を抱えるエンカー地方では、春から霜が降りるまで、ほぼフル稼働で農業用のため池と用水路を動かしている。どうしてもある程度忙しい時期の作業になってしまうのが申し訳ないけれど、時期としてはやはり春と雨期の間が望ましいだろう。


 人数が集まれば、ため池の泥浚いと用水路のメンテナンスにグループを分けることも出来る。マリーとセドリックと相談をしながら計画書のひな型を作っていると、とんとん、と軽くノックの音が響いた。


 すぐにマリーが対応すると、久しぶりにメイド服に袖を通したエリが丁寧な所作で礼を執る。


 出産で職を辞してしまったけれど、彼女は領主邸での初めてのメイドで、アンナの教育もしてくれた人だ。立ち振る舞いも丁寧で、ブランクを感じさせない安定した雰囲気を持っている。


「エリ、お疲れ様。ナターリエの様子はどうかしら?」

「今は落ち着かれていて、昼食も全て召し上がり、午後のおやつもしっかり食べて頂きました。うちの子供達やメルト村のことを色々と聞かれたのですが、話をしているうちに少し明るい気分になられたようです」


 予想通り、落ち着きがあって知的なエリとナターリエの相性は悪くなさそうだった。すでに子供を三人産んで育てているという点も、妊娠中で何かと不安の多いナターリエには頼もしく感じるだろう。


「そう、よかったわ。――ごめんなさいね、サラもまだ小さいのに、無理を言ってしまって」

「いいえ、滞在用のお部屋まで用意していただきましたし、メルフィーナ様のお役に立てるなら、こんなに嬉しいことはありません」


 領主邸にいるメイドだけではナターリエの世話は荷が重いと判断し、短期間だけでも復帰してもらえないか頼んだところ快諾してもらえたけれど、末娘のサラの面倒を見るためにロドとレナも領主邸に戻ってきてしまい、今度は自宅にニド一人が残ることになってしまった。


 ニドはメルト村の村長なので、おいそれと家を空けるわけにもいかず、家族を振り回してしまっているようで、それも申し訳ない気持ちになってしまう。


「ニドを家に一人にしてしまって、寂しがっていないかしら」

「新しく鶏小屋をひとつ増やすと言っていたので、家族が留守の間はそちらの作業をしていると思います。サラも最近は色々と食べられるようになってきたので卵を産む牝鶏を増やしたいと張り切っていました」

「それはとてもいいわね。卵は栄養たっぷりだから、子供には積極的に食べてもらったほうがいいわ」

「はい。子供たちにお腹いっぱい食べさせることが出来て、本当に嬉しいです」


 本当に嬉しそうな様子に、メルフィーナもほっと肩から力を抜く。牝鶏が卵を産む期間はそう長くはないので、新しい小屋に入れる鶏は自分の管理する養鶏場から今回の報酬の一部として渡すことを頭の片隅にメモしておくことにした。


「これからサラを迎えに行くなら、同行させてもらっていいかしら? ちょうど仕事が一段落したところなの」


 エリが快く頷いてくれたので、マリーとセドリックを伴って団欒室に移動すると、ロドとレナがオセロで対戦をしている横でマリアがサラの前で折り紙をしているところだった。オーギュストはマリアの少し後ろに控えて、ユリウスはテーブルに突っ伏して、どうやら眠っているらしい。


「あーもう、また負けた!」


 レナが声を上げ、向かいに座るロドは嬉しそうに笑っている。盤面を覗き込むと半分ほどが埋まっているけれど、逆に言えば、まだ半分のマスは空いている状態だ。


「もう詰みが分かってしまうの?」

「あ、メル様! うん、これくらい埋まると、解っちゃう」

「調子がいい時は三分の一くらいでもう解るよな」


 「分析」と「解析」を持っている二人ではあるけれど、年の差がある分ロドのほうが分がいいらしい。兄の得意げな表情に、レナは拗ねたようにぷいっと顔を背けてしまった。


「お兄ちゃんとオセロするのもうやだ。マリア様、一緒にやろうよ」

「うーん、レナとやったら私が絶対負けちゃうからなあ」


 ロドとレナの兄妹には散々敗北を繰り返して、ボードゲームの類は完全に懲りたらしいマリアが笑いながら答える。マリアの折り紙の手元を、サラはじっと見つめているばかりだった。


 エリは職場に子連れで来ない主義だけれど、領主邸にはすでにロドとレナの部屋もあり、ユリウスもサラの面倒を見るのに慣れているので、エリの仕事中は団欒室で誰かしらがサラの面倒を見ることになっていた。サラは領主邸に来るのは初めてだけれど、周囲にいるのが見慣れた顔ぶればかりということもあるのだろう、特にむずかることもないようで、落ち着いてマリアと遊んでいる様子だ。


「マリア、折り紙が上手いのね」


 マリアの手元にはハートや箱、星や鳥といった色々な折り紙が作られていた。こちらの植物紙は厚手で厳密に均一でもなく、和紙に近いものなのであまり折り紙向きではないけれど、器用に折られている。


「弟が子供の頃、こういう遊びが好きだったんだよね。長く飛ぶ紙飛行機の作り方とか、小学校の自由研究で出したりしてたなあ」

「もしかして、ペーパーグライダーも弟さんの趣味?」

「そうそう、一緒に作ってくれってねだられて。そういうの好きだけど、折るのはなんでか私の方が上手くてさ。でも、考えてみたらこっちだと、折った物の意味が分からないことも多いんだね。星もハートも説明しないと分かってもらえなかったし」


 星もハートも抽象化した図形である。確かに、これを出されて空に浮かぶ星だと連想するのは、この世界ではまだ難しいだろう。


「サラ、こんにちは。少し見ない間に、随分大きくなったわね」


 サラとは秋に会ったのが最後だけれど、たった数か月でまた少し大きくなったようだ。ちょこんと座っているサラに声を掛けると、顔を上げてにぱっと笑われた。


「出会ったばかりのレナに似ているわね。レナはもう少しお姉さんだったけど」

「ほんと? サラと私、似てる?」

「似ているわ。人見知りしないところはそっくりね」


 レナはエンカー地方に来たばかりのメルフィーナに物怖じせず話しかけてくれたし、ロドもメルフィーナの手招きに最初に近づいてきてくれた。きっと末の妹のサラも、人懐っこく誰からも愛される子供に育つだろう。


「私が折り紙しているのをじーっと見ているんだよね。退屈かなと思ったけど、止めるともっとってねだられるから、こういうのが好きなのかな」

「子供は動いたり形が変わっていくのを見るのが好きだものね。ほら、アニメとか」

「あー、変形ロボットとか?」

「そうそう。合体とか、ロケットパンチとか」


 マリアとクスクスと笑い合いながら、一枚紙を貰って船を折る。マリアの言うように、サラはじっと折り目がついて形が変わっていく様子を見つめていた。


「あなたたち、サラの面倒を見るよう頼んだのに、ずっとマリア様に任せていたの?」

「いや、ちがうよ。さっきまで一緒に遊んでいたって」

「マリア様が折り紙を始めたらサラがそこから動かなくなっちゃったから、さっきゲームを始めたところだよ!」


 エリの言葉に焦ったように説明をする二人に、テーブルから体を起こして、眠そうなユリウスが顔を上げる。


「二人はさっきまでサラと追いかけっこをして遊んでいたよ」

「そうだったんですね。二人とも、えらいわ」

「ちゃんと面倒見てたよ。ね、お兄ちゃん」

「ああ。サラは妹だから当然だな!」


 普段は兄妹喧嘩をすることも多いけれど、エリの前では共同戦線を張るらしい。


 メルフィーナの前で見せるのとはまた少し違う、子供らしい様子に笑いながら、お茶でも用意しようかと思った時だった。


 団欒室のドアがノックされ、アンナが入室してくる。


「メルフィーナ様、門に騎士様が到着しました。公爵家からのお使いだそうで、今前庭で待ってもらっています」

「ありがとうアンナ。執務室に通して、お茶を用意してもらえる?」

「はい」

「忙しないけど、お客様がきたから私はこれで失礼するわ。みんな、また後で」


 団欒室から出て、背筋を伸ばす。それから深く息を吸って、吐いた。


 この時期に公爵家からの使いならば、アレクシスの来訪の先触れだろう。


 話したいことがたくさんある。


 けれど、どう伝えるべきかまだ答えが出てないことも、同じくらいある。

 結局、彼の顔を直接見るまで、迷い続けることになりそうだ。


「行きましょうか」


 付いてきてくれたマリーとセドリックに声を掛けると、二人とも微笑んで頷いてくれる。


 何が変わっても、変わらなくても、きっとこの二人は同じように笑って付いてきてくれるだろう。


 そう思うと、無性に勇気づけられた。


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