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43.騎士の怒りと葛藤

 完全に日が暮れる直前、エンカー村に続く農道から馬の走る音が響いてくる。


 かなり速度を出しているらしく、まだかなり距離はありそうなのに、蹄が土を削る荒々しい振動が響いていた。


 馬やロバに負担をかけるような走り方をさせないこの辺りでは、滅多に聞くことのない音だ。誰が近づいてきているかなんて、確認するまでもない。


「ニド、申し訳ないのだけれど、入り口の手前にメルト村の人たちを座らせてくれる?」


「わかりました。ですが、あまり抑止力にはならないと思いますよ」

「ほんの少し、目隠しになってくれればそれでいいわ。出来るだけ、みんなに迷惑はかけないようにするから」


 最近は大分穏やかになったとはいえ、セドリックは職務に忠実な騎士だ。それは彼の真面目さや頑固さといった、キャラクターの基本設定によるものなので、変えようと思う方が無理なのだろう。


 馬はまっすぐに集会場へ向かい、少し手前で騎手が飛び降りる。馬は急に指示を失って焦ったように後ろ足で大きく立ち上がり、そのままぶるぶると首を激しく振っていた。


「メルフィーナ様!」


 走り寄って来るセドリックの視線がメルフィーナを捉え、ほっとしたように緩む。だがそれは一瞬で激しい怒りに取って代わられ、声を掛ける間もなくすらりと抜刀した。


「セドリック!」

「すぐにマリーの乗った馬車が来ます。メルフィーナ様は、そちらでお待ちください。後ほど領主邸まで護衛をいたします」

「待って、話を聞いて!」

「必要ありません」


 硬い声でそう告げて、編み上げのブーツが荒々しく地面を蹴り、集会場の中に進む。セドリックと気軽に言葉を交わすようになっていたメルト村の住人たちも、抜き身の剣を持って乱入してきたことには流石に驚いたようで、腰を引けさせながら後ろににじり寄って道を開けた。


「お前たちが賊か。よくも……」

「セドリック!」


 難民たちの前で、盾になるように立ち上がったダニーに向かって真っすぐ進み、剣を振りかぶったセドリックに、考える前に体が動いていた。


「――ッ!」


 セドリックとダニーの間に割り込むと、振り下ろされかかった剣の軌道が大きくずれる。勢いは殺しきれなかったらしく、ガツッ、と重たい音を立てて板張りの床に剣の切っ先がめり込んだ。


「っ、何かあったらどうするんです!」

「剣をおさめてちょうだい」

「メルフィーナ様!」

「お願いよ、セドリック!」


 しばし、半ばにらみ合うように互いを見つめ合う。セドリックの放つ殺気に気圧されて、首や背中にびっしりと汗が湧くのが分かった。

 荒い息を吐きながら、セドリックは床に刺さったままの剣から手を離し、腰を落とし、メルフィーナの前にひざまずく。


「――お手に触れる無礼を、お許しください」

「えっ」


 攫われる直前、いつものワンピースの上から長袖の上着を着ていた。その袖口から覗く手首には、はっきりと荒縄で縛られ擦り切れた痕が残っている。


 赤くなっていることには気づいていたけれど、改めて見ればそれなりに目立つ痕だ。メルフィーナの肌は青白いほど白いので、余計に痛々しく見える。


「あのね、ちょっと赤くなっているだけだから、痛くもないのよ」

「あなたに一筋の傷もつけさせないのが、私の仕事です」

「セドリック。こんなの、傷跡も残らず治るわ。だから」

「あなたを、失っていたのかもしれないのです!」


 強い声にびくりと震える。それからぎゅっと、重ねられたままのセドリックの手を握り返した。


「ごめんなさい、セドリック」


 彼がただ仕事としてメルフィーナを探していたわけではないと伝わってくる。


 身を案じ、心を潰し、逸りながらここまで駆けつけてくれたのだと、判ってしまう。


「ずっと、私を探して馬を走らせていたのね。手が氷のように冷たいわ」

「も、申し訳……」


 慌てて離そうとする手を掴んだまま。首を横に振る。


 真面目で堅物な彼は、メルフィーナのやることなすこと、気に入らないだろうと思っていた。貴族は貴族的に、騎士は騎士として振る舞うべきだという感情を、彼は捨てきれないだろうと。


 けれど、手首についた擦り傷を自分の失敗として忌々しく思うのではなく、痛まし気に見るセドリックなら、きっと判ってくれる。

 それが信頼というより甘えだとしても、そう信じたい。


「騎士としてのあなたの矜持を、誇りを、曲げろと命じているのは分かっています。あなたが最後は逆らえないと知っていて、こんなことを言うのは卑怯なのでしょう。――でも、どうかお願いよ。今は、見逃してちょうだい」


「我々からもお願いします、セドリック様」


 固唾を呑んだように黙り込んでいたメルト村の人々が、重たく口を開いた。


「ニド……」

「俺たちも、去年まではああでした。ボロをまとって、いつも腹を空かせていて、明日に希望もなくて」

「今だって、メルフィーナ様がいてくれなかったら、俺たちもああなっていたはずです」

「彼らと我々の違いは、メルフィーナ様がいてくれたかどうか、それだけなんです」


 口々に告げられる言葉に、セドリックはしばし黙り込み、立ち上がる。そうしてメルフィーナから距離を取り、床に突き刺したままの剣を引き抜いて、鞘に納めた。


「メルフィーナ様。私は、あなたの騎士です」

「ええ」

「だから……主に従います」


 セドリックに苦しい選択をさせてしまったのが伝わってくる。それを申し訳ないと思いながら、それでも安堵の息が漏れた。

 もしもセドリックがメルフィーナを拐かした彼らを手に掛けていたら、メルフィーナは一生、その光景に縛られることになっただろう。


「ありがとうセドリック。――ごめんなさい」

「私に、あなたが謝る必要はありません。あなたの進む道を後ろから守る。それが私の役目ですから」


 激昂を収めたセドリックは、いつもと同じ、生真面目な口調に戻っていた。それにほっとして、難民たちに振り返る。


「これだけは確認させて。エンカーに来る前に、他の村を襲った?」

「いいえ、村を捨ててからは持ち出した食料を少しずつ食べて、それが尽きてからは森に入り、森の恵みを集めて食いつないでいました。我々は追われる身です。今日まで、人里には近づきませんでした」


 ダニーはそう言って、メルフィーナの前に跪き、手を床について、頭が床につくほどに下げる。


「領主様。我々に食事を与えて下さり、ありがとうございます。あなた様を攫った私の罪は、どうか、私の首で収めてください。他の村人や、女子供はあなたを攫うことに最後まで反対していました」

「ダニー!」

「領主様! 我々も誘拐に加担しました!」

「ダニーだけの責任ではありません!」


 口々に叫ぶ難民たちの声に、メルフィーナは軽く首を横に振る。


「誘拐? そんなものはありませんでした。あなたたちは領主邸を訪れ、自分たちの窮状を私に訴えた。私はその話を聞くために、あなたたちの元に向かったのです」

「それは……」

「あなたたちの罪は、税に納めるための麦に手を付け、農地を放棄した、それだけです。あなたたちの窮状の訴えはエンカー地方領主であるメルフィーナ・フォン・オルドランドが確かに聞き届けました」

「領主様……」

「ニド、彼らのことをよろしく頼みます。追加の食料や家畜は、追って届けさせますので、ここでの暮らしを教えてあげてください」

「分かりました。しっかり食わせて、動ける者にはきっちり仕事も割り振らせてもらいます!」

「冬支度の真っ最中で、今は何をするにも人手不足ですからね! 却って戦力が増えて助かるくらいですよ!」


 力強く言ってくれる村の人々に微笑んだところで、大きな音を立てて集会場の入り口が開く。


「メルフィーナ様!」

「マリー、心配をかけてごめんなさ……」


 駆け寄り、そのまま抱きしめてくるマリーに言葉は最後まで言えなかった。無事であることを確認するように、ギュウギュウと抱きしめられる。

 ちょっとだけ痛いけれど、その腕がぶるぶると震えていて、何も言えなくなってしまった。


「メルフィーナ様! ご無事でよかった。本当に、よかった……!」

「マリー。――ありがとう」


 いつもきっちりまとめているマリーの淡い淡い金の髪はほどけて乱れ、執務室で別れた時のまま、外套すら羽織っていない。


 どれだけ必死に探してくれたのか、メルト村にいるという知らせを聞いて、上着を羽織ることも思いつかないまま飛び出してきたのだろう。


「私は大丈夫よ。心配をかけて、ごめんなさい」


 体を離さないまま、首を横に振られる。

 みんなに心配をかけて、こんなに不安にさせておいて、それでも胸に宿るのは申し訳なさより、ずっと強い歓びだった。


 ――メルフィーナ、いつの間にかあなた、こんなに心配してくれる人たちが傍にいるのよ。


 両親に愛されず、夫になったアレクシスにも結婚当日に拒絶された、メルフィーナ・フォン・クロフォード。


 未来で夫の愛を得た聖女マリアに燃え上がるような嫉妬を抑えきれず、嫌がらせを繰り返し、誰にも必要とされないまま遠い修道院に送られる悪役令嬢。

 そんなメルフィーナだったのに、いつの間にか、とっくにもう、孤独ではなくなっていた。


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― 新着の感想 ―
よかったねえ
この話だけ異色だよね。仮にも高位貴族婦人が平民に拐われたら今後産まれてくる子供は無条件で一切継承権無しで平民になるし、そもそも産ませない。無条件で離縁する。賊は族滅、さらに事情を知る者も口封じで始末よ…
当時の時代背景から考えれば、メルフィーナの誘拐事件が万が一にも外にバレたら、公爵夫人のとんでもない醜聞として、メルフィーナはもう二度と外には出してもらえず、公爵領のどこかに蟄居させられるか修道院に押し…
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