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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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428.騎士の妻の誤解と涙

 翌日、ナターリエの目が覚めたと報告を受けて別館の客室を訪れることになった。


 普段は領主邸内に兵士がいることはないけれど、今は半ば非常事態ということで邸内のあちこちに立ち番に立ってもらっていた。その分火鉢の数を増やしているのでいつもより暖かく感じる。


 セドリックをドアの前に残してマリーと共に中に入ると、すすり泣きとしゃくりあげる声が響いていた。押し殺した嗚咽の主はベッドにいるナターリエで、傍にいるメイドがオロオロとしている。


 アンナの後輩であるメイドのイルザがメルフィーナとマリーの来訪に気づき、立ち上がってぱっと頭を下げる。背中にクッションを当てて体を起こしていたナターリエは顔を上げたものの、涙でぐちゃぐちゃになっていた。


 メルフィーナは必要な時以外は装飾品を身に着けないし、ドレスの素材も軽くて暖かいことを優先しているので、流行のデザインとは無縁だ。今も厚手のコットンのワンピースにサイドガウン型のドレスを合わせているので平民には見えないにしても、華美な刺繍も入っているわけでもないので、訪ねて来た者の身分が分からなかったのだろう。


 ただ、マリーのことは知っている様子だけれど、マリーはマリーで簡素な黒いワンピースの上からメルフィーナの編んだ毛糸のマフラーをストール代わりに掛けている姿なので、戸惑っているようだった。


「ま、マリー様……でございますね」

「ええ、お久しぶりです、ナターリエ」

「やはり、ここはエンカー地方なのですね」


 ナターリエの声には張りがなく、弱々しげに響く。眠っているときも衰弱が目立つ様子だったけれど、こうして体を起こしているとやつれはますます目立っていた。


 どうやらメルフィーナのことはマリーの侍女か領主邸の高級使用人だと思ったらしい。目礼をすると、ナターリエは涙をぬぐい、それでも溢れてくるので袖でごしごしと乱暴に拭った後、マリーに縋るように目を向けた。


「あの、ヘルマン様は……私の夫は、どうしているのでしょうか。そちらのメイドに聞いても、伺っていないとしか言われないのです」

「ヘルマン卿は兵士の監視下に置かれています。今は起きた事が広まらないよう情報を抑えているので、あなたも静かに過ごしてください」


 その答えは半ば予想していたのだろう、ナターリエは表情を曇らせたものの、物分かりよく頷いた。


「マリー様、この度はご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。真っ先にご挨拶するべきお方に無礼を行っていることも、重ねてお詫び申し上げます。どうか、公爵夫人にお目通りいただけるよう口添えをお願い出来ないでしょうか」

「それでしたら、今されるとよいでしょう」


 そう告げると、マリーはメルフィーナに視線を向ける。ナターリエは何を言われているのか、すぐには理解出来ない様子だった。


「こちらはメルフィーナ様。オルドランド公爵家正室のメルフィーナ・フォン・オルドランド公爵夫人です」


 ナターリエは息を呑んですぐにベッドから降りようとするのを、マリーがそっとナターリエの細い肩に手を掛けて止める。


「マリー様?」

「ナターリエ、あなたはとても弱っています。神官様には、危険な状態であると言われました」

「あの、ですが」

「メルフィーナ様は慈悲深い方です。今の状態のあなたに宮廷での礼儀作法を求めるようなことはありませんし、それで少し回復したあなたの体調が悪くなれば、そちらを気にされるような、そういう方です」


 マリーの熱のこもらない言葉に焦りを滲ませながらも、ナターリエは体の力を抜くと、その場で深く頭を垂れた。


 北部に来てからとうとう三年目に突入したものの、宮廷の催しや社交界の集まりには一度も参加していないこともあり、年の近い特権階級の女性にここまで丁寧な対応を受けるのは初めてだ。王都にいた頃は最低限、侯爵令嬢として社交をすることもあったけれど、そういえばこういう感じだったなと、懐かしささえ覚えるほどだった。


「楽にしてちょうだい、ナターリエ。私はメルフィーナ・フォン・オルドランド。夕べも会ったけれど、一応はじめましてと言っておくわね」


 ナターリエの息を呑む音が僅かに響く。彼女は顔を上げないまま、震える声で言った。


「ナターリエ・フォン・ヘルマンでございます。公爵夫人の御前で、このような装いと振る舞いをお詫び申し上げます」

「あなたは病人よ。そんなことは気にしなくていいわ」


 そう言って、ベッド際のメイドが座っていた椅子に腰を下ろすと、ナターリエは驚きのあまりに思わずという様子で顔を上げる。こぼれそうなほど見開かれた瞳はまだ少女の面影を残していて、敵意がないことを伝えるために微笑む。


「ナターリエ、ヘルマンは無事よ。だからそんな風に泣かなくていいわ」

「っあ、あ……いえ、夫のことも、勿論心配なのですが」


 ナターリエはやせ細った両手で自分のお腹を包み込むように抱いて、うつむいてしまう。その拍子にぽたぽたと涙がシーツに落ちていた。


「おなかの子が……いなくなってしまって」

「……ちょっと、失礼」


 背中を丸めてぶるぶると震えるナターリエに触れて「鑑定」を発動させてみると、健康状態の項目には妊娠の文字が刻まれている。それにほっと息が漏れた。


「大丈夫よ。ちゃんとあなたの子はお腹にいるわ。――どうしていなくなったなんて思ったの?」

「授かってから、ずっと苦しくて、うまく息も出来なくなっていたのですが、目が覚めてからは随分よくなっていました。その苦しさは夫の子を宿したためでしたので」

「ああ、なるほど」


 目が覚めて、魔力過多の症状が無くなったかとても薄くなったかしていたため、眠っている間に流産したと思ったらしい。ナターリエからすれば、そう感じても仕方がなかっただろう。


「大丈夫。あなたの子は無事だから、泣かなくてもいいわ。落ち着いたらきちんと説明をするから、今は安静にしてちょうだい」


 ナターリエのどんよりと曇っていた目に、僅かに光が戻る。目が覚めてからずっと泣いていたのだろう、頬が赤く擦り切れていて、痛ましい様子だ。

 大丈夫だと言うように頷いて、彼女の手を握り、笑いかける。


「朝食、あまり食べられなかったようだけど、食欲はまだ戻らないかしら?」

「はい、あの気が動転していて、食事どころではなく」

「今からでも食べられるなら、少しでも食べたほうがいいわ。何か苦手な食べ物はあるかしら?」

「授かって以降は、匂いに敏感になってしまっていて……温めたパンやスープなども、気持ちが悪くなってしまいます」

「つわりがあるのね。これまでに何か、これは大丈夫だったという食べ物はない? 食感が好きとか、甘酸っぱいものなら少しは食べることが出来るとか、なんでもいいわ」


 その声に希望の温もりが宿り始めていて、頷きつつメルフィーナがメモ帳代わりに植物紙を束ねたものに書きつけながら質問すると、ナターリエはまた困惑を滲ませたようだった。


「その、冷たくなったパンやポリッジは食べることが出来ます。お肉は苦手になって、味付けをしていない、火を通したあとに冷ました野菜にビネガーを掛けて食べていました」

「温かくて匂いが立つ料理全般があんまり得意ではないのかしら?」

「はい。それと、飲み物はエールが飲めなくなりましたが、ワインは大丈夫です」

「生まれるまでお酒は避けたほうがいいわ。赤ちゃんにとてもよくないの」


 この世界で妊娠期間の週数の数え方が前世と同じかは分からないけれど、つわりは妊娠初期に始まり中期に入る頃には落ち着くことがほとんどだ。ナターリエのお腹はまだ目立ったふくらみもないし、それと合わせても三~四か月というところなのだろう。


「気分が悪いとか、呼吸が苦しいとか、そういうのはあるかしら」

「いえ、今は本当に楽になりました。寝ても起きてもずっと苦しかったことが、嘘のようです」

「多分、少しずつまた魔力中毒の症状が出てくるのではないかと思うの。でもそれはあなたの中の赤ちゃんが成長しているということだし、今のように苦しみを取り除くことも出来るから、不安にならなくても大丈夫よ」

「はい……」


「今まで大変だったわね。私も魔力中毒になったことがあるのだけれど、とても辛かったもの。よく頑張ったわ」

「は、はい……」


 ぽろっ、とナターリエの瞳から、また涙がこぼれ落ちる。


「申し訳ありません、公爵夫人。私、ずっと、お見苦しい姿ばかり、見せてしまって」

「そんなことは気にしなくてもいいわ。イルザ、エドに温かくなくて、あまり匂いが強くなくて、お肉を避けた栄養のある食事を作ってくれるようお願いしてきてくれる?」

「はい、メルフィーナ様!」

「ナターリエ。つわりはいずれ和らぐと思うけれど、時期は人によって違うからとにかく少しずつでも食事を摂る努力をしてちょうだい。メイドを傍に付けるから、いつでも頼むといいわ」

「はい……ありがとうございます、公爵夫人」

「私のことはメルフィーナと呼ぶといいわ。長い付き合いになると思うし、この屋敷の人はみんなそう呼んでいるから」


 大事そうにお腹に触れながら、何度も頷くナターリエにほっと息を吐く。


 どうやら一晩やそこらではすぐに魔力過多の症状が出ることはないらしい。けれどお腹の子が大きくなっていけばそれにも変化が出るかもしれないし、とにかく小まめに彼女の様子を見て、経過を記録していくのが良いだろう。


 ナターリエが食事をして、きちんと眠れて、気持ちが落ち着いたら、それについても説明をしていかなければならない。


 いつアレクシスがこちらに来るか分からない状態だ。それまでには今自分が置かれている状況を把握してもらう必要があるだろう。


 ――色々と、話すことがたくさんあるわね。


 神殿はおかしな動きをしていないか。荒野の探索についてはどうなったのか。


 この先マリアが北部にもたらすかもしれない、ある意味砂糖産業よりも大きく北部を揺るがすことになるかもしれない問題と、ヘルマンの処遇に対しての事。


 それから、メルフィーナの覚醒した能力と、これからのことも。


 遠征前はただ無事に戻ってくることを祈って、完成した新しいお酒で労おうと思っていたというのに、随分と話が複雑になってしまったものだ。


「あの、公爵夫人……?」

「食事が来るまで横になって、暖かくしていて。あなたが元気になってくれるのが、一番大事なのだから」


 ナターリエはまだ戸惑いの方が大きい様子ではあったけれど、メルフィーナの言葉が社交辞令ではなく本心だということは伝わったらしい。肩から僅かに力が抜けた様子で、静かに頭を下げた。


「ありがとうございます。……本当に、ありがとうございます。……メルフィーナ様」


 イルザが食事を持って戻ってくるまで、とりとめのない話をして、安静にしているように告げて部屋を出る。


「お疲れ様です、メルフィーナ様」

「お疲れ様、セドリック。毎回セドリックをここで待たせちゃうのも悪いから、兵士の分も一緒に椅子を用意しましょうか」

「いえ、私は立っているのが好きですので、遠慮いたします」

「そんなことあるの?」


 あまりに雑な遠慮の仕方に驚いてつい雑な言葉が出てしまう。ふふっ、とマリーが笑い、メルフィーナも肩を揺らして笑みが漏れた。


 記憶が戻ってから最も長く傍にいた気の置けない二人といると、やはり自分も緊張していたのだと思う。


 国を揺るがしかねない大きな問題を抱えていても、今すぐに出来ることは大して多くはない。


 ずっと緊張していては疲れてしまうし、いざというときに正常な判断が出来なくなる可能性もある。前世には急がば回れという言葉もあったことだし、焦ってばかりいても仕方がない。


「昨日から騒ぎ続きだったし、今度騒ぎになったら、次はいつのんびり出来るかも分からないことだし今日は一日、団欒室で編み物でもしましょうか」

「お供させていただきます」

「私も」

「温かいミルクティーでも淹れて、ゆっくり過ごしましょう」


 午後にはエドの作ってくれたおやつでもつまみながら、指を動かしながらおしゃべりをして、冬らしい一日を過ごせばいい。


 メルフィーナにとって何より大切なことは、そんな日常なのだから。


新作の投稿を始めました。

そちらも楽しんでいただけると嬉しいです。


前世は魔女でした!

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