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419.魚の塩焼きと突然の訪問

 いい感じの枝を集めて戻ると、スヴェンとコーネリアが釣った魚の一部を捌いてくれていた。オーギュストがナイフで枝の先端を削って尖らせ、刺し方を教えてくれる。


「こう、口から入れて、エラのところから出して、身をよじって反対側の皮目ギリギリまで通したあと、もう一度体をねじって尾びれの直前で先端を出します。こうすると火を通して魚の身が縮んでも抜けにくくなるので、野営では一番よくやる刺し方ですね」


 魚を釣るのは楽しかったけれど、息絶えた魚の口から棒を突き刺すのは中々勇気が要った。鱗と内臓を処理されている魚は触れると冷たくて、先端を尖らせた枝がブスリと突き刺さっていく感触は残酷に感じられる。


「マリア様。しんどいなら全部俺がやりますけど」

「ううん、出来るようになりたいから」


 食べるのは平気なのに、下処理には抵抗があるというのも勝手な話だし、先にたき火にかざすように刺された魚からいい匂いが漂い始めると素直に美味しそうだと思うのも、我ながら現金な話である。


 なんとかすべて串に刺して順番に火の周りにかざし終えると、あとは中まで火が通るのを待つだけだ。


「中まで火が通るのに二十分から三十分ほどで、生焼けは腹を壊すんで、皮やヒレが少し焦げるくらいまで焼きます」

「待ち遠しいですね」


 スヴェンの言葉にコーネリアがわくわくと弾む声で応じる。マリアの隣に座っているウィリアムは、じっと炎と炙られる魚を無言で見つめていた。


 さっきまで少し落ち込んでいたのに、恐る恐る調理をしてこうして焼けるのを待つ間は楽しい気持ちになっている。この世界にきて何度も凹んだし、もう嫌だと思ったりもしたのに、気が付けば笑っている時間の方が長くなっていたりもする。


 ぱちぱちと薪がはじける音を聞きながらマリアも燃える火に見入り、しばらくするとオーギュストが一番大きな串を取り上げて差し出してくれた。


 この場で最も身分が高いのはウィリアムだけれど、ウィリアムはまだ成人前であることと、エンカー地方で領主の妹ということになっているマリアが一番に口をつけるらしい。


「じゃあ、いただきます」


 こちらでは言わない食事の前の挨拶を口にして、ふうふうと息を吹きかけ、おそるおそる口を付ける。

 熱いけれど火傷をするほどではなく、歯が容易く身に沈み込む。身離れがよい魚で口に入れるとふわっと白身魚の香りが口の中に広がった。


「あ、すごく美味しい!」


 ウィリアムもぱくりと口に入れると、ぱっと目を見開いて青灰色の瞳をきらきらとさせる。小骨が多いかと思ったけれど案外気にならず、時々口の中で引っかかるのも大きめの骨だけだった。


「ただお塩を振って焼いただけなのに、びっくりするほど美味しいですね」


 コーネリアが嬉しそうに言い、スヴェンはそれをにこにこと笑って見ている。オーギュストも一つ取り上げて口に入れ、うん、と頷いた。


「魚の臭みは腹もそうですが、皮と身の間に溜まりやすいんで焼いたら皮を剥いでしまうこともあるんですけど、水がいいんでしょうね、モルトル湖(ここ)の魚は全然臭みがないです」

「こっち……んん、川の魚でも臭いことってあるんだ」


 日本と違って大自然が溢れ返っているのがこちらの世界だ。工場などもないし、どこの魚も美味しいかと思ったけれどそうでもないらしい。


「そもそも人里が近い川というのは汚いですからね。海の貝も町の側だと、中たることの方が多いです」

「あぁ……」


 下水が流れ込んでいるということだろう。すぐに納得して、美味しい魚に感謝しながらもう一本いただくことにする。


「貝も美味しくていいよね。アサリとか」

「エルバンの酒場だとアサリのワイン蒸しは定番のつまみですね。汁物に入れたり、焼いたりしても美味いですし」

「以前海沿いの街に出向いた時に食べたことがあります。たくさん獲れるので安い食堂でも出してくれるんですよね。その街ではアサリと野菜を同じ鍋で蒸したものが名物料理で、滞在中はよく食べました」

「エルバンには行ったことがあるけど、食事に出されなかったな……」


 ウィリアムがぽつりと漏らすと、オーギュストは頷いて答える。


「先ほども触れましたが、貝は中たりやすい食材ですので、ウィリアム様の食卓には出されなかったのだと思います」

「それに、安い食材ですから。浜に埋まっているものなので、貴族が好まないということもあると思いますよ」


 コーネリアがそう続けるのを聞いて、以前メルフィーナに、貴族は地面から高い場所にある食べ物ほどありがたがるという話を聞いたことを思い出す。


 地面に近いほど低俗に感じるそうで、貴族は根菜類を嫌い、空を飛ぶ鳥肉はごちそうという位置づけなのだそうだ。

 それでいうと砂に埋まっている貝はあまり好まれない食べ物なのだろう。


 あんなに美味しいのに、食わず嫌いなんてもったいない。いや、ウィリアムに至っては食べる機会すら与えられないわけだ。


 ――「鑑定」すれば中たるかどうかは、たぶん判るよね。


 毒殺の予防も出来るというから、食中毒の判別が出来るだろうし、公爵家なら「鑑定」を持つ人を雇うくらいは多分しているのではないだろうか。

 だから、ウィリアムの食卓に特定のものが出されないというのは、やはり中たるかどうかより食材の格の問題な気がする。

 なんだかなあと思っていると、内緒話のようにオーギュストが声を潜めて告げる。


「でも実は、閣下もアサリは好きなんですよ」

「伯父様も? 本当か?」

「はい。昔、閣下はエルバンに赴任していたことがありましたが、その折はよくあちらの料理を楽しんでいました。貝類は周りにいい顔をされなかったので、お忍びで街に下りたこともあったくらいです」

「伯父様が、お忍びで?」

「公爵位を継ぐ前ということもあって、あの頃は閣下も心のままに動くことがありましたよ。俺もよくお供させてもらいました」


 思いがけぬ伯父の若い頃の思い出話を聞いて、ウィリアムはすっかり聞き入っている。


「エルバンって、港町なんだよね。そこからあちこちに船が出ているんだっけ」

「ええ、夜市が盛んで夜でも屋台が立ち並ぶ、非常に華やかな街ですよ」


 ウィリアムも以前、いつかエルバンに赴任出来ればまたセレーネと会うことが出来ると漏らしていたことがあった。それ以外でも、話に聞く限り、とても楽しそうな場所だ。


「海のお魚も好きだから、いつか行ってみたいな」

「俺も久しぶりにアサリのワイン蒸しを味わいたいですね。美味い店の場所は覚えているので、案内しますよ」

「うん!」

「いいですね、私も是非お供したいです」

「食いしん坊しかいないね」


 釣果を囲んで楽しみつつ、エンカー地方では味わえない海の幸の話を聞きながら、たき火の周りは明るい笑い声が響いていた。



      * * *


 日が落ちる前にエンカー村まで戻り、スヴェンと別れて城館まで移動する。門をくぐってすぐにメルフィーナが中から出てきて、出迎えてくれた。


「お帰りなさい。釣りは楽しめた?」

「うん、すっごく楽しかった」

「伯母様、たくさん釣れました!」

「ウィリアム君、釣り上手だったよ。私より全然釣っていたと思う」


 オーギュストが馬車の脇にぶら下げてある樽の中から魚を入れた桶を取り出すと、メルフィーナはまあ、と嬉しそうに声を上げる。


「大漁ね。これは、イエローパーチかしら。骨が少なくて美味しい魚よね」

「少し塩焼きにして食べたけど、すごく美味しかったよ」

「いいわね。フライにしても煮つけにしても美味しいお魚だから、野菜をたっぷり入れたアクアパッツァやアヒージョも合うでしょうし、色々と作ってみましょうか。久しぶりに私も腕を振るうわ」

「私も手伝うよ。捌き方とか教えてもらったんだ。ね、ウィリアム君」

「はい、是非お手伝いさせてください」


 ほのぼのと言い合いながら屋敷の中に戻ろうとすると、城館の門の辺りが騒がしくなる。メルフィーナが勢いよく振り返り、つられるようにマリアもそちらに視線を向けた。


 つい先ほどマリアたちが戻ってきたばかりで、開門されたままの門から黒い馬車が入ってきたところだった。馬を操っているのはオーギュストと同じ騎士服を身に着けているので、遠目にもオルドランド家の騎士なのは分かる。


「メルフィーナ様! 公爵家の騎士を名乗る方が入門の許可を求めています。申し訳ありません、止める間もなく入られてしまって……!」

「オルドランドの騎士なのでしょう? アレクシスの来訪の先触れではないの?」


 ずっと冬の討伐の心配をしていたメルフィーナの声が焦りにかすれている。


「公爵家の紋は入っていないので、そうではないと思うのですが、どうにも要領を得ず……」

「あれ、ヘルマン卿じゃない?」


 短く刈り込まれた淡い灰色の髪には見覚えがある。荒野に向かったとき、岩屋まで同道してくれた騎士のヘルマンだ。


 少し離れたところで馬車が止まり、御者席からひらりと飛び降りた騎士がこちらに向かって駆け寄ってくる。


 やはりヘルマンだ。まだ別れて一月も経っていない騎士に声を掛けようとすると、素早くマリアの前にオーギュストが、その隣にいたメルフィーナの前にセドリックが体を滑り込ませる。


「マリー様、二人を連れて中に」

「ええ。メルフィーナ様、マリア様、参りましょう」

「え、あの、でもあの人、公爵家の騎士で、怪しい人じゃないけど」

「お早く!」

「お待ちください、マリア様!」


 おろおろとしていると、いつにないマリーの厳しい声と、メルフィーナに手を取られて歩き出そうとしたところでかすれた声で名前を呼ばれて思わず振り返ると、ヘルマンが片膝を折り、地に伏せて深々と頭を下げているところだった。


「どうか、お願いします。妻を救ってください!」


 悲痛な……まさに喉から血を吐くような声でそう叫ばれて、先ほどまでの和気あいあいとした楽しい雰囲気から一転、何が起きたのか……どうすればいいのか分からず、茫然と立ち尽くしてしまうことになった。


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美味しい魚と楽しい時間から、一転、何やらあやしい雰囲気に… このコントラストが人生山あり谷ありを表していますよねえ。 でも、読む方としてはドキドキワクワクします。事件は向こうからやって来る。
魚もアサリもうまそ。 ヘルマン、ウィリアムと歳が離れすぎないように相当周りに急かされただろうね。 主人やその側近が、同じプレッシャーから逃げつつ、しかも解決方法を手の内に持ってて隠してるって受け入れ…
妻って元妻の可能性もあるのかな?金髪神官の暗躍か?
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