417.デートとお邪魔虫
釣りに行きませんか? コーネリアにそう誘われたのは、年が明けてすぐの朝食の席でのことだった。
「モルトル湖が凍結して、氷上釣りが出来るようになったそうなんです。エンカー地方では冬の食料確保によくやるらしいんですよ」
「凍結しているのに釣りが出来るの?」
パンにホワイトソースとチーズを載せ、香辛料を掛けてこんがり焼いたトーストを幸せそうに頬張りながら言うコーネリアに、首を傾げる。
「氷に穴を開けてそこから釣り糸を垂らすやり方ね。ワカサギ釣りとか見たことない?」
「ああ、テレビで見たことあるかも。なんか楽しそうだね」
釣りには詳しくないし実際にしたこともないけれど、釣竿を垂らして魚を釣るというのはなんとなく楽しそうだ。冬は屋敷の中に籠ってばかりの日々が続くし、いい気分転換になる気がする。
「ウィリアム君も一緒に行かない? 年明けからしばらくは訓練もお休みなんだよね?」
「ご一緒してもいいんですか?」
パンを手に持ったままきょとんと聞くウィリアムに、いいよねと尋ねるようにコーネリアを見ると、微笑んで頷かれる。
「人は沢山いる方が楽しいですし、是非」
「それなら行きたいです。折角お休みなのにロドもレナも実家に帰ってしまっているし、エドは仕事があるので私も少し時間を持て余していましたので」
ウィリアムはエンカー地方にいても昼間は体力をつける鍛錬に、エンカー地方に滞在している騎士から作法や教養を学んでいて一日の大半は領主邸を留守にしている。以前は早朝のジョギングを一緒にしていたので共に過ごす時間もあったけれど、本格的に寒くなってからは朝食と夕食の席を共にする程度がほとんどだ。
まだ十歳……年が明けたので十一歳になったばかりだというのに、頑張りすぎではないか。この世界では親元を離れて働き始めてもおかしくないとは知っているけれど、中々その感覚に慣れることはできない。
「メルフィーナは? 一緒に行かない?」
「私は遠慮しておくわ。年も明けたしそろそろ何か連絡が来るかもしれないから、しばらくは領主邸で大人しくしていようと思ってね」
プルイーナは年越しを挟んで前後二週間以内に出るけれど、おおむね前半に大きく偏っているのだという。例年通りなら討伐の報が早馬で伝えられるのだそうだ。
アレクシスが心配なのだろう。ウィリアムも少し気まずそうな様子だし、自分も遠慮した方がいいだろうかと思ったけれど、メルフィーナは食後のお茶を傾けながらのんびりとした声で続ける。
「冬はどうしてもお肉続きになってしまうけど、久しぶりにお魚が食べたいわ。釣果を楽しみにしているわ」
「うん、たくさん釣ってくるから、天ぷらにして食べようよ。あ、淡水魚は塩焼きもいいんだっけ」
「海の魚と比べて脂の乗りが優しいけれど、この時期だと寒さに耐えるために濃厚になってるでしょうし、煮ても焼いても美味しいわ、きっと」
「じゃあ、晩餐は魚料理になる前提で仕込みますね」
明るいエドの声にウィリアムと視線を交わし合い、中々責任重大だと頷き合うことになった。
* * *
そんなやりとりがあり、午前中のうちから移動してモルトル湖まで来たものの、現地で待ち合わせしていた相手を見て思わずしまったと思う。
「こんにちはスヴェンさん。今日は誘ってくださってありがとうございます」
「いえ、氷上釣りはよく釣れるので、ぜひ楽しんでもらいたくて」
「弓も上手でしたけど、釣りも上手いんですね」
「祖父に仕込まれました。春と秋は森で、夏は川で、冬は湖で獲物を獲るのが日常で」
和やかに話している二人について、湖に足を踏み入れる。氷の上に雪が積もり、湖の上を歩いているとは思えないようなざりざりとした感触だ。多分相当、張っている氷も厚いのだろう。
「このあたりまで来れば、餌をつけた針を垂らすだけで釣れますよ。穴を開けるので少し待っていて下さい」
「あ、あー、魚の取り合いになっちゃうし、多分固まってやるものでもないよね。私はあの辺でやろうかなぁ」
なんとか不自然じゃないようにそんなことを言いながら歩きだすと、オーギュストとウィリアムもついてきてくれた。少し離れたものの、手足は絶対にぎくしゃくしていただろうし、自分の演技の出来なさをしみじみと情けなく思いながら、オーギュストとウィリアムの護衛の兵士が運んでくれた木の椅子に腰を下ろす。
始まる前から少し疲れてしまったけれど、今日の目的はここからだ。メルフィーナにお土産を持って帰るためにも、頑張らねば。
「ええと、ここに穴を開けるんだっけ」
「ノミで削って穴を開けるそうなので、俺が」
「あ、大丈夫。ちょっと待ってね」
旅の途中で何度もしたように穴を開けようと、氷の上に手をかざし、地魔法を発動させようとしたものの、手ごたえがない。少し首を傾げて、地面じゃないからだと納得する。
「この場合氷魔法じゃないよね。水魔法かな」
「ヘタをして大きなヒビが入ったらお二人を抱えて逃げても間に合うかわかりませんし、どうぞ私にお任せを」
やけに気取った言い方をされてしまい、ぐっと唇を引き結んで顎を引く。ノミを氷に突き立ててカナヅチで叩いて削っていくけれど、中々大変そうだ。
「火の魔法でなんとかなる気もするけど、危ないから使わないようにってメルフィーナに言われてるんだよね……」
「メルフィーナ様の言う通りだと思いますよ。魔法で出した火は出した本人が消せますけど、燃え移った火は燃えるがままなので危ないですから」
魔力を使い過ぎれば体調に問題が出るこの世界では、魔法使いはそのまま職業人であり、効率より安全を最優先にしているのだという。いくらほとんど無尽蔵に魔力が使えるとしても、マリアはずぶの素人だ。少し水を出したり氷を出したりしていても、火は危ないというのは理解出来る。
大人しくオーギュストが穴を開けてくれるのを待っていると、やがて掘り進めた氷の底が抜けて、揺れる水が顔を出す。
「俺も釣りって数回したことがある程度ですけど、氷上釣りはここにおもりを付けた糸を垂らして釣るそうですよ。とりあえずやってみましょうか」
オーギュストに言われて針にもたもたと糸を括り付ける。植物性の糸は水に浮くのでおもりが必要なのだろう。
餌はエドに分けてもらった豚肉の薄切りをつまんでつける。
正直生きた虫とかでなくてほっとした。
「にしても、私たち、本気で邪魔だったんじゃないかな……」
ぼそりというと、オーギュストと向かいに座ってマリアの釣りを眺めているウィリアムまで、静かに頷いた。
湖で待っていたスヴェンは、エンカー地方に勤める兵士でコーネリアの友人だ。私服だったので、今日は休みなのだろう。
マリアたちを見て少し驚いた顔をしていたので他に人を誘うと聞いていなかったはずだ。つまるところ、今日の釣りの誘いは、デートのつもりだったのではないだろうか。
コーネリアが二人きりになるのを避けてわざとマリアたちを巻き込んだわけではないと思う。彼女の性格なら、駄目なものは駄目だと言うだろうし、いたずらに人を利用するようなタイプとは到底思えない。
――鈍いタイプでもないと思うけど……スヴェンさんのこと全然意識してないとかなのかな。
おもりを付けた糸を水の中に放り込むと、すうっと肉を付けた針が落ちていく感じがする。ちらりと二人の方を見るとあちらも無事氷に穴を開け、コーネリアの持った竿から糸が水中に投げ込まれたところだった。
少し離れているので何を話しているのかまでは聞こえないけれど、二人とも笑っているし、今日のこれがデートだと仮定すると、いい雰囲気のような気がする。
コーネリアは元聖職者だけど今は違うし、この間神様を信じていないとも言っていたから、それが理由で恋愛を避けているというわけでもないのではないだろうか。
人の色恋沙汰に首を突っ込むのは野暮だし、あまり良い振る舞いではないと思う。ましてコーネリアもスヴェンも、立派な大人だ。この世界の成人年齢は越えているとはいえ、子供気分の抜けない自分が口を挟めるようなことでもないと思う。
「マリア様! 引いてます、引いてます!」
ぼんやりとそんなことを考えていると、ウィリアムに慌てた声を掛けられる。気が付くと木製の竿……というかほぼただの棒にぐっぐっと引く感じがする。
「えっ、わっ!」
「マリア様、糸を掴んで引っ張って、糸がたわまないようにしてください。糸に余裕があると魚が逃げてしまうので」
「わ、わかった!」
日本での釣りは糸を巻くものが竿に付いているイメージだけれど、こちらでは棒に糸を巻く突起のようなものが二か所ついていて、そこに素早く引いた糸を回し取る形だ。
植物の繊維を撚って作った糸は、乱暴に引っ張れば容易に切れてしまうのを予感させる。
かといって糸をたわませれば魚は逃げてしまうというし、引っ張りすぎないよう、それでいてたわまないように糸をたぐっていくのは中々大変だった。
それでも、やがて穴の向こうの水に魚影が映り、次第にはっきりとしたものになっていく。
「えいっ!」
ぐいっ、と竿を引くと、水面から魚が飛び出して氷の上に落ちた。オーギュストが素早く捕まえてくれる。
「あれっ、結構大きい」
「パーチですね。塩を振って焼くと美味しいですよ」
「すごいですマリア様! こんなにすぐ釣ってしまうなんて」
「え、えへへ。ビギナーズラックってやつかな。あ、次はウィリアム君もやってみて」
「はい!」
竿を渡すと嬉しそうに餌を付けて、ウィリアムも糸を垂らす。その間にもうひとつ、護衛の兵士が近くに穴を開けてくれた。
「あ、あ、引いてます! ええと、糸をたわませないように!」
「引っ張りすぎると多分糸が切れちゃうから! 頑張って!」
「はいっ!」
針を垂らすだけでよく釣れるというスヴェンの言葉通り、調子よく次が掛かったようだ。釣れたのはマリアが釣ったものと同じ魚で、一回りほども大きかった。
「すごいすごい、これは食べごたえがあるよ!」
照れくさそうに、けれど嬉しそうに笑うウィリアムに、マリアも楽しくなってくる。
「もっと釣って、メルフィーナに食べてもらおう」
「はい!」
垂らせば間もなく糸が引かれ、引きを調整しつつ魚を引き上げるのは面白かった。
すっかり初めての釣りに夢中になり、少し離れたところでのんびりと糸を垂らしているコーネリアとスヴェンのことは、自然と意識から離れていった。