414.誕生日と初めての年越し
朝食を終えると手持無沙汰らしく、今日のマリアは厨房で豆を剥くのを手伝うことにしたらしい。
折角なのでメルフィーナもそれに倣うことにする。
「こっちではお正月って特にすることはないんだね。初詣とか、お年始とか?」
「出歩かずにゆっくりするのが一番の「すること」ね。こうやって日持ちする具の多いスープを作ってみんなで何日かに分けて食べて、その間は家事も休んで家族で団欒するの」
領主や文官だからこそ冬の間は仕事が減ると言えるのであって、平民は休耕期には休耕期の仕事がある。内職に精を出す者もいれば家の補修や冬の暖を取るために森に落ち木を拾いに行くなど、冬だからこそやらなければならない仕事も少なくない。
エンカー地方も去年までは炭を非常に安価に販売していたが段階的な値上げに入った。住人たちにそれを支払うだけの能力が備わったという判断だが、炭を買うなら落ち木を拾うなり薪を割って火を焚く方を選ぶ住人もいるだろう。
火を焚くというのもその煙で保存食をいぶしたり、煙に含まれるタンニンが家の中を巡って防虫や屋内の保護になったりするなど、決して悪いことではない。
「領主邸も暖炉に火を入れるようになったし、むしろエンカー地方の冬の過ごし方は、これから定着していくのだと思うわ」
豆の莢を剥いて、緑の豆をとりだす。これは半分はスープの具になり、もう半分はポタージュになるらしい。
「私が来たばかりの頃は、この辺りはとても貧しくてね。皆今よりずっと痩せていたし、まだ冷える頃だったのに服も薄くてボロボロでね。とにかく秋までは沢山食べて欲しかったし、冬を無事越せるように随分急いだわ」
今日も厨房は暖かく、エドが鶏のもも肉を大鍋で煮ているいい匂いが漂っている。
エンカー地方の住人にとにかく冬を暖かく過ごしてほしくて、火鉢の普及を急いだ最初の年が、何だか随分昔のことのように思えてくる。
器用な騎士の従兄弟二人はもっと手早く剥けるだろうに、のんびりとした手つきで豆を剥いていた。莢が積み上がるたびにマリーが集めて壺にぽいと入れてくれる。
「俺が初めてエンカー地方に来た時は、驚きましたね。これまで見たこともないようなことを次々として、最初はどうなることかと思ったものでした」
「ふふ、あの時のオーギュスト、珍しく慌てていたものね」
「それまで畑っていうのは、一度作付けしたら休ませる。そうしないと土地が死ぬっていうのが常識でしたからねー。メルフィーナ様の農法と道具のおかげで今年の北部の生産量の増え方、エグいですよ。地方執政官が少しずつ広げていっているので、来年はもっとすごいことになると思います」
「生産性を上げるのって大切だけど、急な変化もあまりよくないのよね。――でも、北部で一人でも貧しさから家族を売ったり、寒さに震えたりする人が減ってほしいわ」
かつてはエンカー地方というささやかな自分の領地で精いっぱいだったけれど、今は発展した領地を通じて外とやり取りすることも出来るようになってきた。
これからはますます、そうした機会も増えていくのだろう。
「こっちでは年明けに一斉に年を取った扱いになるんだよね。私も一歳かあ」
「誕生日を祝うって習慣があまりないのよね。マリアの誕生日っていつ?」
マリアはぎくりと顔をこわばらせ、視線をさまよわせる。マリーとオーギュスト、セドリックもすぐにそれに気づいたらしく、不思議そうな様子だった。
「えーと、別に改まって言うほどでもないんだけど」
「ええ」
「……5日前」
「もしかして、クリスマス生まれ?」
「そう。だからマリアって名前にしたみたい。だからって、だからになってないじゃん! って子供の頃は毎年怒ってたなあ!」
今でも腹立たしいと言いたそうな表情だ。その言葉の意味が分からないマリーとセドリックはきょとんとしているし、オーギュストは呆れたように息を吐いた。
「もう少し早く言ってくれたらよかったのに。聞いた感じだと、神の国の祝い方があったのでは?」
「あるけど、祝ってくれって言ってるみたいで言いにくいんじゃん。こっちでは個人で誕生日を祝う習慣ってないんでしょ?」
「こちらにはなくても、神の国にはあるんでしょう? 教えてくれれば祝いますよ」
マリアはうっすらと頬を染めて、拗ねたように視線を逸らして手元の豆をいじいじと弄っている。
「あちらでは、ごちそうを用意してケーキを食べて、プレゼントを贈ったりするのよね。言ってくれてよかったのに。私もお祝いしたかったわ」
「プレゼントはどのような物を贈るんですか?」
「ささやかなものよ。小物とか、食べ物でもいいわね。綺麗な置物やいい香りのするものとか」
そもそもこちらでは個人の誕生日を祝わないので、春生まれとか夏の終わりごろとか、自分の生まれた日を正確に知らないというのもザラだ。
メルフィーナも名前が貴族の名簿に載っているので把握しているだけで、前世も今も春に生まれた程度の感覚しかない。
「来年はちゃんと祝わないとね。覚えやすい日付でよかったわ」
口にして、来年もマリアはこの世界にいるのか……そもそも、それは彼女にとって決して良いことではないだろうと思い至る。無神経なことを言ってしまったと思ったけれど、マリアはからりと笑っていた。
「そんなのいいよと言いたいところだけど、ケーキは楽しみかな。あっちだとクリスマスケーキと一緒にされちゃうから、子供の頃は文句ばっかり言ってたけど、こっちではそもそもクリスマスがないもんね。ケーキを食べる口実にちょうどいいかも」
「――うんと素敵なケーキを焼くわ」
「うん! 誕生日になったらケーキを食べたい。それがプレゼントってことで」
マリアの笑顔は、本当にただケーキが楽しみだという感じだった。
「ケーキはメルフィーナ様が用意するでしょうし、俺は贈り物の方にしましょうかね」
「オーギュストって女の子にプレゼントするの、慣れてそうだよねー」
「如才ない方ですからね。慣れてますよ」
「そういえば、奥向きの使用人たちにもチラチラと見られていたな」
「あー、やっぱりねー」
マリーとセドリックに畳みかけられて、マリアの視線にじっとりとしたものが混じる。
「ちょっと、俺のイメージが悪くなるようなことを言うの、やめてください。自分から使用人に粉をかけたことは一度もないですよ」
「あっちからはあるんだ?」
「いや、ほんと、ないです。みんな横にいる閣下を見ていただけですよ」
「ふうん……」
特に他意なく相槌を打ったつもりだったのに、全員の視線がこちらに向いたことに少し焦る。
「まあ、二人とも顔が整っているし、背も高いから目を引くわよね」
「ですです、奥向きは男自体珍しいですし、別に変な意味はありませんよ」
妙に気まずいような、甘酸っぱいような、なんだか変な雰囲気になってしまった。
「そういえば、クリスマスってなんですか?」
「えーと、私たちのいた国とは別の国の聖人のお祭り? みたいなもので。ちょっとしたお祭りみたいなものかなあ」
「別の国の聖人のお祭りをするんですか?」
「改めて言うとおかしいかもしれないけど、なんていうか、そういうのが好きな国だったんだよねー」
あからさまに話題を変えたのにマリアも律儀に答え、空気が緩む。それになんとなく、ほっとしてしまった。
空いたボウルに「合成」で水を出して、すっかり青臭くなってしまった指先を洗う。
窓の外にはちらちらとまた雪が降り始めていた。