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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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413.公爵夫人の冬の一日

 本格的な冬が訪れてからというもの、城館内は静かな日々が続いていた。


 大きなトラブルが起きない限りは他の季節に比べて仕事がぐっと減るので、政務を回すための文官もそう多くは必要ない。そのため冬仕事を手伝うために実家に戻ったり、ソアラソンヌに戻り家族と共に過ごしたり、逆に家族をエンカー地方に呼び寄せて村の宿に逗留してのんびりと過ごすことを選ぶ者もいる。


 メルフィーナも、冬は基本的にそう忙しくなることはない。この冬もシャルロッテのモデルを務める他、団欒室の暖炉に火を入れて裁縫をしたり、エドと新しい料理を作ったり、新しい事業について考案したり、比較的のんびりと過ごしていた。


 色々と身の回りに目まぐるしい出来事が起きたものの、朝が来れば太陽は昇り、時間になればお腹も減り、日常は当たり前のように流れていく。

 前世の記憶を取り戻してからというもの、変化に次ぐ変化の日々だった。領主邸の窓から俯瞰するエンカー地方を見れば、それは明らかだ。


 最初はまばらに崩れそうな家が建っていただけのエンカー村は、今や整然と建物が建ち並び、河港を整備したことで物流も一気に増えた。多くの商会が参入してきて、街からちょっとした都市の様相を呈してきている。


 結局、あたふたしたところでなるようにしかならない。手紙をしたため終えるとしっかりと封をして、控えていたラッドに手渡す。


「こちらをお願い。必ずルーファスに手渡しをしてね」

「はい、必ず。それでは、すぐに出発します」

「もうすぐに年明けだというのに、ごめんなさいね」


 年末は基本、いつもより贅沢なスープを作り家族とともにゆっくりと過ごすものだ。結婚し、生まれたばかりの子供もいるラッドにこんなことを頼むのは気が引けるけれど、エンカー地方とソアラソンヌの行き来に最も慣れているのはラッドである。


 ただでさえ雪が降り、道の状態が良くない。ラッドは大事そうに手紙を腰から提げたカバンに仕舞うと、嫌味のない笑みを浮かべた。


「いえ、折角の機会なので、ソアラソンヌで家族に何か面白い贈り物でも買ってきます」

「じゃあ、これは宿屋代ね。おつりは戻さなくていいから、家族のお土産を買ってちょうだい」


 エンカー地方とソアラソンヌをつなぐ街道にある村の宿には、領主邸と公爵家の人間のために維持している部屋があるので基本的に宿代も食事代も要らないけれど、最初の一年半にそうしていた習慣をそのまま残していて、小さな革袋に入れた報酬を手渡す。


 この世界の旅はたとえ数日と言ってもそれなりに大変なもので、冬場は余計にそうだ。冬の間も細々と行き来する商人に頼める類の便りでもないので、お駄賃と考えれば少ないくらいだろう。

 ラッドも心得ていて、手に取った革袋をそっと握って胸に当て、礼をする。


「ありがとうございます。それでは、行ってきます」

「気を付けていってらっしゃい」


 ラッドを見送ると、ほう、と息が漏れた。執務室に残ったマリーとセドリックと何となく視線を交わし合って、彼らの心配が伝わってくる視線に苦笑を漏らす。


「やることは終わったし、少し邸内を見て回りましょうか」


 特に予定もなかったので厨房に足を向けると、暖かい空気と、なんとも食欲をそそる濃いブイヨンの香りが漂っていた。厨房を預かっているエドがすぐにこちらに気づき、屈託ない笑みを浮かべる。


「すごくいい匂いがするわね。何を作っていたの?」

「年越しのスープを、少しアレンジできないかなと思ってコンソメを作っていました。試作なので、ほとんどは使用人の賄いになるんですけど」


 そう言って、大鍋で煮ていたブイヨンを小皿にとってくれる。味見をすると肉と香味野菜の風味がガツンと舌と嗅覚にきた。すでに塩で調味されているらしく、これだけでも十分に美味だ。

 豚骨を感じさせる風味だが、汁は濁っておらず、味も澄んでいる。


「すごく美味しいわ。豚の骨でブイヨンを取ったの?」

「豚の、骨がついたままのすね肉の塩漬けを使いました。塩を塗りこんで数日間低温で保存して、軽く塩抜きした後、とろ火で香辛料と一緒に二時間煮たものです。この後はスープに蕪や豆を入れてポトフにしたものに肉も入れてみようかなと」


 下ごしらえに手間が掛かっている料理は、お肉がホロホロになって美味しいんですよ、とエドはなんの気負いもなく言う。ここにコーネリアがいれば是非ポトフの状態で味見したいと言い出したことだろう。


「多分それ、お肉を取り出した後オーブンで表面がカリカリになるまで焼いて、野菜と付け合わせても美味しいわ。パンやマッシュポテトだと少し重いから、キャベツの酢漬けなんかが合うんじゃないかしら」

「カリカリになるまでですか。やってみます!」

「完成したら是非晩餐にも出して。楽しみにしているわ」

「はい!」


 マリーがお茶を淹れてくれて、エドと少しお喋りを楽しんでいたけれど、真剣な表情で鍋と向き合うのを邪魔したくはなく、お茶を飲み終えると厨房を後にする。


 裏口から外に出てエール工房に足を向けると、途中、中庭を挟んだ向こうにある厩でクリフが馬の世話をしているのが目に入る。あちらもこちらに気づいたらしく、帽子を脱いで頭を下げたので、メルフィーナも軽く胸の位置で手を振った。


 厩舎に入っているセドリックの愛馬のリゲルが、メルフィーナやマリーと並ぶとにょきりと頭が飛び出している主人に気づいたらしく、高くいななきを上げる。


「最近走らせていないので、少し不満そうでしたね」

「雪の中での乗馬は危ないものね。草地に行って放してあげられればいいんでしょうけど」

「牧場で走らせてはいるので運動不足というわけではないのですが、馬はとても賢いので、主人がきちんと世話をしないと拗ねていざというときに働かなくなることがあります。そのうちゆっくり共に過ごす時間を取れば大丈夫でしょう」


 過去に手痛い失敗をしてしまったこともあり、城館内であっても常にメルフィーナの傍に付いているセドリックはメルフィーナが外出しなければリゲルにまたがる時間を取ることがない。近いうち、口実をつけて牧場に付き合う時間を取ろうと決めながらエール工房にたどり着く。


 冬季限定のラガーを発酵させている室は外気と変わらない寒さだけれど、広く海を越えてブリタニア王国やスパニッシュ帝国に輸出されているアルコール度数が高くホップを大量に利用したIPAと呼ばれるエールは、火の魔石を使って室温を温かく保った室で作られる。こちらは二十四時間暖房を使った部屋にも等しいので、城館内では領主邸の厨房並みにずっと暖かい。


 また、大窯を使った蒸留器も三台稼働しているので、職人たちは真冬だというのに半そでの袖を肩までまくり上げている者もいるくらいだ。

 エール工房の親方、ホルガーがこちらに気づき、気さくに声を掛けて来る。


「メルフィーナ様! お呼びくださればこちらからお伺いしましたのに!」

「こんにちはホルガー。あら、私に見られて困ることがあったかしら?」

「はっはっはっ、メルフィーナ様には敵いませんなあ。「味見」のし過ぎには気を付けていますよ」


 灰色の髪を短く刈り上げていて筋肉質なホルガー。エール職人というだけあって、一人で小樽をぺろりと飲み切ってしまったと豪語するほどお酒が大好きだ。


 それまでエールと言えば麦汁を場当たり的に発酵させた液体だったものを、均質の味で安定して大量に生産し、かつ酵母の種類によって複数のエールを造るというメルフィーナの依頼に遺憾なく醸造の腕を振るってくれている。


「帝国に出すエールの製造は順調です。あーっと、おい、セシル!」

「何ですか親方ぁ……って、メルフィーナ様! いらっしゃいませ! あっ、今お茶を淹れますので!」


 ホルガーに呼ばれて奥の事務室から出てきた小柄な女性が慌てて戻ろうとするのを、構わなくていいと引き留める。セシルは商家の出身の読み書きが出来る女性で、エール工房とガラス工房を行き来して事務を取りまとめてくれている女性である。


「醸造所まできて茶はないだろう。エールだエール」

「お茶は厨房で飲んできたばかりなの。製造リストを見せてもらえる?」


 酒好きらしい突っ込みに苦笑して声を掛けると、セシルはすぐに! と事務室に戻り、あっという間に書類の束を持ってきてくれた。


「あら、大分余裕を持って造ってくれたのね。これならこの冬はエンカー地方内でも十分行き渡るわ」

「出荷して手元に残る酒が足りなくなったら笑い話にもなりませんからなあ」

「無茶な量かと思ったけど、さすがねホルガー」

「親方は自分の飲むエールの量が減るのがすごく嫌なんですよ――痛い!」

「当たり前の事を言うんじゃねえよ!」

「もおーっ! これ以上背が縮んだらどうするんですか!!」


 ごつん、と拳骨を落とされてセシルが抗議の声を上げる。大柄なホルガーと並ぶとまるで大人と子供のようだが、やり取りは兄妹のように気安いものだ。


「ホルガー、女性を叩いてはいけないわ。いえ、相手が誰でもそうね」

「は、すみません」

「女性と子供にやさしい方がモテるわよ」


 ふっと笑うと、セシルがニヤニヤして注意されたホルガーに肘を打つ。本来なら脇腹を突きたかったのだろうけれど、身長差のため太ももの辺りに刺さったようだ。


「そろそろあのお酒が完成するでしょう? アレクシスが来たら出してあげたくてね。瓶詰めを進めてくれるかしら?」

「とうとう瓶詰めですか。私がこちらに来た時はすでに最初の樽は仕込まれていたので、誕生に最初から関われなかったのは残念でなりませんなあ」

「あなたの樽は来年以降のお楽しみね。十年物や二十年物と寝かせて、エンカー地方の財産にしていくつもりだから、たくさん造ってちょうだい」

「古いものだと百年物になったりするのですよね。それを私が飲めないのが残念でなりません」

「寝かせる長さは好みの問題らしいけれどね。若い方が尖りが残っていていいとか、十二年を超えたら後は好みの問題だとか」

「せめて四十年物はこの舌で味わえるように頑張ります」


 心底お酒が好きな言葉に笑って、出納帳を確認し、二人に労いの言葉を掛けて醸造所を後にする。


 こうして時々屋敷の中を歩いて回るのも、主の大切な仕事のひとつだ。領主邸の使用人たちはみな勤勉で、自分の仕事に手を抜くようなことはないけれど、だからといって主人がそれに無関心でいていいわけではない。


 ちゃんと働きに気が付いて、声を掛けて、労いをする。使用人を統括する者が不在の領主邸では、そうした振る舞いは女主人の大事な仕事のひとつだ。


 領主邸に戻る道を進んでいると、ばさばさと羽音が舞い降りて来る音がする。セドリックが素早くメルフィーナの前に立ち、降りて来るウルスラとの間に入ると、ウルスラがピーッ! と抗議の声を上げた。


 セドリックが今にも叩き落としそうな様子なので、大丈夫よと笑う。


 ピクニックの折に保護した小型の鷹であるウルスラは、その時点で怪我も癒されてすぐに自然に戻れる状態だったにも拘らず、マリアから離れようとしなかった。メルフィーナに許可を得て保護したものの、特に悪さもせず領主邸の周囲を縄張りのようにしている。


 最近は朝に鳥舎から出すとマリアの傍にいる以外は時々どこかに出かけて、日が暮れる前には戻って来るという自由っぷりである。


 鷹の放し飼いなんてしていいのかと思うこともあるけれど、足に紐をつけたり鳥舎で飼ったりするとそれこそ野生に戻れなくなりそうだし、番を見つければ自然と野生に戻っていくだろう。


 基本的にあまり人間を怖がらず、マリアが荒野に出かけていた間は自由にそこらを飛び回って帰ってこない日もあったけれど、マリアが戻ってきてからしばらく寝付いていた間は窓辺やドアの傍によく捕まえてきたネズミやリスの死骸を置いていた。


 ラッドかクリフが見つけたら速やかに処分してくれていたけれど、めげる様子もなく、かといって必要以上に人間に抗議するようなこともなかった。


 そんなウルスラが、このタイミングでメルフィーナにも懐いたことは何か思わせぶりな理由がある気がしてしまう。


「またぞろネズミや虫を捕まえてきたんだろう。水を浴びてこい」


 セドリックの冷たい言葉にぴぃぴぃと鳴いてメルフィーナに抱っこをせがむけれど、マリアのように腕に止まらせることに慣れていない。小さくとも怪我でもしようものならそれこそセドリックに焼き鳥にされかねないので、駄目よと告げると諦めたように羽ばたいて空に飛び立っていった。


「少し可哀想だったかしら」

「あまり人に懐かせる方がよくないと思います」

「そうねえ」


 外はとても寒い。再び領主邸に戻る道を進みながら、雪がうっすらと積もった城館の敷地に目を向ける。


 変化は目まぐるしいけれど、こうして三人で過ごしていると、最初の年とあまり変わっていないような気もする。


 ――案外、「平穏な日常」とはこういうものなのかしら?


 今まさに世界の変化の渦中の傍にいるはずなのに、そんな風に思ってしまう、とある領主邸の冬の一日だった。


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