388.冬の城と同行者たち
公爵家を出て、馬車が十分にすれ違うことのできる大きな街道を二台の馬車で数日進み、途中で細く頼りない道に入る。
この道は、普段は封鎖されているらしく木製のバリケードらしいものが今は退けられて、二人の兵士が立ち番を行っていた。
公爵家の紋の入った馬車に乗り換えているためか、特に挨拶などは必要ないようだった。そこからは宿はないので二度の野営を挟み、ようやく冬の城と呼ばれる場所までたどり着いた。
灰色の石造りの城で、左右を円柱型の塔に挟まれた立派な城門をくぐって中に入る。普段管理している人はいないと聞いていたけれど、殺風景なだけで荒れ果てているという感じはしなかった。
――そっか、雑草とか生えていないから、そうなるのかな。
荒野は一日中強い風が吹き続けると聞いていたので、髪を三つ編みにして後ろでまとめてフード付きのマントを被っていたけれど、馬車から降りてもそよ風も感じなかった。やや肩透かしを食らっていると、オーギュストとコーネリアがおかしい、そうですねと言い合い、同行している騎士のヘルマンも難し気な表情で頷いている。
同行しているのは、他に「遠見」の「才能」を持つという冒険者のフーゴー、女性冒険者のガードルードとその妹であるテレサの二人である。
ヘルマンは薄い灰色の髪を短く切りそろえていて、オーギュストより少しだけ年上のようだった。フーゴーは癖のある赤茶色の髪に濃い目の不精髭を生やしていて、年齢不詳だけれど気さくに話す声は案外マリアに近い年頃ではないかと思わせる。
ガードルードとテレサは姉妹で冒険者をしているそうで、姉のガードルードは藍色の髪を高い位置で結んで垂らし、妹のテレサは同じ色の髪を左右で三つ編みにしていた。
ガードルードはいかにも冒険者らしい大柄で力強い体躯をしているけれど、テレサは頭一つ分以上も小柄で、手足も細く、華奢というより思春期前の子供のような印象で力仕事には向いていなさそうだ。
野営の時に、ガードルードは剣を使った護衛専門だが風の属性なので魔法はあまり役に立つ場面がなく、テレサは水と火の属性を持っていて、魔法での護衛とバックアップが主なのだと話していた。
水属性の魔法使いは、特に旅をする者の護衛としては道中の水に困ることがなくなるし、そこに火属性が加わると火種を持ち歩く必要もないので、人気なのだという。
馬車を牽く馬に与える飼い葉と水の問題で、この世界では長距離の移動はかなりタイトな計画の上で成り立つものになるけれど、水の問題を解決出来れば一日の移動距離は飛躍的に伸びるので、高額な報酬を払ってもなお、利益の方が大きいらしい。
「冬の城に来るのは初めてだけど、なんか拍子抜けだね。とにかく薄気味悪い音を立てる風が始終吹いていて、馬が怯えて使い物にならないって話だったのに」
ガードルードがこぼすと、テレサはここまで馬車を牽いてくれた馬の首を撫でながら、頷く。
「風がないせいか、思ったより寒くないのね」
「いや、これは明らかにおかしい。私は幾度も討伐に来ているが、あの風が止んでいるのはこれが初めてだ」
騎士のヘルマンは警戒するように周囲を見ながら言うけれど、今はマリアを含む一行以外、城の中は無人でしんと静まり返っている。
「俺も、去年の討伐は参加したけどほんとにずっと強い風が吹いてましたよ。夜中は特に音が気味悪くて眠れないですし、これがえらく乾燥していて、数日もすると顔の皮の柔らかい部分から擦り切れたみたいに痛むんですよ」
フーゴーも会話に加わるのに、ガードルードは怪訝な表情で肩を竦めた。
「今回はプルイーナが出ない時期っていうのは確実なんだろう? だったら、プルイーナが出る時期だけ風が強く吹いてるってことじゃないのかい?」
「荒野は土壌の魔力汚染と、強い風のせいで草木がまともに生えないんだ。そうでなければ夏は背の低い草地くらいにはなっていたかもしれないがな」
オーギュストは馬を厩舎につなぐと、労わるように首を撫でて桶を用意し、マリアに目配せをする。手をかざして水を出すと、馬たちは競うように水を飲んでいた。
「マリア様は、すごく強い水魔法の使い手なんですね。私はそんなに一気には出せないです」
「うん、魔力はかなり多めなんだ。だからここにも来れたんだけどね」
「小柄なのに、すごいですね。私も姉さんくらい体が大きければ、もっとたくさん魔法が使えたと思うんですけど、これ以上は伸びなくて」
「テレサの魔法は十分すごい! それにこの子はとびきり頭がよくてね。腕力馬鹿のアタシはいつも助けられてばっかりなんだ!」
ばんばんとテレサの背中を叩き、ガードルードはあっはっはと笑い飛ばす。
「もう! 貴族様に失礼よ姉さん!」
「あ、いいよ、楽に話してくれて。貴族出身って言っても私自身が爵位を持ってるとかでもないし、こうして旅をしてるくらいだから、深窓のお姫様ってわけでもないからさ」
「ひとまず中に入りましょう。夕飯までに部屋割りを済ませておきたいので」
オーギュストに促されて城の中に入ると、思ったより重苦しい雰囲気だった。討伐の時以外は放置されているということもあるのだろうけれど、公爵邸のような華美さは少しもなく、石の壁に石の床で、やけに圧迫感があって寒々しい感じがする。
「とりあえず、燭台に火を灯していきますね」
ユリウスが手をかざすと、壁に取り付けてある燭台の蝋燭がぽっ、と一斉に点る。
「すごい、これだけの数の蝋燭に、一気に火を点けるなんて」
テレサの言葉に、満更でもなさそうにユリウスは笑っている。
「細かい調整は得意なんだ。消す方は任せるよ」
蝋燭の明かりのおかげで歩くのに不自由がない程度には明るくなったけれど、燭台の数は少なく、ガラスの入った窓はひとつもないので中はとにかく薄暗い。風が吹いていなかったから体感温度がさほど低くなかったせいか、石造りの城の中の方が底冷えすると感じるほどだ。
「普段は閣下が使われている部屋ですが、マリア様とコーネリアはこちらの部屋を使ってください。ユリウス様は隣の士官用の部屋でお願いします。ガードルードとテレサは続きの従者の部屋を二人で使ってくれ。我々は同じ階の端の部屋に滞在していますが、日が落ちたら、余程のことがない限りは部屋から出ないようにお願いします。冬の城周辺は無人で、獣も出ませんが、従者が少なく何か起きたら対応できない可能性が高いので」
「分かった、気を付ける」
少し休憩を取って夕飯の用意が出来たら呼びに来ると言われたので、ひとまず靴を脱いで休むことにする。コーネリアが暖炉に薪を組んで、テレサが火を点けてくれた。
「火の魔法って、やっぱり便利だね」
マントを外して暖炉の前で腰を落としてテレサの出した火を見つめる。最初は魔力の炎だったものが薪に移って、やがてパチパチと小さな音を立て始めていた。
素直に称賛すると、テレサは照れくさそうに笑う。
「もうちょっと強い魔力が扱えると、魔石道具師として身を立てられたんですけど、私は火種を扱うとか少し水を出せるとか、その程度で」
「魔石道具師って、魔石に魔力を込める仕事?」
「はい、水と火の魔石は特に需要が高いので、報酬もすごくいいんですよね。私でも時間を掛ければなんとかなるにはなるんですが、長時間魔力を扱う危険のほうが高いんです」
魔力を使い過ぎると中毒を起こすのは、繰り返し聞かされたことだ。そして魔力の耐性は、体が大きいほど強いという。
充電池に充電するのに、出力の弱い充電器だと充電に時間がかかるようなものだろうか。しかもその充電器は使い続けると、充電器そのものに不具合が出るとしたら、最初から使わないようにしたほうがいいのかもしれない。
「お、ワイン見っけ。な、これ飲んでいいのか?」
「もう、姉さん!」
棚に並べられていたものの中から陶器の容れ物を取り出して、ガードルードが弾んだ声を上げる。どうやら中身はワインらしく、目をキラキラと輝かせていた。
この部屋は元々アレクシスの部屋だ。置かれているものをマリアがいいという訳にはいかなくて何と言うべきか迷っていると、コーネリアがおっとりと言った。
「この部屋にある飲食物は好きにしていいと言われていますし、大丈夫だと思いますよ」
「やった! 厨房でカップ取ってくる! テレサはここで二人の護衛しててくれ!」
「姉さん! あぁもう、すみません、ごめんなさい」
ガードルードはさっぱりとしていてまるで悪気を感じない、良くも悪くも単純そうなタイプに見えるけれど、貴族にも常にあの態度だとしたら、テレサは苦労が多そうだ。
ぺこぺこと頭を下げる先がマリアではなくコーネリアになっているところに、すでに力関係は出来上がってしまったようだった。
「あのワイン、ほんとにいいの?」
「他の人が使った部屋に置かれていた食べ物や飲み物は、閣下の口に入ることは絶対にないですし、大丈夫ですよ」
思わぬ理由を告げられて、マリアも驚く。
「そっか、「鑑定」がないと、毒とか入れられてもわかんないんだ」
「はい、まあ余り物として従士や兵士の皆さんに回らないので、そこは少しだけ恨まれてしまうかもしれませんが、少人数での荒野の視察ですし、こんな危険なお仕事を引き受けてくれる女性の冒険者は珍しいですから、役得として許していただきましょう」
鷹揚に言って、コーネリアはふう、と息を吐く。
「テレサさん。ワインは好きにしても構わないのですが、居室の調度品の破損にはくれぐれも気を付けてくださいね。私たちを農奴として売り払っても賄いきれないでしょうし、連座もあり得ますので」
「ひぇ……はい、勿論です。重々気を付けさせます」
「ただいま! カップ持ってきた! ついでにチーズも!」
出て行った時と同じだけの唐突さで戻ってきたガードルードが持ってきたカップがちゃんと四つだったことに、あは、とマリアは笑う。
「私は水にするけど、とりあえず乾杯しようか」
「そうですね。ここからは馬を使えない移動になりますから、親睦を深めるに越したことはありません」
「姉さん、呑み過ぎないでよ! 絶対だからね!」
「分かった! かんぱーい!」
壺からなみなみとカップにワインを注ぎ、ガードルードは高らかに乾杯の音頭を取る。景気がよく、見ていて気持ちよくなるような飲みっぷりに、白湯を出して傾けるマリアもなんとなく、ほっこりとした。
家でワインを飲むときは、ついなみなみと注いでしまいます。
今日は夜も更新できそうです




