383.ソアラソンヌと公爵邸
大きなトラブルに見舞われることなく馬車は進み続け、三日目になると街道で並走したりすれ違う馬車や、行き交う行商人も増えて来るようになった。
「マリア様、ソアラソンヌが見えてきましたよ」
馬車の小窓から外を覗いたコーネリアに言われ、身を乗り出してマリアもそちらを見ると、土地の隆起に合わせてうねる街道の遠くに、大きな街を俯瞰することが出来る。
「ソアラソンヌはオルドランド家の治める土地の中でも最大の城塞都市で、北の大華と呼ばれています。商業都市としては国内でも二番目に大きな都市です」
「すごい、エンカー地方とは全然違うんだね」
「今は冬なので出入りする人は随分減っていますが、春から夏にかけてはこの辺りの道も人と馬車でごった返して、中々進まないんですよ。そうした人たちを相手に商売する軽食の屋台なんかもあったりするんですが、これの当たり外れがとても大きいんです」
食いしん坊のコーネリアらしい注釈に思わず笑ってしまう。
ソアラソンヌは城壁の周辺に大きな川が流れていて、そこだけはエンカー地方の城館に少し雰囲気が似ているけれど、逆にそれ以外は共通点がない気がする。
なるほど、街を囲む城壁が大きな雪の結晶のような形をしていて、花のようにも見えた。
マリアもセドリックに連れられて北部に来た時滞在したことがあったけれど、あの頃は周囲の全てが恐ろしくて、まともに周りを見る余裕もなかった。ソアラソンヌからは馬車でエンカー地方に移動したけれど、街道や街の様子がどうだったかもよく覚えていない。
もう街は見えているからすぐに着くかと思ったけれど、そこから街に入るまで三時間ほどが必要だった。それでもメルフィーナの通行証を持っているので、かなり所要時間は軽減されているらしい。
御者を務めているクリフと騎乗しているオーギュストが、街に入る馬車をチェックしている兵士と気さくに会話を交わしているのが馬車の壁越しに聞こえて来る。どうやら二人とも兵士たちとは顔見知りらしく、明るい声で挨拶を交わすと一度止まった馬車はすぐに動き出した。
「入市の際は、基本的には馬車の中は必ず検められるのですが、さすがですねえ」
「人が乗っていてもそうなんだ?」
「人数によっても荷物の量によっても掛かる税金が違いますし、何より密輸の可能性がありますので、荷の検めはよほど高位貴族でないかぎりは必須です。入場門で待たされることは免除されても、その先の広場で行われることも多いですね」
「密輸……そっか、そういうのもあるんだね」
「犯罪者の逃亡の手引きや、逆に盗賊を中に招き入れられるなんていうこともありますから。まあ、門番も人によっては結構適当で、賄賂次第でどうにでも、というところも珍しくはないのですが、閣下は政治にはかなり厳格な方ですから、そのお膝元でこの扱いは相当特別なことですね」
コーネリアの説明は解りやすく、かつ丁寧だ。
入市税は身分によって金額が違うこと、荷物も農作物は安く、物によっては免除になるけれど、宝飾品やぜいたく品は高くなること。現金での支払いの他、物資の一部で支払うことも可能など、のんびりとした口調で話してくれる。
「仲の悪い領地同士だと互いを行き来する街道に掛かる関税をすごく高く設定するところもありますし、逆に協力関係にある領地同士なら税を軽減する制度もあります。その土地の領主が後見をしている商会なら安いとか、場合によっては出入りする門によって税の徴収の特許を買い取っている商会があって、西門は高いけど東門は比較的安い、なんてこともあったりしますね」
「それだと、みんな東門に行かない?」
「西門は大きな街道に近いとか、きちんと人が配備されていて待ち時間が短いとか、水を汲む場所や宿場に近いとか、条件が良かったりするんです」
東門は安価だけれど人が多い分管理している者への実入りもいいという、薄利多売と厚利少売が成り立っているということらしい。
飛行機でも出入り口に近くて席が広いとそれ以外の席の何倍も高くなるというし、そのようなものかもしれない。
その他にも、道行く人たちの年齢層や性別、屋台に並ぶ野菜の種類や鮮度でその土地の景気の良し悪しや治安がいいかどうか、健全に市場が回っているかどうかを見分けることが出来るのだという。
「コーネリアはそういうの、神官として覚えたの?」
「はい、神官の役割のひとつに、巡った土地の観察と報告と言うものがあります。わたしは神殿での暮らしにあまり馴染めなかったので、各地を回る仕事に積極的に就いていたので、自然と身につきました」
コーネリアは短期の仕事が多かったけれど、巡礼者と呼ばれる常に移動してはその土地の神殿に少し留まって報告を行い、情報を収集してまた移動する暮らしの神官もいるのだという。
神殿のゆかりの土地や修道院を巡り、そうした移動を数年から、場合によっては十年近く続けるらしい。
手紙の運搬人をすることもあれば、商人とは別の視点で各地の情報を持っているため領主やその土地の代官に招かれて歓待されたりもするのだという。
たった三日の移動でもそれなりに大変なのに、それを十年も続ける人がいることに、しみじみと感心する。
中央に走る通りを進み、もう一度門をくぐった先は橋になっていた。そこからさらにしばらく進むとゆったりとした登り坂になり、その先が公爵家の本館なのだという。
敷地の中にいくつも役割が違う建物や区画があり、領主の生活の場だけでなく行政や財務を取り扱う部署も抱えていて、かなり広い敷地を有している。
「公爵家ともなると、ご家族の暮らす屋敷も男性の住まう表向きと、女性や子供の住む奥向きで建物が違っていたり、表と奥で出入りするのに厳密な区分があったりしますね。流石にわたしもこの辺りになると出入りを許されたことがないので、少し緊張します」
到底緊張しているとは思えないのんびりした口調だった。
やがて馬車が減速を始める。これはもう少しで止まるなと思っていると、コーネリアはマントを羽織り、フードを深くかぶった。
「公爵家にはわたしの顔を知っている使用人もいると思うので、中に入るまでは念のためこれで通しますね。マリア様はそのまま、毛皮のマントで大丈夫ですよ」
頷くと、馬車が止まり、ややあって扉が開く。オーギュストのエスコートで外に出ると、きんと冷えた空気の下、ずらりと使用人のお仕着せを着た人たちが並んで頭を下げているのに、息を呑んだけれど、オーギュストの隣に立っているのは見覚えのある老齢の家令、ルーファスで、少しほっとする。
その更に少し奥には、マリアの母よりすこし年上の女性が控えていた。
「ユリウス様、マリア様、長旅をお疲れ様でした。ようこそ。本日は公爵閣下が多忙のため、家令である私、ルーファスが名代としてご挨拶させていただきます」
恭しい挨拶に、マントの合わせに右手を添え、左手でマントの裾を持って軽く頭を下げる、淑女の礼を執る。メルフィーナに教えてもらった簡易な挨拶だが、上手くできたかは分からない。
使用人たちは全員目を伏せていて視線はほとんど感じないけれど、その意識がこちらに向いているのが痛いくらいに伝わって来る。
領主邸に勤めるメイドたちとは明らかに違う、厳しい雰囲気だった。
「歓迎をありがとうございます。訳あって家名は名乗れませんが、マリアと申します。オルドランド家正室、メルフィーナの妹です」
緊張を押し殺しつつ、ひとまず台詞を噛まなかっただけ及第点を貰いたいところだった。
* * *
「ご滞在中はこちらの部屋をお使い下さい。メルフィーナ様の居室として誂えられておりますが、閣下から自由に使って頂くようにと仰せつかっています」
部屋に入ると中年の女性が丁寧な口調で説明してくれる。公爵家に仕える家政婦長だそうで、上品な立ち振る舞いの女性だった。
通されたのはかなり広い部屋で、天井が高く、壁には壁紙が貼られて、大きな絵画がいくつも掛かっている。大きな暖炉があり、ソファセットが置かれている他、壁際には椅子や彫刻の入ったサイドボードがあちこちに置かれていた。
天井にも天井画が描かれていて、ぶら下がっているシャンデリアの光の加減でなんとも荘厳な雰囲気になっている。
寝室は別になっていて、さらに客人用の寝室まであるというから、マリアの感覚としてはメルフィーナのための部屋というより、マンションのように建物のひと区画を個人的な家として与えられているという感覚に近い気がする。
「コーネリア様は、マリア様のご友人として遇するようにとのことですので、続きの寝室を使っていただければと思うのですが、よろしいでしょうか」
「はい、十分です。お気遣いをありがとうございます」
「公爵家には三日の滞在になります。移動の疲れを癒すのと、その間に色々と準備を整えますので。俺は実家に戻りますが、二日後には戻ってきますので、何かあったら家政婦長を頼ってください」
「え、オーギュストはここにはいないの?」
「奥向きは周辺の警護がされているので安全ですし、基本的に中には使用人もルーファス様を含む数人しか男性は出入りできないことになっているんで」
今日は特別ですね、とからりと笑うと、家政婦長がこほん、と小さく咳払いをした。
「オーギュスト卿、淑女に対する態度ではありませんよ」
「失礼しました。家政婦長、メルフィーナ様の大切になさっている妹様ですので、滞在中はよろしくお願いいたします」
「それは勿論、心からお仕えさせていただきます」
オーギュストはかなり幼い頃から公爵家に仕えていたと言っていたし、家政婦長とも長い付き合いなのかもしれない。つん、と澄ましたように家政婦長は応じるけれど、オーギュストは笑っているし、家政婦長の雰囲気も柔らかで、なんとなく、二人の間に気の置けない距離感を覚える。
「では、俺は閣下に挨拶してから退出しますね。マリア様。御前を失礼します」
「あ、うん……。ご苦労様でした、オーギュスト卿」
優雅に騎士の礼を執ると、オーギュストはマントを翻して部屋を出て行った。
エンカー地方では、寝室以外は常に近くにいてくれたので、なんだかとても、心細く感じてしまう。
「マリア様、ひとまず旅装を解いて、お茶でもいただきましょうか」
その気持ちを読んだように、コーネリアがのんびりと告げる。
わたしが傍にいますよ。そう言ってもらえた気がした。




