表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

375/575

375.画家の葛藤と職人の誇り

 慌ただしく準備を済ませて出立したマリアたちを見送ると、住人の半分近くが留守になった領主邸は急に静まり返ってしまった。


 レナはしばらく部屋に引きこもっていて、それに対しロドは苛立ちを隠さず一時は随分張り詰めた空気になったけれど、数日もするとけろりと表に出て来るようになり、メルフィーナもようやく安堵することが出来た。


「マリアたち、早く帰ってくるといいわね。ロドとレナも、年越しは実家で過ごさせてあげたいし」


 メルト村までは乗合の馬車があり、帰ろうと思えばいつでも帰ることが出来る距離とはいえ、ロドとレナはまだ幼く、メルフィーナの開発した商品の多くに関わりを持っている。二人が橋や建築の現場に出入りしてリカルドや職人たちとやり取りをしている光景を見た者も多い。


 二人が外に出る時は護衛の兵士を付けるけれど、帰省に関しては半ば家族同然のように暮らしているユリウスのほうが、気が楽だろう。


 しばし雑談に興じていると、執務室のドアがノックされる。セドリックがドアを開くと領主邸内の警らをしてくれている兵士二人が布の掛かった板とそれを立てるためのスタンドを運んできてくれる。布が掛かったままスタンドに設置され、その後、シャルロッテとリカルド、リカルドの弟子のエディが入室してきた。


「いらっしゃいリカルド、エディ。シャルロッテもお疲れ様」

「ごきげんよう、メルフィーナ様」

「今日はお招きをありがとうございます」


 建設中の迎賓館と時計台の工事で二人は毎日のように城館に通っているはずだけれど、こうして領主邸に顔を出すのはシャルロッテの紹介の時以来である。


 今日は、そのシャルロッテの最初の納品として、推薦人であるリカルドも立ち会ってもらうことになった。


「みんなでお茶をと言いたいところだけれど、先に絵のお披露目をしてもらいましょうか。とても楽しみにしていたのよ」

「あ、あの、あ、ありがとうございます」


 深々と頭を下げたシャルロッテは、また少し痩せたようだ。


 頬は薄くこけて顔色は悪く、唇も少し乾いてしまっている。だというのに容色が衰えるどころか美貌に妙な凄みが混じっているあたりが、なんとも不憫な感じもする。


「シャルロッテ、今日の納品が終わったら食事をして、しばらくゆっくり休んだ方がいいわ。食べていないし、眠れていないんじゃない?」

「いえ、あの……連作の制作も追いついていない状態ですし、それに、まだ全然大丈夫ですので!」

「でもね、職人は体が資本よ。一度体を壊せば元に戻す方がずっと長く時間が掛かるものだから」

「ですが……」


 ごほん、とセドリックが咳払いをするのに、シャルロッテがびくりと体を震わせる。


「セドリック」

「失礼しました。少々喉に違和感が」


 風邪をひいているなら休んでいいと下がらせるところだけれど、そうでないのは明らかだ。マリーもいつも通り冷静な表情ではあるけれど、シャルロッテの目には冷ややかに感じてしまっているかもしれない。


「まあ、それについては後でもいいわ。今は絵を見せてちょうだい」

「はい、あの、ではお披露目をさせていただきます」


 ぎくしゃくとスタンドに向かうと、シャルロッテは体の前で手を組み、祈るように指を絡ませた。


「こちらは、河港からオルレー川に架かる橋を描いた絵でございます。季節の移り行くエンカー地方とそこに行き交う人々を描きました。どうぞ、ご笑覧ください」


 そう告げて、絵に掛けられた布が取り払われる。


「ほう……」


 真っ先に感嘆の声を上げたのは、リカルドだった。

 河港に向かうまでの大通りから倉庫街に出た辺りで描いたのだろう。その構図にはメルフィーナも見覚えがある。


 建築途中の橋が描かれて、年号も入れられている。冬が訪れる直前の、よく晴れた空と石造りの橋の鉛色がよく対比されていた。


「素敵ね……とても引き込まれる絵だわ」

「ええ、見慣れているはずなのに、なぜか久しぶりに故郷に戻ったような懐かしさも感じさせて、じっと見ていると不思議な気持ちになります」


 マリーの言葉に、セドリックもしっかりと頷いた。


「行き交う職人や人足のあわただしさと、建築途中の橋の様子がとてもよく合っていると思います。ああ、こうして橋が造られていくのだなと感じさせるというか」


 板を張り合わせたキャンバスに描かれているのは、間違いなく見慣れたエンカー地方の風景を切り取ったものだ。


 それは、シャルロッテの目を通して表現されていて、自分の視点と別の誰かの視点と感情が混じり合うような、奇妙な気持ちにさせられる。自分以外の誰かの視点を通した見慣れた、けれど美しい風景は、新鮮な気持ちにさせられた。


 青い空には細やかなグラデーションが掛けられていて、顔料に使った鉱石が光を弾いているのか、よく見ればきらきらと細やかにきらめいている。油彩特有の濃淡で立体感を出す重たい画風とは違い、全体的に淡い色使いが多く、重厚さには欠ける反面絵画の中に描かれた人々のあわただしさ、汗や吐息まで伝わってきそうな生々しさを感じさせた。


「本当に素晴らしいわ。期待以上の仕上がりよ、シャルロッテ」

「いえ、あの、あ、ありがとうございます」

「この絵は応接室に飾られる予定なのですよね? いやはや、叶うなら私の工房にも一枚欲しいくらいです」

「あら、リカルド、そんなに気に入ったの?」

「あの橋はこの夏、付きっ切りで面倒を見たものですからな。完成はまだ先ですが、この絵を見ているとなんというか、赤ん坊だった倅が立ち上がった時のような気持ちにさせられます」

「ふふ、橋が伸びていくのと連動して、春と夏と冬にも同じ構図で描いてもらうつもりなの。領主邸は飾り気がなかったから、シャルロッテの絵で飾ってもらえるのは嬉しいわ。いずれ応接室は、エンカー地方とそこに住まう人たちを描いた絵が並べられて、ちょっとしたギャラリーのようになるでしょうね」

「これは、折に触れて招いていただけるよう私も仕事を頑張らないといけませんな」


 和やかに笑い声が上がる。


 リカルドはエンカー地方の最初の建築ラッシュから関わってくれている大工の親方であり、今のエンカー地方の生みの親の一人とも言える。


 風景は見慣れて、次第に新しいものに記憶が塗り替えられて、やがてそこに何があったのか思い出せなくなってしまう。


 時々は、振り返るための記憶の栞のように、その時その時を映した絵を眺めて思い出を振り返るのも良いだろう。


「あ、あのっ!」


 応接室に用意した壁絵を掛けて、そのままお茶や制作の話でも聞こうという流れになりかけたとき、意を決したようにシャルロッテが声を上げた。


「あの、あのっ、やっぱり、描き直させてください!」

「シャルロッテ?」

「ま、まだ、よく出来ると思うんです。空はもっと青の顔料を使って深い青にした方がいいと思うし、陰影のつけ方も甘いし、暗喩が足りていないし、表情も付けすぎてしまって」

「待って、落ち着いてちょうだい。――確かに絵画的表現の流行の最先端ではないかもしれないけれど、私はこの絵が好きよ。エンカー地方の良さがよく描かれているし、とても気に入ったわ」


 シャルロッテが並べ立てたのは、この世界の絵画の描写で重要視されるものばかりだ。


 顔料を贅沢に使って絵画そのものの価値を高くし、陰影を濃くして立体感を出し、人物の表情は極端に抑え、直接表現を避けて隠喩を用いることで見る者の教養を計る。どれも間違った知識ではない。


 ただ見たものを活き活きと表現するというのは、少なくとも今の流行とは言い難いけれど、メルフィーナが望んだオーダーを十分に満たしている。


「でも、折角依頼していただけたのですから、もっと良くしたいんです。それに、この先、他の絵も並べられた時、最初の絵が出来が悪いと思われるかもしれなくて、それで」

「いい加減にしないか!」


 自分の言葉にどんどん追い詰められて狼狽していく様子のシャルロッテを落ち着かせようと、どう言葉を掛けようか思いあぐねていると、リカルドの一喝がびりびりと執務室に響き渡る。


「一度納品して依頼主が満足したものを、やっぱり駄目で不十分だと!? 職人としての誇りはないのか!」

「いえ、あの、私、あのっ」


 勢いにたじろいで、一歩後ろに下がるシャルロッテの態度が、さらにリカルドに火をつけたようだった。


「いいか! 職人は長い間腕を磨き、自分が何を出来るか、出来ないかを模索しながら物を作っていくんだ! 期待され、依頼を受けたらそれに力を振り絞って応える! それ以上でも以下でもない! 師匠にそんなことも教わらなかったのか!」

「ちょっ、親方! 落ち着いてください!」


 掴みかからんばかりのリカルドに、エディがとびかかって押さえ込む。ただでさえ混乱している様子だったシャルロッテは青ざめてぶるぶると震え、もはや収拾が付かない雰囲気だ。


「依頼人の期待に応える覚悟もない作品を納品する奴は職人じゃねえ! この絵を描き直すくらいなら筆を折って二度と画家でございますなんて名乗ろうとするんじゃねえ! これだから――」

「リカルドさん」


 はっきりと、そして凛としたマリーの声が響く。


「それ以上言ってはいけません。――分かりますね?」


 冷静な口調で言われて、顔を赤くしていたリカルドは興奮冷めやらずという様子ではあったものの、我に返ったらしい。


 勢いのまま言っていれば、続いたのは「これだから女は」だったのだろう。

 女領主であるメルフィーナの前で、決して口にしてはいけない言葉だ。


「……失礼しました。申し訳ありません、メルフィーナ様」

「いいのよ。あなたが誇りを持って仕事をしてくれているのはよく分かっているし、私もいつも感謝しています。――シャルロッテ」

「は、い」

「別室で、少し落ち着いて話をしましょう」


 今にも倒れそうな様子でがくがくと頷くシャルロッテに、そっと微笑む。


「あなたが怖がるような話をしたいわけではないわ。大丈夫よ、心配しないでちょうだい」


 彼女は分からないことを恐ろしいと思う性格だろう。想像力が豊かであることも、彼女の作品を見れば伝わって来る。


 だから、不安が無限に増殖したりすることがないように、そう言葉を添えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書籍版

i1016378



コミカライズ

i1016394


捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです@COMIC【連載中】

i924606



i1016419
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ