363.メルト村と聖女と鷹と
オーギュストのエスコートを受けて馬車を降りた途端、ぴーっ、と甲高い声が響くのに空を見上げると、太陽を背に翼を広げた鷹の鳥影があった。
ウルスラはマリアがこちらを見たことに気づいたらしく、一際高く舞い上がったあと、くるりと方向を変えてメルト村の上空を一周し、それから降下してくる。布を巻いた手を掲げると羽を広げて減速したけれど、腕に止まる時の勢いはまあまあ強いものだ。
くるる、きゅるると甘えた声を出すので背中をそっと撫でると、すかさず胸に飛び込んできたので受け止めた腕と反対の手で抱きとめる。隣にいたオーギュストが少し呆れたような目でマリアに体を預けるウルスラを眺めていた。
「すっかり甘え癖がつきましたね」
「可愛いけど、困るよね。領主邸から結構離れてるのについてきちゃったの?」
語りかけても当然ながら返事はなく、首の下を指で掻くと気持ちよさそうに翼をだらりと弛緩させる。その姿はさながら甘え切った猫のような様子だった。
「鳥はとても目がいいですからね。あの高さから草むらを這う蛇を見つけるくらいですから、我々とは見えているものが違うのでしょう。どうしてそんなことが出来るのか、興味が尽きませんね」
ユリウスは穏やかな口調ながら、細めた目でウルスラを見る。尽きない興味のまま少し開いて見てみたいとでも言い出しそうな様子にウルスラを胸から引き剥がして放つと、甘え足りずいかにも渋々という様子だけれど羽ばたき、風を掴んで再び空に舞い上がっていった。
「ああ、残念」
「そういうこと言わないの! 冗談でも他の人に言ったら嫌われたりするからね!」
案外本当に残念そうな様子に苦言を呈するのに、ユリウスはニコニコと笑うばかりだ。さながら小さな子供が構われて喜んでいるような笑顔に、何を言っても無駄そうだと肩を落とす。
ゲームの中ではあれほど妖艶な笑みを浮かべていたというのに、目の前のユリウスはまるで五歳くらいの男の子のようだった。レナに叱られちゃったと告げて、今のはユーリお兄ちゃんが悪いよと言われてくすくすと笑い合っている。
「メルト村って、エンカー村とは結構建物とかの雰囲気が違うんだね」
「エンカー村は商業的な発展のために三階建てが多いですから、強度を出すためにも石造りかレンガ造りの建物になっていますね。メルト村の方は農業中心なのでほとんどが平屋か二階建てなので、木造にモルタルを使った建物が多いので、自然と雰囲気が変わってくるんでしょう」
ユリウスの説明では、エンカー村には建築や行商のための商人が、メルト村では農作業のための人足が、それぞれ春から秋にかけてよく訪れるのだという。今の季節はどちらもほとんど立ち去って、一番人の少ない時期らしい。
「出稼ぎって、大変だよね。家族と離れて寂しいだろうし」
こちらの世界の感覚が自分の育った環境とはまるで違うというのは解っているつもりだけれど、それでも親しい人と離れれば寂しさを感じるものだろう。事故や怪我、病気といったもののリスクが日本より大きく、簡単に連絡が取れない世界なら、なおさらだろう。
「マリア様! あそこがレナのおうちだよ」
小さな手に引かれて指をさした方向に目を向ける。
平屋で柵に囲まれた畑があり、鶏小屋と、果樹らしい木が数本植えられているのが見える。レナの父親はこの村の村長だと聞いていた。周囲の家より大きいけれど、建物の様式は同じで周りと比べて一際立派という様子でもない。
「レナ、レナはここまでだよ。寒いから近所の家で待っている約束だろう?」
マリアの手を引いたまま自宅に向かおうとするレナを、ユリウスが引き留める。
「うん……」
「大丈夫、私が見て来るし、すぐ治るよ」
レナの妹の体調が良くないという報せに当初はメルフィーナが赴く予定だったけれど、生憎のタイミングでソアラソンヌから来客がありその対応をすることになってしまった。コーネリアは怪我の治療は出来るが病気は専門外だということで、マリアが治療を兼ねて請け負うことになったのが今朝の流れだ。
感染症だと小さな子供は特に危ないからとレナは領主邸に留守番するように言われたけれど、妹を心配するレナに自宅に入らないことを約束して同行が許可された。
「うん、マリア様、サラをお願いします」
いつもは年相応に子供らしいレナだけれど、ぺこりと頭を下げる様子はしっかりとお姉ちゃんのものだ。名残惜しそうにマリアの手を離すと、向かいの家で待っていると告げて小さなレナは走っていってしまった。
ユリウスがノックして声を掛けると、すぐに内側からドアが開いて女性が招いてくれた。
「ユリウス様、おかえりなさい」
「ただいま。エリ、レディの妹君で、マリア様だよ。マリア様、彼女はロドとレナの母親のエリです。得意料理は鳥のもも肉を豆と煮込んだスープです」
「今日はご足労頂き、ありがとうございます。私はメルト村の村長の妻で、エリと申します」
「マリアです。メルフィーナの代理で来ました。ええと、私もメルフィーナと一緒であまり貴族っぽくないので、あんまりかしこまらなくても大丈夫です」
丁寧に礼をされて少し焦る。メルト村に来るまでの馬車の中で、以前は領主邸で働いていたこともあると聞いていたけれど、なるほど他の村の人と比べると所作が丁寧で洗練されているようにも感じた。
「エリ、サラは奥?」
「はい、さっきまでぐずっていましたが、今は少し落ち着いて眠っています」
不安がるようにマリアを見るので、大丈夫だと頷くと奥の部屋に案内された。
中に入るとすぐにリビングでキッチンも同じ空間にある。大きなテーブルが中央に置かれて椅子は八脚ほど置かれている。ユリウスがキッチンを借りて自然に手を洗ったので、マリアとオーギュストもそれに倣った。
「レディに、特に子供のいる家では外から帰ったら必ず手を洗うようにと厳しく言われているんです」
「それがいいよ。赤ちゃんはすぐ熱を出したりするから」
弟も赤ん坊から幼児の頃はすぐに鼻水をたらしていたし、流石に覚えていないけれどマリア自身もそうだったのだろう。
リビングの奥にドアがあり、そこから廊下に出た二間の片方に案内された。
平民は大きな一間の部屋がリビングでありキッチンであり寝室も兼ねているというから、3LDKあるのはかなり珍しい部類らしい。
「この家の魔石のコンロは僕が作ったんですよ。エリのスープがいつでも食べられるようにって」
「本当にあれはすごく便利で、メルフィーナ様が教えて下さった離乳食を作るのは、かまどでは難しかったと思います」
「いずれは全戸にコンロが当たり前につけられるようになりたいよね。魔石は高価だから、他に代用できるものがあればいいんだけど」
天然ガスや石油が思い浮かぶけれど、それらがどう利用されて日本でのエネルギー源になっているかは知らないし、ここでは口にチャックをしておくことにする。
奥は子供部屋のようで、エリの案内で中に入ると二つのベッドにベビーベッドが置かれていた。傍に寄って覗き込むと、子供が一人、眠っている。
熱が高いらしくふくふくとした頬が赤く染まっているのが可哀想だ。
「エリ、ここは僕とマリア様が見ているから」
ユリウスがさりげなく外に出るように告げると、エリは心配げな様子ではあったけれど、素直に外に出てドアを閉めた。
「小さな発疹が見られますし、やはりはしかのようですね」
「一応「鑑定」してみるね」
「鑑定」はユリウスも出来るけれど、人間の「鑑定」を読み取ることが出来るのは現状、メルフィーナとマリアだけだ。サラに意識を向けて「鑑定」を発動させると、頭の中に情報が流れ込んでくる。
サラ
年齢 2歳
身長86cm
体重11キロ
魔法属性 なし
能力 なし
健康状態 はしか 発熱 下痢 水分不足
配置 NPC
更新履歴 ・―・
「あ、やっぱりはしかみたい。二人は大丈夫?」
「僕は病気にはかかりませんので」
「俺も小さい頃に済ませました」
オーギュストはともかくユリウスの病気にかからないというのはなんなんだと思っていると、マリアの頭二つ分ほども大きな魔法使いはへらりと笑う。
「魔力が強いと体が弱くて病気にかかりやすくなるのですが、強すぎると今度は病気にかからなくなるんです。とはいえ、そのレベルで魔力が強い人間自体がほとんどいないので、研究はあまり進んでいないんですが」
「あー、細菌やウイルスまで殺しちゃうってことなのかな。あれ、ウイルスは生き物じゃないんだっけ」
その辺りのことは、メルフィーナの方が詳しいだろう。サラの小さな手に触れると、可哀想なくらい熱く、ふにゃふにゃの指が縋るように握りしめてきた。
回復するように強く思うと、ふわりと風が室内を走り、苦しそうだった息が鎮まって、すうすうと健康的な寝息に変わる。
「聖女様、風魔法が発動しているので、気を付けて」
「うん……」
「あまり一気に回復すると目立つので、体の回復力を上げるくらいで留めてください」
「うー、そういう調整、すっごく難しいんだよね」
回復魔法には大分慣れてきたつもりでいたけれど、色々な属性の魔法もついでに発動させていると指摘されてからは目的の魔法だけに集中するよう気を付けるようになった。それでもこうして漏れてしまうし、一つの魔法に強弱をつけるのは更に難しい。
うんうんと唸りながらなんとか発疹が少し残る程度で止めて、ふうー、と間延びした息を吐く。もう一度サラを「鑑定」してみると、健康状態の項目に回復中という言葉が追加されている。
「汗をかいて水分不足みたいだから、お水を飲ませた方がいいと思うけど、後は大丈夫そう」
「よかった。――よかったね、サラ」
同じように目を細めていても、ウルスラに向けた目とは随分違う愛情深い視線をサラに向けて、ユリウスはほっとした様子だった。
「メルフィーナが天然痘の心配をしていたから、そうでなくてひとまずよかったよね」
「あれは痕が残ることも多いので、特に女の子にはかかって欲しくないですね」
「男の人だって、病気になんかかからないに越したことはないけどね」
部屋を出ると、エリが心配そうな様子で廊下で待っていた。ユリウスがもう大丈夫だよと告げると、涙を滲ませて頭を下げて、すぐに子供部屋に入っていく。
「ロドとレナには上に兄弟がいたというので、心配だったんでしょうね」
いた、ということは何かの事情で亡くなってしまったのだろう。
今朝メルト村に来る直前、メルフィーナにこの世界では子供の半分は幼い頃に亡くなるのが普通なのだと言われた。あまりに高い割合に息を呑んだし、マリアにサラの様子を見に行ってほしいと頼む気持ちもそれで理解出来た。
ロドもレナも、領主邸で暮らす仲間だし、弟や妹のようなものだ。彼らが末の妹を可愛がっているのは折に触れて伝わっていたので、助けることが出来て良かったと思う。
「みんな元気に、健康に育って欲しいよね」
「今のエンカー地方なら大丈夫だと思います。去年よりみんな元気そうですし」
マリアがいるだけである程度健康状態にバフが掛かると以前メルフィーナも言っていた。マリア自身としては本当なのかと懐疑的な気持ちもあるけれど、それで病気に罹ったり不幸になる人が一人でも減るなら、それでいいのだろう。
エリに何度も礼を言われて外に出ると、玄関先にウルスラがいて、なぜかその隣にネズミが5匹ほど積み上げられていた。
誇らしげな表情で褒めて欲しげなウルスラに与えた報酬が甲高い悲鳴だったのは、後から考えても仕方のないことだったとマリアはぼやいたという。
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