359.アヒージョと友達の自覚
「鉄鍋にオリーブオイルを入れて、大蒜とトウガラシを入れて弱火で少し置いて、香りが出てきたら具になるものを炒めていくわ。基本は油で煮る料理だから最初から油をたっぷり入れてもいいけれど、私は先に炒めるのが具の風味が増すから好きだわ」
今日は量が多いので、実際に鍋を取り扱うのはセドリックがやってくれた。危なげなく大きな鉄鍋を振るい鴨肉、今日収穫したキノコ、領主邸から運んできた野菜を入れていき、ある程度火が通ったら具材が浸りきらない程度のオリーブオイルを注いでしばし煮る。
「簡単な料理だけど、具を変えると色々とバリエーションがあって楽しいのよ。春はマスとアスパラとか、夏は爽やかに海老とトマトもいいわね。ポロネギやジャガイモも合うし、肉も野菜も具を選ばないのが良いところね」
すっかり熱が通ったら塩と胡椒を振り、火から上げる。エドが仕込んでくれて鍋ごと運んできたスープも温まって、辺りにはいい匂いが立ち込めていた。
テーブルに置かれたバスケットには具を色々と変えたサンドイッチが詰まっていて、マリーが追加でパンとチーズを切り分けてくれる。マリアとレナが鼻歌を歌いながら飲み物のカップを出して、兵士たちはエールの小樽を設置してくれた。
最初の年はマリーとセドリックとセレーネとフェリーチェでのんびりと湖を眺めていたけれど、こうして大人数でわいわいとやるのも楽しいものだ。食事の用意が済み、まずメルフィーナがアヒージョの中からキノコとブロッコリーを掬い上げてバゲットの上に乗せて、ぱくりと食べる。
豊かなオリーブの香りと大蒜の匂いが混じり合い、なんとも食欲をそそる。鴨肉の旨味が野菜の味を引き立てていて、いい味に仕上がっていた。
「うん、美味しいわ」
メルフィーナが言うと、テーブルを囲んでいたみんなもそれぞれ手を伸ばし、食事が始まる。
エドが焼いてくれたふわふわのパンに色とりどりの具を挟んだサンドイッチは眺めているだけでも楽しいけれど、口に入れるともっと楽しい。キャロットラペと生ハムのサンドイッチは甘酸っぱさと塩っ気が絶妙だし、小さな肉団子と野菜は食べやすいように交互に串に刺してあるのも嬉しい心遣いだ。
「鴨肉を食べるのは久しぶりですが、鶏肉にはない野生的な噛み心地と力強い濃厚な味わいがありますね。キノコも口に入れると噛むたびにしゃきしゃきとして、オリーブオイルに溶け出した鴨肉とキノコの旨味を受け止めたパンの、なんて美味しいことでしょう。秋は冬に向かって色褪せていく季節ではなく、次の春に向けて力を蓄える季節なのだと、一口ごとに実感します」
「アヒージョって初めて食べたけど美味しいね。これ、パスタにも合いそう」
コーネリアがうっとりと言うのに、マリアはうんうんと頷いて手に取ったサンドイッチにかぶりつく。
「スヴェン、ワインはいかが?」
「あ……いえ、あの、メルフィーナ様のお手を煩わせるのは」
兵士ということもあり、採取から戻った後は警備に加わろうとしていたスヴェンだけれど、コーネリアの友人であるというし、共に食材を集めたのにその成果を口に出来ないのも寂しい話だ。何度か固辞していたものの、コーネリアが美味しいものは一緒に食べたいと誘ったことで同席することになった。
「こういう席は無礼講よ。ええと、正式な場以外で同じ食事を共にするときは、身分の上下は忘れて料理を楽しむ仲間でいましょう、という意味よ」
厳格な身分の上下関係があるこの世界ではなじみのない考え方だけれど、心地よく晴れた秋の日、しっとりと優しい森の空気の下で同じ料理を食べている者同士であまりかしこまった態度を取る必要もないし、肩身が狭い思いもして欲しくない。メルフィーナがワインの瓶を差し出すと、スヴェンは恐縮した様子で木製のカップを差し出した。
「……ガラスで作られた容れ物とは、すごいですね」
「城館の中にあるガラス工房で作っているの。ようやく規格が決まったところでね。冬の間にもう少し試作を続けて、春には瓶詰めのお酒も輸出品目に加えることになると思うわ」
エンカー地方に来た最初の年に植えた葡萄の苗も、少しずつ収穫が出来るようになってきた。安定して収穫が見込めるまであと2、3年必要だろうけれど、麦やトウモロコシから作る蒸留酒は今年の冬で最低限の熟成が終わり始める。
時間をかけて醸成されたものがようやく形になるのは嬉しいことだ。
年が明ければメルフィーナも十九歳になる。この世界ではとっくに成人しているけれど、前世の感覚から日常ではなんとなく控えているお酒も、来年の年が明ける頃にはもう少し気楽に楽しめるようになるだろう。
「アヒージョにはエールも合いますけど、ワインと合わせても美味しいですね。大蒜の香りで赤ワインが引き立ちます」
「デザートにエド特製のアップルパイもあるので、飲み過ぎないようにね」
「それは、どれだけお腹いっぱいでも食べることが出来ると思います」
エールとワインで少し酔っているらしく、コーネリアはふにゃふにゃと笑う。
「わたしは、本当に幸せ者です」
ワインを片手にしみじみと呟くコーネリアに、テーブルについている面子も微笑んでいた。
ただし、キノコの利用法と研究について熱心に話しているユリウスとレナを除いて、という注釈が必要になった。
* * *
昼食が終わり、酔いが回ったコーネリアをスヴェンが天幕まで連れて行ってくれるというので任せて、満腹になったお腹をしばし休ませることになった。
護衛の兵士たちも休憩を取ってもらい、焚火を中心に円陣に組んだベンチに座る。時々薪がぱちん、と音を立てて爆ぜ、焚火の熱が暖かい。
ウィリアムとロド、レナとユディットの子供組は、少し離れたところでフェリーチェと共に駆け回っている。
ウィリアムはまだ正式な騎士としての訓練は始まっていないと聞いているけれど、体力をつけるための教育は施されているようで、年長のロドにも負けないくらい元気がいい。紳士としての振る舞いも身に付きつつあり、男の子二人にはやや置いて行かれ気味のレナとユディットを気遣っている様子もあった。
「コーネリア、珍しくはしゃいでいたわね。いつもはあれで、結構冷静な人なのに」
「本人の言うように、楽しかったのでしょう。私も気持ちはわかります」
相変わらずクールな様子で言うマリーにはしゃいでいる様子はまるで見受けられないけれど、それが本心から出た言葉であるのは伝わってくる。
「私も楽しいわ。こんなふうにみんなで、外で食事をするのもいいわね」
毎年なんとなく、冬になり切る前の時期にピクニックをするのが定番になっているけれど、来年は春にもそうしてもいいかもしれない。
春は春で新たな芽吹きがあるし、ぽかぽかと暖かい日和の中でおしゃべりに興じるのだってとても楽しいだろう。
「そういえばユリウス様、毒キノコばかり採ってきていましたけど、あれ、どうするんですか?」
「メルト村で少々ネズミの発生が気になるという話を聞きましたので、殺鼠剤を作るつもりです。猟犬が誤って口にしないように、ある程度工夫が必要ですが」
「収穫期が終わると、どうしてもその問題がありますね。問題になるほど増えているんですか?」
「例年と比べて顕著というわけではありませんが、レディにネズミは病気を媒介すると教えてもらって以降は、どうにも気になってしまって」
サラはまだとても小さいので心配ですしと付け加えられて、ほっこりと笑う。ふと見ると、セドリックも口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
人の気持ちに鈍感なところがあるユリウスではあるけれど、それは人を大事に出来ないというのとは少し違う。彼は彼なりに周囲の人間に気を配っていて、特に昔からの友人であるセドリックの言葉は尊重することが多い。
ロドとレナの末の妹であるサラは生まれた時から面倒を見ているし、兄妹と同じように可愛がっている様子だった。
「最終的には人には無害で、収穫後に農作物に付く虫にだけ効果のある薬を作りたいですね。適切な管理をしていても、麦にはある程度ダニやコクゾウムシが湧きますし、葉野菜なども虫の卵が付いていてそれが気づかないうちに食害を起こしたりしますし」
すぐに食べてしまう物ならともかく、エンカー地方は輸出にも力を入れている。ある程度保存しようとすると、それらも頭の痛い問題だ。
ユリウスがそんなことを考えてくれていたなんて、毒キノコばかり集めてまた奇妙なことを考えているのだろうかと思っていて、悪かった気持ちになる。
「最近は忘れられがちですが、僕はエンカー地方に雇われた錬金術師ですので、きちんと仕事はしますよ、レディ」
胸に手を当てて、気取った様子でウインクするユリウスに、ふふっ、と笑いが漏れる。
「そうでしたね。何だかすっかり、ユリウス様は私の友達のつもりになっていました」
「……友人は、友がいますので」
なぜかセドリックに視線を向けて気まずそうにしているユリウスに、セドリックがふっと苦笑する。
「こういう方だ。気にするな。それと、友人とは一人だけの必要はない。何人いてもいいんだ」
「僕に何人も友達は荷が重いなあ。ちゃんと大事に出来るか分からないし」
「え、私もユリウスの友達のつもりだったけど?」
マリアが驚いたように言うと、その倍は驚いた様子でユリウスがマリアに目を向ける。
「聖女様もですか?」
「あれっ、違った? コーネリアも多分、ユリウスのことを友達だと思ってると思うよ。領主邸にいる時は一緒にご飯食べているし、何度もお茶もしたじゃない」
「ご飯を食べて、お茶を飲んだら友人なんですか?」
ユリウスの質問に、マリアはあはっ、とおかしそうに噴き出した。
「そうだね、それだと友達というより、家族みたいかも」
てらいのない言葉に、ユリウスはなぜか迷子の子供のような所在なさげな表情を浮かべ、それを誤魔化すように火かき棒で燃える焚火の炭を突く。
空気と混じり合ったところから、赤い火が勢いを増した。
「確かに、自覚はありませんでしたが、そうかもしれません。僕も、領主邸の人々に親しみを持っていますし、友達と言えるのかも」
「こういうのって、改まって言うとなんか照れるよねー」
マリアも照れくさそうに、栗とお芋、そろそろ焼けたかなと呟きながら焚火を眺めた。
「友達は大切にするという感覚があるなら、ちゃんと大切にするよう心掛けろ」
「そうだね。あんまり自信はないけど、まあ、頑張ってみるよ」
ぼそぼそと拗ねたように唇を尖らせてそう言ったものの、ややしてそれは綻んだ。
それはなんだか、ユリウスのいつもの享楽的で、時に皮肉っぽい笑みとは違うように見えた。
パチン、と炭が爆ぜる音が響く。
「次はマシュマロを作ってきましょうか」
「えっ、マシュマロって作れるの?」
「意外と簡単よ。まず卵白をよく泡立てて――」
そうしてのんびりと、秋のピクニックの時間は過ぎていった。