357.鷹と新しい名前
「それで、連れてきてしまったのね」
「ごめん……」
先に天幕に戻っていたメルフィーナは困惑した表情を浮かべて、それにしょんぼりと肩を落とす。
オーギュストのマントに包まれてマリアの腕に抱かれた鷹は大人しいけれど、人間に囲まれているのが落ち着かないのか、首を巡らせてきょろきょろと周囲を見回している。
長袖を着ているし素手でも大丈夫だと言ったけれど、猛禽類は爪もくちばしも鋭く、羽の力も強い。引っかかれたらそこから化膿して傷が腐ることもあると散々忠告を受けて、こうして拘束し、決して顔を近づけて覗き込まないことを条件に一旦連れ帰ることを許された。
キュイ、と時々甘えるように鳴くのが可愛くて、可愛いと思うとますます放っておけない気持ちにさせられてしまう。自分の甘っちょろさに落ち込んでしまうマリアとは裏腹に、メルフィーナが鷹を覗き込み、慌てたマリーとセドリックに止められた。
「羽についてた傷は、もう治ってる。多分飛べると思うけど、離れようとしなくて」
「鳥類は比較的人に慣れやすいはずだけれど、こんなに懐かれるものかしら」
頬に手を当てて、ううん、と首を傾げるメルフィーナに、セドリックが鷹をじっと見つめ、小さく頷く。
「まだ若い個体のようですし、狩りにも慣れておらず警戒心が薄いというのはあるかもしれませんが、野生の鷹としてはかなり無防備ですので、さすがにこれはマリア様の人徳というべきかもしれませんね」
周りに兵士たちもいるので言葉を濁しているけれど、要するに聖女の力が何かしら影響しているということだろう。
「他の動物もそうなのかしら」
「フェリーチェは大分懐いていますが、元々人懐っこい犬なので参考にはなりませんね……」
自分の名前を呼ばれて、フェリーチェがふるふるとお尻を振っている。鷹を自分の獲物と認識している様子で、マリアの足元から離れようとしなかった。
「マリアはどうしたい? この子を飼いたい?」
「できれば、自然に戻れるまでは面倒をみたいと思っているけど……」
自分自身がメルフィーナの世話になっている身だし、そのきっかけさえあれば元の世界に戻りたいと願っている身でペットを飼うというのは無責任もいいところだ。かといって今の状態で放てばそのまま生きていけるかも分からないし、何よりマリアの傍を離れようとしないので放しようもない。
マリアの周辺を飛び回っていれば、それこそ慈悲以外の理由でオーギュストに駆除されてしまうかもしれず、どうするべきか判断がつかなかった。
「もうすぐ冬が来るし、獲物も獲りにくくなるわ。健康面に問題がなさそうなら、冬の間は保護してもいいんじゃないかしら」
飼うから保護になったことで、マリアの気持ちは少し楽になる。メルフィーナがとても気を遣ってくれたのが伝わってきて、それがなんとも、申し訳ない。
「ありがとう、メルフィーナ」
「マリー、昼食の材料から、鶏か魚を持ってきてくれる?」
メルフィーナに言われてマリーがメルフィーナの天幕に入り、すぐに戻ってきた。その手には肉の保存用の、蓋付きの銀盆を持っている。
「鶏肉の切り身ですが、大丈夫でしょうか?」
「今朝絞めたばかりで新鮮だし、鷹は小鳥を食べるから多分大丈夫だとは思うけれど……マリア、地面に下ろして、あげてみてくれる?」
フェリーチェにリードを付けて少し離してもらい、鷹を地面に下ろすと、ぴょこん、と跳ねるように外に出て来る。マリアを見上げてきゅるるる、と喉を鳴らす仕草をするのに、銀盆から肉をつまみ差し出すと、足で器用に掴んで地面に押し付け、つつき始めた。
仕草は可愛くても、肉食の鳥である。生肉をちぎっては呑みこむのは中々生々しい光景ではあるものの、一口食べるたびにマリアをじっと見つめてくる様子は愛嬌がある。
「食欲もあるようだし、怪我や病気も大丈夫そうね。夜は鳥舎に入れて、帰りたがったら自然に帰してあげるならいいと思うわ」
「うん!」
「エサは、ネズミや小型の鳥を用意するのだけれど……自力でエサを獲れるか確認できるまでは、当面は雄のヒヨコを供給しましょう」
「う……うん。よろしくお願いします」
オスの鶏は卵を産まず肉も固いため、長時間の煮込み料理以外はあまり食用に適さないので半分ほどは生まれたらすぐに絞めてしまうと聞いてはいたけれど、一羽の鳥を生かすために多くの鳥を絞めなければならないというのも皮肉な話である。
肉を食べ終わるとまた抱かれたいらしく、マリアに向かって羽を広げる。オーギュストがマントを腕にぐるぐると巻いてくれると、鷹は自ら羽ばたいてマントの上に止まった。羽の風圧は中々すごくて、顔に風が当たる。
「ひゃ! ははっ」
甘えるように体を擦りつける鷹をマントで包むと、すぐに落ち着いた様子で大人しくなる。つい一時間ほど前まで野生として生きていたとは信じられないくらい、人なつっこい。
「本当に、かなり懐いていますね。……閣下も昔は雄の鷹を飼っていたので、懐かしいですね」
「今はどうしているの? 鷹はかなり長く生きるはずだけれど」
「元々は前公爵閣下から譲られたもので、閣下は狩猟の趣味がないので、公爵位を継いだ後で時期を見て自然に帰しました。よく訓練されている賢い鷹で、閣下も可愛がっていたのですが、狩猟に使わないなら子孫を残させる選択をするべきだと言って」
「そうなのね……」
「鷹は一度番を決めると、一生同じ個体を番とするといいます。立派な雄なので、きっといい番を見つけたでしょう」
飼い方も一通り心得ているというオーギュストは頼りになる一方、鷹が身近にいたのに「慈悲」を与えようと迷いなく出来るのは、相当割り切っているからだろう。
オーギュストらしいとも思えば、そういう割り切りが必要な世界なのだと、改めてひやりとするような気持ちで思う。
「その鷹、名前はなんていうの?」
「ムーティヒという名でした。名前の通り勇敢で、強い個体だったので」
メルフィーナはマリアに抱かれている鷹に触れた。どうやら「鑑定」したらしいけれど、ついでにもふもふの毛並みを指先で撫でる。
「この子はメスだから、少し可愛い名前にした方がいいんじゃないかしら?」
「メルフィーナなら、なんてつける?」
メルフィーナはそうねえ、と少し考えるように唇に指で触れた。
「マリアの靴が双翼だから、大空とか、空を飛ぶ風もいいかもしれないけど……私ならウルスラと名付けるかしら」
「ウルスラ?」
「女性を守る守護聖人の名前よ。あちらの世界では世界中にその名にちなんだ女学校があるの。強くて賢そうだし、傍にいる間、マリアを守ってくれるかもしれないわ」
「ウルスラ……ウルスラかあ。うん、短くて覚えやすいし、いいかも」
よろしくねウルスラ。そう話しかけると、キュイキュイと嬉しそうに鷹は羽ばたく。
「ところで、まだコーネリア達が戻っていないのよね。迷うような道でもないから、採取に夢中になっているのだと思うけれど」
ユリウスたちは鷹には興味がないらしく天幕で温かいお茶を飲んでいるし、マリアたちの収穫は微々たるものだ。メルフィーナもユリウスもそれなりの収穫があったらしいので、間違いなく最下位だろう。
「この時期の森は誘惑が多いですから、きっとそうですね」
オーギュストが苦笑して、マリアも頷く。
「でも、すぐに帰ってくるよきっと。間違いなく、お昼の時間までには」
あのコーネリアが昼食の時間に遅れるわけがない。領主邸のメンバーは全員それをよく知っているので、明るい笑い声が響き渡ったのだった。
ヒンメルにすると、「そうしたってことだよ。」って言いたくなりますね。
レビューのお礼を活動報告にて更新しています。
いつもありがとうございます。お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。




