356. のんびりチームと自然の摂理
メルフィーナたちと分かれてから五分もすると、すっかり目的はキノコ狩りというより散歩のような感じになってきた。ウィリアムはフェリーチェとともに走り回っては兵士が追いかけていて、マリアの少し後ろはオーギュストが守ってくれている。
「ちょっと寒いけど、気持ちいいねー」
「ですね」
吐く息はうっすらと白くなる。気温が低いということもあるけれど、森の中は湿度が高いせいもあるのだろう。後ろで結んだ髪が木の枝に引っかからないように気を付けながら、のんびりと進む。
落ち葉で覆われた地面と冬に近づいて色褪せ始めている森は全体的に茶色っぽく、地面にはどんぐりや小さな栗が落ちていたりする。近くに川が流れているのかちょろちょろと水の音がして、領主邸や村とはまた違った意味で、ここが自分が暮らしていたのとは異なる世界なのだなとしみじみと感じた。
「ウィリアム君、転ばないように気を付けて」
落ち葉が積もった足元は滑りやすい。マリアの声を聞きつけてウィリアムがこちらに向かってきて、フェリーチェがその隣を追い抜き、スピードを上げたウィリアムに追い抜かれるのを繰り返している。
「すみません、つい興奮してしまって」
「折角のピクニックだもん。それくらいがいいよ」
護衛の兵士たちは大変だろうけれど、普段は歳に似合わないくらい礼儀正しく振る舞っているウィリアムが子供っぽくはしゃいでいるのはほのぼのとする。けれどあまり興奮して転んで怪我をするのもよくないだろう。
「ちょっと並んで歩こう」
「はい」
自然と手をつないで歩くマリアの足取りも、いつもより軽い。うろこに覆われているような背が高い木々に囲まれて森の中はうっすらと暗く、鳥の声がした。
「他のグループはもう何か採れたかな。少しは収穫がないと」
きょろりと周囲を見回すけれど、見慣れたキノコの形をしたものは見当たらない。そもそも脳内のキノコが椎茸しか浮かんでこないけれど、この世界に椎茸はあるのだろうか。
「椎茸、あったらメルフィーナが喜びそう」
「伯母様は、そのキノコが好きなのですか?」
「いい出汁が取れる、と思う。私もよく知らないんだけど」
日本にいた頃はたまに買い物や皿洗いの手伝いをすることはあっても、キッチンは基本的に母親任せだった。時々母親が不在の時はレンジ頼りだったし、料理が苦手だと思ったことはないけれど、逆に特別得意な料理があるわけでもない。
何かもう少し、突出して得意なものがあればよかったのにとこの世界に来てからはしみじみと思う。すぐに保護されて生活の保障がされていたから今もこうしていられるけれど、そうでなければ三日も生きていられたか怪しいものだ。
突然異世界に飛ばされて混乱し、ハートの国のマリアの世界だと気づいてからさえその知識を全く活用できていないのが現状だ。
ゲームの中のキャラクターがヒロインに見せていた性格やバックグラウンド、これから起きる限定的な未来の情報を知っているからといって、それを利用して立ち回れるかどうかは別の話である。自分はそれほど気の弱い方ではないと思うけれど、最初のうちは怪しげな団体に拉致されたと思い込んで恐怖で竦んでいたということもあり、完全にこの世界は恐怖の対象でしかなかった。
そうしてしみじみと、メルフィーナがどれほど特別な存在なのか思い知る。
椎茸があるかは分からないけれど、多少は役に立つところも見せたいものだ。そう思うものの、マリアとウィリアムとオーギュストの組み合わせではどうにものんびりと散策になってしまい、あまりガツガツと食べ物を探す空気にならなかった。
「ウィリアム君はキノコ好き?」
都会育ちのマリアにとって、キノコは食卓に出てくるもので、時々母親に買い物を頼まれた時に籠に入れるものだ。どこに生えているかと想像してもうっすらと木からにょきにょきと生えているような、我ながら貧困なイメージしか浮かんでこない。
「実は、キノコは食べたことがなくて……」
「あ、そうなんだ」
「毒があるものも多いですから、特に貴族の食卓には供されることは少ないですね。そう美味いものでもありませんし」
オーギュストの言葉になるほどとうなずく。ウィリアムはただの子供ではなく、貴族の家の跡取りだ。「鑑定」で毒の有無は判るはずだけれど、誰でも持っている能力というわけでもなさそうだし、ぱっと見て危ないかどうか分からないものを食べさせるわけにはいかないのだろう。
「なんか食べられるのとそっくりの毒キノコもあるっていうよね。食べられないなら分かりやすく毒々しい色をしてくれているといいんだけど」
「地方によっては貴重な薬草として使われたりしていますが、貴族は教会や神殿にかかるので、薬草自体にあまりなじみがないということもありますね」
おしゃべりを楽しみながら、結局散策するだけで終わりそうだなと思っていると、すこし先を進んでいたフェリーチェが木の根元を掘っていた。
「フェリーチェ、何かあったのかい?」
ウィリアムの言葉にわんっ! と返事をして、その場でくるくると回っているフェリーチェのもとに向かうと、黒い塊がごろごろと転がっている。
「……うんこ?」
「マリア様。さすがにはしたないです」
「あ、ごめん」
普段はマリアの言動に寛容なオーギュストに苦笑交じりに注意されて、手のひらで口を押える。フェリーチェも憤慨した様子でふんっ、と鼻を鳴らされてしまった。
「ごめんごめん。えーと、これはなに?」
黒くて固そうで、ごろごろとしたものだ。何かの動物の糞にしか見えないそれに触れる気にはならないけれど、幸いマリアは魔力が潤沢に使えるので、触れるまでもなく「鑑定」を行うことが出来る。
そして頭に浮かんできた言葉にぱちぱちと瞬きをした。
「え、これ、トリュフだって」
「とりゅふ?」
「えっと、多分すっごく高級なキノコ、だったと思う。私も食べたことはないんだけど」
キャビアやフォアグラのように、名前だけは知っているけれど食べたことがないどころか、どうやって食べるのかも不明だ。屈んで拾い上げてみてもキノコという感じはせず、固くて黒い謎の物体にしか見えない。
キノコ狩りということで、昼食は油炒めとかキノコ汁かなとなんとなく思っていたけれど、これを美味しく食べるビジョンが全然浮かんでこなかった。
「多分メルフィーナなら食べ方を知っているんじゃないかな。一応ちょっと採っていこう」
「高級なキノコなのに、そんな感じなんですか?」
「実は私も、そんなにキノコが好きじゃないんだよね……。別に嫌いってわけでもないけど」
「この編成、バランスが悪かったかもしれませんね」
とはいえ、オーギュストはマリアの護衛だし、一番この手のイベントに意欲的そうなコーネリアは「鑑定」を持っているので必然的に別のグループである。レナはユリウスと組みたいだろうし、ウィリアムとコーネリアはそれほど親しい関係というわけでもない。
「これでひとつは収穫できたわけだし、上等上等。こういうのは欲張りすぎない方がいいよ」
あとはぐるっと歩いて天幕に戻ればいいだろう。そんなことを考えながら歩いていると、ふと、落ちている枝に気づく。
ちょうどいい棒が落ちていると、拾いたくなるのはなぜだろう。暢気にそんなことを考えながらぽつりと落ちていた枝を拾い上げる。
太さといい長さといい振り回すために落ちていたとしか思えないくらいぴったりで、藪を軽く突いていると足元のフェリーチェがはしゃいでぴょんぴょんと跳ねた。犬が棒を好きなのは、異世界でも変わらないらしい。
本日の収穫の立役者であるフェリーチェに敬意を表して棒を投げると、弾丸のようにそれを追って走っていった。数メートルの距離のつもりだったのに回転が掛かった棒は思ったより飛んでしまって、藪の中に突っ込んでしまう。
それを追って同じく藪に突進したフェリーチェだったけれど、戻って来た時に咥えていたのはマリアが放った棒ではなかった。
「なに咥えてるの? ……うわっ!」
「あー、鷹ですね。マリア様、少しウィリアム様と後ろへ」
「いや、ちょっと! フェリーチェ! ぺってしなさい!」
「フェリーチェは猟犬と一緒に訓練を受けたそうなので、こういうこともするんでしょう」
フェリーチェが得意げな表情で咥えている茶色の鳥は、まだ生きているようで時々ばたばたと羽をばたつかせるけれど、弱っているのだろう、すぐにぐったりとすることを繰り返している。オロオロするマリアとは裏腹に、するりと短剣を抜いたオーギュストにぎょっとした。
「……オーギュスト、殺しちゃうの?」
「まだかなり若い、今年巣立ったばかりのようですし、羽を痛めて飛べなくなって衰弱して落ちていたんでしょう。放っておいてもキツネやテンに食われて死ぬだけですので、慈悲を与えるのも騎士の仕事です」
オーギュストの声は特に気負ったものではなく、いつものマリアの理解者である彼と変わらない口調だった。
きっと、この世界ではそれは当たり前のことなのだ。マリアだってエンカー地方の猟師がメルフィーナに差し入れに持ってきて食卓に上がる山鳥を食べたことはあるし、残酷だと思うこともなかった。
目の前で自然に弱って死にかけている鳥を殺すのも、それとなにも変わらない。放っておいても苦しみを長引かせるだけなのも本当で、それが自然の摂理なのかもしれない。
「フェリーチェ。あとで干し肉をやるから、それを渡してくれ」
そう言ってよく研がれた短剣を振りかざしたオーギュストを見ていられず、ぎゅっと目を閉じた。




