354.行楽と良い休日
湖一帯は人の手を入れて間伐と管理を行っているし、今日散策する範囲はあらかじめ兵士たちが整備してくれていたけれど、自然の中なので時々枝が突きだしていることもある。その場合はセドリックが腰に差した小ぶりの鉈で軽く払ってくれた。
「マリア様の靴は、本当に素晴らしいですね。森を歩いているとは思えないです」
セドリックの言葉にマリーと共に頷く。
「騎士や兵士たちに行き渡ったら、猟師や旅をする者は残らず欲しがると思います。特に遍歴を行う職人や聖職者は、馬の次に重要な旅の供になるのではないでしょうか」
「問題は値段よね。どうしても一足を作るのに手間が掛かるし」
この世界では、手製の靴はそれほど高価なものではない。大きな街にいけばそこらじゅうに靴屋や靴の修理店があるし、それを取り仕切るギルドも存在する。
需要が多ければ供給する側も増えて、価格は下がる。その市場原理はこちらの世界でも変わらず機能しているけれど、マリアが二人の職人と共に創った靴は、これまでとはまるで違うものである。
まだ産声を上げたばかりの「新しい靴」はまだまだ発展の余地があるし、この先戦闘用や長期移動のための遍歴用、立ち仕事の疲労軽減や貴族が優雅にダンスするためのものと、どんどん発展していくはずだ。
この冬、オルドランド家の騎士と兵士に靴が行き渡ればあっという間に人の口に上るようになるだろう。特許などない時代なので、すぐに模倣したものが生み出され、いずれマリアの靴は元々存在していた靴を駆逐する。それはもう、確定しているに等しい。
「出来れば今年の冬のうちに靴の商会の体裁は整えておいた方が良いでしょうね」
「肝心のマリアに商売っ気がないのよね。その辺はオーギュストが上手く導いてくれるでしょうけど」
メルフィーナにとって事業とは領地を富ませるためのものだ。そこに旨味があれば自然と人も物資も集まってくるし、景気が良くなり生活の質も向上する。生活の質が上がれば文化的な発展に舵を切る余裕も出来、価値の高い領地になる。
労働を美徳としない貴族でも、領地の特産品は喉から手が出るほど欲しいものだ。
だが貴族でも商人でもないマリアには、そうした欲はほとんどない。事業を興し、それで大きく稼いで贅沢をしたいわけでもなく、そうした立場への責任は、むしろ重たく感じる方だろう。
そもそも、贅沢をしたいならマリアは働く必要すらないのだ。聖女として高い場所で微笑んでいるだけですべてが叶う立場なのだから。
「メルフィーナ様。あちらにも生えています」
「あ、マリー。まだ触れないで。キノコの中には素手で触れると危ないものもあるから」
マリーが指さした先に倒木があり、そこに扁平で大きなキノコが生えている。触れるギリギリで「鑑定」を発動させる。サルノコシカケの仲間のようで、臭気、苦みありと出る。
「食用には向かないみたいね。毒はないけど硬くて臭くて食べられないわ」
「そういうこともあるのですね」
まだキノコに目を向けて残念そうに呟くマリーに苦笑が漏れる。クールであまり感情を表に出さない彼女だけれど、領主邸で過ごすうちにすっかり食いしん坊の一人だ。
先日雨が降ったばかりで落ち葉が適度に湿り、ちょうどいいタイミングだったのだろう、時々生えているキノコを見つけては「鑑定」を掛けて行き、やがて落葉と地面の隙間からぽこりと顔を出しているのにあっ、と声を上げる。
見た目からして食用に適していそうな茶色の傘と白い柄を持ったキノコだ。パッと見はマツタケにも似ている。「鑑定」を掛けて、思わず顔がほころんだ。
「これはセップね。すごく美味しいキノコだから、少し多めに採っていきましょう」
セドリックと兵士たちが周囲を見てくれている間にマリーとともに地面から引っこ抜く。すぽっ、と簡単に抜けるのが少し楽しい。
「これは、どのようにして食べるんですか?」
「何をしても美味しいわよ。スープに入れてもパスタの具にしてもピザに乗せても、なんならそのままソテーにしたって」
「楽しみですね」
セップは別名ポルチーニと呼ばれる非常に美味しいキノコで、前世では世界三大キノコに数えられていたほどだ。今から料理するのが楽しみだった。
ひとしきりキノコを採り、少し休憩することにする。土の乾いた場所を探して布を敷き腰を下ろすと、頭上をリスが走り抜けていった。
「リスも越冬のためにどんぐりを溜める時期ね」
「何匹か捕まえてきましょうか?」
それは食用にということだろう。笑って大丈夫だと告げるとセドリックは少し残念そうな様子だった。
騎士は普段から鍛えているし、その結果を仕えている者に披露するのを好み、それが栄達につながる一面もある。それに、貴族であるセドリックにとって狩猟は身近なものでもあるのだろう。
「リスってどんな風に食べるの?」
「シチューや串焼きが主ですが、それこそどう食べても美味しいです。特にこの時期は木の実をたっぷりと食べていて他の時期に比べて脂肪もよくついていますし、何より毛皮も獲れるので」
寒さの厳しい北部では、毛皮は人が冬を越すための大切な資源のひとつだ。リスは一匹が小さいので、つなぎ合わせて使う。
「猪などいればいいのですが、ここまで足跡や牙を磨いた跡がなかったので、近くにはいないようですね。豚肉とはまた少し違った味なので、機会があれば仕留めたいところです」
「猪は畑を荒らすから、いないならそれに越したことはないわ」
狩猟は専門の猟師もいるけれど、馬に乗り、犬を率いて剣や弓で獲物を仕留めるのは、元々が「戦う者」である貴族にとっては日常の中で腕を振るう最良の機会であるので、貴族の男性の嗜みの一面もある。
モルトルの森は広大でまだまだ開拓の余地はあるけれど、内陸部で近くに大きな街があると森林資源はどんどん消費されてしまうので、領地を持つ貴族は狩猟をするための森の維持のために狩猟番を置き、平民や他領の貴族の出入りを厳しく制限していることも少なくない。
実際、獲物の豊かな森に他領の貴族が踏み入って狩猟を行い、それで大法廷までもつれ込むというトラブルは珍しいものでもないようだった。
セドリックも貴族の家に生まれた男性として、狩りの腕を磨いた少年時代があったのかもしれない。
――戦争が禁じられているこの世界でも、それは変わらないのも、おかしな話だけれど。
以前騎士たちが甲冑を着ているのを見た時にも思ったけれど、こちらの世界でも間違いなく戦争はあったはずだ。そしてそれは、とても遠い過去というわけでもないだろう。
「メルフィーナ様、お疲れになりましたか?」
マリーに声を掛けられて、ふっと微笑む。
「いえ、平和だなぁと思っていたの。この三人でのんびりするのも久しぶりだし、お昼は採れたての森の恵みだし、とても楽しいわ」
「もう一枚、ひざ掛けを掛けて下さい。動いている間はともかく、じっとしていると冷えますので」
空気は冷たいけれど、歩き回って血の巡りが良くなっているのだろう、寒さは感じない。相変わらず過保護なマリーだけれど、セドリックもうんうんと頷いている。この二人に言われると大丈夫だと言っても無駄なのは、経験でよく分かっているので素直に膝の上に羊毛のひざ掛けを載せた。
「お茶でも淹れられたらよかったのですが」
「天幕に戻ったら一緒に飲みましょう。さむーいって言いながら温かいものを飲むのもいいわよ」
「レナはきっと言いますね」
容易に想像が出来て笑い合いながら、しみじみと思う。
――ああ、楽しいな。
「こんな日がずっと続けばいいのに」
セドリックはいずれ王都に戻ることになり、そうすればまたしばらく……数年か、下手をすれば十数年単位で会えなくなるだろう。
一生を生まれた村から出ずに生きる人の方が大半のこの世界では、二週間半の移動というのは、旅から旅に生きる商人でもない限り途轍もない距離だ。
だからしんみりするより、今を思い切り楽しみたい。
「冬が来たらまた毛糸で何かを編みたいわ。新しいお酒もそろそろ完成するし、果実酒をソーダで割ったものもみんなに楽しんでもらいたいし、そうやって楽しく暮らしていたら、時間なんてあっという間に過ぎてしまうわね」
「そうですね。冬も楽しみです」
「ですね」
三人で言い合って、一拍置いて、笑い合う。
仕事から離れて、身近にあるのに中々足を運べない綺麗な場所で気の置けない人たちとのんびり歩いたりお喋りをしたり。
とてもいい休日の過ごし方だった。