353.ピクニックとキノコ狩り
その日は幸い、良く晴れていた。空は青く澄んでいて雲はほとんど浮かんでおらず、例年よりやや日程を前倒しにしたのも良かったのだろう、空気は冷たいけれど日向にいればそれなりに暖かい、よい一日だ。
三台の馬車に分かれて領主邸を出て、到着したのは今年湖の近くに建てた管理小屋である。今のところ常駐の管理人は置いていないけれど、周囲の草を刈って広場にしてあり、簡単な煮炊き台なども常設しておいた。
今日はそこに、複数の天幕が設営されている。毎年使っている天幕で、中ではストーブに火が入っているだろう。
先に着いていた少女を見て、メルフィーナはふわりと微笑んだ。
「ユディト、久しぶりね。随分背が伸びたわ」
かつてユリウスがレナとともに森で拾って来た少女のユディットである。短かった青み掛かった紺色の髪も伸びて、すっかり女の子らしい様子になっていた。以前は無表情で言葉もほとんど発しなかったのが嘘のようにメルフィーナの言葉に反応して、ぺこりと頭を下げる。
「お久しぶりです、メルフィーナ様。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
ユディットが流暢に挨拶をしたことに、もう一度驚く。メルフィーナの周囲にいる子供たちのようにころころと表情の変わる屈託のなさは薄く、相変わらず冷静な様子ではあるけれど、たとえばマリーの子供時代はこんな感じだったと言われれば納得しそうな程度には人間らしい様子だった。
――ジョアンナが大事に育てているのね。
「ユディットー! 先に着いてたんだ」
「お姉ちゃん」
「今日は頑張ろうね! 負けないから!」
馬車から降りたレナがユディットに走り寄り、手をつないでぶんぶんと振り回す。ユディットはうん、そうだね、分かったと言っているけれど、その勢いに振り回されている様子はない。
レナのほうが少し年上で背も高いけれど、やんちゃな姉と冷静な妹のようで微笑ましい様子だった。
「ユディットは、レナをお姉ちゃんって呼んでいるの?」
「うん! ユーリお兄ちゃんがお兄ちゃんだから、レナはお姉ちゃんだなって思って」
「お兄ちゃんは家にいっぱいいるけど、お姉ちゃんはお姉ちゃんだけです」
「そうなのね。レナ、よく面倒を見てあげてね」
「うん!」
メルフィーナは牧場に足を向ける機会が無かったけれど、ユリウスが目覚めてからは特に、二人はよく城館の外に出かけていた。どうやらユディットと会う機会も作っていたらしく、今日のピクニックへの参加も二人の希望だった。
ユディットも森を恋しがっている様子を見せていたけれど、引き取られた家は家業があり、中々大人が引率して森に遊びに来させる機会もないだろう。今日はゆっくり遊んでもらえればいいと思う。
「ジョアンナは元気にしているかしら」
「はい、メルフィーナ様にご迷惑をかけないようにって言われました。それから、今日のお肉を預かっています」
「気を遣ってもらって、却って悪かったわね」
ユディットの青み掛かった紺色の髪を撫でると、きゅっと目を閉じてくすぐったそうに肩を竦められる。口元にうっすら笑みが浮いていて、本当に随分感情が表に出るようになったのだと安心した。
ユディットは父親がアルファ――モルトルの森の奥深くに住む人狼であるのは、アルファ本人が認めたことだ。ユディットは幸い人の中で暮らせる程度の魔力であったので、森に置き去りにする形ではあったものの、人の世界に託された子供である。
アルファは、ユディットは人の中で生きるのだから特別な保護は必要ないと淡々としてはいたけれど、ユリウスが魔力を暴走させた際はその恩があるからと手を貸してくれた。その後も姿を現したことから、彼なりにユディットを気に掛けて……愛しているのだろう。
人の目をくらませるのが上手そうだったし、もしかしたら今もどこかで娘の様子を見ているかもしれない。
「今日は予定通り、キノコ狩りを楽しみたいと思います。それぞれ食べられるキノコを探して採ってきて、一番量の多かったチームの勝ちよ。採取したものは今日の昼食と夕食になるから、みんな張り切って採ってきてちょうだい」
いつもは子供たちを遊ばせて大人はのんびりとストーブに当たりながら景色を眺める催しであるけれど、今回は何といっても「鑑定」を持っている者が四人もいるので、趣向を変えてみんなで遊べる形にしてみた。
メルフィーナとセドリックとマリー、コーネリアとロド、マリアとオーギュストとウィリアム、そしてユリウスとレナとユディットの四チームに分かれて、森でキノコや木の実の採取をすることにした。
コーネリアとロドが二人組になってしまうので、アシストとしてコーネリアと仲のいい兵士が入り、フェリーチェは誰が一番遊んでくれるのかよく理解している様子で、ちゃっかりウィリアムの隣でお尻を振っている。
オーギュストとセドリックは、今日は剣だけでなく、弓と矢筒を提げている。オルドランドの騎士は矢も一通り学ぶと聞いていたけれど、なるほど様になっていた。
「制限時間は二時間で、時間が来たら太鼓の音が鳴るからこの広場に戻ってきて。のんびりと楽しむのが目的なので、美味しそうなものを探してきてね」
「はーい!」
「キノコ狩りって初めてだけど、そっか、「鑑定」が使えたら毒のあるなしも分かるもんね」
「うふふ、楽しみですね、キノコ料理」
チームにはそれぞれ護衛の兵士がついて、広場から離れることになる。辺りは間伐が進んだ林になっているので、探しがいがありそうだ。
マリアの靴の底で、さくさくと乾いた落ち葉が音を立てる。湖の傍ということもあるのだろう、森の空気はしっとりと湿っていて、いかにもキノコが豊富に生えていそうな様子だった。
森の中はマイナスイオンが満ちているというけれど、なるほど、なんとなく気分よくリラックスできている気がする。ここで温かいお茶を飲んだらさぞ気持ちがいいだろう。
「あら、栗が落ちているわね」
よく見れば、小ぶりなイガがあちこちに落ちて口を開いている。そこからこぼれ落ちたらしい栗もそこかしこに転がっていた。
「拾っていきますか?」
「あ、マリー! 落ちている栗には、多分虫が入っていると思うわ」
屈んで指を伸ばしかけていたマリーがぎくりと固まる。それに苦笑して、マリーの隣に並んで腰を屈める。
なるほど、目線が低くなると色々なものが見える。木の陰や藪の陰にはちらほらと目的のキノコが見えるし、栗に交じって小さな木の実が転がっているので「鑑定」してみると、ヘーゼルナッツのようだった。
炒って食べても美味しいし、練ったものをバターと混ぜても香ばしくて、パンに塗ったり、ドレッシングのベースにしてもいいだろう。荒く砕いてナッツをぎっしり入れたパンや、ケーキのトッピングにもなる。
「そういえばモルトルの森は、栗やナッツ類も採れるのだったわね」
エンカー村の住人が時々差し入れに持ってきてくれるけれど、それらはきれいに洗浄して形がいい物を選別してくれていたのだろう、今落ちているのは中々個性的な形をしたものが多い。
「豚を放してたっぷりと食べさせている時期が長かったはずですが、今は厩舎で管理しているので、その分大量に落ちているのでしょうね」
セドリックの言葉に頷きながら指を迷わせ、大きめの栗を一つ拾い上げる。つやつやとしていて形も良く、小さな穴も空いていない。
「マリー、これは大丈夫。虫食いされてないわ」
「――ありがとうございます」
マリーの白い手のひらの上に栗を載せると、嬉しそうにうっすらと微笑んで手の中の栗を大事そうに眺めている。クールで物静かな所もあるけれど、可愛い妹なのだ。
「こんなに色々あるなら、キノコに限定せずに、秋の味覚狩りにすればよかったわね」
「言わずともコーネリアあたりは色々と採ってきそうですね。ロドが暴走を止めてくれるといいのですが、ロドも好奇心強めですし、何よりモルトルの森での採取には一日の長があるでしょうから」
「一緒にいた兵士もエンカー村の出身だって言っていたし、一緒になってあれこれ採って来ちゃうかもしれないわね」
それならそれでいいだろう。秋の味覚を楽しむ幅が増えるというものだ。
「私も山雉などいたら、仕留めて献上します。とはいえ、弓の腕ではオーギュストには全く敵わないのですが」
「セドリックは剣がすごいから十分じゃない」
「手先も器用ですし、これ以上は少し出来すぎだと思います」
「なんでも出来ないよりは出来た方がいいと、思い知らせる方が傍にいるので」
「あら、そんな人いたかしら?」
マリーとセドリックと笑い合いながら、ゆったりとした足取りで森を進む。
今日の目的はあくまで行楽であり、チームに分かれてキノコ狩りと言っても特に賞品もない緩い遊びのようなものだ。肉や野菜は別に用意してあるし、森の散策がてら、昼食のつまみになるものでも見つけることができればそれでいいだろう。
「ブナの実が落ちているから、近くにシメジが生えているかもしれないわ。私の好物なの」
「探してみましょう」
「あ、メルフィーナ様、これはどうでしょうか?」
マリーが指さした先には、重たげな大きなキノコが生えていた。濃い茶色でいかにも食べられそうな形をしている。早速「鑑定」を掛けてみるとヒラタケと出た。
「大丈夫、食べられるわ。とても美味しそうよ」
「では、採っておきますね」
籠に最初に採取されたキノコが入る。
休日の行楽の時間は楽しく、ゆっくりと過ぎていった。




