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35.収穫祭の終わりと新しい村の名前

少しだけ不穏です

「そうだわ、そろそろ、元農奴の集落を村として登録しようと思っていたんです。よければ集落のみんなで、村の名前を何にするか話し合っておいてもらえませんか?」

「村の名前、ですか」

「ええ、最近私が領主邸にこもりがちで、お話をするのが遅くなってごめんなさいね。特に急ぎではありませんので、親しみを持てる名前を付けてもらえれば」


 いつまでも元農奴の集落と呼ぶのはいかにも据わりが悪いし、自由民になった彼らにも失礼だ。ようやくトウモロコシの出荷が終わり少しはゆっくりと出来るだろうから、集落の人々とも話し合って決めてもらえればいいだろうとメルフィーナは思っていた。


「それでしたら、もし不敬にあたらないなら、メルフィーナ様の名前を付けたいのですが……」

「えっ!?」

「みな、メルフィーナ様には深く感謝しています。メルフィーナ様の名前の村なら、誰もが大事にすると思うのですが……」

「メルフィーナ村なんて語呂が悪いわよ。それに、領主の名前を付けた村っていうのは、その……」


 道の名前にさえ、その時代の治世者や権力者の名前を付ける時は、その土地の中心地になることを前提にしていることがほとんどだ。

 エンカー地方にはすでにエンカー村がある。ここにメルフィーナの名を冠した新しい村を立てるということは、その村がこの地の中心地になる、少なくとも領主はその腹積もりであることになってしまいかねない。


 それは何十年も前からエンカー地方を開拓してきたエンカー村の人間にとって、面白いなりゆきではないだろう。領主としても、治める地に余計ないさかいの種を蒔くことはできない。


「でも、メルフィーナ村なんて語呂が悪いし、私が呼びにくいわ。大体、領主館はエンカー村にあるのだもの」

「そうですか……いえ、もしそうなればどれほどいいかと思っただけですので、思いつきで物を言ってしまい、申し訳ありません」

「いいのよ、謝らなくて。気持ちは嬉しかったし」

「では、皆と話し合って、なにか無難な名前を」


 ――メルフィーナの名前でなければ無難な名前という判断もどうなのかしら!?


 先ほどより明らかに肩が落ちているニドに、なんとフォローするべきかと焦っていると、隣のマリーがぽつり、とつぶやいた。


「……メルト村、もしくはフィーナ村というのはいかがでしょう」

「メルト村……」

「いいのではないでしょうか。「メルト」には雪解けという意味もあります。凍り付いていた土地をメルフィーナ様の英知で豊穣の地とした、その最初の場所として相応しい名前かと」

「それは……素晴らしい名前だと思います。集落の誰も反対する者などいないでしょう」


 セドリックの言葉に頬を紅潮させ、興奮した様子を見せながらニドは言った。


 どうもこのまま、メルト村になるのは確定のようだ。メルト村ならばメルフィーナも、強く反対する理由もない。

 気恥ずかしい気持ちはあるけれど、それで集落の人々が愛着を持ってその村の住人だと名乗れるなら、良いことだ。


「メルフィーナ様の名前を戴いた村ですか……なんとも羨ましいですな」


 ぼやくようにつぶやいたルッツに視線を向けると、目が合った途端おろおろと視線をさ迷わされてしまう。

 初対面の時より随分親しくなれたつもりだけれど、未だに貴族は怖いという感覚が染みついているらしい。


「エンカー村は、エンカー地方そのものの立派な名前がついているではないですか」

「エンカー村は、この辺りに村がここしかないので、村、村と呼んでいるうちにいつの間にかエンカー村という名前になっていたのですよ」


 なるほど、その土地に村がひとつしかないなら、他と区別するための名前は必要が無い。かつ、村という区分がここしかないなら、その土地の名前で呼ばれるようになるのも自然な流れだったのだろう。


「もう私はエンカー村という名前に親しみを持ってしまっていますし、みんなその名前の村で生まれたり育ったりしているわけでしょう」

「それはそうですが……」

「私は好きですよ、エンカー村。私の住む領主館もここにあるのですから」

「……そうでしたな。メルフィーナ様がおられるのは、我が村でした」


 納得してくれた様子のルッツに胸を撫で下ろしつつ、ふと頬に触れた風の冷たさに顔を上げる。

 この季節の太陽はすぐに寝床に入ってしまう。あと一刻もしないうちに黄昏時が訪れるだろう。


「そろそろ片付けに入りましょうか。あのエールの樽を領主邸に運ぶだけでも結構な時間がかかるでしょうし」

「それでしたら、村の若者に手伝わせましょう。なに、中身は空なのですから、そう時間はかかりませんよ」

「本当に見事に空っぽになりましたね。もしよければ明日、洗浄も手伝っていただければ」

「でしたら数人、昼前に領主邸にやりますので――」


 マリーとルッツが話しながら、ざわざわと皆が後片付けの準備に入る。屋台は畳み、木箱は今日は決まった場所に集めておいて、明日に元あった乾燥小屋に戻されることになっている。


「今日は楽しかったな」

「ああ、笑い過ぎて頬が痛いよ」

「お前、あの子をダンスに誘ってたけど、いい感じだったじゃないか」

「やめろって、でも、今度一緒に森に行く約束が出来て……」


 弾むような言葉と足取りで片づけをしている人々を眺め、私も何かお手伝いしなければ、とメルフィーナが思った時だった。

 いつの間にか向かいの木箱に男が座っていた。


「領主様、こんにちは、良い祭りですね」

「ありがとう、あなたも楽しめましたか?」

「はい、先ほど来たばかりですが、こんなに活気づいていたとは思いませんでした」


 前世に比べれば西洋人的な彫りの深い顔立ちの多い中、男は妙にのっぺりとした顔立ちをしていた。目も糸のように細く切れ長で、いわゆる瓜実顔と言われる顔立ちである。

 少なくともこれまでエンカー村で見た覚えはなかった。


 リカルドや他の工房の職人だろうか? そう思っているのが伝わったように、男はにっこりと口角を上げて笑う。 


「私は、大分前にこの村からもっと大きな町に出稼ぎに出た者です。三男でしたので、畑が継げるわけでもありませんし、自分の畑を開墾するには体力が心許なかったこともあり、畑を耕す以外の生き方をしようかと思いまして」

「なるほど、そういう方も多いと聞いています」


 地方から大きな町や都市に仕事を求めて向かうというのは、珍しいことではない。今は領主邸で陰になり日向になりメルフィーナを支えてくれているエド、クリフ、ラッドも、元々は農村からオルドランド公爵領都、ソアラソンヌに出てきた同郷だと聞いている。


 目の前の彼もまた、エンカー村から仕事を求めて旅立った者の一人なのだろう。


「夏の始まりに父親が、エンカー地方は人手不足なので、戻ってきて力になれと連絡が来ましてね。とはいえ、私は旅暮らしでしたので、手紙を受け取るのも遅れてしまい、到着が今日になった次第です」

「そうなのね。今のお仕事は何を?」

「旅芸人です。流浪の生き方を、親父は良く思っていないのですよ」


 旅芸人や吟遊詩人は各地を回って芸を見せ、それで稼ぎを得る者たちだ。集団に属することもあれば、個人で旅をしている者もいる。


 特定の土地に縛られない彼らは入市税を払って都市や街で興行を打ち、再び旅立っていく。特定の税をそれ以外払っていないので、衛兵や憲兵の庇護を受けることも出来ない、危険な仕事でもあった。


 親ならばそんな危ない仕事を生業にしてほしくないと思うのも、仕方のないことだろう。


「森に豚を放つのを、やめたのですねえ」


 急に話題が飛んで、メルフィーナははっと顔を上げる。


「ええ、放し飼いでは数の管理が十分に出来ませんし、不衛生ですしね」


 豚は一年に二十頭から三十頭ほどの子豚を産む。

 それでも一家庭に一頭か二頭程度しか残らないのは、それだけの数がそのままどこかに行ってしまうか、野生の動物に襲われて命を落とすからだ。


 いくつも離れた村で豚が発見されるということは、比較的よくあることだったらしい。持ち主も遠方すぎれば引き取りに行くことも出来ず、結局うやむやになるのも含めての放し飼いである。


 メルフィーナが一括で管理するようになってからは、豚は必要が無ければ繁殖させないか、新しい豚を求めるいくつかの家で協議し、繁殖させた豚を分け合い、残りは間引きするという方法がとられていた。


「囲って飼えば、森で野獣に襲われることもありませんしね」

「ええ、森の獣たちは秋のドングリを食べて丸々と太った豚が見当たらずに、困っているでしょうね」


 男はややシニカルな調子で言う。


「領主様、この村はこれからもっと大きくなっていきますか?」

「そうね、そうしたいと思っているわ」

「人が増え、家畜が増え、村も増えていくのでしょうね」

「そうなるといいわね」

「それはとても――素晴らしいことだと思います」


 なんだか話がとりとめもなくなってきた。

 太陽が傾き始め、わずかに明るさが陰っている。


 ――そういえば、私、片付けの手伝いをしたいんだったわ。


 いつも背後に控えているはずのセドリックの気配も、いつの間にか感じない。

 なんだかおかしいなと思ったとき、そっと肩に手が触れた感触がした。


「メルフィーナ様? どうなされました?」


 いつの間にか片付けの指示を終えて戻ってきたらしいマリーが、不思議そうな表情でこちらを見ている。

 マリーの後ろにはセドリックもいた。いつも見慣れた、日常の顔触れだ。


「あら、マリー。……今ここに、男の人がいなかった?」


 ふと向かいを見ると、空っぽの空き箱がひとつ転がっているだけだ。どうやらメルフィーナとその箱以外は、全て片付けられてしまったらしい。


「私が来た時には誰もいませんでしたが。……お疲れですか?」

「いえ、少しぼうっとしていただけよ。――きっと彼も片付けの仕事に戻ったのね。私ったら、名前を聞きそびれてしまったわ」


 彼はメルフィーナを「領主様」と呼んだ。


 きっと本当に今日この村に戻ったばかりなのだろう。


 特徴的な顔立ちをしていたし、次に会えばわかるはずだ。その時は名前を聞いてみよう。


 そう思ったきり、メルフィーナは日常に戻り、やがてそのことは頭の隅においやられた。



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