349.料理人と適齢期
「それでは、そのように進めさせていただきます」
「兵士たちには負担をかけてしまうけれど、よろしくね。終わったらたくさん労うから」
銀髪の騎士、ジグムントは相変わらず堅苦しい表情を変えずに言う。
「普段から鍛えておりますので、皆様の行楽に侍ることはどうということはありません。むしろ主君の近くで働けることを、皆喜ぶと思います」
彼のように鍛錬を怠らない鍛えぬいた騎士にとって、農村と都市の中間地点にある村の治安維持の仕事は物足りないと感じることの方が多いだろうに、ピクニックの警備体制についての話を終えると不満を滲ませることもなく、一礼を執って執務室を出て行った。
「この時期はピクニックがすっかり恒例になってしまったわね」
「実は、私も楽しみにしています。のんびりと湖を見るのも、この機会くらいしかありませんし」
「視察という目線以外で出かけること自体あまり無いものね。私も楽しみだわ」
元々は引きこもりがちなセレーネと外で遊ぶために始めたことだったけれど、メルフィーナの領主の仕事が落ち着く時期であることも重なって、習慣のようになっている。霜が降りれば雪が降るまではあっという間で、そこから長い冬が始まるので秋の残り香を楽しめる最後の機会でもあった。
そんな話をしていると、軽いノックが響く。セドリックがドアを開けると、ウィリアムとロドが並んで立っていた。執務室には珍しい客人と言えるだろう。
「伯母様、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、大丈夫よ。マリー、新しいお茶を淹れてくれる?」
「はい、すぐに」
マリーが執務室を出ていくのを、ウィリアムが視線で追う。叔母であるマリーを慕っているのがその視線ひとつで強く伝わってくる。
応接用のソファに移動して二人にも席を勧めると、慣れない執務室の雰囲気に少し戸惑いを見せながら、二人の少年はちょこんと腰を下ろした。
「どうかしたの? 二人そろって執務室に来るなんて、珍しいわね」
公爵家の跡取りのウィリアムはエンカー地方にいる間も勉学や鍛錬の時間があるし、ロドはメルフィーナから請け負った仕事をしているので普段はあまり一緒にいるのを見かける機会は少ないけれど、領主邸内では比較的年の近い少年同士ということもあり、エドも含めて彼らの仲は身分を超えて良好なものだ。
だが二人そろって改めてメルフィーナの元に来るのは、これが初めてだった。
二人はお互いに口火を切るのを押し付け合うように視線を交わし合っている。どちらもやや気まずそうで、なにか言いにくい話があるのが伝わってくる。
「なにがあったの? 怒られるようなこと?」
「そうではないのですが……やはり、ロドから言ってくれ」
「俺もあんまり、こういう話したくないんだけどなあ……ええと、エドのことなんだけど。最近、出入りの商人がしょっちゅう娘を連れてきていて、その娘に結構強引に付きまとわれて困ってるみたいでさ」
ロドは不本意そうに、そう告げる。
「あら……その娘は、エドのことが好きということかしら」
エドが領主邸で働くようになってそろそろ二年半が過ぎ、あと一年と少しで成人を迎えることになる。この世界は平民も貴族も独り立ちや結婚がとても早いし、エドはすでに立派な領主邸の戦力の一人だ。そろそろ恋愛や結婚を意識しても、なんの不思議もない。
出会った時はあれほど小さな子供に見えていたエドも、そんな年頃なのかと思うとなんだかしみじみとしてしまうけれど、ウィリアムとロドは何だか気まずげな様子だった。
「俺は領主邸の外に出ることも多いんだけど、資材の買い付けとかで商店に行くと、エドとは一緒にこないのかとか声を掛けられることもしょっちゅうなんだ。休みの日に連れ出して来てくれないかと言われることもあるし」
「その、私が口を出すのも筋が違うというのは分かっているのですが、エドがとても困っているのが伝わってきてしまって……」
どうやら、モテて困惑しつつも嬉しいというような、甘酸っぱい内容ではないらしい。メルフィーナが背筋を伸ばすと、向かいに座った二人の少年もぴしりと姿勢を正す。
「エドは、その娘に対してどう言っているの?」
「仕事の話の最中に割り込まれるのは困ると言っていました。エドは忙しいですし、仕入れが終わったらすぐに別の仕事に取り掛からなければならないのにずっと話しかけられ続けて、切り上げようとすると泣かれることもあるのだと……」
「エドってさあ、村の男と比べるとすごい優しいから、女に泣かれると強く出られないんだよな。父親の商人の方も中座してその娘と二人きりにしようとしたりするみたいで、食品の仕入れに時間が取られてそっちも困っているみたいなんだ」
「それは、困ったわね……」
料理人というのは、数ある使用人の職種の中でも特別な存在だ。
貴族の女性にとって数少ない労働の場面が高位貴族や王族の侍女や家庭教師であるならば、貴族に仕える料理人は平民が上り詰めることの出来る最上級の職業のひとつである。
その家でどのような料理が出されるかは家格に関わる問題であり、腕のいい料理人はより上位の貴族に引き抜かれるのも珍しくはないし、雇い主が才覚を見せた料理人を上位貴族に紹介料という名の報酬を受け取って実質売買するケースすらある。
何しろレシピ一つに金貨が積まれるのだ。それらを技術として身に付けている熟練の料理人は、非常に価値がある。当然給与面でも優遇されているし、雇用主によっては仕入れは執事や他の使用人の仕事として、料理人と外部の接触を極端に減らして囲い込むようなことも行われている。
「相手が強引で、エドが困っているなら私から釘を刺してもいいけれど、恋愛問題となると少し困るわね」
使用人の意思を抑えつけるような真似はしたくないし、幸せに暮らしてほしいというのがメルフィーナの偽らざる本音だ。それで領主邸を去ることになったとしても、とても寂しいけれど、それが彼らの選択ならば仕方がないとも思う。
けれど、エドは領主邸でなければ……メルフィーナの料理人でなければ、料理人である必要はないのだとまで言ってくれた過去がある。その気持ちを疑ってはいないし、尊重しなければならないとも思う。
「むしろエドが好きな相手はいないんですか?」
お茶を淹れて戻ってきたマリーが尋ねると、ロドもウィリアムも複雑そうな表情を浮かべている。
「エドは今のところ、美味しい料理を作るのに夢中って感じじゃないかな。それと……、ねえ?」
「ああ」
ロドの目配せに、ウィリアムが神妙に頷く。メルフィーナが首を傾げると、セドリックとマリーもああ、なるほどとそれぞれ納得した様子だった。
「え、もしかして、私だけ分かっていないのかしら」
「メルフィーナ様はそれでいいけど、もし何かあって騒ぎになったとしてもエドは悪くないから、先に報告しとこうかなってウィリアム様とも相談したんだ。あいつ、自分が悪くないことまで責任を感じて落ち込むところあるから」
「何かって、たとえば?」
「しつこく誘い出されたあげく、そこらの茂みに引きずり込まれて既成事実を」
セドリックの咳払いでロドの言葉が途切れる。ウィリアムもそこまで話すつもりはなかったらしく、白い頬をほんのり赤く染めていた。
「もうおませさんね、ロド」
「いや、あるあるだしそうなってからじゃシャレにならないから! エドは真面目な分思い詰めやすいとこがあるから、心配なんだって!」
「……あるあるなの?」
「平民は親が決めた婚約者なんて滅多にいないから、逆にそういうことになったら、近所の目もあるし、男としては責任取らないわけにはいかないからさあ……」
ロドの言葉は何だかとても重たく響き、メルフィーナまで頬が赤くなってしまう。
「……ともかく、その出入りの商人には私のほうから釘を刺しておくわ。あまりに目に余るようなら商人を替えるようロイドにも伝えておくので、心配しないでちょうだい」
少年二人は目に見えて安堵した様子で、ぱっと表情を明るくした。
「ありがとう、メルフィーナ様!」
「伯母様、よろしくお願いします。お仕事中にお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
二人はマリーが用意したお茶を飲み干して、執務室を後にする。ドアが閉まるとなんだかどっと力が抜けた。
「……ねえ、既成事実は、本当にあるあるなのかしら?」
「私の口からはなんとも」
「時と場合によるのではないでしょうか。あまり強引なことをすれば逃げる男もいれば、女性からここまで求められた以上応えなければ恥だと思う者もいるでしょうし」
秘書と護衛騎士もやや気まずげな様子だった。
物心ついた頃から政略結婚が当たり前という認識で育てられたメルフィーナにも、その辺りの機微はまるで別の世界の話のようである。
「求めるのも求められるのも、きっと楽しいことばかりではないのね」
ぼやくように漏れた言葉は我ながらじっとりと重たくて、常に傍にいる二人に聞かれたいことでもなかったので、誤魔化すようにお茶を飲み干した。




