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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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347.とある領主邸の日常

 ぺらり、と植物紙をめくる音が思ったよりも大きく響いた。


 ギュンターの携えてきた報告書に目を通し終えて、息を吐き、温くなったお茶で唇を湿らせる。

「予定の量で大丈夫だと思っていたけど、炭焼きに関してはもう少し量を増やしたほうがよさそうね」


「はい、想定よりエンカー地方で冬を越す者が多いようでした。今は問題ありませんが、少しずつ炭の値が上がってきていますし、おそらく最も冷え込む時期に不足が出始めるかと思います」


 その言葉にメルフィーナは静かに頷く。

 炭は今日必要になれば明日作ることが出来るというものではないし、予想外の冷え込みが来れば暖を取らないわけにもいかない。十分な量を用意して、余剰が出れば鍛冶工房やガラス工房に安く回す方がずっといいだろう。


「今乾燥小屋にある木材を炭に回して、補充分の伐採を手配しましょう。雪が降り出す前に相談してもらえてよかったわ」

「かしこまりました。このようなことで相談させていただくのは申し訳ないかと思ったのですが、森の伐採に関しては特に気を遣っているご様子でしたので」


 ここしばらくは文官たちに権限を振り分けて多くの行政判断を任せていたので、こんな風にギュンターやヘルムートに判断を仰がれる頻度も随分減った。それでもメルフィーナが気に掛けているところはきちんと陳情してくれることに、ふっと微笑む。


「森も水源も大切なエンカー地方の資源だし、一度損なえば回復までに長い長い時間が必要になるから、いつでも相談してちょうだい」


 礼を執って退室するギュンターを見送り、もう一度資料に目を通した後、窓の外に視線を向ける。

 昼食を摂り、軽く仕事を済ませて今日はもう手が空いてしまった。


「菜園にでも行こうかしら。甜菜の様子も見ておきたいし」


 種の選別による品種改良を始めて、二度目の収穫時期が近付いている。そう劇的に変化するような時間でもないし、糖度計といった正確な計測が出来る機械もない。舌を使った官能検査か実際に加工してみて出来た砂糖の量を計測する以外の方法がない状態だけれど、それでも少しずつ改良の結果が出ていると分かるのは楽しいものだ。


 ――他の農作物の豊作具合を見ると、あまりあてにならないかもしれないけれど。


 メルフィーナの菜園が特に顕著だけれど、エンカー地方全体の豊作が続いている状態だ。この分だと甜菜も同じように、たっぷりと根に糖をため込んでいるかもしれない。


 記録をつけて対比するのには向かない状況は少し困るけれど、基本的には満足に食べるだけでも大変な世界でこの状況に文句をこぼす気はなかった。ただ、今の状況に慣れ過ぎないよう、有事のことは常に念頭に置かなければと気を引き締める。


「メルフィーナ様、外に出られるなら、毛皮の上着を羽織って下さい」

「今日は陽も出ているし、大丈夫よ」

「少し風が出ていますので、マリーの言うとおりにした方がいいかと」


 相変わらず秘書と護衛騎士は過保護だ。苦笑しつつ頷くと、すぐにマリーがメルフィーナの私室から上着を持ってきてくれた。それに包まって外に出ると、頬に当たる風は思ったよりも冷たいものだ。


「ウィリアムは兵舎のほうにいるのかしら?」

「はい、基礎訓練に参加しているそうで、楽しそうにしていました」


 春から秋の間に大分背も伸びたウィリアムは、数日おきに兵士たちに交じって訓練を行うことになっていた。


 まだ剣を扱うことはないらしいけれど、走り込みや徒手空拳での護身術などを学んでいるのだという。


 去年まではセレーネと一緒に領主邸の庭でフェリーチェと戯れる以外は室内でゲームに興じていることがほとんどだったのに、子供の成長というのはあっという間らしい。


「最近は乗馬の練習も始めたと聞きました。まだ騎士に抱えてもらうか、兵士に引いてもらうだけのようですが」

「そろそろ子馬を選ぶ頃合いかもしれませんね」


 騎士は叙任と共に主から馬を与えられるけれど、君主の子息は乗馬を始めるのと同時に子馬を選び、共に育っていくことも多いのだという。八歳から十歳程度で子馬を得て、成人して叙任する頃には馬も最も熟練した馬齢に達し、そこから十年ほど騎士のパートナーとして過ごすということらしい。


「セドリックも一緒に育った馬がいたの?」

「貴族の子息として乗馬は学んでいましたが、私は三男でしたので専用の馬はいませんでした。家を出る際は置いていかねばなりませんし、自分専用の馬を持つのはある種の特権ですので。その辺りは、兄が羨ましかったですね。ですので、リゲルを得た時には、心が躍りました」


 リゲルはオルドランド家で叙任を受けた時に与えられたセドリックの馬だ。彼が王都に戻る際オルドランド家に騎士爵とともに返上されたのを、メルフィーナが買い取り、今も領主邸の馬房を住処としている。


 この世界では通じない表現だが、チョコレート色に頭だけ花が開くような形の白い毛色が交じった穏やかな性格の駿馬で、メルフィーナが馬車で出かける際はいつもセドリックを乗せて周辺を警護してくれていた。


「女性でも乗馬をする人はいると聞くけれど、私は無理そうね。高い所が苦手だし」

「そうなのですか?」

「恐怖症というほどではないけれど、少し背中がぞわぞわするわ」


 この世界ではそれほど高い場所に行く機会自体少ないけれど、これに関しては前世からそうだったから、きっと筋金入りなのだろう。暢気にそう考えていると、ふとマリーとセドリックが少し思わし気な目をしていることに気づく。どうしたんだろうと思いながら前庭を歩き、ややして、あっと気が付いた。


「前に、馬に乗った時は目隠しされていたから、却ってよかったかもしれないわね。視界が良好だったらもっと怖かったかもしれないわ」


 あえて明るく言うと、二人ともほんの少し、苦く笑う。メルフィーナが乗馬が苦手だろうと思うのはあくまで視界が高い場所にあるのが怖いだけで、誘拐された時の傷が残っているわけではないと分かって欲しかった。


「時計台は上まで登れる仕様になるそうですが」

「メンテナンスは職人に任せるわ。高い所が好きな人は上ってもらっても構わないけれど、私は遠慮させてもらうことになりそうね」


 メルフィーナ個人はともかくとして、見晴らしのいい場所が好きという人もいる。身を乗り出して事故が起きることがないように、子供達は出入り禁止にするか、引率の大人をつける等の条件を考えた方がいいだろう。そんなことを考えているうちに菜園に入る。


 菜園の世話はメルフィーナに雇われた数人の農夫によって行われているけれど、綺麗に区画整理されており、小まめに除草もしてもらっているので何が植えてあるのか一目瞭然になっていた。


 今は、甜菜の他はそろそろ蕪や大根といった根菜類が膨らみ始めている頃合いだ。ほろ苦いチコリや煮るととろとろの食感になって美味しいポロネギも冬野菜の代表で、ポタージュにすると絶品である。


 この時期はどうしても根菜か、もしくは地に近い位置に生える葉野菜がメインなので、大地に近い場所で育つものを嫌う貴族は冬の間、慢性的に野菜不足に陥りがちだ。日照時間の少ない季節の野菜不足は様々な病気を招く。


 メルフィーナには、この世界の習慣に対抗する気はないけれど、せめて身近な人たちには健康に暮らして欲しいものだ。


 畑をゆっくりと見回っていると少し冷えてきたので、作業小屋に併設されている温室でお茶を淹れようかという話になって立ち寄ると、先客がいた。


「やっぱりかなり生育に差が出るね。かといって、特に周囲に悪い影響を与えている様子もないし」

「実が生ったら重さを計りたいよね。あと、出来ればエンカー地方の外から同じ種類を取り寄せて比べてみたい!」

「それは絶対やりたいね。ううん、肉体の再生まで可能なら、植物だって同じだと思うんだよねえ。むしろ質量の増加の速度は動物より植物の方がはるかに速く大きいわけだし」

「一瞬で枝から大木とかに出来ないかな」

「年輪が形成されないと自重に耐えきれずにぽきっと折れる可能性が高いし、軟質のままだろうから木材としては利用する幅がかなり制限されるね。やるなら注意してやらないと」


 ユリウスとレナが楽しそうに言い合っている横で、マリアがぐったりとテーブルに突っ伏していて、向かいに座ったコーネリアが微笑んで会釈をする。マリアの後ろに立っていたオーギュストは、苦笑しながら軽く礼を執った。


「どうしたのマリア。体調でも悪いの?」

「ううん、大丈夫。疲れたというか、頭が」

「頭が?」

「脳が? 疲れちゃって」

「先ほどまでユリウス様とレナが思いつくままに魔力を使われていたので、消耗してしまったようです」

「それは、大丈夫なの?」


 魔力が体に悪いのは周知のことだ。マリアは恐ろしいほどの量の魔力をけろりとした顔で使っているけれど、何事にも限度というものがある。


「あ、大丈夫。魔力中毒とかじゃなくて、二人の言う事に頭が付いていかなかっただけだから」


 へらへらと笑って背筋を伸ばしたものの、どうやらカロリーが足りていないらしく、再びへにゃりと姿勢を崩す。


「何か甘い物でも持って来ましょうか?」

「それもいいけど、お肉が食べたいかな……」


 こちらの世界に来たばかりの時、食傷するほど肉を出されたらしいマリアには珍しい要求だった。

 なにしろ若くてそれなりに健啖なマリアのことだ、お肉自体は好きなのだろう。


「今夜は美味しいお肉を出すわ。あまり無理をしては駄目よ」

「うーん、頭は疲れたけど、大丈夫。私もやりたいことだし、本当に無理そうだったらオーギュストとコーネリアが止めてくれるよ」

「あっ、メル様!」

「レディ、いつの間にいらしていたんですか? そうだ、少しお話しさせてください。是非レディの知見も伺いたくて」


 なんとなくマリーとセドリックと視線を合わせる。少し温まりに来ただけのつもりが、暴走する師弟に巻き込まれてしまったらしい。


「では、わたしが料理長に頼んでおやつを作ってもらいますね」


 ちゃっかりそう言って出て行ったコーネリアを目で追って、促されるままに椅子に座る。


 そこからエドのおやつが届くまで、怒涛の質問攻めに遭う羽目になったけれど、これもまた、最近の領主邸の日常なのかもしれない。



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